佚世.2
やってきた翌日、机で寝落ちした佚世は目を覚ました。
体を起こし、本をめくる。
「昼から熱心ですこと」
「何時?」
「十一時」
「何時間寝てた?」
「十六時間」
記憶は付いただろうか。全体的に分かるし理解できるし、大丈夫かな。
本を全部閉じると一新した。
「もういいんですか?」
「理解したのに復習したって無駄でしょ」
「……無駄か?」
「覚えてる本読んで得る知識ある?」
「お前こいつ馬鹿って言ってるのか?」
「私が知っているのはずいぶん前ですからね……」
エリックがヴァイオレットに聞くと、ヴァイオレットは横目で佚世を見ながら目を細めた。
佚世が椅子に戻らず本棚の角に座り込んで読んでいると、ふとルーメルウスが顔を上げた。ヴァイオレットも反応し、少し目を伏せる。
ちなみにノエルは友人に声をかけに行くと朝から出かけて行った。てか消えた。
「イッセ、アーネストのとこ行くけど」
「んー」
行かないらしい。
「病状見なくていいの?」
「……行けってことね」
カルテねぇからなぁ。
「紙とペンちょうだい」
「記憶すればいいのに」
「紙とペンある?」
「あ、はい!」
ミシェルはすぐに取りに行ってくれて、佚世は立ち上がると黒のマントを脱いだ。
椅子の背にかけて、白衣を払う。
「一応医者だからやるけどさ。言っとくけど専門外だからね。無茶振りしてきたのお前だからね」
「はいはい」
「行くよ」
ルーメルウスについて行くと、近付くにつれ咳と喘鳴が大きくなってきた。
ミシェルから紙とペンを貰うと、ノックして入ったルーメルウスのあとに続く。
「アーネスト、開けるよ」
「誰だ」
「執刀医だよ」
天蓋を開けると、座って咳をしていたアーネストが二人を見上げた。
紫の髪に青の目をしたその美悪魔の背中には、たしかに体積比的には体の六倍はある翼が広げられていた。
へたっと閉じられているので小さく見えるが、相当な大きさと量ある。
アーネストは目を丸くし、佚世はよっと手を上げた。瞬間、アーネストが吹き出す。
咳をして、ルーメルウスが薬を使おうとするのを佚世が制した。
「羽根には神経ないんでしょ? 抜けても分かんないの?」
「分かんないよ」
「羽根はある程度抜いた方がいいね。身長止まってるでしょ。翼の成長が止まると進行侵蝕が早くなる。……息吐いてから三秒止めて」
アーネストは言われた通りに深めに息を吐いて、止めた。
止めた時は咳が溜まった感じで気持ち悪かったが、すぐに落ち着く。
「止まった」
「知ってる。口開けて」
「え」
「ヴァイオレットの指示ですので」
アーネストが渋々開けると、佚世は医療箱の中から舌圧子を取って口内を確認した。
虫歯等は、やはりすぐ治ってしまうのか一つもない。
喉の奥の背中側が紫に腫れている。うっ血とは違う、すぐそこまで魔力が溜まっている証拠。
「魔力って何? 液体?」
「気体。ほとんどが血液に混ざってるから液体でもあるけど」
「今お腹空いてる?」
「いや……」
「一時間ぐらい食べれなくなるよ」
二人の頭に疑問符が浮かぶと、佚世は箱を朝って麻酔を出した。
さすが溺愛お嬢様、どっかの世界から持ってきたな。
つーか悪魔に麻酔って効くんだろうか。
「麻酔って効くの?」
「効く、よ……? 前オペした時はそれでやったから……」
「魔法でなんかできないの?」
「できるっちゃできるけど、その場合それをキープする人が必要になる」
「面倒臭いねぇ」
佚世は麻酔を置くと、どこかから持ち前の紙とペンとインクを取り出しそれにサラサラっと何かを描いた。その紙をアーネストに渡す。
「喉に当てといて。麻酔になる」
「……便利だね」
「どっかの無能よりよっぽどね」
そう言いながら、佚世はシリンダーを取り出した。
喉に紙を当てていたアーネストは目を丸くし、佚世はそれの針を確認すると先を消毒した。
「え……どこに刺すの……?」
「喉」
「なんで……ゲホッゲホッ……!」
「いいから寝転がりなさい」
アーネストは佚世に押し倒されると、仰向けで首の下に枕を入れられた。
確かに麻酔は効いてるけども。
体勢も相まって上手く喋れないので、視線で不安と恐怖を訴えると顔にタオルをかけられた。
「口開けてね」
喉の奥が魔力が溜まって腫れているので、そこに針を刺して抜き取った。
多少は血も摂れるが、ほとんど気体。三本分、三ヶ所から魔力を抜くと出血がないのを確認した。
「はい終わり。これで咳は収まるよ。ねぇこのシリンダー処理任せていい?」
「うん。……ほんと優秀だね」
「君の孫娘から言わせたら出来損ないらしいけどね」
佚世はミシェルから貰った紙に喉の治療を書くと、本を台にしてアーネストのそばに座った。
「じゃ、診察始めていい?」
「……普通やる前にやりませんか……」
「普通悪魔を診ることなんてなくてさ」
「……わかる限りは答えます」
とりあえず、現在の症状的には翼の巨大化とそれに伴う魔力の枯渇、背中組織の壊死。
あと現在なにやら色々とヤバい状況らしく、精神的には抑うつ状態も出ている。
「悪魔って食事するの?」
「まぁ」
「食欲は?」
「あまり」
「眠れてる?」
「必要なぐらいは」
「外出たいと思う?」
「お嬢様のそばにはいたいです」
「信じらんない」
食欲減退、軽度の不眠傾向、活動意欲はあり。
カルテと睨めっこして、眉を寄せた。
「んー……精神は専門外だからなぁ。そっちまで手回てる暇ないし……」
「僕やろうか?」
「変人が精神見ても正しい診断は下せないでしょ」
こっち側は睦に一任してしまっていたので、いまいちよく分からない。的確に治してた睦ってすげぇ。
「……まぁ治療法の目処が立ったらまた選択お願いするよ。まだ勉強中だし。よろしくね」
「はい」
「じゃ、一時間は飲み物も駄目だからね。……あ、羽根ちゃんと抜くんだよ」
そういうと、佚世は魔法印を取ってカルテと見つめ合いながら出て行った。
思ったより時間が心配なので、勉強と同時に理論的には可能なはずの治療法を書き出していく。
ほんっとに、子供の体って使いにくい。
前で慣れたと思ったのに。
椅子に足を上げて、人には読めないような字で殴り書いているとふと背後に気配が現れた。
顔を上げると、知らない悪魔が覗き込んできている。
カーキ色の髪にくすんだ紫の目をした、中肉中背の悪魔。
「日本語? 異世界人じゃないの?」
「……誰?」
「一応性格がまともな範囲内の外科術を持ったまぁ医者ではありませんが。二人」
「ルー見といて」
「はいはぁい……」
ルーメルウスはまた書き出した佚世を見下ろすと、二人に視線を移した。
「……有名な子達だよね?」
「一応悪魔解剖学の第一責任者やらせてもらってます」
「死神と悪魔診る元医者。今は死神色々研究してる」
佚世に絡んだ青年と、もう一人はグレージュの長い髪の八歳か七歳ぐらいの少女。桃色のタレ目だが、性格がキツいのかおっとりした印象はない。
ふよふよ浮いて、ノエルの肩に腕を置いている。
「……有名なの連れてきたなぁ……?」
「ちょうど学会やっててその中から選出されました。皆の推薦受け取ってます」
「ルアさんも来たなら発表はするべき」
「残念学校に全て取られました」
「学校潰す」
「頑張れ」
ほんとに性格いい子なのだろうか。
まぁ不安になっても仕方がないので、ルーメルウスは佚世のそばにある本を手に取った。
「何するか聞いてる?」
「シュキルヴェート三男の治療だとか!」
「レッドグレイヴの契約保護だとか」
「そう。病状は?」
「生狂翼症の重篤患者でしょ? 七割弱進行してるとか」
「四割は侵蝕されてるとか」
「イリルイアに目付けられてるとか」
男がそう言うと、少女は目を丸くした。
「ほんと?」
「最近の話題筆頭だよ〜?」
「ルアさん守らないの?」
「元生徒会長でしょ?」
「レッドグレイヴが守れてませんからねぇ」
ノエルがヴァイオレットを尻目に見ると、また二人に火花が散った。
危機を察したらしい間にいた青年は少女の方に逃げる。
二人が一触即発でヴァイオレットが口を開こうとした時、突然佚世が声を上げた。
「あー疲れたッ! もー無理ッ! なーッ!」
腹の底から絞り出したような声に、皆が目を丸くした。
佚世は立ち上がって天を仰ぎ、ミシェルがおろおろと心配する。
「お、お菓子かなにか持ってきましょうか……?」
「フルーツある?」
「あ、ありますよ! りんごと……」
「なんか持ってきといて」
種類に興味のない佚世はミシェルに適当に頼むとルーメルウスの方を見た。
「ねぇ輸血はいいの?」
「輸血したら出血止まらなくなるよ」
「……私ここの道具使えんのかしら」
「あなたが使っているものと遜色ないものを作らせていますよ」
「ほんっと庇護下のためなら未来が狂ってもどうでもいいってぐらい全部やるよね」
「ここでやらないと未来が狂いますから」
「便利な言い訳ですこと」
ヴァイオレットが不機嫌になったので、佚世はふいっと顔を逸らしてルーメルウスと専門的な話をし始めた。
主に、麻酔と手術痕、翼の根に関すること。
麻酔は普通に効くらしい。手術痕は、そもそも使う金属が特殊なので普通より治りは遅い。ただ化膿等は比較的少ないが、火傷跡のようにただれることはある。
翼の根に関しては、たぶん背中全面に張っているので相当やりにくいだろう、と。
「僕が前やった時既に腰まで来てたから」
「おっけー」
そう言って、佚世はずっと書いていた紙を持つと部屋を出ていった。
皆がそれを見送ると、エリックがノエルを見上げた。
「お前わりと優秀だな」
「あなたよりは圧倒的にね」
少しして、青年と少女がくつろぎミシェルがフルーツとお菓子を持ってくると佚世が降りてきた。
「オペ決まったよー。一週間後の朝からね」
「早ッ……!」
「一週間!? 準備は!?」
「ご主人様が揃えてくれるでしょ」
「術式もなんも決まってないでしょ!?」
「決まったって言ってんじゃん」
佚世の周りに皆が集まり、皆も耳を傾ける。が、専門用語のオンパレードで意味不明。
「……で切って止めての間にこっち繋げて」
「腕足りんッ!」
「アホか使わんわこんなどうでもいいところに」
「はぁ!?」
「うるさ。大丈夫君ら言われたとこ持ってたらいいだけ」
「いや……! そもそも理論的に不可能で!」
「机上にも書けないことできるわけないじゃん」
「君らの常識を私に押し付けないでほしいな」
佚世は話してる間に気付いたことをさらに書き足し、それによってやらなくていい処置と増えたものを書き足していく。
三人は渋い顔をして、やはりイメージが付かないのかやろうとは言わない。
それを見たからか、ノエルとウィリアムが寄ってきた。
三人を剥がし、覗き込む。
「これは?」
「この辺り全部印で片付く」
「ならこっちもいけるだろ」
「その場合ここが動かないから」
「ならここを固定して導線確保した方が効率的です。ここに動脈があるのでここは下を通るか越えないと」
「じゃ上から回す。下は動いた時に骨に当たる」
「ならこっちも変えないと収縮した時に切れる」
「延ばすか……」
なんでこの人らは至極当たり前のようについてってんだろう。




