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【リツキの罪 5】 

 自分が間違っているのか。

 何度も自問自答を繰り返した。

 その度にあの男の言葉が蘇った。

 自分が子供のままで、何かを犠牲にする覚悟も無かったから、エリクは死んでしまったのだろうか。


 研究する意思はあった、研究する能力もあった。

 それでも研究は進まなかった。

 一歩踏み出せば何か変わったのか。


 酷い頭痛がした。

 それでも、研究所のしたことが正しいとは思えなかった。

 誰かを犠牲にしてまで、魔法が必要だとも思えなかった。

 そんな俺は研究者として失格なのだろうか。


 思わず、自嘲が漏れた。

 だったらもうやめよう。


 取り憑かれたかの如く研究していたことがまるで嘘だったかのように、その決断は早かった。


 二十年近く尽くしてきたが、未練は塵ほども存在しない。

 研究で得た資金も殆ど使っていないため、金銭的な余裕だってある。

 故に、考えが合わない場所で無理に続ける必要なんてどこにもないのだ。

 ただ、長く貢献してきた自分を辞めさせてくれるかどうか、それだけが問題だった。


 いや、問題ではない。

 その時は勝手に出て行けばいいのだ。


 暗雲が切り開かれるように、目の前が明るくなっていく気がした。


 思い立ったが吉日で研究所長に辞職の意思を伝えたが、頷かれることはなく、その時に意志は固まった。


 自分がしてきた研究は、ここを離れる際に破棄しよう。

 そして、と考え始めた時あの赤い瞳が思い出された。

 あの子はこれからも何も知らないまま、ここで利用されてしまうのだろうか。


 それなら、あの子も連れて出て行こう。


 それがどういうことかは理解していた。

 国の発展の礎になるかもしれない存在を連れ出すこと、それは即ち苦難の多い道を自ら選択することであるのだと。

 それでも知ってしまった以上、置いていくことはできない。

 あの子は自分の研究の犠牲者でもあるのだから。


 腕に刻まれた刺青を見る度に自分の罪を実感する。

 それが罰なら甘んじて受け入れるつもりだった。


 時機を伺い計画を立てる。

 焦らず、ゆっくりと慎重に。

 研究所のデータを拝借して人の少ない時間も、あの子がどこに留置されているかも調べ尽くした。

 気がかりといえば、あの魔法創造研究に使われた他の被験者のことだが、あの男が説明した以上の情報を得ることはできなかった。


 あの子供を連れ出す時に出来れば一緒に連れ出してあげたいが、計画外のことをするのは少々リスクが高い。

 一応それも考慮してはいるが、情報不足のため上手くいくかは別問題だった。


 俺はその時が来るまで、怪しまれぬように魔法創造の部署に足を運んだ。

 言い合ってしまったことを謝罪し、向上のために研究成果を見せてほしいと頼めば、彼らは長いことこの研究所に尽くす俺を手放しで歓迎してくれた。


 そうして半年という期間を下準備に費やし、頃合いを見て決行に踏み切った。


 最初に自分の研究室でデータを燃やして隠滅を謀り、その足で魔法創造の部署へと向かった。

 既に何度も訪れていた俺は少しも怪しまれることなく、簡単に奥へと足を進めることが出来た。

 大切な被検者である少女の部屋の前には見張りが一人常駐していたが、俺は魔法を発動させて見張りを眠らせるとその体を廊下の陰へと隠した。

 その際、その男のポケットから鍵を拝借した。


 その鍵で少女の部屋を開くと、ベッドの上に座る少女はびくりと体を揺らした。

 成長の早い少女は、以前見た時よりも大きくなっていたが、それでもまだ五、六歳程であった。


「……なに? あの苦いお薬はもう飲みたくないよ」

「その必要は無い」


 俺は少女に近付き、しゃがみ込んで視線を合わした。


「一緒に外へ行こう」

「お外へ出てもいいの?」


 少女は目を輝かせた。


 そういえば、この無機質な部屋には窓一つない。

 あるものといえば、ベッドの上のくたびれた一冊の絵本だけである。


「勿論。外は初めてか?」

「そうだよ、だっていつも注射とお薬ばっかりだもん」


 そこで少女ははっとして不安そうに俺を見上げた。


「もしかして、外でも痛いことするの? それは、嫌だよ」

「そんなことしない、あんたさえよければここにも戻らない」


 少女はぱちくりと目を瞬かせた。


「……戻らなくていいの?」

「あぁ」

「苦いお薬も飲まなくていいの?」

「あぁ」

「痛いこともしない?」

「あぁ」

「本当に?」

「約束する」


 疑うように何度も確認する少女に、俺は根気強く答え続けた。

 やがて、少女の顔に笑みが浮かんだ。


「ただ、約束してほしい。この施設を出るまで、声を出さないようにしてくれ」

「わかった、約束する!」


 言ってから少女は慌てて口を押さえた。

 約束を守ろうとするその姿勢に、俺は思わず笑みがこぼれた。


 少女の小さな手をしっかりと握り、立ち上がらせる。

 そのまま部屋を出ると、丁度こちらへと向かってくる研究者の姿が目に入り、内心舌打ちした。


「リツキ、こんなところで何を?」

「……リツキ?」


 研究者の背後から、小さく俺の名前を呟く声が聞こえた。

 その声の主を確認すると、紫色の髪の少年が伸びた前髪の隙間から金色の瞳を覗かせて無表情でこちらを見ていた。

 少年のその色を見て、彼もまた被験者だと悟った。

 まだ十五、六歳ぐらいの幼い少年である。

 やるせない気持ちを隠すように視線を戻すと、研究者は少女を連れた俺を訝しげに眺めていた。


「……№7をどこに?」

「彼女の刺青を確認させてもらうんだ。今は発色の違いを研究しててね」

「あぁ、なるほど。でもあれって、深層心理に係わるって結論出てなかったか?」

「俺は納得してない」

「まぁ確かに、感情論じゃなぁ。あ、それならこいつも入れてるぜ」


 俺の嘘を疑うこともなく、男はちらりと背後を見遣った。


「彼は?」

「会ったことなかったか? こいつは№4だ」


 俺はもう一度少年に目を向けた。

 服の裾から覗く細い腕には血が滲んだ包帯が巻かれていた。

 おそらくそこに刺青があるのだろう。

 またこんな子供に刺青が施されてしまったのか。

 この子も救い出せるだろうか。

 望んで実験体になっている可能性は勿論ゼロではないだろうけど、少しでも助けを乞うてくれれば、些細な合図でも構わない、それが読み取れれば俺は助けることができる。

 一挙手一投足を見逃さないように視線を向けるも、少年は逃げるように顔を伏せてしまった。

 彼が俯くと長い前髪が顔全体を隠してしまい、彼の抱く感情は何も読み取ることができなかった。


「№4と竜の子の細胞を使って魔力増加の実験をしているところなんだ。これはお前の分野でもあるだろう。キビルもいるし共同研究しないか?」

「いや、誘ってくれるのはありがたいが……」

「あぁ、№7が先か。すぐ終わるだろ、その後で構わないよ。第三実験室にいるからさ。キビルとリツキがいれば新しい発見がありそうだし、絶対に来てくれよ」


 男は朗らかに笑いながら俺の肩を叩くと、そのまま横を通り過ぎていった。

 それに続く少年を追うように、俺は希望を込めて振り返った。

 彼が助けを求めるならば、絶対に彼も連れて出て行くつもりだった。


 少年はこちらを一瞬振り返ったが、俺と目が合うと何も言わぬまま目を逸らしてしまった。

 やはり感情の読めないその行動に、俺はなんだか大切なことを忘れているような焦燥感に襲われた。


 二人の姿が視界から消えた後も暫く呆然とその場に立ち尽くしていたが、繋いだ手に伝わる震えでふと我に返った。

 不安そうに俺を見上げる少女と目が合い、余計なことを考えている場合ではないと唇を引き結んで歩みを再開した。

 

 出入り口へと向かう前に、俺は魔法創造の研究所の一部を発火させた。

 そのぼや騒ぎに乗じてここを離れる算段だったが、そこには研究資料を焼失させたいと言う気持ちもあった。


 火災に気付いた職員が水の魔法を発動したが、簡単には消えないように細工もしたため火の勢いは増す一方であった。

 職員からまた別の職員へと混乱は伝染するように広がり、俺はその間を縫って研究所を後にした。


 外に出た瞬間に白衣を脱ぎ捨て、それも燃やした。

 そして、少女を抱き上げてできるだけ早足でその場を離れる。

 少女は俺の首にしがみつき、恐る恐る口を開いた。


「……もう、お話ししてもいい?」

「あぁ、よく頑張ったな」


 目を向けて微笑みかけると、少女は顔を綻ばせた。


「すごい、お兄ちゃんは勇者様だね!」

「は?」

「絵本で読んだの! 囚われたお姫様を助けてくれるのが勇者様なの!」

 大きな炎もすごかった、と少女は興奮したようにその瞳と同じ色に頬を染め上げた。


「……勇者なんかじゃない」

「えー? じゃあなんなの? あ、リツキっていうのはお兄ちゃんのお名前?」


 研究者との会話を思い出したのか、少女は無邪気にそう尋ねた。

 俺は一瞬黙り込んだ。


 一つ思い定めていたことがあった。

 きっとこれから俺は追われる身になる。

 だからこそ、俺はそれまでの自分を捨てようと考えていた。

 名前も過去も存在も全て。


 名前は決めていた。

 全てを捨てても尚、罪は背負っていくと決めていたから。


「俺の名前は――シンだ」

「シン? リツキじゃないんだ?」


 少女は首を傾げながらも納得したようだった。


「じゃあ、シン様って呼んでいい? 勇者様じゃないって言ったけど、お兄ちゃんはやっぱりあたしの勇者様だから!」

「そんな柄じゃない」

「あたしは、せぶんって言うの!」


 思わず足を止めた。

 筆舌に尽くしがたい気持ちに苛まれ、少女を抱える手に無意識に力が籠もった。


「……それは名前じゃない」

「え? みんなそう呼んでたよ。じゃあ、あたしの名前は何?」


 言葉に詰まった。

 名前がないこと、それをそのまま伝えるのが酷だとは分かっているが、だからと言っていい返答も思い浮かばない。

 数瞬悩んだ結果、思わずぱっと思いついた言葉を口に出してしまった。


「……ナナだ」


 なんて安直な、と少女を抱えていない方の手で頭を押さえて自己嫌悪に陥った。

 そんな己とは裏腹に、楽しげな少女の笑い声が耳を揺らした。


「なな……うん、せぶんよりもずっとかわいい名前」


 顔を上げて見えた花が咲くような笑顔に、少女を連れ出してよかったと今更ながらに実感をした。


 研究所で生まれ、名前もつけられないまま刺青を施され、普通の人よりも速いスピードで成長してしまうこの少女を、寿命が尽きるその時まで守ってあげよう、と心の底からそう思った。

 それこそが贖罪なのだろう。


「それじゃあ――ナナ姫、何かしたいことは?」

「ひ、姫!? じゃ、じゃあ甘いケーキというものが食べてみたいのですわ!」


 きゃっきゃっとはしゃぐ少女が俺にはとても眩しく、尊いものに見えた。


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