第八章
「天木、お願いがあるんだけど」
電話が繋がった瞬間、挨拶も無しに始まったアイシャの依頼に、天木は苦笑した。
「いきなりですね、アイシャ。嘆きの涙は、まだ入手できていませんよ」
「それとは別よ。調べ物をお願いしたくて。あなた、天使教会にもコネがあるわよね?」
「いやー……どうですかね……ちょっと知り合いがいる、ぐらいで……」
天木は天使教会の人間とも秘密裏に取引はしているのだが、アイシャと天使教会、という組み合わせは、いかにもきな臭い。正直、あまり巻き込まれたくない。
アイシャも天木の気持ちはわかるのだが、わかった上で踏みにじった。
「なら、その知り合いに調べてもらって欲しい人物がいるの」
「あまり……上の人間は勘弁してくださいよ」
「それなら大丈夫。多分、下っ端だから。一人は、アリエラという修道女。もう一人は、マルジェラという天使騎士よ」
「修道女に天使騎士? 役職無しですか?」
「恐らくはね。そこも含めて、調べてちょうだい」
「そうですか……やってみますよ。少し、時間はかかりますが」
「助かるわ。後で、特徴を書いたメールを送るから」
「はい。お待ちしています」
「で、料金はおいくらほど?」
「実費がかかったら、その分だけ後で請求します」
「ずいぶんサービスがいいのね」
「だって、これでアイシャは僕のことを好きになってくれるでしょう?」
「天木が私のことを好きになってくれたら考えるわ。それじゃあね」
アイシャは電話を切ると、椅子に寄りかかって静かに息を吐いた。
アイシャは今、高宮家の自室に一人でいた。
椿家でも電話ぐらい出来るのだが、こういった話は一人で落ち着いてしたいし、他の人間に聞かれたくもなかった。
高宮の屋敷は、椿家よりもずいぶんと広く、静かで、暗くて寒い。それが嫌というわけではない。場合によっては、高宮家の方が居心地はよかった。
アイシャが目を閉じて静寂を楽しんでいると、窓がコンコンと叩かれる。
窓際にカイムがおり、窓をクチバシで突いていた。
アイシャが窓を開けると、カイムが入ってきて、アイシャの肩にとまった。
「どうしたの? カイム」
「ついさっき、また失踪事件が起きたみたいです。それから、昨日も二人やられてます」
「場所は?」
「この町です。かなり、近い場所で」
アイシャが、ついにこの町にもきたかと、目頭を押さえた。
「……わかったわ。Aに報告して、調べるように言っておいて」
「はい、わかりました」
「ねえ、カイム。この事件の結末、未来予知できる?」
アイシャに言われ、カイムが未来予知のために集中する。
「――見るには、僕が消えるほど大量の魔力を使います。まだ先で、複雑な未来みたいです」
「そう……なら、いいわ」
アイシャはカイムを窓から外に放ち、また椅子に座った。
「まだ先で、複雑な未来」
カイムの言った言葉を呟くと、深く、長い溜め息をついて目を閉じた。
まだ、しばらくは天使狩りの再開はできないということか。
新たな悪魔を呼び出すことはおろか、AやBの魔力補給すら満足にできない。
直巳が仲間になり、ようやく順調にことが運ぶと思っていたのに。
(考えても、疲れるだけか)
普通の人間ならば、眠ってしまえるのだろう。
眠れるというのは幸せなことだ。
眠りというのは一日を終える、明確な区切りだ。
辛いことも楽しいことも忘れて、また新しい日を迎えるための準備。
だが、アイシャは不老不死の影響で眠ることができなかった。
眠れば、一日だけ年をとる。だから、年をとらないアイシャは眠ることができない。
前に、直巳にこの話をしたことがある。信じているかはわからないが。
その時は、一晩中、直巳に抱きしめられたまま、朝まで過ごした。
直巳の体は温かかったし、退屈になれば寝顔を見れば、少しは暇つぶしにもなった。
今でも、その時のことを思い出すことができる。直巳の体の感触を、無防備な寝顔を。穏やかな寝息を。
だが、今日は一人だし、ここは高宮家なのだから、直巳が来ることもないだろう。
だから、アイシャは眠る代わりに思考を切った――もう、百万回はやっていることだ。
後は、こうして目を閉じたまま、朝を待つことしかできない。
今日もまた、長い夜になりそうだった。




