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55.  導く者 1

 気付けば足は三階に向かっていた。

 何かに急かされるようにして階段を駆け上がり、しかし部屋の前でテイトはふと我に返った。


 このような時間に女性の部屋を訪れるのは、余りにも非常識ではないかと脳裏を掠めたのだ。

 一つ考えると、様々なことに思いが巡った。

 いくらレンリが待つと言ってくれたとしても、あれは社交辞令なのではないか。

 たとえ社交辞令ではないとしても、真夜中は想定していないのではないか。

 そもそも、彼女は話し相手としてシンを薦めていたし、本当は自分と話なんてしたくないのではないか。


 扉を叩こうと掲げていた手は、行き場を失ったように下がっていった。


(日を……改めよう……)


 踵を返そうと足を一歩踏み出した時、目の前の扉が小さな音を立てた。


「――テイト?」


 僅かに開いた隙間から顔を覗かせたレンリは、至近距離に立つテイトに目を丸くし、やがてほっとしたように微笑んだ。


「よかった。後どれぐらいで終わるのか様子を見に行こうと思っていたんです」


 今来たところですか?と小声で首を傾げるレンリに、テイトはどう答えるべきか分からず目を伏せた。

 湧き上がる感情の判別もつかないまま、テイトはなんとか笑顔を浮かべようと努力した。


「もう遅いし、やっぱり後日でいいって言おうと思って、」


 本音とは真反対の言葉が吐き出された。

 安心させようと笑って見せたつもりだったが、レンリの困ったような顔を見れば、それが上手く出来ていないことは明白だった。


「折角夜更かししたのに、なしにするんですか?」


 レンリらしからぬ恩着せがましい言い方にテイトは目を瞠ったが、それが自分のための言葉であるとすぐに理解した。

 悪戯っぽく目を細めて笑うレンリは、いつもの大人びた彼女ではなく、年相応の少女のように見えた。


「……そんな風に言われたら、後日には出来ないですね」

「ふふ。ナナが寝てしまったので外でお話することになるのですが、構いませんか?」

「じゃあ――」

 自分の部屋に、と言いかけてテイトは口を覆った。


(流石にそれはダメだろう!)


 こんな時間に年頃の異性を部屋に招くなんて、しかも、二人きりなんて絶対にダメだ。

 間違いなんて起こすつもりも起こるはずもないけれど、でも、と考えるテイトの顔は段々と熱を帯びていった。

 不思議そうにこちらを見つめるレンリと目が合って、テイトは取り繕うように急いで言葉を並べた。


「あ、じゃあ、中庭で」

「はい、そうしましょう」


 辺りは暗いため顔色なんて分かるはずもないが、それでも赤い顔をしているであろう自分に気取られたくない一心でテイトは勢いよく顔を背けた。

 白々しく足下に気を付けてと声をかけながら、カンテラを手に中庭までの道をゆっくりと先導した。

 外に出ると少し肌寒さを感じたが、今のテイトにとっては心地の良いものであった。

 月とカンテラの明かりを頼りに中庭のベンチまで進むと、レンリとの間にカンテラを置いてお互いに腰を下ろした。


 しかし、いざという時に言葉は出てこなかった。

 話したかったはずなのに何を話せばいいのか分からず、黙り込んでしまったテイトの耳に穏やかな声が届いた。


「二人でお話しするのは、なんだか久しぶりな気がします」

「そう、ですね。ヴィオレイの帰り以来ですかね」

「あれから、シンに冷たくされてませんか?」

「……今日は意地悪ですね」


 テイトが眉尻を下げると、レンリは小さく笑った。

 普段とは異なる言動を見せる彼女に、気を遣わせているなと思う一方でテイトは嬉しくもあった。

 その美しい容貌も含め、どこか近寄りがたさのあるレンリが軽口を叩くと、彼女も自分と同じ人間なのだと素直に思うことができたからだ。


「……シンさんは、良くしてくれてますよ。歯に衣着せない言い方は、気にしてしまうこともあるけれど。――今日も僕の考えは甘いって言われて、事実だから、反論はできませんでしたが」


 気にしてないと主張するための笑顔は存外乾いたものとなってしまい、テイトは力なく目を伏せた。

 聡いレンリのことだ、テイトが強がっていることにきっと気付いてしまっただろう。

 格好悪過ぎて、とても合わす顔がなかった。


「――ですが、考えを否定されたわけではないのでしょう?」

「え? ……それは、まぁ」

「でしたら、それはただシンが思ったことを口にしただけです。間違っていると思えばきっと指摘して正すでしょうから」


 思いがけない言葉にテイトはハッと息を呑んだ。

 顔を上げると、レンリは微笑みながら僅かに首を傾けた。

 月の光に反射したのか、彼女のイヤリングが一瞬淡く光った。


「違いますか?」

「……いえ、そうだと思います」


 半ば呆然と肯定すると、レンリはまた綺麗に微笑んだ。


 まさに目から鱗であった。

 言われてみれば、シンが非効率な方法に従う様子など少しも想像ができなかった。

 彼は無理なことは無理だと言うし、相手が悪ければ悪いとはっきりそのまま口にする人であった。

 テイトの考えを甘いと言いながらも、それに反論する素振りを見せなかったと言うことは、つまりそういうことなのだ。


「……そっか」


 吐息と共に漏れた言葉は、自分で聞いても情けないものであった。


 テイトは組んだ手に視線を落とした。

 暫く沈黙が続いたが、レンリが話を催促するようなことはなく、テイトはゆっくりと考えてから重たい口を開いた。

 声は少し震えていた。


「……僕って、リーダーに向いてると思いますか?」


 レンリの視線から逃れるように、テイトはじっと自分の指先を注視した。

 これは、リーダーに選ばれた時から、ずっとテイトの心に引っかかっていることであった。

 ユーリの采配のおかげか、周囲は自分を認めるような発言をしてくれるが、実際のところは分からない。

 ただ、自分さえ認められないことを、周囲だって認めてくれるはずがないとは思うのだ。


「質問に質問を返すようで悪いのですが、テイトはどういった方がリーダーに向いていると思うのですか?」

「ルゴーは人情味に溢れてるし、僕なんかよりずっと仲間達に慕われてる。ラキドは冷静に物事を判断できるから、指導者としての素質は間違いなく高い。シンさんは言わずもがな、あんなに頼りになる人は他にいない。それ以外の人も皆、僕より年上で経験もあるし優れてる。それに比べて僕は……子供だから」


 口にしながらテイトの気持ちは沈んでいった。

 言葉にすればするほど、如何に自分が向いていないのか目の当たりになるような感覚だった。


「それでも、テイトが選ばれたのでしょう」

「……正直、選ばれた理由が分からないんです」


 自分をリーダーに据えた理由を問いただそうにも、推薦してくれた人物はもうこの世にいない。

 正確には、死の間際に何故自分なのかと尋ねはしたが、その答えの意味を理解できず、結果有耶無耶になってしまったと言うのが正しいか。


 沈黙に恐怖を覚え、テイトは耐えるように組んだ手を額に押しつけた。


「――テイトがリーダーだと聞いた時、正直驚きました。それは、リーダーに向いている向いていないという話ではなく、純粋に、大人の方が沢山いる中で何故子供の域を出ない貴方がリーダーなのだろうと」


 優しい声はまるで雨のようだった。

 それは乾いた土にしみこむように、確かにテイトの心にまで浸透していくように感じた。


「行動を共にして、私は分かった気がしました。もしかしたら、貴方をリーダーに据えた方の意図とは異なるかも知れませんが、それでも、テイト以外の方がリーダーとなったクエレブレは想像できません」

「……どうして、ですか?」


 テイトがゆっくりと顔を上げると、月明かりに照らされたレンリが穏やかな笑みを浮かべた。


「テイトは敵味方関係なく優しいでしょう。他の方が恨みの感情を原動力にして戦っている中で、テイトだけは別の気持ちを抱いて戦っているように見えました」

「……負の感情なら、僕にもあります」

「でも、貴方は仲間が敵の命を奪うことをよしとしない。たとえ、相手がどんなに残虐なことをしたとしても」

「それは、僕たちは守るために戦っているからです。これ以上奪われないために戦っているのに、アノニマスと同じことをしてしまったら、きっと後悔すると思うから……」


 ふふ、と柔らかい笑い声が聞こえた。


「テイトは、どんな状況でも決してその本質を見失わない。それがクエレブレという組織に必要なものだから、皆が貴方を認めているのですね」


 自分を支持する言葉に目頭が熱くなるのを感じ、テイトはさっと下を向いた。


「でも、それは当たり前のことで、他の人だって簡単にできることだから……」

「テイトが考える以上に、当たり前を当たり前にできない人はたくさんいます」

「だけどっ、僕は特別な人間じゃない」

「特別であることは必要ですか? リーダーは特別な者ではなく、認められた者が担うのです。他者のことを考えられる貴方だからこそ、貴方の決断が間違うことはないと安心できるのです」

「そんなこと……」

「生死が関わるこの組織で、認めていない者に命を預けることは容易ではありません。誰も否定しないこの状況が、テイトの問いの答えなのではありませんか?」


 ずっと自分はリーダーに向いてないと思っていたが、その考えが覆されるような衝撃だった。

 嬉しくて、恥ずかしくて、泣きそうで、暖かくて。

 レンリが認めてくれるのであれば、自分がリーダーでも別に構わないのではないか、そう思ってしまったことにテイトは少し笑ってしまった。


 頬を流れる温かい感覚には気付いていたが、テイトは真っ直ぐにレンリを見つめた。


「……何を言っても、レンリさんは僕を肯定しちゃいそうで、もう言葉が出てこなくなっちゃいました」

「私も思ったことを伝えただけです」

「レンリさんの言う通り、シンさんに聞いてもらえば良かった」

 そしたら泣かされなくて済んだかも、とテイトが続けるとレンリは可笑しそうに笑った。


「シンもきっと同じ事を言うと思いますが」

「それには、同意できませんけど」


 テイトはどこかすっきりとした気持ちで空を仰いだ。

 夜空に浮かんでいるのは満月かと思っていたが、それが少しだけ欠けた形であったことに今更ながら気付くことができた。


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