SIDE. シン 教団訪問 3
二日に渡る馬車の旅がもうじき終わるという時に、落ち着かない様子で窓の外を眺めるルゥに気付いて、シンは小さく呟いた。
「――そろそろ、カストルに着く頃だろうな」
その言葉にルゥはびくりと肩を揺らし、ナナは笑顔を浮かべた。
「テイト様のことですか? 何事もなく着いていたらいいのですけれど」
「まぁ、大丈夫だろうが……心配か?」
シンがルゥを見つめて問いかけると、ルゥは気まずそうに視線を逸らして、小さく首を横に振った。
「……いえ、心配はしていません」
「じゃあ、あんたも無駄足だと思ってるってところか」
ルゥは驚いたように目を見開き、それから足下に視線を落とした。
「そこまでは……」
交わされる会話に、ナナは微かに首を傾げた。
「無駄足?」
「協力なんてできっこないのに、あいつは貴族と直談判しようとしてるんだよ」
「そんなの決まってませんでしょう?」
シンは無言で肩を竦めた。
少しだけ静かになった馬車内で、ルゥがぽつりと口を開いた。
「……僕の所為かなと思って」
「……何が?」
「テイトが首都に行ったこと、です」
シンはそこでルゥが何を気にしていたのかを悟った。
ルゥは貴族である自分が《クエレブレ》に協力を申し出たことで、テイトが貴族に期待したのではないか、ということを気にしていたらしい。
確かにルゥがこちらに来たことはテイトの認識を変えたようだが、シンはしっかりとルゥが特殊なのだと説明している。
それでも突っ切ったのはテイトの判断に他ならない。
「あんたが気にすることじゃない。あれはテイトの自己判断だ」
「でも」
「気にしてるって事は、やっぱり無駄だと思ってるんだな」
シンが指摘すると、ルゥは居心地が悪そうに口を閉ざした。
その無言は肯定の表れでしかない。
貴族のルゥがそう思うと言うことは、やはり他の貴族の考えは変わらないのだろう、とシンは自分の考えが合っていたことに少しだけ複雑な気持ちを抱いた。
次第に馬車が速度を落とし始めた。
アスバルドに到着したのだろう、とシンは背もたれに体を預けた。
馬車が完全に停止した時、外から声がかかると同時に扉を数回ノックされた。
シンは腰を上げてその扉に手をかけた。
「……なんだ」
「良かった、魔道士さん。実はあんたに会いたいって人が来ていて……」
馬車は正門をくぐる手前の場所で止められているようであった。
それに違和を感じつつ、次いで門番の男からかけられた言葉にシンは眉根を寄せた。
シンには自分を尋ねてわざわざアスバルドに来るような人物は誰一人として思い当たらなかった。
長年研究所に引きこもり、その後は三年も森の中に潜んで暮らしていたのだ、そもそも知り合いなど皆無と言っても過言ではない。
「俺に知り合いはいない。悪いが追い返してくれ」
「そんなこと言わずに。あんたを尋ねて三日前から毎日来てるんだ。外出中でいつ戻るか分からないと伝えても、しばらく端で待ってるんだ。今もほら、あそこに」
そうは言われても、シンには本当に身に覚えがなかった。
大方強い魔道士がいると聞きつけて、どこかの誰かのように面倒ごとを押しつけに来た輩だろう、と見当付けたシンは顔を顰めた。
「そんなこと俺には関係ない」
「あっそう言えば、リツキを知ってると言っていた。こう言えば分かってくれるだろう、と」
「っ」
シンは息を呑んだ。
リツキ。
もう聞くことはないと思っていたそれは、三年ぶりに聞く響きだった。。
「……そいつは、どこに?」
「外壁に沿ったとこの、ほら、あそこです」
門番が指差す方に視線を向けると、馬車から五十メートルほど離れたところにぽつんと立つ人影が見えた。
外套を頭から深々と被っているため、老若男女の判別すらできない。
けれど、その名前を知っているということは、少なからず相手にとって自分は知り合いに違いなのだろう。
シンはギュッと唇を嚙んだ
「……ちょっと行ってくる」
困惑した様子の車内に声をかけて、シンは一人馬車を降りた。
距離を詰めるシンに気付いたのか、人影がシンの方へと体を向けた。
身長は自分とさして変わらない。
ただでさえ人を覚えるのが苦手だというのに、それだけの情報で尋ね人か誰かなど知る由もない、とシンは内心舌打ちをした。
シンは相手と十分な距離を保った位置で立ち止まった。
リツキを知っているということは、目の前の人物は研究所の関係者に間違いないからだ。
「――久しぶりだね。君が僕を覚えているかは定かではないけれど」
「あぁ、そうだな。覚えてない」
「その割に探してくれていると聞いたけれど?」
笑みを含んだ声に、シンは注意深く前に立つ人物を観察した。
少年と称しても差し支えがないほどに、その声は若い。
探しているとはどういうことか、と考え始めてすぐに思い至った。
「……№4、か」
「なんだ、覚えてるじゃん。でも今はヨンって名乗っているよ」
面白そうに笑う少年に、シンは苦虫を噛み潰したような心地となった。
彼の言葉が指し示すことはつまり、やはり教団の誰かが彼を、《アノニマス》を隠しているのだ。
「君もシンと名乗っているんだね。いいね、お似合いだ」
それは明らかな嫌みであった。
シンは古代語で罪を意味するものだからだ。
「あんたは何のために敵の本拠地に来たんだ?」
「門の人から聞かなかった? 君に会いに来たんだ」
「……保護でもう申し出に来たのか?」
《アノニマス》には呪いが施されている。
質問に答えようとするだけで死に至る可能性もあるため、シンは慎重に言葉を選んだ。
肯定されれば、危険を冒してでも彼を保護するつもりであった。
しかし、ヨンは可笑しそうに笑った。
「今更何を言っているの? 偽善は止めてよ。君はあの時、№7だけを連れ出して僕を置いていったじゃないか」
笑いながら放たれる冷たい空気にシンは思わず構えたが、ヨンはクツクツと笑うのみであった。
「あはは、可笑しいなぁ、本当に可笑しくて――憎いなぁ」
布の下から、確かに睨まれた。
「言葉通り、君に会いに来たんだよ。この拠点を壊しても良かったけど、でも、君って人でなしだからそんなことしても堪えなさそうだし。どうしたら君が苦しむかなって考えてたら、やっぱり君に聞くのが一番かなって」
ヨンが語る言葉には、シンへの純粋な悪意が満ちていた。
「生きてる奴は皆憎いから、いずれ全員に死んでもらうつもりだけど……その中でも君は特別憎いから、できるだけ苦しんで死んでほしいんだよね。――どうしたら、その顔が歪む?」
子供のように無邪気に、しかし隠す気も無い狂気にシンが思わず顔を顰めると、ヨンは殊更嬉しそうに笑った。
「№7を殺せば、君は苦しむかな?」
布の隙間から覗くヨンの口元が弧を描くのと、背後で爆発音が聞こえたのはほぼ同時のことであった。
慌てて振り返ると、自分が先程まで乗っていた馬車が炎に包まれ、バチバチと音を立てて無残にも崩れていくのが見えた。
近くに立っていた門番も巻き込まれたのか、自身に燃え移った火を消すために地面をのたうち回っている。
シンは急いで水を創り出すと、馬車と人との両方に魔法を向けながら走り寄った。
後ろからは絶えず嘲るような笑い声が聞こえてきた。
「――っもう、突然なんですの!」
絶望的と思えた状況の中で、場違いな明るい声が耳に届いた。
声の方に視線を遣ると、馬車の中にいたはずの三人が少し離れたところで座り込んでいた。
ぱっと見、傷一つなく無事な様子である。
文句を言うほど元気のあるナナを見ながら安堵の息を吐くと、戸惑ったようにこちらを見つめるルゥと目が合った。
妙に落ち着いたその様子から、ルゥが状況を見て脱出のために魔法を放ってくれたことを知り、彼のポテンシャルの高さを再確認した。
「――あれ、奇襲は失敗しちゃった? 上手くいったと思ったのに」
残念そうな声が思いの外近くから聞こえたため、シンはバッと振り向いた。
彼の視線はナナに向けられているようである。
シンは視線を遮るように身体を移動した。
「……どういうつもりだ?」
「敵対してるのにどういうつもりもないでしょ?」
それは尤もな言葉であった。
それでも、もしヨンが無理矢理によって戦うことを強要されているのであれば、救いたいと思ったのは確かな事実だった。
彼もまた研究所の被害者なのだから。
「あれ……あの子」
ヨンが一点を見つめているのは気にかかったが、シンは先程の失態を繰り返さないために彼から目を逸らさずに警戒を続けた。
不意にヨンが口の端を吊り上げた。
「こんなところに、竜の子がいるなんて。来た甲斐があったなぁ」
それがレンリのことを指しているのに気が付いた。
刹那、ヨンが動きを見せたため、シンは三人を守ろうと魔法を発動させた。
ところが、ヨンの狙いは別だったようだ。
至近距離から自分に向けて放たれた魔法に、裏を掻かれたことに苛立ちつつ衝撃を覚悟してシンは顔を歪めた。
しかし、それはシンに届く前に跡形もなく消え去った。
「? ……あぁ、これが報告にあったやつか」
ヨンは考えるように、うーんと頭を捻った。
敵を前にしているとは思えない行動に、シンは一瞬呆気にとられた。
「あの竜の子か、あの子供か……厄介だなぁ」
次の瞬間、ヨンは軽いステップで後退した。
「まぁ、分が悪いことは確かだね。収穫はあったし、顔も見れたし、今はこれで良しとするよ。――またね、シン」
ヨンが暢気な様子で手を振ると同時に突風が吹き荒れ、シンは思わず腕で顔を覆った。
風が収まって周囲を確認した時には、既にヨンの姿はどこにもなかった。
シンは舌打ちしながら地面に座り込んでいる三人の元へと向かった。
「怪我はないか?」
「大丈夫ですわ、でも、絵本やお花が……」
ナナの視線は馬車の方を向いていた。
もう馬車と呼ぶには不格好でくすんだそれを見ながら、シンは息を吐いた。
「そんなの、いつでも手に入れられるだろ」
「……そうですわね」
ナナは肩を落とした。
その肩は小刻みに震えている。
おそらくヨンの姿を目撃して、研究所にいた時のことを思い出したのだろう。
シンは次いでルゥの頭に手を置いた。
「よくやった」
「あ、でも、僕混乱しちゃって、今も腰が抜けてて」
「混乱してそれだけ動けるなら、あんたは魔道士の才能があるよ」
ルゥは張り詰めていた空気が緩んだのか、不器用に笑った。
そして、最後にレンリを見遣った。
ヨンに直接訊いたわけではない、それでも、あれは初対面の者に対する反応だった。
ヨンはレンリと顔見知りではない、それはつまり、レンリは研究所の人間ではないということになる。
もし彼女が研究所の人間ではないとすれば、ただの《竜の子》であるとするのならば、研究所の人間であるヨンに彼女の姿を見せてしまったことは、完全な悪手である。
シンは唇を嚙んだ。
「……レンリも、怪我はないか?」
「はい、ルゥが守ってくださいましたので」
レンリは話しかけられると、さっと立ち上がって返事をした。
命の危険があったのにも関わらず変わらず気丈な様子を見て、それでも、少し顔色が悪いことを知った。
「レンリ……№4を知っているか?」
望みにも似た言葉が思わず口から出た。
知っていて欲しいと思った。
そうでなければ、自分は勘違いで彼女を巻き込んだことになる。
レンリは目を瞬いて首を傾げた。
「? いえ、初めて聞きますが」
シンはレンリから視線を逸らした。
レンリの瞳は、いつも通り、嘘を言っていなかった。
今まで彼女の方が魔力が高い所為で判断が付かない、記憶がないから確定できないなどと理由をつけてきたが、今初めて自分の予測に自信を持てなくなった。
それでも、ヨンの瞳を見て嘘かどうかを判別したわけでもない、まだ分からない、と言い訳を繰り返した。
考えなければいけないことは、それこそ山のようにあった。




