36.帰還
本拠地に移動して二週間が経過した頃、睦が一旦スレッドに戻るのでその用意をしていた。
「恋弥、Hg貸して」
「うん?」
恋弥は荷物の中から睦に貰った佚世のHgを渡した。
「うい」
「ありがと。……あんまり動きすぎて陽泰振り回さないように。恋弥と陽泰共倒れしたら引きずるのエリオムさんなんだし」
「兄貴を信用しろ」
「兄貴とは思ってねぇよ三十路」
「なってねぇよッ!」
「じゃ、まぁ数日後には帰ってくるけど」
「おーう」
睦は軽い荷物だけ持つと、陽泰の家から出た。
トンネルの外に小雨が待っていてくれるらしいので乗せて行ってもらう。そういや、ミヤが遊樹機の免許取ろうかとか言ってたなぁ。
トンネルの外まで歩道を歩き、外に泊まっていた見慣れた車をノックしてから扉を開けた。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです、元気になったようでよかったです」
「恋弥ですか?」
「睦さんも」
自覚がなかったらしい睦は首を傾げたが、小雨は微笑むだけで特に何も教えてくれない。
そんな、疲れ果てたような顔してたかな。
「恋弥も結構元気になってきましたよ。まだフラッシュバックは多いですが。抑うつ状態というわけではないので、恐怖心さえなければ元気ですし」
「よかった……それが一番の懸念でした」
「自殺する気もなさそうです。死ぬのが怖いので」
「まぁ……その恐怖は、参界者にしかわかりませんね。……睦さんは死の恐怖はないんですか?」
「俺? 俺は大丈夫ですよ?」
自分が死を怖がっているのに、他人の死など背負えるはずがないからな。
睦がにこっと笑って首を傾げると、今度は小雨が少し不思議がるような顔をした。
ふと視界の端に誰かが覗き、見ると蜃が助手席と運転席の間から顔を出していた。
睦が目を丸くすると、蜃は小さく手を振る。
「蜃ちゃんいたんですか……」
「私も知らぬ間に乗り込んでました」
「今日は私が休みだったので私とドライブデートだったんです! 乗り込んできたのは小雨先輩の方ですね!」
はつらつとした声で断言した降水に、小雨は感情のない目で頷いた。デートだなんて知ってたら呼び出さなかったよ。政府は何百人と部下がいて自分も免許持ってんだから。
車が停車すると、蜃は小柄な体で席の間を通って小雨の方に移動した。
「先輩! 水買ってきていいですか!」
「どうぞ」
「なにかいります!?」
「いいえ」
「元気ですね!」
あなたがね。
「私も行く!」
「行ってらっしゃい」
小雨は女子二人を見送ると、霜に、帰るのはもうしばらくかかりそうですと連絡した。
「そうだ……エリオムさんはどうでしたか」
「元気そうでしたよ。天獄さんとの相性は悪そうですけど、陽泰さんとはなかなか」
「それはよかった。彼女が一番不安定なんですが、なんせトイトの囲いのせいで政府は接触できなくて」
「今はよく笑ってます。あと相当なマルチリンガルだったのでほんとに貴重かと」
「マルチリンガル?」
「世界のこの世界を除いた七ヶ国語話せるようで」
「それはそれは、情報は宝ですからね……! また連絡を送ってみます」
「また数日後に戻るので経由しましょうか?」
「ではぜひ」
小雨もわくわくしたところで、降水が戻ってきた。
小雨が窓を開けると、首を突っ込んでくる。
「お腹空いたのでご飯買っていいですか!?」
小雨は無言で窓を閉め、鍵をかけた。
それを是と捉えた降水は手を振り上げながら去っていった。
スレッドに帰ると、響皐月が飛び出してきた。
手前で踏み切って、腕を睦の首に回し腰に足を絡める。
「おかえりぃ」
「元気みたいでよかった。今日は水尋さんは?」
「上にいるよぅ」
響皐月を抱っこして事務室に上がると、枯梨と景矢も出てきた。
「おかえりなさい……!」
「ごめんね任せきりにしちゃって。問題とかない?」
「はい。雨豪さんと修茶さんが上手く対応してくれて、いい感じに回ってると思います」
「なら安心だ。……ミヤは?」
「今一件出てます。昨日四件ほど入ったので今日は開けてなくて」
「上手く判断できてるようでよかった」
景矢の報告を聞きながら、目を輝かせる枯梨の頭を撫でた。
景矢の頭も撫でて、響皐月を下ろす。
「お水持ってきてくれる? 喉乾いちゃった」
「はぁい!」
「二人とも学校どう? 不安なこととかはない?」
「今のところ大丈夫です。ノート提出は遅れてますけど」
「私は全然……」
「枯梨は優秀だ。景矢は写真送ってくれたら翻訳したの送るよ。印刷して提出したら先生もわかるだろうし」
「いいんですか……!?」
「うん。書いてるのに変わりはないからね。……その代わりちゃんと自分のノートで覚えるんだよ」
「はい!」
子供たちが仕事に戻ったので、睦は雨豪と修茶の画面を覗いた。
修茶は完了案件の処理、雨豪は依頼人の確認と、案件のリストを。
「つつがなく進んでるようで」
「子供たち優秀ですね、社長」
「やめてください。社長って柄じゃないんです」
「立派なのに」
「雨豪さんも大丈夫そうですか?」
「あぁ。慣れないこともカバーし合えているし自主性もあるし、いい社員だ」
「子供たちも喜ぶでしょう。またなにかあれば」
「何もないよう尽力に限るな」
「期待しています」
こうなってくると、社長を降りると言い辛い。スパスパ言えないのは日本人の悪癖だ。
響皐月から水を貰うと、Hgを開いて新しい資料やリストに目を通してまだ手がつけられていない仕事をやっておく。
そのあとに全資料とリストを照らし合わせて間違いがないかの確認と、顧客情報の削除、新しい客の身辺調査をやっておく。
たまに相手が子供だからといって値切ってきたり、威圧してセクハラパワハラまがいなことをしてくるクズたちがいるので。大人の男が二人来てくれたし、わりと安心ではあるが。あと大人の女性一人ぐらい欲しかったんだけどなぁ。
思春期の女子が二人いるわけだし。
なるべく静かそうで、絶対なる常識人の女性を誰か一人を政府から借りようかな。小雨に打診するのもありかも。
Hgを閉じると、荷物を持って部屋に戻った。
今日は皆の様子を見に来たのもそうだが、佚世と同居していたらしいヴィールヒのことを調べに来たのだ。
表示されたあの文字、『帰ってきたのね』。
あれがどうしても、あのあとに『おかえりなさい』と続くような気がしてならない。
ただの気のせいならいいのだが、元住人なら入口も警備も、窓の場所も全て知っているだろう。本人に入り込まれてもおかしくない。
そんな懸念と同時に、あの家に付着した佚世の血が気になる。それと、血から彼女の情報が視えなかったことも。
ジュワルパ出身なら理由がわかる。
スモッグは両親がジュワルパとヴィルパでハーフらしく、母はジュワルパで人さらいに捕まりヴィルパで、ちょうど制圧に来た父と出会って結婚したと言っていた。
睦は、純ジュワルパ人を見たことがない。
ヴィールヒという名もそうか、漢字圏のヴィルパとは違う、言うなれば英語圏の名前。
エリオムが目立たないと判断されるわけだ。確かに客も数人はミドルネームがあったりする。
人さらいや奴隷売買、そこからの脱走が多いのだろう。
たぶんスモッグの名を見てスモッグを見たことあるからこそ血を視れたが、それすら知らなければ誰の血かもわからなかった。
小雨にジュワルパの人、準備してもらえるかなぁ。てかスモッグのお母さんとか見せてもらえないかなぁ。
Hgと繋がるシリコンパネルでタイピングして、佚世のHgから鍵を辿って感染元に入った。
画面を共有させてもらい、色々なフォルダを開く。うわぁ、気持ち悪い。
ほんとに、佚世のストーカーなんだろうな。写真フォルダはもちろん、目撃情報リストも廃教会の情報も、トワイライトの噂も、睦や脳之輔のことまで。睦に至ってはボロクソ書かれてるけど。変な関係じゃないですから見当違いですね。
Hgで写る画面をパソコンに共有して、そっちでスクショを撮った。
ホームから一覧を見ている中で、ふと鍵のかかったフォルダを見付ける。
それに触った瞬間、Hgから弾き出された。
あのフォルダ、計画表か。視えた。
ウイルスの発現元、佚世の家が、佚世のHgにより帰ってきた時。佚世がロックを解いたらすぐにわかるように。
でも残念、あの人はたぶんウイルスを見ると解くより先に下から回ると思う。あの人はこれに関してはほんとに臆病だ。
Hgを開いて、エリオムにその資料と、視えた計画表を伝えておいた。
すぐに天獄に伝えてくれて、警備強化と体制ローテーションを約束してくれた。ちなみに天獄は帰る帰る言って一回も帰ってない。エリオムが帰らないので帰りたくないのだろう。
陽泰にも一応、何かあればすぐ連絡をと入れておく。
睦にはちゃんと、わかったって返ってくるんだけど。これも面倒臭いと思ってんのかしら。
そんなことはさておき、Hgが変なウイルスに感染したりクラッキングされていないか確認しないと。




