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ツバキ黙示録  作者: 坂木ケイジ
ツバキ黙示録 第一篇
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六章

 伊武と二人で、石膏像を家の中に運ぶ。大変な重さだったが、どこにもぶつけないよう、二人で慎重に家の中へ運んだ。時間をかけて、なんとかリビングに運び入れることができた。

「姉さん……戻ってきてよ……あやまるから……ごめん……ごめんなさい」

 直巳は、ずっと左手で石膏像から魔力を吸い取っていた。魔力暴走と同じように、魔力を吸い尽くせば治ると考えたのだが――駄目だった。

「椿君……」

 伊武が語りかけるが、直巳は返事をしない。何度も呼びかけるが、やはり返事はなかった。

「ごめん……ね」

 伊武が直巳の襟を掴み、強引に振り向かせる。そのまま、強く頬を殴った。

「がっ!」

 伊武は、うめき声をあげて倒れ込んだ直巳に馬乗りになると、顔を引き寄せた。

「……目、覚めた?」

「ああ……覚めた。すっげえ痛い」

「ごめんね……じゃあ、話して?」

 伊武は殴った箇所を撫でながら、優しい声で言った。

 直巳は、伊武に天使降臨時の話をした。

 直前にケンカしたこと。自分は動けかなかったが、つばめは走ってきて自分をかばってくれたこと。石膏像になる直前、自分を突き飛ばしたこと。そして、二回目の光が途中で止んだこと。全てを話した――というか、話さざるを得なかった。直巳が口ごもると、そのたびに伊武は脅し、優しくして直巳をコントロールしていたからだ。

 すべてを話終えると、直巳は先ほどよりはましな表情になっていた。

「これで、全部だ」

 無表情で自分に馬乗りになっている伊武に向かって、直巳が言った。

「……話してくれて、ありがとう……大変、だったね」

 伊武はその大きな体を折り、直巳を優しく抱きしめた。顔を胸に抱き、頭を撫でる。

 直巳は抵抗もせず、素直に伊武に甘えた。力強く抱きしめると、伊武も同じぐらいの力で抱きしめてくれた。

 しばらくすると、伊武の方から体を離した。直巳は伊武の離れた箇所から、体温が抜けていくような不安感を覚えた。

「少し……元気、出たね……じゃあ、どうするか……考えようか」

「……どうするか?」

「そう……お姉さん……助けないと」

「で、できるのか!?」

 直巳の目に輝きが戻る。元に戻そうという発想がなかった。

 だが、伊武は直巳の目を見ながら、はっきりと「わからない」と伝えた。

「天使の奇跡……試練……どちらでもいいけど……普通は治せない……普通はね? でも、試せるだけは……試してみよう……まずは……天使教会……」

「天使教会……?」

「普通は……天使の否定になるから、試練は治さないけど……やらないだけで……方法はあるのかもしれない……椿君は特別だから……教えてくれるかも……」

「そ、そうだな! よし!」

 直巳は早速、秋川神父に電話をした。電話に出た秋川神父に、ことの顛末を伝えると、すぐに家に来てくれると言った。

「秋川さん、家に来てくれるって! 本部の加織神父も連れてきてくれるって! つばめを見せてくれって!」

「うん……よかった……」

 それから十五分ほどして、秋川神父と加織神父がやってきた。直巳は急いで二人をリビングにとおす。

「おお……これは……」

「天使の奇跡……ですね……」

 二人は感嘆の声を上げると、つばめの石膏像を色々な角度からじっくりと見回した。

「どうですか!? 治りますか!?」

 直巳がすがるような声で言うと、秋川は不思議そうな表情をした。

「治す? いえ、私は治す方法は知りませんし――出来ても、治すことはないでしょう?」

「え……?」

「天使様の奇跡ですよ。つばめさんはあなたと違って信仰の薄い娘でしたが、天使様はお優しい。美しいまま、永遠に天使様にお仕えすることを許したのでしょう。いや、しかし美しい像だ。ぜひ、教会に飾らせてください。今度の礼拝で彼女のことをお話しましょう」

 秋川は石膏像をぺたぺたと触りながら、うっとりとした顔で、そんなことを言った。

「い、いや……そうじゃ……加織神父! あなたは治せますか!?」

 加織神父は、黙って首を横に振った。

「答えは同じです。私も本当に治せません。天使教会本部へ問い合わせれば、何かあるのかもしれませんが、秋川神父と同じ答えでしょうね。治せても、治さない」

「き、聞くだけでも聞いてみてください!」

「私の立場で天使の奇跡を否定せよ、と? 破門されますよ――腹を割って話しましたが、これが限界です。お姉様を戻すなんていう考えは捨てて、これを機にさらに天使様を信仰されるのが一番良いでしょう。それが、あなたとお姉様のなぐさめとなる」

 秋川よりはましな答えだったが、やはり駄目だった。

 直巳はもう、返事もできなかった。そんな直巳に秋川神父が優しく語りかける。

「椿君、教会に置きましょう。やがてあなたが奇跡の手を持って神父になった時、つばめさんの像を常に置いておくのです。天使様に愛された姉弟として、立派に役目を全うしなさい」

「お――おまえ――は――」

 怒りに震える直巳を伊武が制した。

「ありがとう……ございました……つばめさんの像をどうするか……は……椿君も、もう少し考えたいでしょうから……いくら奇跡とはいえ……やはり……混乱しています……ので……」

 伊武はそう言うと、二人に深々と頭を下げた。今の言葉と動作が意味するところは、「もういい。帰れ」だ。

 加織神父は察したようで、黙ってうなずいた。秋川神父は何か言いたそうだったが、加織神父に肩を押されて部屋を出ていった。

 伊武に引きずられて、直巳は玄関まで二人の神父を見送る。頭も伊武に押さえつけられて、無理矢理下げさせられた。ものすごい力だった。

 また、リビングで二人になると、伊武は直巳をなだめた。

「怒る気持ちは……わかる。でも、あの二人は天使教会の神父だから……あれ以上、詰め寄っても無駄……食い下がって目をつけられたら……面倒くさい……」

「……そう、だな。悪い、助かった」

「ううん……私が椿君だったら……多分……殺してた」

 伊武が言うと、直巳は少しだけ笑った。伊武は冗談のつもりはなかったので、なんで直巳が笑ったのかが、よくわからなかった。

「よし。他の方法を考えるか」

 ようやく、直巳に自分で行動できるだけの気力が戻ってきた。もちろん、元気になったわけではない。冷静になれば、つばめの像を見つめていれば、また動けなくなるだろう。今は伊武もいてくれるから、無理矢理気を紛らわせているだけだ。

「他に、なんとかできそうな人……魔術師の知り合いとか、いる?」

 知り合いの魔術師と聞いて、直巳の脳裏にうすっぺらい笑顔の宝石商が思い浮かんだ。

「魔術師……うん、一人いる。ちょっと、聞いてみる」

 直巳は携帯を取り出し、コールする。

「もしもし、天木さん?」

「あれ? どうしたの、こんな時間に」

「ちょっと相談に乗って欲しいことがあって」

「ふーん……いいよ、話してみて」

 直巳は天木に、天使降臨からの出来事を話した。天使教会に断られたことも。

「なんとか……ならないかな」

 聞いてから天木が答えるまでの間、直巳は心臓の鼓動を抑えられなかった。断られたときのことを考えると、不安で仕方がない。

「うーん……ならないね」

 あっさりと駄目だという天木。直巳の体から、さっと血の気が引いた。

「天使のやることはわからないんだよ。規則性がないから、対策の立てようもない。いくつかは解決例もあるけど、本当に限定的でね。右足が石になった時の解決法は、左足の場合には通用しない。石膏像になったっていうのは、僕は聞いたことがないんだ」

「そう……ですか……」

「力になれなくてごめんね。でも、諦めちゃ駄目だよ。いきなり石膏像になったなら、いきなり元に戻す方法だってあるかもしれないんだから」

「……わかりました」

「何か困ったことがあれば言ってね。出来るだけ力になるから」

「ありがとうございます……それじゃあ」

 電話を切って、ため息をつく。伊武に向かって、首を横に振った。

「駄目、だってさ。天使のやることは規則性がないから、わからないんだって」

「そう……他に……頼れそうな人は?」

「他は……他……」

 直巳が考えを巡らせる。頼れる人。天使教会、魔術師、魔術に強い――

「あ――一人いた」

 困った時に連絡する相手。実力もわからない。本当に頼れるのかもわからないが、たしかに連絡してこいと言ってきた人物がいる。

「……誰? 天使教会の人じゃ……ないよね?」

「うん、違う。今日、知り合った人で。魔術は使えるけど魔術師じゃないって言ってる子がいて……何かあったら連絡しろって言われてる」

「――どんな人?」

 伊武が疑いの視線を向ける。天使教会でも魔術師でもないのに、魔術に詳しい。そんな人間がいるだろうか。

 伊武はたしかに、それに該当するものを知っているが、自分が知らないのに直巳が知っているわけがない。そういう確信があった。

「ええと、高宮っていうんだ。高宮=アイシャ=スレイ。お金持ちの子だよ」

「高宮……? 聞いたこと……ない」

 伊武も頭の中で知り合いのリストをめくってみるが、それに該当する高宮はいなかった。

 怪しい。だが、怪しいからこそ、連絡を取ってみる価値はあると、伊武は思った。どうせ駄目でも、失うものもない。もし、こちらの不利益になるような存在ならば――

「連絡、してみよう……私も立ち会うから……」

「ああ、そうする」

 直巳が上着のポケットから、アイシャの連絡先の書いてある紙片を取り出す。

 直巳が連絡先を入力している間、伊武は最悪の場合の想定をしていた。

(ばれても……やるしかない……かな)

 伊武が物騒な決意を固めてると、直巳が誰かと電話で話す声が聞こえた。繋がったらしい。

「もしもし、椿です。今日、お会いした椿直巳……ああ、A。アイシャはいるかな」

(……A? エー? 人の名前? あだ名?)

 アイシャやAという、聞き慣れない名前の出てくる会話。一体、どんな相手なのだろうかと伊武は会話の内容に聞き耳を立てる。どうやら、電話の相手がアイシャに変わったようだ。

「アイシャ、突然ごめん……そう、何かあったんだよ。何かあったから、連絡させてもらったんだけど……うん……さっき、天使降臨があって……」

 直巳が電話越しに、先ほどの出来事を説明する。もう三度目ということもあって、説明も慣れてきている。決して、喜ばしいことではないが。

「うん……うん……待ってるよ、ありがとう。住所は……」

 アイシャに住所を伝えると、直巳は電話を切った。

「すぐに来てくれるって。とりあえず見させろってさ」

 直巳が伊武に結果を報告する。先ほどとは違い、来るというだけで喜んではいない。下手に希望を持てばつらいと学習したのだろう。

 直巳は無理に平静を装っているが、顔色は悪い。それに、つばめの像を出来るだけみないようにしている。

 もし、元に戻らなければ、つばめの像は別の場所に移動させるか――直巳を別の場所に移そうと、伊武は考えていた。このままだと、直巳はきっと持たない。

 伊武の視線に気づいた直巳は、心配させまいと笑顔を浮かべた。

 そのかよわい笑顔を見て、伊武の心は締め付けられるようだった。悲しさと、可愛さで。

 それから、直巳はココアを作った。何か飲もうと直巳が提案すると、伊武が甘くて温かいものが良いというので、ココアになった。伊武は自分が作ると言ったが、直巳に止められた。何もせずにつばめと一緒にいるのはつらいのだろう。伊武は黙って任せることにした。

 30分ほど経っただろうか。鍋のココアがすっかり冷めてしまったころ、家の前で車のエンジン音が止まった。ほどなくして、玄関のチャイムが鳴る。

 直巳が玄関まで向かうと、伊武もついてきた。玄関を開けると、そこには夕方会った三人がいた。

「こんばんは、椿直巳。上がってもよいかしら?」

 アイシャがスカートの裾をつまみ、にっこりと挨拶する。AとBも静かに頭を下げる。

 そういう状況ではないというのに、ずいぶんな余裕だ。きちんとしているのだろうが、直巳としてはあまり面白い態度ではなかった。

「……どうぞ。来てくれてありがとう」

「それじゃあ、失礼するわね。それで、そちらのお嬢さんは? ご姉妹? 恋人かしら?」

 アイシャが直巳の後ろにいる伊武に声をかける。

「私は……同級生の伊武希衣といいます……近くにいたから……手伝ってる……」

「あら、そうなの。高宮=アイシャ=スレイよ。アイシャと呼んで。執事はA、メイドはB。こっちも呼び捨てでいいわ」

 アイシャは言いながら家に上がると、伊武に右手を差し出した。伊武もそれに応える。

「……よろしく」

「よろしく。あなたは天使教徒? それとも魔術師?」

「……天使教徒……熱心じゃないけど」

「そう。それぐらいがいいわ。何でもほどほどが一番よ。さて、早速見せてもらおうかしら」

 直巳がアイシャをリビングに案内する。つばめの像は、何も変わらずそこにあった。

「――派手にやられたわね」

 アイシャが腰に手を当てて、憎々しげに言う。直巳は、少しだけほっとした。天使がやったことは良くないことだと、賛同してもらえたような気がしたからだ。

「天使教会には相談したの? あなた、仲が良いのでしょう?」

「相談はした。教会に飾らせてくれって」

「なるほど。新しい名物に喜んだってわけ。殴った? それとも怒鳴って追い返した?」

「殴りそうになったけど、伊武が止めてくれた」

「へえー……その子がね」

 アイシャが伊武を見て、にやりと笑う。伊武が見下ろし、睨むように見返すが、アイシャは気にすることもなく、直巳との会話を再開した。

「直巳、顔色は悪いけど、泣いてはいないのね」

「泣いたら、終わりだと思って。全部試して駄目なら、泣くよ」

「ふーん……いいわね、それ。駄目だったら、胸を貸してあげましょう」

 アイシャがひひっ、と笑う。その余裕さを見て、直巳は頼もしいとすら感じた。

「泣き顔でも何でも見せてやるよ……力を貸して欲しい。どんなことでもいいから」

「いいよ。力を貸してあげる。ねえ、つばめちゃんを元に戻せたら、何かお返しくれる?」

 アイシャが挑発的に、上目遣いで直巳を見上げた。直巳は真っ直ぐに視線を返す。

「もちろんだ。なんでもくれてやる」

「つ、椿君! そんなこと言っちゃ……」

 伊武が止めようとするが、直巳は、「いいんだ」と制した。伊武は引き下がったが、アイシャを睨み付ける視線の温度が上がった。

「……じゃあ、お願い聞いてもらおうかな。ちょっとハードなやつ」

「いいよ。なんでも聞くって言っただろ」

「ひょーお。白紙の小切手にサインしたよ。じゃ、頑張りますか。A、はじめて」

「はい。それでは、少し失礼いたしますね」

 アイシャに指示されると、Aはすぐにつばめの像を調べ始めた。見て、触り、耳を当て、何かの道具を使い、丹念に調べている。

 直巳は一言も発しなかった。ただ、成り行きを見守っているだけ。Aが答えを言うまでの時間を、心臓を高鳴らせながら待つことしかできない。

 10分ほどで、Aの診察まがいの作業は終わった。直巳を見て、にこりと笑う。

「生きてますよ、この像。上手くすれば泣くぐらいはできる。死んでたら終わりでした」

「ほ、ほんとか!?」

「ええ。完全に石膏化はしていません。ギリギリで踏みとどまっています。恐らくは、これのおかげでしょう」

 Aは、つばめが手に握っているネックレスをつまんだ。

「魔石ですね。これが護符となって、天使の奇跡を少しだけ弾いた。その少しで、お姉さんは助かったのでしょう」

「お、俺の贈ったネックレスが……よかった……本当によかった……」

 緊張の糸が切れて、膝から崩れ落ちた。すぐに伊武がそばにより、直巳を支える。

 アイシャは「よかったわねー」と小さく拍手していた。

「弟をかばった、泣く聖像か。教会はよだれが出るほど欲しいよねえ。で? 問題はこれを元に戻せるか、なのだけど。どうなの? A」

 Aは眼帯を抑えて、少し考えながら言った。

「難しいですが――」

 Aがそう言いかけたところで、アイシャがAのネクタイを力任せに引っ張った。

「あなた天使に屈するの? 情けないわね。死ねば?」

 Aは顔を寄せられたまま、口元をゆがませて笑う。

「手厳しいですね。出来るだけはやりますよ。ただ、膨大な魔力が必要です。それも、天使の力を含むもの。天使の奇跡を解除するには、天使の力を使うのが早い」

「天使の力ねえ。天使遺骸でいいの?」

「ええ。ただ、灰ぐらいでは駄目ですよ。最低でも腕一本は」

 《天使遺骸》(エンジェルダスト)は、天使の体の一部であり、魔力の塊だ。グラムあたりの価格は金なんか相手にならないほどに高値で取引されている。腕一本分の天使遺骸というと、本当に存在するのか怪しいレベルの高級品だった。

「天使の腕ねえ。相場でいくらぐらい?」

「天使遺骸の価格など、あってないようなものですが。何のコネも無い人間が買うなら、50億円もあれば黙って売ってくれるでしょう」

 50億円と、Aがこともなげに言った。

「ですって、直巳。50億円あればつばめちゃん、助かるわよ」

 アイシャが楽しそうに言う。実際、直巳が困っているのを見るのが楽しいようだ。ひどい態度だとは思うが、そういう性格なのだろうと、直巳は気にしないことにした。

「50億円――50億円だな? わかった」

「え、嘘。持ってるの?」

 あっさりと了承した直巳に、さすがのアイシャも驚いた顔になる。

「いや、もしかしたらだけど。天木さんに聞いてみる」

「天木ねえ……あいつなら、天使遺骸の在庫も持ってるかも。ただ、あったとして支払いはどうするの?」

「働いて返す。何十年かかっても。それが駄目なら――この腕を売る」

 《神秘呼吸》の売却。天木に何度か誘われたことがある。もし、本当に、どうしても困ったら売ることを考えてくれと。想像も付かないような高値で買うと言ってくれた。

 高値を払ってくれるには、理由がある。

「――それ、死ぬってことよ」

「駄目よ! 椿君!」

 アイシャがばっさりと言うと、伊武が思わず叫んだ。伊武がこんなに取り乱すのは初めて見たなと、直巳はなぜだか冷静に考えていた。

「わかってるよ。天木さんにも言われた。死ぬけどね、って。でも、いいんだ。支払いまで少しだけ待ってもらって――一年ぐらい待ってくれるかな。そしたら、死ぬよ」

 直巳にはもう、それしか考えられなかった。取り乱してはいる。正常な思考ではないが、正常な状態でも同じ決断をしただろう。今は変に迷う余裕がない、というだけだ。

 直巳の言葉を聞くと、アイシャはうんざりという顔をしていた。

「それだと困るんだけどなあ。私のお願い、聞いてもらわないと」

「だから、支払いは待ってもらって、その間にアイシャの――」

 ドサッ、ドサッ、と。何かが二つ、直巳とアイシャの間に放り投げられた。

「――え?」

 直巳には、それが何なのか理解できなかった。

 部屋に転がっているのは、切断された二本の腕。切り口はただ平坦で、血も出ていない。

「それ……使って……二本もあれば……足りる……でしょ」

 放り投げたのは伊武だった。腕が入っていたのであろう、カバンを閉めながら言った。

 アイシャは足下に転がる二本の腕を見て、それが何か理解すると、にやぁ、と満面の笑みを浮かべた。

「天使遺骸だぁ! しかも両腕!」

 クリスマスの朝、枕元のプレゼントを開けたら、入っていたのは欲しかったお人形、しかも二つだった。そんな弾んだ声でアイシャは叫んだ。

「え……天使遺骸……? これが?」

 直巳はようやく、それが天使遺骸なのだと理解した。生まれて初めて見る天使遺骸。しかも両腕分。金額にして100億円だ。

 アイシャは、うわーと声をあげながら、天使遺骸をもてあそぶ。

「ねえ! これどうしたの!? たまたま持ってた、とかじゃないよね? だって、これすごく新鮮だもの! さっき切ったばかりだもの!」

 目を輝かせて尋ねるアイシャに、伊武は歯がみをする。

「……さっきの天使……つばめさんを石膏像に変えた天使の両腕……やった張本人の天使遺骸なら、治療に使うならうってつけ……でしょ」

「え……どういう……こと?」

 直巳は考える。先ほどの天使の両腕を、伊武が持っている理由を。

 天使がつばめを石膏像に変えて、その後、もう一度光った。直巳はつばめをかばおうとしたが、天使は何もせずに消え去った。そして、その後で伊武が来た。

 導き出される答えは、シンプルだった。

「伊武――が――天使を殺した――?」

 直巳が伊武をじっと見つめる。伊武は目を伏せて一つ呼吸をすると、しっかりと答えた。

「そう……だよ。私が……その天使を……殺した……残った腕を持っていた……それだけ」

「それだけってことは……ないだろう……伊武は……一体、何者なんだ?」

「《天使狩り》(エンジェルキリング)ってことだよね。天使教会最大の罪。裁く法がない代わりに、天使教会の過激派に一族郎党皆殺しにされるってやつだ! かっこいい!」

「……黙れ」

 伊武を無視して、アイシャは挑発的にペラペラと話し続けた。

「でも、どうやってやったんだろ? 普通の武器なんか一切効かないから、天使狩りなんて出来る人間はすごく少ないんだよ? うーん? どうやってやったのかなあ? まれーは、反天使同盟か何かに入ってるってことかなぁ? そこから武器をもらったとかぁ?」

「黙れ!」

 伊武は怒鳴り声と共に、背中――というよりは、背後のどこかから、すさまじい形の大剣を取り出し、アイシャの首元に当てた。

「これだ! この剣、《フリアエ》で殺した! 天使だけじゃなくて、人間だって狩れるんだよ! そんなに殺し方が知りたいなら、お前で再現してやる!」

「――素敵」

 アイシャは首に刃物を突きつけられたまま、うっとりとした顔で言った。



 反天使同盟――天使や天使教会に反抗するもので構成された組織の総称。

 天使教会は、天使の行う全てを受け入れようという考えだ。しかし、天使に苦しめられた人間も多く、賛同できないものも多い。賛同できないだけなら普通なのだが、中には天使や天使教会を滅ぼすべき、という考えの人間もいる。そういった人々が集まって行動に移すと、反天使同盟と呼ばれるようになる。世界中に色々な組織があり、平和的に反対姿勢を表明する人から、実力行使に出るものもいる。

 天使教会は彼らすべてを敵と見なし、やられたことと、同じだけのことをやり返す。意見を言うなら討論をするが、暴力を振われれば、暴力で返す。

 そしてとうとう、反天使同盟の中に、天使自体を狩る者が現れた。天使を狩ったという人物はネットで画像と共に声明を発表し、一時期は大変な騒動になった。天使教会は、一連の声明をすべて「合成画像を使ったデマ」と断定し、天使殺しはあり得ないという姿勢を貫いた。

 それでも、魔術師をはじめとする一部の人間は知っていた。その日から、殺した天使の死体の一部が高値で取引されはじめたことを。それは《天使遺骸》と呼ばれ、信じられないほどの魔力の塊であり、失われた魔術の再建に大きな役割を果たしていることを。

 逆に考えれば、「魔術師は天使遺骸を欲しがっている」と言える。天使遺骸が欲しいのならどうするか? 反天使同盟に協力して、天使遺骸を取ってきてもらうのだ。そのために天使を傷つけられるような特殊な武器を研究、開発し、渡している。

 天使教会も公にはしていないが、その事実を知っているため、反天使同盟に協力しているかを問わず、魔術師全てを異端認定している。魔術で天使に逆らうのはもちろん、魔術を使って人間が奇跡を起こすのも忌むべき行為らしい。

 天使教会にやめろと言われてやめるぐらいなら、魔術師は魔術師をやっていない。多くは天使教会の目を逃れて研究を続けている。ちなみに、天木もその一人だ。


 伊武希衣は、とある反天使同盟に所属していた人間の一人だった。

 盟主の過激さと、協力している魔術師の狂気から、反天使同盟の中でも嫌われているような組織だった――今は、もうない。

 数年前、所属している者は全て何者かに殺され、伊武はその生き残りだった。



 以上が、伊武の話してくれたことだった。

 話終わった伊武は、正座をしてずっとうつむいていた。真っ白になるほど力強く握りしめた手が膝にのっている。その手には、直巳の渡した指輪がはめられていた。

 指輪を見た瞬間に、そうだ、そういうことでいいんだと、直巳は気持ちが楽になった。

 直巳は伊武の正体に驚いたし、恐怖も感じた。天使や天使教会から見れば、彼女は忌むべき敵であり、驚異だろう。神父を目指すのならば、絶対に付き合うべき人間ではない。

 だが、伊武はいつも直巳の味方で、彼女に害された記憶は一つもない。つばめが石膏像になった今も、ずっとそばで励ましてくれた。そして今は正体を明かし、天使の両腕を惜しげもなく使ってくれと言っている。

 今さら、天使と天使教会に誓う忠誠心など持ち合わせてもいない。

「伊武」

「……うん」

 伊武は大きな体を縮めて、いつも小さな声をさらに小さくして返事をした。彼女は直巳に拒絶されることを何より恐れている。

「天使遺骸、ありがとう。使わせてもらっていいかな」

「……うん」

「それから、もし天使教会とケンカすることがあったら、よろしく頼むな。秋川だけは俺がぶっ飛ばすけど、天使とか出てきたら、伊武のこと、頼りにさせてもらうよ」

 伊武が、顔をあげた。驚いた表情をしている。将来、天使教会の神父になりたいという直巳の言葉とは思えなかったからだ。

 直巳はさらに言葉を続けた。伊武を安心させるために、少しでも感謝に報いるために。ここではっきりさせておこう。

「俺は天使教会と縁を切るよ。今後は秋川に協力もしないし、神父になるのもやめる。最初から信仰心なんてなかったんだ。今回の出来事で、完全に気持ちが切れた。俺が仲良くするのは、薄情な天使教会の連中より、天使狩りの伊武希衣だよ」

 伊武は口元を押さえ、涙をこらえている。

 よかった。気持ちは伝わっているようだ。

「話してくれて、ありがとう。力を貸してくれて、ありがとう。これからもよろしく」

 直巳は少し気障かな、と思いながらも、伊武に右手を差し出した。

 さようなら天使教会。これからもよろしく伊武希衣の儀式だ。

「はい……はいっ……」

 伊武は両手で、ぎゅっと直巳の右手を握りしめた。力の加減が効かないのが、直巳の右手が砕けそうになっているのだが、直巳も男なのでぐっとこらえた。

 二人が固い握手をかわしていると、横からやる気のない拍手がぱちぱちと聞こえた。

「はーい。終わった? ちょっとサービスしすぎじゃないのー、色男」

 アイシャが、いつの間にか余っていたココアを飲んでいた。拍手をしていたのはBだ。アイシャにしろと言われて、よくわからないまま拍手をしている。

「まれーは気にしすぎ。ま、天使と天使教会に裏切られたんだから、話すのにはちょうど良いタイミングだったでしょ? こういうのは全部言っちゃった方がいいのよ。全部ね」

 しれっと言い放つアイシャに伊武が舌打ちをする。たしかにアイシャのフォロー(というよりも煽り)があったからこそ、伊武は直巳に伝えることができた。だからといって、土足で割り込んできたアイシャを素直に受け入れる気にもなれない。

「……つばめさんが戻ったら……チャラにしてあげる……」

「じゃ、戻らなかったら、さっさと逃げないとね……って嘘よ。怖い顔しないで。そろそろはじめましょうか」

 アイシャに指示されると、Aが持っていたカバンから布を取り出して両腕を置く。次に自分の指を切って、血文字で腕に何かのサインを書く。最後に、天使遺骸に手をかざすと、その瞬間、天使遺骸はあっという間に灰の塊になってしまった。

 Aは料理の下ごしらえでもするかのような鮮やかさだった。慣れているのだろうか。

「さて、灰はこれでよし。アイシャ、魔力はどうしますか?」

「壺の魔力、全部使っちゃいなさい。足りるでしょ」

 アイシャはどこからか、金属製の壷を取り出した。直巳なら片手でも持てるぐらいのサイズだろうか。古ぼけていて、とにかく歴史だけはありそうな壷だった。

 Aはアイシャの持っている壷に視線を落とし、少し冷たい声でアイシャに尋ねた。

「全部使って、いいのですか?」

「良いって言ってるでしょー。投資よ投資。倍以上になって返ってくるから」

アイシャはうるさそうに、「早くやれ」と手でうながした。

 Aは表情を変えずに頭を下げると、アイシャから壷を受け取った。

「わかりました。それでは、今からこの石膏像を人の姿に戻します。天使の奇跡を魔術式にするのは難しいので、単純な呪術でいきます。直巳様、あなたがやってください」

「俺が?」

「ええ。準備は私がします。とはいえ、灰を石膏像に撒くぐらいですが。私が指示をしたら、左腕をこの壺に入れ、魔力を吸ってください。終わったら、右手でお姉様に触れて魔力を流し込んでください。この壷には大量の魔力が保管されています。あなたなら、できるでしょう」

「ああ、簡単だ」

「ねえ、直巳。神秘呼吸って、吸収と放出、同時にできるの?」

 アイシャの質問に、直巳は首を横に振った。

「できない。だから、まず魔力を吸い上げてから、姉さんに魔力を流す」

「ふーん……魔力、結構な量だからね。暴走しないようにね」

 アイシャはそう言うが、直巳は自分の魔力蓄積量に自信があった。

 これまで、魔力蓄積の限界を感じたことは、生まれてから一度も無い。

「大丈夫だと思うけど、気をつけるよ。A、続けてくれ」

 Aは頷き、説明を再開する。

「魔力を流し込みはじめたら、彼女が元に戻るよう強く祈るのです。強く、強く祈りなさい。天使の意志に負けないほどに。悲しみも憎しみも、すべて愛情に変えて祈るのです」

「ずいぶんと単純なんだな……それで治るなら、やるけど」

 直巳が単純すぎるやり方に疑念を持つと、アイシャが補足した。

「願いを魔力にのせて流し込む。魔力の流し込みが出来て、心の底からつばめちゃんを助けたい人だけが、この呪術を実行できるの。世界中でたった一人の適任者がここにいるから、このやり方が通用するわけよ。天使の灰は流れ込み安くするためのサポートだね。魔力を増加させられるし、天使の力に干渉しやすくなるから」

 理屈としてはわからないではない。ただ、すさまじい力技ということだ。。

「本当に、これで治るんだな?」

「魔術にも呪術にも確実はないよ。状況によって上にも下にもぶれる。ま、今回は魔力も灰も足りてるから、準備は問題ないはずよ。不確定要素は願いの強さだけかなー。自信ない?」

「バカ言うな。それが一番自信ある。はじめてくれ」

「ほおーう。言うねえ? じゃ、やってみようか。A、灰の準備。けちけちしないで、全部使っちゃいなさい」

「わかりました」

 Aは天使の灰を、つばめの石膏像に万遍なくふりかけはじめた。ただの灰にしか見えないが、これで総額100億円だ。伊武がいなければ用意できなかっただろう。

 伊武は手を出すことはせず、座ってことのなりゆきをじっと見つめていた。

 BはAの手伝いをしようとしているのか、見よう見まねで灰をふりかけている。背が低いので、つばめの下半身ばかりにかけているが、彼女なりに一生懸命のようだった。

「B、手伝ってくれるんだ」

「……んー……ん?」

 よくわかっていないのかもしれない。それでも、せっせと灰をふりかける。

「ありがとな」

 直巳が頭を撫でると、Bはくすぐったそうに目をつむった。

 二人が石膏像に灰をまきおわると、Aは「さて」と言って、壷を直巳に差し出した。

「はじめましょうか。注意点は二つ。徹底的に魔力を注ぐことと、強く願うことです」

「わかった……始めるよ。まずは魔力の吸収だ」

 直巳が壷の蓋を開けると、左手を突っ込んだ。

「――ッ」

 直巳の全身に悪寒が走った。

 なんなんだ、この壷は。

 壺自体は小さく、手も底についている。

 しかし、それでも無限に広がる暗闇に手を突っ込んでいるようだった。

 壺の中の手に視線を感じる。吐息を感じる。今にも何かに噛みつかれ、食いちぎられそうな気配がする。

 怖い、気持ち悪い、嫌だ――左手から暗い感情が流れ込んできた。

 ひきつった顔の直巳を見て、アイシャが笑った。

「魔力の塊だからね。普通の壺とは違うよ。食われたりはしないから、集中なさい。つばめちゃんを助けたいなら、それぐらいは我慢できるでしょ?」

「わ、わかった……」

 左手の違和感を振り払い、魔力を吸い上げることだけに集中した。身体にどんどんと魔力が流れ込んでくるのがわかる。ただ、この魔力はあまりにもまがまがしかった。こんなことは経験したことがない。魔力を吸い上げれば吸い上げるほど、汗が出てくる。吐き気がする。めまいがする。泣きたくなる。暴力的な欲望が体中からわき上がってくる。

「アイシャ……これ、なんなんだよっ……」

「綺麗な水も汚い水もあって、それは汚い水ってだけよ。いいから、続けて」

「くそっ! やってやるよ!」

 左手にさらに意識を集中させる。壺の中すべての魔力を奪い去る勢いだった。

 直巳の体内に、どんどんと魔力が溜まっていく。

 その様子を見て、アイシャが苦笑いした。

「ちょっとちょっと……まだ、吸ってるの? 暴走しないでよ?」

「するもんか……一発で全部吸い上げてやる!」

「つ、椿君! 気持ちはわかるけど、無理をしちゃ駄目……だよ?」

 伊武も心配そうに声をかけてきたが、直巳に不安はなかった。たしかに、これまでに無い量の魔力を吸い上げているが、テンションのせいか限界は感じない。

「大丈夫だ……もうすぐ、吸いきれる……そしたら、一気に流し込む」

 直巳の発言に、アイシャとAが顔を見合わせる。

「バケモノ、ですね」

「《神秘呼吸》を使ってて鍛えられたってこと? 何にしても、たいしたものだわ」

 直巳は壷から魔力が消えるのを感じた。入っていた魔力のすべてを吸収しきったのだ。

 直巳は壺から左手を抜き、つばめの石膏像の頭の部分に右手を置いた。

「さて、見せてもらいましょうか。人が起こす、偽の奇跡を」

 アイシャは楽しくて仕方がない、といった様子で直巳を見つめている。

 直巳は深呼吸すると、右手に意識を集中した。

「帰ってきてくれ、つばめ姉さん……帰ってこいっ!」

直巳が右手から石膏像に魔力を流し込む。石膏像にまぶされた天使遺灰が、直巳の魔力に反応して燃え上がり始めた。

 全員がことのなりゆきを見つめる。伊武が耐えきれず、

「が……がんばれ!」

 と、声を出して応援するが、高宮家の面々の視線は冷ややかだった。

「……駄目ね、これは。祈りが足りなすぎる」

「つばめっ! 戻ってこいよ! どうしたんだよ! ほら、早く!」

 灰が燃え上がり、魔力は肉眼でも光が見えるぐらいに流し込まれていた。

 それでも、石膏像はピクリともしない。

 よくない状況に、Aが美しい形の眉をゆがめる。

「いけませんね。灰がすべて燃え尽きたら終わりですよ。多めにまいてあるとはいえ、このままでは持ちません」

「どうしてだ! どうしてだよっ! なんで戻ってこないんだよつばめっ!」

 直巳は叫ぶが、やはり石膏像は動かなかった。

 アイシャが、もう見てられないとばかりに直巳を怒鳴りつけた。

「直巳! なにかっこつけてるの!? 大切な人に、気持ちを伝えようとしているの? 命を賭けてまで戻ってきて欲しかったんでしょ? なら、命を賭けて願いなさい! そんな口先だけの祈りじゃ、天にも地にも届かないわ!」

「なっ……くそっ……」

「椿君、早く! 灰の残りが少ない! お姉さん! 戻ってこられないよ!」

 そこで、直巳の理性がブチっと音を立てた。

「――姉ちゃん! お姉ちゃん!」

「お? 始まったかな?」

 直巳の雰囲気が変わったのを見て、アイシャは楽しそうに言った。

 普段の直巳なら恥ずかしいと思う所だが、今はそんなことを言っていられない。

「お願いだから戻ってきてよ! お姉ちゃんの声が聞きたい! お姉ちゃんのご飯が食べたい! お姉ちゃんがいないと寂しいよ! お願いだ! 帰ってきてよ! 一緒にいたいよ!」

 直巳が泣き叫びながら、右腕の魔力すべてを放出させる。

 残りのエンジェルダスト、すべてが一斉に燃え上がった。

「冷たくしてごめん! 生意気言ってごめん! お姉ちゃんに楽させてあげたかったんだ! 本当は一緒にいたいんだ! だから、もう出て行くなんて言わないから! ずっと一緒にいようよ! お願いだよお姉ちゃん! 戻ってきてよ! 大好きだ! お姉ちゃんのことが大好きなんだ!」

 右手はまばゆいほどに光り輝き、天使遺骸が激しく燃え上がる。

「きたっ! きたよ直巳!」

 興奮したアイシャの声と同時に、石膏像の表面にひびが入った。

「お姉ちゃん! おねえちゃあああん!」

 それからはあっという間。

 石膏像の表面はものの数秒で全てがはがれ落ちた。

 そして、中から椿つばめが出てきた。

「――なおくん?」

「お……おねえちゃ……」

 直巳の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。弟のこんな顔を見るのは何時以来だろうか。つばめの目からも涙がこぼれた。

 つばめは自分の頭に置かれた直巳の手をそっと握る。

「なおくん、ありがとう。なおくんの声、お姉ちゃんに届いたわ」

 そして、直巳の手を自分の頬にあてると、優しく抱きしめた。

「お姉ちゃんもね。なおくんのこと、大好きよ」

「お……お姉ちゃん……お姉ちゃん!!」

 直巳は泣きじゃくりながら、つばめのことを抱きしめた。

 もう子供じゃないから、自分の方が大きいけれど。

 お姉ちゃんの柔らかく温かい体と、優しい匂いは昔のままだった。

「よ、よかった……お、おね……おねえちゃん……戻ってきた……」

 つばめが直巳を抱きしめ返す。

「うん……ありがとう……ありがとう……でも……ごめんね……?」

 つばめの声が震えていた。

「お姉ちゃんね……足が……足が駄目なの」

「っ!?」

 直巳ははじかれるようにつばめから離れて、彼女の足を見る。

「う――嘘――だろ――」

 つばめの膝から下は、石膏像のままだった。


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