28.意識
バリンとなにかが割れる音がして、ハッとした。
「終わり」
「相変わらずの腕だね。……スーランが二人いたら楽なのに」
「無理難題言うなよなぁ」
ヒュッと喉が鳴り、口を押さえた。
痛いほど、うるさいぐらいに強く脈打つ心臓と白くぼやける視界と、吐きそうなみぞおちと。
痛い耳鳴りがしているのに、鼓動で音は聞こえないはずなのに、男二人の会話は明確に聞こえる。
「弟君も同じぐらい上手かったんでしょ」
「……俺より上手かった。あいつがいなくなるぐらいなら俺がいなくなった方がよかったんだ」
「いつも言ってるね。次男が長男の腕を越えないように、才能を退化させるように」
「……もっと構ってやりゃよかった」
建物のへりにしゃがむ、何十回も見送ったその背中が目の前にあることに混乱し、しかしすぐに、ここにいるのがバレたらと最悪な結果が頭をよぎった。
逃げないと。
「あいつは絶対どっかで生きてるからさ。会って謝って、親の言いなりにならなくていいって言って二人で暮らす!」
「頑張れー」
「おいンシエてめぇ幻想とか思ってるだろ」
「思ってないよ。……人はどこまでも愚かだけど、人の思いほど強い力はないもの」
「お前ラズのためならなんでもできるもんな!」
「突き落とすぞ」
飛び起きて、口を押さえた。
口から何かが抜かれた気がして、袋を渡されると瞬間みぞおちに溜まっていたものを吐いた。
体が支えられ、空の胃ながらに何かを吐き出す。
真っ白だった視界が戻ると、吐き出したものは全部液体で、真っ赤だった。
「……ゲホッ……」
「手袋と舌圧子ください」
「食道から出血してるかもしれないね」
人の声が聞こえて、数秒後に人の感覚が離れた。
ゾッと背筋に悪寒が走り、呼吸が止まる。
人の叫び声が聞こえ、夕暮れの空が見え、風で聴覚が消えた。
床に手を突いて、大丈夫だと、何もないと信じ込ませていると、顔が無理やり上げられた。
頬に触られたことすら気付かず、上がった視線の先で睦と目が合う。
「落ち着け。なんもないから」
「……むつ……」
「ちゃんと生きてるだろ」
恋弥が下を見下ろすと、怖かった理由がわかった。乗っていた寝台が高かったから、地面が離れて見えたから怖かったんだ。
「……降りる」
「うん」
睦に支えられ、下に降りた。
床に崩れかけるのを、睦と、何故かいる佚世の先生に支えられた。
「ゆっくりでいいよ」
脳之輔は寝台の高さを下げると、そこに恋弥を座らせた。
椅子としてもかなり低めだが、この高さなら大丈夫なのか少し落ち着いて横になった。
「……先生、なんでここに」
「んー? 解散してからはずっとここにいるよ。睦君の主治医で」
「病院……?」
「ではないなぁ。睦君と、君と葉笶君が久しぶりだし。私の趣味の家?」
「……陽泰!」
「もう元気になってるよ。彼頑丈だね、起きた瞬間仕事だっつって飛び出してった」
「生きてんなら……よかった……」
体を起こした恋弥がホッとしていると、睦がクッションを持ってきてくれた。
枕程度だが、恋弥は起き上がるとそれを受け取って膝に置く。
「もう少し休んでたら?」
「……これでいい」
「なんか食べれそうなら食べたらいいんだけど。麻酔も切れて問題ないだろうし。なんか食べれそう?」
「…………なんか、味ないのは嫌……」
「フルーツ切りましょうか。……あ、キウイある。脳之輔さんキウイ使いますよ」
「キウイ危ないよ。イチゴかバナナの方がいい。あとアボカド切ってあげて」
「あ、赤身がある。ラッキー」
睦がキッチンで色々切り始めたので、恋弥はその間に軽装に着替えた。
毎日陽泰とスモッグが来てくれるらしくて、麻酔が終わって昏睡状態になると着替え等を持ってきてくれたらしい。
寒いので貰ったブランケットにくるまり、クッションを抱っこする。
そのうち睦が戻ってきた。
「お、着替えてる」
「恋弥君魚食べたことある?」
「はい。何回か……」
「赤身って食べれた?」
「……特に、食べて死にかけたものはないと思います」
「じゃ大丈夫ですね」
お盆を渡され、睦はキッチンに戻ると自分の分も持ってきた。
こいつ魚の単語に異様に喜ぶんだよなぁ。
二人でアボカドと赤身魚の和え物やフルーツを食べて、恋弥はなかなかに美味しいそれに少々腹を立てる。
「俺はお前の欠点を見つけたい」
「なんですいきなり」
「………………仕事中?」
「別に」
「じゃそれやめろ腹立つ殴りたくなる」
「蹴り返すぞ貧弱野郎」
「欠点があればさ、皆がお前褒めても俺は欠点を知ってるから腹が立たない」
「どーゆー理屈だ……」
二人で喋りながら食べて、食べ終わってから恋弥が色々と診てもらっていると、部屋の外からノックが聞こえた。
すぐに扉が開いて、二回目こっちの部屋の扉にノックが鳴る。
「どうぞ」
「失礼します。……恋弥さん……!」
「起きてる」
「起きた〜」
恋弥がブイサインすると、陽泰は心底安心したのか、膝から崩れ落ちた。
スモッグが支え、陽泰は何度かため息をつく。
「……よかった」
「よかったけど、しばらくはここですよ。聞くところによれば脳之輔さんの後任はやぶだとか」
「うん。やぶ。今ボスが腕のいい人探してる」
「なんにせよフラッシュバックの条件がわからないので、なった時に対処できる人がいるとも思えませんし」
「フラッシュバックって何?」
恋弥が聞くと、棚を漁っていた睦が恋弥を見下ろした。
「トラウマ思い出して死にかける」
「こら睦君」
「死ぬの……!?」
「……死ぬより辛いかもしれない!」
脳之輔が睦を殴り、睦は倒れて頭を抱えた。今、明らかにヤバい音が鳴った。
「似すぎだよ」
「すみません……」
「……フラッシュバックはトラウマを思い出して過呼吸になったり最悪失神したりする。症状は人それぞれだけど恋弥君はかなり重そうだし。念の為だよ」
「……死なん?」
「死なない死なない。フラッシュバックで死んだ事例はない」
恋弥はあからさまにホッとして、スモッグはしっかり頷いた。
「じゃあボスに言っとく。今、大変そうだけど、恋弥起きたの聞いたらちょっとは安心するだろうし」
「そうして」
陽泰とスモッグは今日はとりあえず来ただけらしいので、また皆に起きたことを知らせてお見舞いを持ってくると言い帰って行った。
夜になり、睦は眠れない恋弥とともにチェスをやる。こいつ異常に強ぇ。
「チェック」
「……なんでこれだけできんだ」
「お前が弱いの」
「クソ。将棋はできるのに……」
「なにそれ」
「チェスみたいなもん」
「教えろ」
「えーっとなぁ」
睦は自分の荷物を漁ると、中からタブレットを出した。
景矢が作ってくれた充電器。箱に紙入れて放電させて、充電器繋いでるだけだけど。
それを繋いだまま、将棋のアプリを開いた。
父が作ってくれたので睦が見やすいようにしている。
「はい」
「わぁ」
「駒はチェスと似た感じだけど……」
そんなことを言って二人で、まぁチェスができる恋弥は将棋もすぐにできまして。
でも睦も将棋はできるので、二人で夜通し対戦しているといつの間にか日が昇ったようで、脳之輔が起きてきた。
台に座って角突合せている二人に呆れ、二人の頭に手を置いた。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
「おはざます」
「少し休憩したらどうだい。なにか淹れるよ」
「白湯お願いします」
「水!」
「まともなもん飲めよ」
「黙れ」
似てるのか似てないのか、脳之輔は二人に頷くとキッチンに移動した。
脳之輔が風呂に入ったので二人はちょっと休憩。タブレットを片付け、集中が切れた途端眠気が出てきた睦はあくびをする。恋弥もちょっと眠そう。
「お前寝たら?」
「うーん……昼夜逆転すると厄介だ……」
「珍しくまともなこと言って」
「俺は常にまともだ」
「だいぶん異常になってきてたぞ」
睦は唖然として、恋弥はその顔が面白くてけらけら笑った。
睦は、少し自重しようと反省する。
「……眠いなぁ」
「そりゃあ徹夜したらな」
「座ったままなら寝れるかなぁ」
「知らんうちに寝落ちてるだろ。朝ご飯食べよ」
「俺も食うー!」
「何がいい?」
「飯!」
「朝から重てぇなぁ」
「至って普通の回答だろうが変人」




