1,目標は『剣と魔法のファンタジー異世界に転生』
「ほら、そろそろ起きなさい」
高貴な雰囲気漂う女性が、目の前にあるボロ雑巾の塊らしき物に向かって声を掛けている。
パールホワイトのドレスを纏い、背中には黄金色に輝く三対もの羽を浮かべた彼女は、女神だろうか。
彼女は両手のひらでべしべしと、自身とほぼ同じ大きさの汚らしい塊を叩いた。
塊がピクリと動いた。
(うーん、僕に話しかけているのかな……)
塊には意思があったようで、思考が漏れ聞こえた。
「いつまで寝てるのよ、さっさと起きなさい」
塊はやっと女神らしき女性に話しかけられていることに気がついたようだ。ブルルと全身を震わせると、起き上がるような動作をした。
(な! ちかっ!)
両手で叩いていた彼女の顔が、塊の目と思われる部分のすぐ近くだったのだろう。
寝起きに彼女ほどの美しい顔を拝めるとはうらやまし過ぎる状況。だが、塊の選んだ初対面での一言は彼女のお気に召さなかったようだ。
「あたしに会って最初の一言がそれっ?」
あきれ顔の彼女は塊をぽいっと放り投げると、羽を広げてふわりと浮かんだ。
左右にふわっとまとめられた金色に輝く長い髪がポヨポヨと揺れる。
背後には神々しいオーラのような後光、三対の羽がふわふわと扇ぐように動いている。
(もしかして天使様か女神様なのかな?)
「どちでもないけど、まあそんな感じの物と思ってくれればいいわ。それはそうとあんたこの状況で意外と落ち着いてるわね、ちょっと感心したわ」
落ち着いていると言うより、何も考えていないような塊。
周囲は真っ暗な空間。二人だけがスポットライトを浴びたように明るく照らされている。
(え? 浮いてる?)
彼女に放り投げられた塊は、自身も宙に浮いていることに気がついたようだ。
「そうね。あんた死んじゃったの、だから今はタマシイだけになっちゃったのね。ちょっと特殊なタマシイだからここに居るってところよ」
ボロ雑巾のような塊は、魂だったようだ。特殊な魂だったため、女神の目にとまったという所だろう。
(やっぱり死んじゃってたのか。と言うことはこれって異世界転生のシチュエーション? 選ばれた僕は異世界で主人公になれちゃうの? 剣と魔法のファンタジー異世界でチートライフが始まっちゃう?)
ちょっとわくわくしている様子のボロ雑巾魂。女神の目にとまり『強くてニューゲーム』のような、小説や漫画のような展開でも期待しているのだろう。
「特殊だって言ったでしょ! すんなり転生できるわけじゃないわよ、まして主人公とか夢見すぎよ」
辛辣な一言でカックリと項垂れるボロ雑巾魂。主人公やヒーローに憧れてしまうのは男なら仕方ないのかもしれない……。
(えーと、特殊って言うのはどういう?)
「まずは自分の姿を見てみるといいわ」
と言うと彼女はパチンと指を鳴らし、背丈と同じ位に大きな鏡を出現させた。
鏡にはボロ雑巾のようなみすぼらしい物が映っている。ボロ雑巾魂が動くと鏡の中のみすぼらしい物も動く。間違いなく自身の姿と確認できただろう。
ボロ布を巻かれたぼっこぼこの塊。魂と言われて想像できる姿とは全く違うものを見せられ、ショックを受けた様子のボロ雑巾魂。
(これが僕……、お天気マークの『くもり』みたいな? ボロ布巻かれてくもりミイラ?)
「あはは、いいわね『くもりミイラ』気に入ったわ」
(いや……、そんな愛称で気に入られても困るのだけど。というかどういう状況なの?)
「説明が必要でしょうね。普通のタマシイはつるんと丸くてうっすら光ってるのよ」
(僕の姿はボロ布巻かれて光ってないし、ボコボコで丸くもないね)
「そうね。だからあんたの走馬燈見て調べたのよ。走馬燈って言うのは前世の生き様ダイジェスト映像ね。
それで重大なことがわかったわ。あんた十歳頃に学校の遠足で古代の化石展って催しに行ってたわよね、そのとき感電事故に遭って倒れたことを覚えてない?」
(前世の記憶を曖昧にしか思い出せない……。死んだショックで記憶が消えちゃったのかな)
「まあいいわ。展示されていた化石の一つに何か仕掛がされてたのよ。
それが何故かあんたに反応したんでしょうね、びりびりっと感電して『あばばばばー』ってなってたわよ。
で、その時にあんたのタマシイにナニカを埋め込まれたっぽいのよね。そのナニカが成長してボッコボコのタマシイになっちゃったのよ。
ボッコボコがこれ以上進まないように包帯巻いたのが今の状況よ」
(なるほど、前世のことは少しずつ思い出してきたよ。事故とそれ以前の記憶が曖昧だったことは覚えてる。それからは……)
「事故以降は何をやってもうまくいかなくて、苦労したことも見せてもらったわ。
中学までは孤児院で育って、高校受験に失敗したのをきっかけに卒業後は一人暮らしで工場勤務。だけど仕事をちゃんと覚えられず、周囲に迷惑を掛けることが多かった」
(う……うん。そうだった、先輩方には苦労を掛けっぱなしだった)
彼女はくもりミイラの記憶を整理するように、走馬燈に記録されていた生前の出来事を語り出した。
孤児院の院長に紹介してもらった就職先の工場は、同じ院出身の先輩が数人指導役として付いてくれた。だけど何をやってもうまくできないくもりミイラは、覚えるのも遅く、迷惑を掛けっぱなしだった。
同じ事を何度も何度も、少々呆れながらも見捨てないでくれた人達が、生前のくもりミイラを支えてくれていたらしい。
「何年頑張ってもうまくできなくて、うっかりミスで機械を壊したのよね」
くもりミイラが手順を間違えて操作したことが原因で、数千万はする機械を壊してしまった。
そんな時でも職場の責任者は、保険でなんとかなると慰めてくれた。だが、機械が止まれば生産が止まるということ、責任は重大だった。
彼女がここまで語ると、くもりミイラはぶるぶると震えた。
(あぁ、それで僕は慣れないお酒を飲み過ぎて……)
「凍死ね。誰も通らないような路地裏で一人さみしく死んでしまったわ」
死に繋がる記憶を思い出したくもりミイラ。それをきっかけに、自身の生前の出来事をいろいろと思い出せたようだ。
職場の誰も行かないような場所にある居酒屋へ行き、浴びるように酒を飲んだ記憶。
飲み過ぎで途中からの記憶はないが、大方ふらふらになって店を出て、路地裏で倒れたのだろう、と訥々と語った。
(凍死……か)
「それもこれも、あの感電事故が原因なんだけどね」
(え?)
「さっき感電事故の時にタマシイにナニカを埋め込まれた、って言ったわよね。それがあんたの枷になっていて、人生ハードモードになってたのよ」
(それじゃ、感電しなければもっとましな人生を)
「でしょうね。だからって訳じゃないけどあんたに二つの選択肢を選ばせてあげるわ。
一つはナニカが活性化するのを止めるため凍結封印する。簡単に言うと『全てのセカイからあんたの存在を消滅させる』ってことね、未来永劫あんたは封印された空間から出られなくなるわ」
(それって、自我を持ったまま何年も一人きりでってこと?)
「そこまで残酷じゃないわよ。凍結するから自我はないわね。ただずっとあんたのタマシイは、全てのセカイから隔離された空間を漂うだけ」
(じゃあもう一つの選択は?)
「今あんたに巻かれている包帯は封印布って言うんだけど、それでナニカの動きを封印してるから当面の心配はないわ。けど原因を取り除くにはあんたは弱すぎるのよね」
(確かに体を鍛えたり格闘術を習ったりしてなかったね)
「そっちの弱いもそうだけど、タマシイが弱い。わかりやすく言うと『心が弱い』ってことよ。
だからもう一つの選択肢は『タマシイの修行をしてナニカが取れたら転生』ね。タマシイが強くなれば、ナニカを取ることができるかもしれない。まあ半分賭けね」
『転生』というキーワードにぴくりと反応するくもりミイラ。
転生の道は残されていた。修行に耐えて鍛えることができれば、転生して楽しい来世があるのかもしれない。
(賭けます! 修行します。それで何かが取れたら剣と魔法のファンタジー異世界転生ってことでお願いしますっ!)
「あははは、あんたついでに自分の願望をねじ込んできたわね。ちょっと面白そうだから気に入ったわ」
(あれ? 何かおかしなところが?)
「まったく……自覚なしなのね、普通は輪廻転生のほうを転生と言うのよ。だけどそっちのほうが面白そうだから特別に、剣と魔法を使っている所謂ファンタジーなセカイに転生、ってのを考えてあげるわ」
くもりミイラの頭には、輪廻転生なんて言葉はすっかり抜け落ちていたようだ。
転生と言えば異世界転生、としか考えていなかったことが功を奏したのかもしれない。
(あ、ありがとうございます。大感謝です!)
「感謝するのはまだ早いわよ、ちゃんと修行しないと大変なことになるからね」
(え? 大変なこと?)
「全身がも~~~のすごく、も~~~~~のすごーく、痒くなるわ」
(痒いだけ?)
震える声で大げさに言う彼女。だが、くもりミイラはそれほど深刻に受け止めていない様子。痒みくらいなら余裕で耐えられると思っているのだろう。
「何事も経験よね! 体験してみるといいわ」と言うと彼女は指をパチンと鳴らす。
途端にくもりミイラがそこら中を転げ回る。
(う、うわー。痒い痒い痒い痒いぃー。切り取りたい、焼き切りたい、おかしくなりそうだー。痒い痒いぃー。)
くもりミイラがその場を跳ね回り、転げ回り、床に擦りつけ、叩きつけ、激しく暴れ回っている。
あまりの痒さに、痒みという感情があふれ出しているかのよう。
狂ったように暴れ回るくもりミイラ。魂の外側に、内側に想像を絶するような痒みが襲っているのだろう。
――パチン
指を鳴らす音が響く。くもりミイラは嘘のように大人しくなった。
(余裕とか思ってすみませんでしたー)
体があったら土下座でもしそうな勢いで、彼女の前に戻ってきたくもりミイラ。それほどまでに先ほどの痒みは恐ろしかったのだろう。
「頑張っていると認められれば、痒みを抑える『お薬』が支給されるわ。お薬がもらえるようにちゃんと修行することね」
(消滅するのはいやだ。残された道は修行して転生を目指すしかない。だけど、頑張って修行しないとあの恐ろしい痒みが……。
いや、迷うことなんて何もない。頑張らないなんて選択肢はもうないんだ。
わかりました! 修行頑張ります。目標『剣と魔法のファンタジー異世界転生』やって見せます!)
死後の世界で修行生活、なかなか面白そうな話になった。
どんな修行がくもりミイラを待っているのだろうか。
「まずは名前ね。あんた自分の名前考えなさい、ただし六文字までね」
(え? あれ? 自分の名前を……思い出せない。いや自分だけじゃないよ、顔は浮かぶけど誰も彼も名前だけを思い出すことができない)
「ひらがなか、カタカナで六文字までよ。考えている間あたしはお仕事してくるからね、帰ってくるまでに決めておくのよ」
くもりミイラの焦りは、彼女にとっては想定内だったのか。気にした様子も無く右手をすっと持ち上げた。
パチンと指を鳴らす音が響くと、その場から姿を消していた。