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SIDE. ナナ 異変

 あれから、ナナは一秒たりともレンリの傍を離れなかった。

 容体的にはただ眠っているだけに過ぎない彼女は、少しでも目を離せば消えてしまいそうな儚さがあった。

 だからこそ、ナナは余計に怖かったのだ。


 隣の街が襲撃されているから行ってくるというシンの言葉に、なんと返したのかは覚えていない。 

 ただ、魔道士であるナナに同行を指示しなかったのは、少なからず彼も心配しているのだと思った。


「レンリ様……」


 ナナはレンリの手を握った。

 その手はちゃんと温かい。

 そのことがほんの少しだけナナの不安を和らげた。


 どのぐらいそうしていたのか。

 昨夜からあまり眠れていなかった所為か、微かに聞こえた物音によってうつらうつらしていた自分に気が付いた。

 レンリが起きたのかと目を向けたが、すぐに落胆した。

 彼女の目は固く閉じられたままであった。


 では、あれは何の音だったのかと周囲に視線を巡らした時、ガチャリと音を立てて扉が開いた。


「サラファにいないと思ったら、こんなとこにいたんだね」


 言葉を失って硬直するナナを気にした風もなく、とんだ無駄足だったよと言いながらズカズカと無遠慮に男が入り込んでくる。

 しかし、数歩進んだところで立ち止まった彼は眉根を寄せて部屋を見回した。


「何、この部屋? 魔法が制限されてる?」

「……№4」


 小さく呟いた言葉を拾ったのか、ナナの目の前で男がにっこり笑った。


「久しぶりだね、№7」

「あたしは、ナナですわ!」


 ナナはレンリを隠すように男の前に立ちはだかった。

 しかし、虚勢を張ったはいいが身体は恐怖で震えている。

 研究所にいい思い出など一つもない。

 №4と関わることも殆どなかったが、それでも、研究所に関わる人物というだけで彼が一等恐ろしいものに思えた。


「それなら、僕はヨンって名乗ってるよ。よろしくね、ナナ」


 友好的な笑みを浮かべているが、彼が恐ろしい人物であることは説明されるまでもなく分かった。

 以前、馬車ごと自分たちを亡き者にしようとしたのが、目の前に立つ彼なのだ。


「……何しに来ましたの?」

「何しにって、会いに?」

「ふざけないでくださる!」


 ヨンは可笑しそうに笑ったかと思うと、すっと目を細めた。


「魔力向上のために竜の子が欲しくてさ。サラファで暴れればそっちから来てくれるかなって期待してたんだけど、一向に姿が見えないから迎えに来たって訳」


 ヨンの目がちらりと眠るレンリを捉えた。


「なるほど、事情があったってことね」


 ナナはその視線を遮るように移動し、魔法を発動しようとした。

 しかし、それは叶わなかった。

 何故、と動揺するナナの焦り振りを見て、ヨンは笑みを深くした。


「ここ、魔法妨害されてるみたいだけど?」

「っそんなこと、知っていますわ!」

「まぁまぁ、僕は君とも会いたかったよ」

「あたしは、会いたくありませんでしたわ!」

「ずっと気になってたんだ。君を殺したら、シンはどんな顔をするのかなって」


 冷たい瞳に背筋を震わした瞬間、目と鼻の先にヨンが迫っていた。

 驚き後退ろうとしたが突如腹部に激痛が走り、ナナはお腹を抱えてその場に蹲った。

 殴られたのだと気付いたが、体勢を立て直す間もなく再び身体に衝撃が走り、ナナの身体はたやすく吹っ飛んでしまった。

 痛みに呻きながら顔を上げると、ゆっくりと距離を詰めてくるヨンの姿が見えた。


「お互いに魔法が使えないんだから、状況的にはイーブンだよね。と言っても、殴る方だって痛いし、相手が血を流したら汚れるし、あんまり近接は好きじゃないなぁ」


 ナナはこみ上げる恐怖にガチガチと歯を鳴らした。

 魔法の使えない自分は、あまりにも無力である。

 それを痛感して、震える足を動かすことも出来ずにナナはギュッと固く目を瞑った。


「――あれ、なんで?」


 衝撃の代わりに聞こえた不思議そうな声に、ナナは恐る恐る目を開いた。

 ヨンは目を瞬きながら自分の拳を観察している。

 目が合って再度振り上げられた手にナナは思わず悲鳴を上げたが、その手が振り下ろされることはなかった。


「……ナナ」

「レ、ンリ様」


 ナナは縋るように寝台の方を見遣った。

 薄く目を開けたレンリと視線が交わり、ハッと思い出した。


「レンリ様! お逃げください! 早く!」


 ヨンの狙いは《竜の子》だ。

 それは即ち、レンリのことを指している。


 レンリはまだ意識がはっきりとしていないのか、数度目を瞬いてからゆっくりと身体を起こしたが、途中で辛そうに頭を抑えた。

 その姿を見遣ってか、ヨンが標的を変えたことに気が付いた。

 ゆっくりと寝台に向かう恐ろしい背中をナナは慌てて追いかけた。


「おはよう、お嬢さん。この魔法は君のだったんだね。妨害魔法があるのに発動できるってことは、君は結構強いってこと?」


 ナナはヨンの背中目掛けて思いっきり体当たりをした。

 ヨンがよろけて膝をついたのを確認し、ナナは急いでレンリの手を取った。


「レンリ様、こっちに」


 目を丸くするレンリの手を引っ張ると、ナナは一も二もなく部屋を飛び出した。

 地下の階段を駆け上がり走った先に、壁に突き刺さった人影を見つけた。

 レンリがそちらの方を向く前に、ナナは方向転換をして二階へと進路を変えた。


「ナナ、待って、どうしたの?」


 起きたばかりの所為か、レンリは苦しそうな呼吸を繰り返している。

 しかし、立ち止まって説明する時間もないため、ナナは更に上の階を目指した。

 自身のお腹も走る度にズキズキと痛んだが、それには気付かない振りをした。


 今、戦える人間は殆ど出払ってしまっている。

 頼りになる仲間がいないとなれば、身を隠してやり過ごすしかない。

 三階ならばアニールがくれた魔道具もあるため、なんとかなるかもしれないと考えた。


 三階まで上がりきったところで、背後から魔力を感じた。

 振り返ると鋭利な氷柱のような物が飛んでくるのが見えたが、それはこちらに届く前にきれいさっぱり消え去った。


「ねぇ、どうして逃げるの? 話ぐらいしようよ」


 階下から気の抜けるような声が届いたが、こちらを捉えるその瞳の奥はゾクッとするほどの冷たさを帯びていた。


「話すことなんてありませんわ! 見逃して差し上げますから、自分のおうちに帰ったらどうですの」


 ナナは強気な姿勢を崩さずに返した。

 本当は、背中を見せて逃げたくなるぐらいに怖かった。


「帰って欲しいならすぐに帰るよ。その竜の子と一緒にね」


 ナナは背後にレンリを隠したが、今の彼の言葉で狙いが自分だと察したのか、繋いでいる手に僅かに力が込められたのが分かった。


「じゃあ、取引をしようよ。今日のところは君を見逃すよ。その代わり、その子をちょうだい」

「何を馬鹿げたことを言っていますの」


 ナナは魔法で火の玉を創り出してヨンに向けて放ったが、それは全て余裕そうな表情で弾かれてしまった。

 悔しいが、魔法に関しては彼の方が上だと認めざるを得ない。

 ナナはキッと歯を食いしばって前方を睨み付けた。


 しかし、レンリが目覚めた以上、向こうの攻撃は全て無効だと言っても過言ではない。

 ナナは慎重に考えた。


「貴方の攻撃はもうあたし達に当たることはありませんし、引いた方が自分のためではなくて? 直にシン様やテイト様も戻ってきますわ」

「へぇ、それは困るね」


 ヨンは口の端を吊り上げた。

 はったりで言ったわけでもないのに余裕の表情を崩さないその様子に、逆にナナが不安を募らせた。


「でも、その子が眠ってる間には発動しなかったことを考えると、自動の魔法って訳でもなさそうだね。何か条件があるのかな。……例えば、見ていることが必要とか」


 微かに反応を見せたナナに、ヨンは笑みを深くした。


「なるほど。襲撃場所によって報告に差があったのは、やっぱりそういうことか」


 元よりある程度の仮説を立てていたらしいヨンは、そっかそっかと嬉しそうに笑った。


「じゃあ、状況は完全に不利って訳でもないね。内容を変えて、取引をしよう」


 ヨンは階段に足をかけて一歩一歩距離を詰めてくる。


「君たちの拠点にいる人間を今日はこれ以上殺さないと約束するよ。その代わり、僕に竜の子をちょうだい」

「何を言っていますの?」

「君がその子の傍にいる限り、僕は竜の子を手に入れられない。それは分かった。でも、ここまで来て手ぶらで帰るのもアレでしょ。竜の子がダメなら、ここに来たことが無駄にならないように、戦力を削ぐって言ってるんだ。――その子の見えない範囲なら、僕が何をやっても咎められないんでしょう?」


 無邪気さを装って笑うその顔は、凶悪さに満ちていた。

 言葉を失うナナの横をすり抜けて、レンリが前に進み出た。


「分かりました。貴方に付いていきましょう」

「レ、レンリ様。あんな奴の言うことを信じるのですか? ああ言っておきながら、約束を反故にするに違いありませんわ!」


 ナナはレンリの腕に縋り付いた。

 それは全て本心だった。

 ヨンの言葉は信じるに値しない。


「それなら、言葉を縛ってもいいよ」

「何をっ」


 ヨンの周囲に不思議な光が纏わり付いた。


「“竜の子が手に入るのであれば、今日僕はこれ以上人を殺しません”」


 言い終わると同時にその光は雲散した。

 あの魔法はナナも見たことがあった。

 記憶が正しければ、シンが森にかけたものと同じ種類のものだ。


 繋いだ手に、もう一つ温かな手が重なった。

 視線を遣るとレンリが困ったように微笑んでいた。


「ナナ、」

「っいけませんわ。研究所は、酷いところでしたの。人を人と思わないような、そんな、ところで……」

「傷付けて、ごめんなさい」


 レンリの視線は少しだけ逸れて、ナナの頬に落とされた。

 あの時のことを覚えているのか、とナナは目を見開いた。


「あれは、レンリ様の意思じゃ、」

「そうだとしても、傷付けたことは間違いないでしょう」

「い、いいえ、違います」

「怖いのに、私を守ろうとしてくれてありがとう。私にも貴女を守らせて」


 レンリが祈るように両手で握ってくれているナナの手は微かに震えていた。

 それを悟られたのが情けなくて、申し訳なくて、ナナはバッとその手を背中に隠した。


「話し合いは終わった?」

「はい。お待たせしました」


 手が離れた隙にレンリが自分から離れてしまったため、ナナは慌てて手を伸ばした。


 しかし、その手が彼女に届く前に、ぐにゃりと視界が歪んだ。

 一人で立っていられなくて壁に手をついたが、それでも身体は支えられなかった。

 壁に凭れるように倒れ込んだ時、レンリが焦ったように自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


「レ、ンリ、様……行か、ない、で」

「殺してないから、これはセーフでしょ」


 憎々しい声が聞こえて、レンリが目を逸らした一瞬を狙われたのだと理解した。

 それを最後にナナの意識は完全に闇へと沈んだ。



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