61. 罠
「――分かった。じゃあ、俺たちは今を以ってクエレブレを抜ける」
話を聞き終わったシンが開口一番にそう告げたため、テイトは唖然としながらシンに詰め寄った。
「な、何を言ってるんですか」
「あんた達はレンリが死んだものと思って行動した方がいい」
「なんで、」
シンの顔に微かに後悔の色が見えたため、テイトは途中で口を閉ざした。
「アノニマスがサラファに大軍で押し寄せたのは、拠点の守りを薄くするための罠だったんだ。これは、それを見抜けなかった俺の責任だ。だから、レンリは俺が助けに行く。あんた達は今まで通り動いていればいい」
「……居場所が、分かるんですか?」
「いや。でも当てはある」
「それなら、僕も一緒に行きます」
シンの言う当てが何を指しているのかは分からないが、もし本当に敵の居場所が分かるのであれば、これはある意味願ってもない機会だと思った。
しかし、シンは苦い表情を浮かべた。
「あんたはここのリーダーだろ。多くを助けたいのであれば、街を守ることに専念すべきだ。迂闊な行動はしない方がいい」
「でも、レンリさんが言ってくれました。僕の決断は間違わない、と」
「……それは、慰めるための言葉の綾だ」
「そうだとしても、それが僕に自信をくれたことは事実です。この決断がリーダーに相応しくないというのならば、僕もクエレブレを辞めます」
テイトの意志が固いと知ると、シンはそれ以上何も言わなかった。
「……竜の子だからすぐには殺されないと思うが、確証はない。できれば、明朝には出たい」
「分かりました。それまでに仲間と話しておきます」
「それから……あんた、俺以外に魔道士の当てはあったのか?」
「え?」
予想だにしない質問にテイトは一瞬間の抜けた表情を浮かべた。
「……シンさんがダメなら、オブリオ島に行く予定でしたが」
「オブリオ島? 本当にそんなところに?」
シンは訝しげな視線をテイトに寄越したが、やがて自己完結したようであった。
「分かった。じゃあ、明日はルフェール経由でオブリオ島に向かう」
言葉の意味を追求しようと開きかけた口は、駆け寄ってきた仲間の声に掻き消されてしまった。
「――テイトっ! ルゥが来てる!」
急いで向かった正門のすぐ外に、暗い顔をして俯くルゥの姿が見えた。
テイトが駆け足で近寄ろうとすると、鋭い制止の声が耳を刺した。
「――近付かないでっ!」
拒絶の言葉を発したのはルゥだった。
テイトはショックを受けて立ち止まったが、その言動は当然だとも思った。
何の証拠もないのにルゥを追い出す判断をした自分は、恨まれても仕方がない。
さぞ憎しみの籠もった瞳で自分を見ているだろうと思ったが、予想に反してルゥは焦ったように視線を彷徨わしている。
「ぁ、ち、違うんです。僕は、」
言葉を探すように言い淀むルゥを待っていると、遅れて到着したシンがテイトのすぐ傍で足を止めた。
「テイトは、その、危険かも知れなくて、それで」
「危険?」
「何から話せばいいのか……あの、僕、昨夜ここを出た後サラファに滞在していて、それで、今日帰ろうとしたんですけど、アノニマスの襲撃があったから帰れなくて、それで、その」
ルゥは目を伏せたまま途切れ途切れでなんとか言葉を紡いでいたが、不意に意を決したように拳を握り顔を上げた。
「話声が聞こえたんです。昨日の被害者はレンリさんだったって。……レンリさんは、無事ですか?」
テイトは言葉に詰まった。
それにルゥが違和感を覚える前に、シンが間髪入れずに割り込んだ。
「心配ない」
「そう、ですか。――よかった」
ルゥは心底安心したように息を吐き出した。
そんな風にレンリを心配してわざわざここに戻ってきたルゥが裏切り者だとはどうしても思えず、テイトは横目でシンを窺った。
しかし、彼の表情からは何の感情も読み取ることはできなかった。
「その確認のために戻ってきたのか?」
「……はい。後、もう一つ確認したいことがあって」
ルゥは再び歯切れが悪く目を彷徨わせ、それから、どこか不安そうな面持ちでシンを見つめた。
「術者が魔法の解除の方法を知らない場合の対処法はあるのでしょうか?」
「……どうだったかな」
その答えに、ルゥは顔を歪めた。
泣いているのか笑っているのか、どちらとも取れるような表情だった。
「……やっぱり、そうだったんだ」
ルゥは自身の荷物から何かを取り出すと、躊躇いなくテイトの方へと放り投げた。
テイトは一瞬警戒して身体を硬くしたが、足下に落ちたそれがただの黒い手帳であることに気付き、困惑しながらルゥを見遣った。
「僕の家は魔法の名家ですよ。魔法専門の家庭教師だっていたんです。師匠は――僕を見逃そうとしてくれたんですね」
言っている意味が分からずルゥとシンを交互に見つめると、シンが僅かに眉根を寄せたのが分かった。
「その手帳を見てください。中身は、僕が家族と交わした近況報告のようなものです。リゲルさん、イザミさん、レンリさん……三人とも、僕がそれに名前を書いた人達でした」
ルゥは泣きそうな顔で続けた。
その言葉の意味を測りかねながらも、テイトはしゃがみ込んで黒い手帳を拾った。
付いた砂を払って表紙を捲り、言われた通りに最初の数ページを流し見た。
内容は確かに、近況報告のようである。
筆跡の異なる二人の人物が、まるでその手帳の中で会話をしているかのように、こういうことがあった、こういう人がいるなど、思い思いに話をしている。
遠くにいる人物との連絡手段として、こういう魔法の使い方もあるのかと驚きこそしたが、別段怪しい会話をしている訳でもないので、ルゥが深刻に話すほどの問題があるようには思えなかった。
「僕は、テイトの名前もそこに書いてしまいました。だから、危険かも知れないと思って」
繰り返される危険という言葉に、テイトも眉を顰めた。
「誰にも伝えていませんでしたが、実は、たまにですけど記憶が飛んでいる時がありました。気付いたら別の場所にいたり、いつの間にか時間が過ぎていたり……慣れない環境に疲れているのだと、そう思っていました」
それは、操られたとされているリゲルやイザミの発言とよく似ていた。
彼らは記憶が途中で曖昧となり、その事実に自分達自身でも酷く混乱しているようだった。
テイトは僅かに目を瞠ってルゥを凝視した。
その発言の真意は、つまり?
「でも、違いました。――僕、だったんです。皆さんを操って、人を傷付けさせたのは」
テイトは言葉を失った。
目の前に立つルゥは、悲しげな表情でこちらを見ている。
「……何を、」
「その手帳、もう少し読み進めてください。そこに答えがあります」
呆然と立ち尽くすテイトの横をすり抜けて、シンが数歩前に歩み出た。
「……そのチョーカーは誰に貰った?」
「やっぱり、これなんですね」
ルゥは自嘲に似た笑みを浮かべ、首元に手を移した。
そこには真っ黒な紐状の飾りが付いている。
「家族からです。……僕を守るためだなんて、そんな言葉にっ、僕は」
「そこから、ずっと魔力は感じていた。守護と言えば守護だから、俺も気にしてはいなかった」
「これ、取れないんです。可笑しな話なんですけど、魔法が施されてるから取れないのかなって、僕は大して疑問にも思ってなかったんです。――っでも、この所為でっ」
ルゥは苛立った様子でチョーカーを引っ張ったが、それは肌に食い込んで跡を残すのみで、全く外れる気配はなかった。
「今日、サラファでたくさんの死傷者が出たことを聞きました。その中には、僕によくしてくれた人もいたと。レンリさんがいれば守れたはずの命も、僕がいたから、失われてしまった」
ルゥは涙の滲んだ顔で、真っ直ぐにテイトを見つめた。
「こんなの何の説得力も無いけど、でも、僕は本当に力になりたくて来たんだ――信じて」
弱々しい声で呟かれた言葉は、風に乗って確かにテイトの耳に届いた。
テイトが小さく頷くと、ルゥは少しだけ頬を緩めた。
「守られたことに気付かないままテイトと師匠を恨むことにならなくて、本当によかった」
ルゥから微かに魔法の気配がして、僅かに緊張感が走った。
「どうか、貴族を信じないで」
ルゥは緩慢とした動作で右手を上げると、その手を自身の左胸に押し当てた。
そこから淡い光が漏れ出た次の瞬間、ルゥの身体は静かに倒れていった。
テイトは目の前で起きた出来事を把握しきれずに目を白黒させたが、我に返ると一目散に彼の元へと駆け寄った。
「シンさんっ、早く!」
ルゥの胸元が赤く染まっているのが見えたため、その小さな身体を抱き起こしながらシンの方を振り返った。
しかし、抱える手に小さな手がそっと重なり、テイトは慌てて視線を戻した。
「術者が死ねば、魔法は解除されるから」
「……ルゥが何を言ってるか、僕にはよく分からない」
「こんな僕だけど、仲間として、認めてくれる?」
テイトは首が取れんばかりに何度も頷いた。
背後に気配を感じ振り返ると、シンが苦々しそうな表情でルゥを見下ろしていた。
「シンさん、早く手当を」
「……手遅れだ」
シンの言葉を受けて、テイトはもう一度ルゥの胸元に目を遣った。
そこは抉り取られたかのように窪んでいた。
「ほんと、優秀な魔法使いだ」
ルゥは既に息をしていなかった。
先程までは苦しそうな様子だったが、今は穏やかに微笑んでいるように見える。
何故ルゥが自死しなければいけなかったのか、テイトにはその理由が未だによく分からない。
呆然としながら、それでも、冷静になるよう努めた。
「……ルゥは、拠点の墓地へ埋葬します。僕らの、仲間ですから」
「そうだな」
「シンさん。後で、説明を願えますか?」
シンは一度頷くと踵を返して離れていった。
テイトの目からは一筋の雫がこぼれた。




