3,『雲上の孤島』で初クエスト
鏡では顔しか確認していなかったが、テラオの現在の姿はパンツしか装備していない『ぱんいち少年』だ。
身長は140センチほど。ちょっと頼りなさげな体格には、あまり筋肉が付いていない。
「それじゃ行くわよ」
メニューがパチンと指を鳴らすと、大きな扉が現れた。
城の謁見の間にでも使われそうな大きな扉は、金色の輝きを放ち、まるで光でできているかのよう。
ふわっと飛びながら扉を押し開けるメニュー。小さな体のどこにそんな力があるのだろう、軽く手を添えるだけで大きな扉がゆっくりと開いてゆく。
徐々に開く扉の隙間から外の光と風が入ってくる、扉の外には雲一つない快晴の青空が広がっていた。
扉の外の世界は小さな島のような場所だった、広さは小学校の校庭程度。
周囲は崖になっていて、ぐるりと雲海に囲われている。高い山の山頂なのか、空を漂う島なのかはわからないが、幻想的な美しい風景が広がっていた。
島にはちょっとした集落程度の設備しかない。小さな木造の小屋が三軒と、羊が五匹しか居ない小さな牧場。そして小高い丘になっている部分に、小さな神殿が建っている。
「ここはあんたのために用意された『雲上の孤島』よ。居住スペースはそこに用意したから」
と、メニューが指さした先は、先ほど出てきた扉があった場所。
そこに扉はなく、ゴザが一枚敷いてあるだけだった。二畳ほどのそのスペースがテラオの場所と言うことらしい。
「えっと、ゴザだね」「ゴザね」
早速座ってみるテラオ。特別変わった所もない、ごく普通のゴザだ。
「魔法のゴザではないんだよね……」
「丈夫で、常に新品の香りを保つ特別なゴザよ。起きて半畳寝て一畳って言うでしょ、倍も用意したんだから感謝してくれてもいいのよ」
いや、一応魔法的なゴザだったらしい。ただその効果は少々しょぼいものだが。
「そのうち小屋がもらえる機会があるから、期待して頑張りなさい」
「お、ちょっとやる気が出てきたよ」
待遇はそんなに悪くないらしい。修行を頑張らないと扱いが雑になるのかもしれないが。
◇
テラオはクエストを受けるために牧場に来ていた。
入り口にはすらりと背の高い金髪リーゼントなお兄さんが、何故か怪しく踊り続けている。
お兄さんの格好は、オーバーオールとゴム長靴という出で立ち。一応牧場スタッフらしく見える姿だ。
「あの、【服を手に入れよう その一】を受けに来たテラオです。早速クエストを受けたいのですが」
――♪ドゥンチャカドゥンチャ、タカタカターン
「テラオくんだねー、ペーターだよヨロシクネ~~~♪」
唐突に鳴り出したBGMと共に踊り出したペーター。踊りが終わってから発せられた台詞の語尾には、ファルセットが掛かっていて美しい響きだ。
ペーターの突飛な行動に驚き惚けた様子のテラオ、しばらくして我に返った。
「え、えっと、何をすればいいのでしょう?」
バン! っと言う音とともに、突然テラオの目の前に看板が現れた。
【服を手に入れよう その一
かわいい羊達の毛を集めよう!
袋いっぱいに『羊の毛』を集めたらクエストクリアーだ!
羊はすばしっこいから注意だぞ!
レンタルアイテム:魔動バリカン、布の袋|(小)
クエスト期限:三日間
クエスト報酬:服一式】
「おっ、AR表示!?」
いや、そんなすごい技術ではない。
テラオの目の前にメニューの手持ち看板が出されただけ、ローテクである。
ちっこいのに、身長の三倍はありそうな看板を持っている、というより抱きついているメニューの姿はちょっとかわいらしい。
「クエスト受けますか?」
看板の下から発せられたメニューの声で、テラオも現実に気がついた様子。
「あ、あぁそうだよね、それが現実だよね。
クエストはもちろん受けます! こんな格好じゃ風邪ひいちゃうしね」
「その体なら病気になんてならないから心配無用よ」
「え?」
「そもそもタマシイの入れ物でしかないから、生命活動はしてないわよ」
しぼんだ風船みたいな物に魂が入った状態が今のテラオの体。
確かにただの入れ物で生命活動はしていないというのは、その過程を見ていれば理解できるかもしれない。だがその見た目はとても作り物の体には見えない。
精巧に作られたテラオのボディーは、人間の体ではないと言われても信じられないほどに、不自然な部分は見当たらない。
「まあ、死んでるからこれ以上死なないしね!」
追い打ちで放たれた言葉でテラオは固まってしまった。理解できる限界を超えてしまったのかもしれない。
「いつまでもぼーっとしてないで、さっさと行ってらっしゃい!」
我に返ったテラオは、ペーターからバリカンと枕大の布袋を受け取り、羊達の居る牧場へと向かった。
牧場には五頭のふわふわでもこもこな真っ白羊が、のんびりと牧草を食んでいる。うるっとした瞳が愛らしく、とても穏やかな雰囲気。
テラオはバリカンを片手に一番手前にいる羊に向かっていった。
背後から忍び寄り、バリカンを持つ手を伸ばしたその時。
パカーンと乾いた音が辺りに響いた。
羊に頭部を思いっきり蹴られ、くるくると回転しながら柵に突っ込むテラオ。
――♪ドゥンチャカドゥンチャ、タカタカターン
「後ろから近づくと蹴られるヨー、気をつけてネ~~~♪」
◇
数時間の追いかけっこが繰り広げられたが、テラオの成果はゼロのままだった。
のんびりに見える羊だが、意外と素早く動く。スピードでは全く勝負にならないテラオ。コッソリ背後から近づいたとしても蹴っ飛ばされるだけだった。
何度も逃げられ蹴飛ばされ、テラオは牧場にくたっと大の字に伸びてしまった。
「ぐふぅ、最初のクエストが辛すぎて泣きそうです……」
弱音を吐いているが、かろうじてやる気は残っているようだ。寝転んだまま、じりじりと羊に近づき観察している様子。諦めたと見せかけて騙し打つ作戦だろうか。
「もしや! この牧草に素早さの秘訣が?」
すごいことに気がついた! っとばかりに跳ね起きたテラオ。
普段はのんびりだけど、いざという時に素早く動ける羊達。ひたすらに牧草を食べる羊達の姿を見て、大発見でもしたかのように牧草をもしゃもしゃと食べ始めた。
「口の中に広がる青臭さと土の香り……、おいしくないです。
で、でもこれで敏捷ステータスがあがったかもしれないよね。そういえばステータスの話を聞いてなかったな」
「牧草食べ始めたと思ったら、何訳のわからないこと言ってるの?」
いつの間にか戻っていたメニューが、あきれ顔でテラオに声を掛ける。
「自分の強さを確認する手段? ステータスオープンみたいな呪文はあるのかなーって」
「はぁ……、そんな物は用意されてないわよ。だいたい誰が管理するのよそれ」
「え? ステータスの管理? 冒険者ギルドとかそういうところかな?」
「あのね、相対的にあの羊よりあんたはかなり鈍くさいってことはわかるわよね。
そんな感じですべてのセカイの、すべての生物に対してさまざまな能力を比較数値化してから基準点を決めて、さらに記録管理、変動したら更新。
そんなめんどうなことを誰がやってくれると思う? その冒険者ギルドとやらはそんな面倒なことをやってくれると思う訳?」
ゲームでよく見るステータスのシステムだが、それを現実の世界で実現させるには、途方もない労力が必要なことだと言っているようだ。
「じゃ、じゃあ全知全能の神様なら……」
「そんな余裕のある全知全能さんはいないわね、そこまで暇なら紹介して欲しい位だわ」
全知全能さんも暇ではないらしい。とにかく『ステータスオープン』の魔法はないことが確定した。
「ついでに言うと、その牧草食べても特に効果はないわよ。羊の大好物ってだけのただの牧草だからね」
がっくんとうなだれるテラオ。口いっぱいに牧草を突っ込み、もしゃもしゃと食べた行動は全くの無駄だったらしい。
「じゃあ、スキルとかチートとかはどうかな? 転生する時にもらえたりするのかな」
転んでもただでは起きない。テラオはここぞとばかりに何か特典がないかと質問を続けた。
「チートって言うのは、他の人種が持っていないような物を持って転生するってことよね。それだったらあんたが転生する時のお土産、って言うのを考えてあるわ。
それとスキルね、あんたは生前全く技能がなかったからね。生きていくために必要な技能とか、身につけたい技能を覚えられるような環境を用意するつもりよ。
どっちも楽しみにしてなさい」
「おぉー、期待してるよ! たのしみだよ」
――♪ドゥンチャカドゥンチャ、タカタカターン
「ハイハーイ、ご歓談中の所もうしわけないデスが、羊ちゃん達をおうちに入れるから離れてネ~~~♪」
いつの間にか夕方になっていたようだ。
夜の間は小屋に入れるため、ペーターは羊達を捕獲し始めた。
羊の素早さを超える早さでひょいひょいと捕獲し、小脇に抱えて小屋へと運んで行く。
あっという間に羊達は全て小屋の中。牧場に残っているのは、ぽかんとしたテラオと、メニューだけになっていた。
「クエストクリアーまで羊小屋での宿泊を認めてあげるわ」
メニューの一言にテラオは驚きの声をあげていたが、有無を言わさずペーターに捕獲され、羊小屋の空きスペースに放り込まれた。
(これって、羊が眠って大人しくしている間に毛刈りができるチャンス?)
――♪ドゥンチャカドゥンチャ、タカタカターン
「寝ている羊ちゃんを襲っちゃだめだヨー、寝ぼけてるからメッタメタのギッタンギッタンにされちゃうヨ~~~♪」
そんなチャンスはないらしい。
ペーターは出て行き、小屋にはテラオと羊達だけになった。
仕方なしと言った様子で、空いていた藁のベッドに横になるテラオ、目を瞑って考え事をしているようだ。
「激動の一日だよね……。気がついたら死後の世界に居て、修行すれば転生できるか……。実は騙されてたり?」
「ずいぶん疑り深いわね、まああの前世じゃ仕方ないかもしれないけどね。
ここで頑張れば、『やればやったことがちゃんと身に付く』ってことを実感できるはずよ、楽しむつもりで過ごせばいいと思うわよ」
誰も居ないからつぶやいた独り言、急に現れたメニューに返答され驚き、むくりと起きたテラオ。
「メニュー……いたんだ。
そうだね、前世では何も成せなかった、だからちょっと頑張ってみよう! って思ったんよね。どんな修行が用意されてるのかわからないけど、がっかりさせないように頑張ってみるよ」
「そうね、前世よりはいい来世になるように、あんまり気張らずにやってみればいいんじゃないかな」
「ありがとう、なんだか気が楽になったよ。これからもよろしくね!」
激動の一日の終わり、初めての出来事ばかりで気を張っていたのだろう。
やっとこれからのことをじっくり考える時間ができたと、藁のベッドに横になる。
――♪ドゥンチャカドゥンチャ、タカタカターン
「あさダヨ~~~♪」
じっくり考える時間は、ペーターの登場であっけなく終わりを迎えた。
「もう朝って早すぎない? 数分しか経ってない気がするよ」
とは言うものの、ペーターの入ってきた扉からは朝日が差し込んでいる。羊達はペーターに誘導され今日も牧草を食べるために牧場へと走って行った。
「決意が決まったことだし、夕方になったら異世界体験させてあげるわ。だから今日も頑張ってね」
「うひょ、異世界体験ですと! それは楽しみだぁー」
「さて、今日の『お薬』を支給するわ。飲んだら行ってらっしゃい」
夕方には異世界体験が待っていると聞いたテラオは、じっとしていられない様子だ。
夜があまりにも短かったことなどすっかり頭から抜けてしまったらしい。
『カユトマール』をグビッと飲むと、スキップするように小屋から出て行った。