第一話 colorless sky
男は目を覚ました。手に伝う汗の感触は、傘を忘れた日の雨によく似ていた。冷たく、鋭く、自分が生きているということを突き付けられるあの感触。男はそれを嫌ってはいなかった。しかし、何故だろうか、脳裏にはわずかな違和感が残っていた。何か変な夢でも見たか?いや、思い出せない。だが、そんな事を気にしている暇があるはずもなく、男は寝室を出て朝食の準備を始めた。
「…次のニュースです。k5エリア東地区の医療施設にて、勤務中のアンドロイドがシステムエラーを起こし、この事故で入院中の患者23名が死亡、45名が意識不明の重体となりました。原因は調査中とのことです。次のニュースです…」
壁に設置されたモニターの向こう側、"第二世代"のアンドロイドは淡々と事実だけを並べ、情報を男の耳に届けていた。しかし、男は耳で聞いてはいても、脳で理解しようとはしなかった。どうせ大したことは話されていない。男にとって朝のニュースは、旧世代と呼ばれる芸術家たちの言う"青空"と同じ、何の意味もないものだった。
配給された卵を焼いたものとパンでさっと食事を済ませた男は、スーツに腕を通し、家を出た。
「おはようございます。今日も天気が良いですね。お仕事頑張って下さい。」
「あ、どうも。おはようございます。」
隣家の住民である中年の女性と挨拶を交わした。物腰の柔らかい人で、男がここに越してきてからはほぼ毎日挨拶してくれていた。物腰の柔らかい人?あれ、アンドロイドだったかな。まあいいか。男はまたどうでもいい事だとすぐ考えるのを止めた。そして、職場へのいつもと変わらぬ平坦な道を歩き始めた。
男はふと空を見上げた。隣家の女性の言葉を思い出したからか、それとも何となくだろうか。空は確かに晴れていた。そしてそれは、いつもと変わらない、モノクロの空だった。
「"青空"を見たことがあるかい?」
ふと、ある記憶が男の胸をよぎる。
「あれは綺麗なものだ。大きな海より深くて、小さな涙より繊細だ」
記憶のページがめくられる度、男の進める足は止まろうとしていた。
「でも僕は───」
そして、とうとう男は足を止めず、記憶のページをめくる手を止めた。
本当に、どうでもいいこととだった。
だって、男の歩いている道も、回りを囲む建造物達も、街行く人も、鳥も、犬も、猫も、小さな虫も、どれも色なんて残ってなかった。
いや、違う、男の瞳は、色を写さなかった。
この世界には、色を写せる人間など一人も残っていなかった。