第01話 お可愛らしい企み
クロイツェル侯爵の愛娘カテリーナは刺繍の練習中……ふと、針を持つ手を止めて窓の外を眺めた。
「……私、もう疲れ果てましたの」
仕えるお嬢様がぽつりと漏らした、主語のない一言。
脇で控えていた侍女のクララベルと女性騎士のナネットは、その不思議な言葉に顔を見合わせて……。
「刺繍の先生より明日までと言われております課題は、まだ半分も終わっていませんが」
「そのことではありませんわ」
「ベッドの用意を急がせます」
「お昼寝したいわけでもなくて」
両方、違う。
お嬢様が何を言い出したのか、もう思いつかないという顔の二人。
「……」
「……」
カテリーナと二人の家臣は無言で見つめ合う。
「……」
「……」
そして黙り込んだままのクララベルとナネットから、次が出てこないのをお嬢様は理解した。
「ちょっと、クララベル!? ナネット!?」
カッとなった侯爵令嬢は、はしたなくもテーブルをバンバン叩く。
「なんで二人とも後が続きませんの!? ほら、他にもあるでしょう!? さあ!?」
「さあ! と言われましても……」
そう催促されても、気分屋の主が何を考えてるかなんて簡単には出てこない。何か思いつくのなら二人とも当然もう口に出している。
それでも、お嬢様に「出せ!」と言われたら是非もない。クララベルは眉間に皺を寄せて額に指を当て、ナネットは呻き声が漏れそうな顔で天を仰いだ。
「週に一度のピーマンとの戦いですか? 確かに最近負けが込んでいますが」
「好き嫌いの話でもなく!」
「さすがに玄関までは歩いていただきませんと」
「廊下も歩きたくないほど怠惰なわけではありませんわ!」
察しの悪いクララベルとナネットに、とうとう爆発したカテリーナが怒鳴った。
「ミシェル様のことですわ!」
「ああ」
クララベルは死んだ目で。
「あ~……」
ナネットはうっとうしそうな顔つきで。
一瞬虚を突かれたような様子だった二人は、それぞれの声色で興味無さそうに納得の声を上げた。
この国の王太子、ミシェルはとても人気がある。
文武両道で顔も良く、気性は穏やかで物腰も丁寧だ。
誰に対しても偉ぶらず沈着冷静で、太子の身である今でも将来の名君と誉れ高い。
なので、許嫁がいるのに女子人気が凄い高い。
ものすごく高い。
めっちゃ高い。
許嫁も侯爵家の令嬢とかなりの身分なのに、それを無視してワンチャン狙った令嬢たちが群がるほどに高すぎる。
「だから私はもう、心が持ちませんの……」
そのぎらついた令嬢たちから存在を無視されている許嫁であるところのカテリーナは、怒鳴った時のテンションが急落して今にも死にそうに萎れている。
「お嬢様……」
侍女が気づかわし気に令嬢の顔を覗き込んだ。
「今さらではないですか」
「そうなのですけど」
そんなの、昨日今日始まった話ではない。
「お嬢様の性格が悪いと評判になってから、露骨に狙う令嬢が増えましたよね」
「まあ、ちょっと偉ぶり過ぎていると評判ですからねえ」
聖人君子と評判の許婚に対し、侯爵令嬢カテリーナはすこぶる評判が悪い。
いろいろ言われているけれど、とにかく「家柄を鼻にかけて横柄だ」というのが最大のポイントになる。下の者への当たりが高圧的だということで、童話の悪役になぞらえて「ハートの女王様」なんてあだ名を付けられたほどだ。
でも実際に当り散らされているクララベルたちから見て、カテリーナの高慢ぶりが特にひどいかというと……正直、そんなでも無い(良くも無いけど)。
ちやほやされて育った諸侯の令嬢で、その程度の欠点を持つ者はいくらでもいる。むしろ性格が良い方が希少なぐらい。
だからごく普通のことなのだけど、カテリーナの場合はそれで済ませるには婚約者が悪かった。
「ミシェル王子が人格者だと評判が高すぎるので、自然とその妻がお嬢様で良いのか? と言われちゃうのですよね」
「意図的に流されているのもありますよね……恋敵にしてみれば、この程度の嫌がらせで足が引っ張れれば御の字だろうし」
二人の呑気な感想に、言われている当事者であるカテリーナが歯噛みする。
「私が何をしたというのです! 高慢だなんだと陰口を……許せませんわ! なんでそんな話になっているの!」
悪評に(自分では)心当たりのないカテリーナは歯噛みして悔しがる。ちょうど持っていたハンカチを噛み千切りそうだ。せっかく可愛い猫ちゃんを縫い付けているのに、課題の提出が危ぶまれる。
侯爵令嬢は側近二人をキッと睨みつけた。
「クララベル! ナネット! 私にそんなところがございまして!?」
「そうですねえ……」
言われた侍女が頬に手を当て首を傾げた。
「下位の方々に応対する時に、いかにもふんぞり返っているのがマズいかと」
「そういうものですの?」
「気に食わないことを言われた時に、カッとなってマナーを忘れるのもいけません。安く見られる原因になっているかも知れないですね」
「……まあ、それはちょっと自分でも思わないでもないですわ」
「何かをしてもらった時に『ありがとう』の一言も無いのも、思いやりがなく見えますね」
「うぐっ!?」
「寝る時間になっても夜更かしして遊んでいることが多いのも駄目ですね。そこから自由時間になる側付きの者に配慮が足りません」
「今のは全部、あなたの個人的な不満じゃないですの!? ねえ!?」
これ以上は突っ込んだらダメだ。藪をつついて蛇が出てきてしまう。
カテリーナはクララベルを追及するのを止めて、もう一人を見る。お嬢様の物問いたげな視線に気がついた女騎士は、いい笑顔で親指を立てた。
「その辺りもひっくるめて、そんなお嬢様が大好きです!」
「やめて! その言われ方が一番刺さりますわ!?」
「それで、私どもに何をしろと」
こんなことを唐突に言い出したからには、何か指示があるのだろう。
そう考えた侍女が先を促した。
侍女と騎士が見つめると、侯爵令嬢はしばらく黙り……顔を伏せながらぽつりと呟いた。
「もう無責任な愚民どもに、散々有ること無いこと言われるのに疲れましたわ。ミシェル様との婚約を破棄しようと思いますの」




