SIDE. ミア 想望 3
ミアは震える手をギュッと握りしめながら地下へと向かった。
あのヨンという男は気分次第で簡単に人を殺す。
だからこそ、目をつけられないようにと皆視線を下げて過ごしていた。
ミアは魔法を使えるが故に捕らえられ、街を襲うという制約の元で生かされていた。
しかし魔力が低かったために、今では戦場に駆り出されることは殆どなく、ここルクスリアで召使いのような扱いを受けていた。
今日はヨンの部屋を含めた三階の掃除当番が割り当てられていた日であった。
恐怖による不調に悩まされる中ではあったが、幸いなことに部屋の主は不在であり、手早く終わらせてさぁ次の部屋へと外に出た時、運悪くヨンと出会してしまった。
喉元まで迫り上がっていた悲鳴を咄嗟に飲み込みながら廊下の端に寄り、なるべく身体を小さくして歩いたつもりであったが、神様はとことん無慈悲であった。
彼に呼び止められることは、それ即ち死神に手招きされることと同義である。
どんな理不尽なことを言われるのかとビクビクしていたが、単純に用事を言いつけられるのみだったことに少しだけ胸を撫で下ろした。
だからと言って仕事が遅いと難癖をつけられる可能性は十分にあるため、地下へと向かう足は自然と速くなった。
地下と言えば、あの胡散臭いキビルとかいう研究者が占有していることでも有名である。
ミアにとって彼はヨンと同じくらい苦手な人物であった。
彼はヨンとは別の意味で狂気に包まれた人間なのだ。
強張った身体を懸命に動かしながら、そう言えばこれは地下のどこの鍵なのだろうと考えていると、奥の方で人影が動いたように見えた。
(もしかして、キビル様……)
正直なところキビルにも目をつけられたくはない。
彼はマッドサイエンティストだ。
彼の実験の犠牲になった者をもう何人も見てきた。
恐怖を抱えたまま薄暗い道を進み、その人影がキビルに比べ大分華奢であることに気が付いた。
そして、その人影も近寄るミアの足音に気がついたのか、ゆっくりとこちらを振り返った。
「っ、御、使い様……」
夢のように美しい人であった。
薄暗いこの地下においても、紫色を宿した瞳はまるで宝石のように光っている。
教団の信者であるミアには、彼女が天からの使いのように見えた。
しかし、彼女と同様ヨンもまた《竜の子》であることを思い出し、ミアは一瞬の内に戦慄した。
彼女が幾ら美しかろうが、ヨンとは違うとどうして言えようか。
「その鍵……」
《竜の子》の視線はミアの手に注がれていた。
正確には、ミアの持つ鍵に。
それで合点がいった。
ヨンが面倒を見ろと言った《竜の子》は彼女なのだと。
「部屋を出ても良いのかと思ったのですが、違うみたいですね」
「あ、あの、御使い様は何故ここに?」
「何故……竜の子だから、でしょうか?」
美しいヒトは困ったように笑った。
そこで初めて彼女の首に魔道具が見えた。
どんな類のものかまでは分からないが、地下に軟禁されているという事実とそれで、彼女が囚われの身なのだと理解した。
「御、御使い様、あの、私、お食事の面倒を見るようにと申しつけられて、」
「そうなのですね、迷惑をかけてすみません。ただ……食欲が湧かなくて」
「そう、ですよね、こんな陰気臭い場所じゃ……。ちょっと相談して参りますので、もう少しお待ちください!」
ミアは急いで来た道を戻った。
戸惑ったような声が聞こえたが、今は彼女をここから出してあげるのが先決だと思った。
彼女がヨンとは違う《竜の子》だと分かった、ミアにとってはそれだけで十分であった。
後はきっと竜神様が見ていてくれるはず、そう思えば自然と力が湧いてきた。
ミアは勇気を振り絞ってヨンの部屋の扉を叩いた。
返事を受け中に足を踏み入れた瞬間、再び恐怖心で足は竦んだが竜神様の加護も確かにあるような気がした。
信じる神の存在だけがミアを突き動かした。
「何か用?」
「……さ、先程申し使った、御使い様のことなのですが、」
「御使い様? ……あぁ、お前信者だったんだ。それで、何?」
「その、か、環境が悪いかと思います」
「環境?」
ヨンが眉を顰めた。
漏れ出そうになる悲鳴を懸命に堪えながら、ミアはこくりと頷いた。
「っは、はい。あのような環境では、食欲が湧かなくて当然かと……」
「何が言いたいの?」
「あの、きちんとした部屋を用意すれば、きっと」
「それは、あんたが信者だから肩入れして言ってるわけじゃないよね?」
図星をつかれてミアは黙り込んだ。
冷や汗が流れ、恐怖心がじわじわと胸の内を侵食するようであった。
震える指に気付いて隠すように握ったが、指先は感覚がないほどに冷たくなっていた。
「……まぁ、何もしないよりはマシか。隣の部屋を空けるからそこに連れてきて」
「え」
「何? 聞いてなかったの?」
「い、いえ、すぐに連れて参ります」
ミアは勢いよく頭を下げると、一も二もなく部屋を飛び出した。
すんなり許可を貰えたのはやはり竜神様の加護のおかげだ、と天に感謝しながら足取り軽く地下へと急いだ。
律儀に部屋の中で待っていた《竜の子》の傍に寄り、緊張しながらそっとその手を取った。
「許可を得られました。さぁ御使い様、こちらへ」
「……出てもいいのですか?」
目を丸くする彼女を安心させるようにミアは握る手に力を込め、それから少し顔を伏せた。
「この建物内から出ることはできませんが、ここよりも良い部屋を用意してくださるそうです。……力及ばずで、申し訳ございません」
「いいえ、ありがとうございます」
そう言って微笑まれた時、勇気を出してヨンに掛け合って良かったとミアは心の底から思った。
「あの、今更ですがお名前は何というのでしょうか?」
「レンリと申します。貴女は?」
「っミアです」
レンリを伴って地下から出ると、彼女の瞳は周囲の光を取り込んでより一層輝きを増したように見えたため、その美しさにミアは暫し見惚れてしまった。
しかし、階段を上がるだけで彼女が息を切らしていることに気付き、食事をしていないと言うし体力が落ちているのだろうと察して、普段よりもゆっくりと歩を進めることにした。
時間をかけてようやく三階に着いたところで、腕を組んで仏頂面で立っているヨンを見留めたため、ミアは小さく悲鳴を漏らした。
それに耳敏く気付いたヨンがこちらを睨んできた時、ミアは怖気づいて思わず俯いてしまった。
「ねぇ、遅いんだけど」
「も、申し訳ありま――」
「――ミアは私のペースに合わせてくれたのです。咎めるのであれば私を」
レンリが間に入って告げると、ヨンはそれ以上ミアを追及することなく、不機嫌そうに顎で部屋を指し示した。
「……ここを使って。一応扉に魔法はかけてるけど、逃げようだなんて思わないでね」
言ってからヨンは徐にレンリの首へと手を伸ばした。
ミアが息を呑んでそれを見守っていると、その手は彼女の首元の魔道具に触れて淡い光を放った。
「意味がないなら、これは返してもらうから」
魔道具が外されたことにミアが安堵していると、突如ドタバタと階段を駆け上がる騒がしい足音が耳に入った。
「っヨン様! 竜の子がいなくなりましたっ――あれ、こんなところにいたんですね」
焦った様子で現れたキビルは、レンリの姿を視界に入れた途端安心したようにずれた眼鏡をかけ直した。
「本日分の検査がまだですので、さぁ部屋に戻りますよ」
ゆっくりと近付いてくるキビルから逃げるようにレンリが後退ったため、ミアは反射的にキビルの身体を両手で押し出した。
「ダ、ダメです! あ……えと、御使い様の体調が良くなるまでは、無茶させちゃダメ、です」
声は段々と小さくなっていった。
慌てて取り繕ったが、やってしまったという感情と《竜の子》を守るのは当然のことだという感情がグチャグチャと頭の中を掻き乱した。
「……だ、そうだけど?」
「ヨン様! 私は竜の子の体調については確かにお願いしましたが、それで研究が中断されるなんて聞いていません!」
「お前なんなの、本当に面倒臭いんだけど」
頭上で交わされる会話にブルブル震えていると、冷たくなった手を何か温かいものが包み込んだ。
ハッとして目を向けると、誰かの手が震える拳を握ってくれていた。
手の主を探るように視線を上げると、レンリと目が合い微笑まれたため、それだけでミアの震えは収まっていくようであった。
「どうせ血も取れないんだから別にいいだろ。逃げるわけじゃないんだし」
「私から研究の喜びを奪うつもりですか!? そんな殺生な! はっ、ヨン様まさか……彼女に絆されたなんて言いませんよね?」
次の瞬間、気温が一気に下がったような感覚に陥った。
気の所為かと思ったが、そうではなかった。
いつの間にかキビルの爪先から膝辺りまでが分厚い氷に覆われており、それはキビルの上体までをも覆い尽くさんばかりに段々と迫り上がっているように見えた。
「ねぇ、口答えは止めてくれる? 本当に殺しちゃうかも」
「我儘が過ぎました。数日ぐらいなんともありません」
キビルは落ち着いた様子で降参のポーズを取った。
すると、氷はパリンと音を立てて崩れ去り、ミアは目の前で起こった出来事にヒュッと喉を鳴らした。
「へぇ、お前の言った通り確かに強くなってるね」
「そうでしょう! 貴重な存在であることが分かっていただけましたか!」
先程の命のやりとりなどまるでなかったかのように話し出す二人の異常さに怯えながら、ミアはじっと立ち尽くした。
気配を消して早く嵐が過ぎ去るよう祈ったが、その願いも虚しくキビルの視線がミアを貫いた。
「――……では、代わりの研究材料を頂けますか? 暇つぶしなので何でも構いません。たとえば、彼女とか」
「ヒッ」
抑えきれず悲鳴が漏れた。
人の心のないキビルの研究材料にされては、生きて帰れる保証もない。
「好きにしたらいいよ」
「ありがとうございます!」
伸ばされる腕に顔は青ざめ、恐怖で歯はガチガチと音を立てた。
もうダメだと思った矢先、視界を遮るようにミアの前にレンリが立ちはだかった。
「困ります。ミアと一緒でなければ、私は食事を頂きません」
「……だ、そうだけど」
「うーん、悩ましい問題ですね」
ヨンはさして興味がないのか、判断をキビルに任せたようである。
キビルは悩んでいるのかそうでないのかよく分からない仕草で目を瞑った。
「まぁ、竜の子以外は皆同じですから、別段彼女に拘る理由はありませんね。適当に見つけることとします。――それはそれとして、竜の子の研究が可能になりましたら、一番に私にお伝えくださいね!」
キビルは片手を上げて爽快とした様子で去って行った。
恐怖の対象が一人減ったことにミアは人知れず息を吐いたが、安心するにはまだ早い。
一番危険な人物がまだこの場に残っている。
「、これで、さっきのはチャラだから」
ヨンの小さな呟きに、ミアは内心首を傾げた。
ミアにはその言葉の意味が分からなかったが、目の前に立つレンリは目をぱちくりとさせてヨンを見つめていた。
「ありがとうございます」
「っ敵に礼を言うなんて、本当に救えないね」
早く行ってと続けられ、ミアはチャンスとばかりにレンリの手を掴むと、用意された部屋の中へと押し込んだ。
扉を閉めたところで力が抜けて、ミアは半泣き状態でその場にへたり込んだ。
「ミア、ありがとう」
優しい声が聞こえ、ミアの目からは耐えきれずに涙がこぼれた。
「ううっ、お礼を言うのは、わだじの方でずっ」
涙目で振り返ったところで、レンリが膝をついてミアを抱きしめてくれた。
ミアはその身体に縋るように強く抱き締め返した。
あの二人と相対するのは確かに恐ろしいことであった。
しかし、この美しい《竜の子》を守れたことが何よりも誇らしかった。
正しい行いはきっと竜神様が見ていてくれる。
心臓を握られている今の状態を助けて欲しいことに変わりはないが、先ずはこの《竜の子》を助けてあげたい。
心からそう思った。




