SIDE. ヨン 想望 2
鉄壁の防御魔法を扱う《竜の子》の不在が大きかったのか、久しぶりに襲撃が上手くいったとの報告を受けた。
思わず笑みを漏らすと、伝令使は安堵した様子で退出していった。
警戒すべきは、あの“罪の名を勝手に背負った男”だけだ。
所詮、魔法の弱い集団など敵ではないのである。
機嫌良く鼻を鳴らしていると、入れ違うようにあの研究者が入室してきたため気分は一気に下降してしまった。
「――三日経ちましたよ!」
「だから?」
「約束をお忘れですか? 血液を差し上げましたでしょう!」
「……お前、まだ死んでなかったんだ」
「またまた、ご冗談を」
そう言えばそんな話をしていたっけと記憶を辿りながら机の引き出しを開けると、そこには赤い液体入りの小瓶が入っていた。
徐にそれを手に取って、そっと光に翳してみる。
「魔法で保存の加工を施しているので、酸化の心配はいりませんよ」
「そう……毒が仕込まれてたら嫌だから、目の前で少し飲んで見せてよ」
僕は内部の者からも命を狙われている。
そいつらが決まって言うことには、なんでも僕のやり方が気に入らないらしい。
そう難癖をつけて反逆する者達を僕は全員返り討ちにしてきた。
魔力強化を施されている僕に勝てる奴なんてそうそういるはずもなかったため、それは本当に容易なことだった。
そういう気を一切起こさせないようにと、見せしめで殺すこともあった。
それなのに、奴らはウジ虫のように殺しても殺しても湧いて出てくるため、正直うんざりしていた。
手招きをして近寄ってきた男の手の上に小瓶の血を数滴垂らすと、男は躊躇することなくそれを舐め取ってみせた。
「……大丈夫そうだね」
男の喉が動いたのを確認してから、僕もそれを飲み干した。
もう既に慣れきったその味を一気に流し込み、空になった小瓶を男へ投げつけた。
「他の者にも投与しましたら、きっと貴族連中の魔導師団にも対抗できることでしょう。そうなったらヨン様の計画もようやく為し得ることができますね」
「そうだね。そしたらお前ともおさらばだね」
「ははは、そうですね。と、言いたいところなのですが……」
男はわざとらしく悲しそうな表情をつくって見せた。
「竜の子が、ご飯を食べてくれないのです……」
「……だから何?」
「分かりませんか? 彼女が健康でいてくれなければ、全員に血を分け与える前に死んでしまうかも知れません」
「そんなの、どうとでもなるだろ」
「延命だけであれば、強制的に眠らせての点滴で数ヶ月は持ちますが、無論それだって万能ではありませんので余りおすすめは出来ません。皆に彼女の血を与えるのであれば、これは早急になんとかしなければいけない問題です」
「……別に死んだって問題ないけど」
ぽつりと呟いた言葉に男は大袈裟な反応をみせた。
僕の机を両手でドンと叩くと、訴えるように顔を寄せてきたため、僕は仰け反って距離を取った。
「なんてことを仰るのですか!? 貴重な竜の子ですよ!? しかも、魔力を大幅に高めてくれる! 死んでしまったら、勿体ないじゃないですか!」
この男も大概狂ってるなと思いながら、溜息を吐いた。
「あんまり僕に近付かないで。本当に殺すよ」
「分かってくれるまで死んでも離れません!」
げんなりとした気持ちで男を見上げた。
男は鼻息荒く、しかし焦点の合わない目でこちらを見下ろしている。
僕がまだこの男を殺せないことを知っているからこそ、こんなにも強気な発言をしてくる。
それが本当に煩わしかった。
「……で、僕にどうしろって?」
「彼女が自ら食べ物を口にしてくれれば、それ以外は望みません!」
「それは僕のすること? お前がすればいいじゃん」
「専門外です!」
「僕だってそうだけど」
男は一向に引く様子はなかった。
態勢が整えば真っ先に殺してやると思いながら、僕は顔に渋面を作った。
「……僕に任せたら、間違って殺しちゃうかも知れないけど」
「絶対に殺さないでください! そもそもヨン様自身にどうにかできるとは思っていません! いつものように周囲の者でも脅して、なんとか彼女の同情を誘ったらいいのではと提案しています!」
(こいつ絶対に殺す)
だったら最初からそう言えば良いのにと苛立って無言を貫いていたが、良い返事を聞くまでは男も離れるつもりがなさそうだったため、渋々と頷いた。
すると、男はすぐに満面の笑みを浮かべた。
微かに魔法の気配がしたため睨みつけると、男は気持ちの悪い笑みを浮かべたまま両手を上げた。
「睨まないでください。念のため、言質を取っただけです」
「僕を疑ったわけ?」
「まさか。本当に、念のためです」
では、彼女のことをお願いしますね、と机の上に鍵を置いて逃げるように立ち去る男を見送ると、苛々は更に募った。
(こんなことなら、竜の子なんて連れてこなければよかった)
嘆いたところで、後の祭りである。
奴がどういう制約をかけたのか分からない以上、約束を反故にするのは余りにも危険だ。
安易に頷くんじゃなかった、と自分自身に腹を立てながら、乱暴に鍵を掴んで部屋を飛び出した。
近くに控えていた者がその物音にビクりと反応を見せたことすら癪に障った。
その勢いのまま薄暗く冷たい地下へと降りた。
地下の構造は研究所とよく似ていたため、尚更居心地が悪かった。
早く済まそうと目的の場所の鍵を開けると、無機質な部屋のベッドの上に膝を抱えて蹲る少女の姿が確認できた。
訪ねてきた者がいるにも関わらず反応を見せないため、様子見のために入口で立ち止まって腕を組んだ。
「――ねぇ、生きてる?」
声に反応して少女がゆっくりと顔を上げた。
どれだけ絶望していることかと思っていたが、意志の強そうな瞳はここに来る前と全く同じだったため、虚を突かれて僅かに目を瞠った。
「なんだ、思ったより元気そうじゃん」
「……心配させましたか?」
「面白いことを言うね」
敵対勢力に属する彼女を心配するはずなんてないのに、見た目に反して随分と逞しい思考を持っているなと口の端を吊り上げた。
この様子なら、あの男の心配は杞憂ではなかろうか。
「あぁ、でも一人だけ心配してたよ。君が食べ物を口にしないって」
「そう、ですか。すみません、食欲がなくて」
「我儘は困るんだよね。その所為で僕がここに来る羽目になったんだから」
一歩ずつ近付くと、彼女は動向を探るようにこちらを見遣った。
八つ当たりの気持ちで彼女の首に手をかけると、そこは予想以上に細かったため、なるほどこれは確かに心配するかもしれないと先程までの考えを改めた。
少しでも力を加えれば、魔法を使わずとも簡単に手折ることができそうであった。
脅しの気持ちで絞める手に力を入れてみた。
このまま殺してしまったら、あの研究者も、“罪の名を背負った男”も一体どんな顔をするのだろう。
そう考えただけでワクワクが止まらなかった。
彼女は弱い力で僕の手を掴み、息苦しそうに僅かに表情を崩したが、目を逸らすことだけは決してしなかった。
その澄んだ瞳に見つめられるとまるで全てを見透かされてしまいそうで、追い込んでいるのは自分の筈なのに、追い詰められたかのような焦りを覚えた。
その瞳が逸れたことに安堵したのも束の間、その視線が自分の背後に向けられていると気付いた時、後ろから物音が聞こえた。
勢いよく振り返った眼前には、鋭い剣先が迫っていた。
命を狙われることには慣れている。
これは、いつもの、よくある刺客だ。
いつもと違うのは、《竜の子》に気を取られていたところを狙われたことだろうか。
魔法の発動はもう間に合わない。
――そのはずだった。
相手の剣はこちらに届く前に突然何かに弾かれたような軌道を描いた。
不意打ちの攻撃が当たらず状況的に不利と思ったのか、布で全身を覆い隠した刺客は脱兎の如く逃げていった。
いつもなら、追いかけて仕留めていた。
しかし、動けなかった。
僕を守った魔法は、僕が発動したものではなかったからだ。
恐る恐る振り返ると、《竜の子》がその場で苦しそうに咳き込んでいるのが見えた。
先程まで首を絞められていたのだ、その反応は可笑しいものではない。
しかし。
「……僕を、守ったの?」
あの魔法には見覚えがあった。
放った魔法が初めからなかったかのように消失したり、物理の攻撃すら壁に阻まれるような感じがして当たらないのだと何度も報告を受けていた。
初めは虚偽の報告だとそれを疑っていたが、実際彼らの拠点に行った時に自分の目で確認もしている。
だからこそ、分かる。
あれは、彼女の魔法だ。
しかし、彼女の首には魔法封じの魔道具が嵌められている。
本来ならば彼女に魔法を使えるはずなんてないが、一体何が起こったというのか。
「……分か、りません」
彼女は依然苦しそうな様子で言葉を紡いでいる。
僕の仮説が正しいとしても、自分の首を絞めていた相手を助けるなど、俄には信じられないことであった。
「……分からないって、どういうこと?」
「魔法を使う感覚が、分からないのです。いつも、無意識で」
呼吸が整ったのか、彼女はまたあの瞳で僕を見つめた。
僕はほんの少しだけ恐怖を覚えた。
命を狙われるのは最早日常だった。
研究所にいた時も研究者はこちらの状態を気に留めることなく実験を行っていたため、死にそうな思いをしたのはそれこそ数知れない。
今だって、こちらの計画を無に帰そうと、命知らずが僕を殺しにやってくる。
その度に返り討ちにして、自分に逆らえばどうなるかを周囲に刷り込んできた。
恨まれることをしている自覚はある。
狙われるのも多少は仕方ないのかなと諦めている。
だからこそ、守られることは、どんなに記憶を辿っても初めてのことだった。
「……そうやって僕に媚びて、命乞いでもするつもり?」
「え?」
「同情するよ。さっき僕を助けなきゃここから逃げられたかも知れないのに、その機会を自分で手放しちゃったんだね。あーあ、可哀想」
実際にその通りだった。
あの攻撃を受けていれば自分はただでは済まなかったはずだ。
部屋の鍵だって開いていたのだ。
隙を突いて逃げる機会は十分にあった。
それなのに、何故か僕の心臓が早鐘を打っている。
彼女の傍から一刻も早く離れたかった。
そうしなければいけないと漠然と思った。
「怖いのですか?」
「は? 何言ってんの?」
「……震えているようなので」
それ以上会話は続けられなかった。
耐えきれなくなった僕は、彼女の顔を見ることなく逃げるように立ち去った。
望んでもいないのに被験者となった僕は、そこで受けた非道な扱いに日々研究所に対する恨みを募らせていた。
図らずもそこで強い魔力を得た時、復讐のつもりで職員諸共研究所を吹き飛ばしたのは、彼らにとって因果応報以外の何物でもないだろう。
しかし、長年の恨みを晴らしたというのに、虚しさや怒りは一向に収まらなかった。
だから、復讐が足りないのだと思った。
魔法で相手をねじ伏せ、言うことを聞かせて沢山の人を殺し続けたが、それでも満たされなかった。
それが何故なのか、全く分からなかった。
でも今、その空いた隙間に何かが入り込んだ感じが、確かにあるのだ。
その正体が何なのかも分からぬまま、気が付けば自分の部屋の前まで戻ってきていた。
手に握っていた金属の感触で、部屋に鍵をかけるのを忘れてしまったことに気付いたが、到底戻る気にはなれなかった。
このまま無視を決め込もうとしたが、あの男と不可抗力で交わしてしまった魔法がそれを許してはくれなかった。
面倒な魔法だと思いながら周囲を伺うと、俯き加減で廊下の端を歩く人影が目に入った。
「……ねぇ」
「っは、はい、なんでしょうか?」
女の震えた声に苛立つ余裕もなく、手に持っていた鍵を素早く押しつけた。
「地下に竜の子がいるから面倒を見てくれる? 取り敢えず食べ物を食べてくれるならそれでいいらしいから」
「え、は、はい。かしこまりました」
面倒事を肩代わりさせることのできた安堵から、僕は静かに息を吐き出した。




