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ツバキ黙示録  作者: 坂木ケイジ
ツバキ黙示録 第五篇 -花鳥奇譚-
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第五篇外伝 一章

 花鳥に 一本足りない 花烏


 ようやく桜が咲き始めた、3月も末の、ある日のこと。

 少女が変質者に襲われたという噂が広がった日のこと。

 花鳥神社の近くの裏路地で、1人の惨殺死体が発見された日のことだった。


 長く、広い、騒がしい道を、何処へ行くつもりなのだろうか、1人の青年が、必死で走っていた。真っ黒な学生服に学帽、そして、やはり真っ黒な外套をなびかせている。人々は驚いたような顔で、走る彼を見送り、中には、笑いながら、彼を賑やかすものもいた。

 青年の後ろからは、荒っぽい声をあげながら、着流しのヤクザ者が追いかけてきている。人数は3人。全員が、角棒だのドスだのと物騒な得物を隠そうともせず手に持っている。

 青年は裏路地へと入っていった。ヤクザ者達に、それがわかるように。そこは袋小路になっていた。これ以上、青年が逃げることはできない。

 青年を追い詰めたヤクザ達は、手にツバを吐きながら威勢よく言った。

「ようやく追い詰めたぞ馬鹿野郎。自分からこんな袋小路に逃げ込むとは、ヤキが回ったか」

 青年は下駄でざっざっと地面をかきながら、余裕の態度で言い返した。

「バカはそっちだ。あんな大通りでケンカしたら、警官に見つかっちまうだろう。せっかくのお楽しみが、途中で邪魔されたらかなわんからな」

「言うじゃねえか。吐いたツバは飲むんじゃねえぞ」

 そう言ったヤクザが角棒で殴りかかる。青年はそれを左回りによける。こうすると右利きの人間は対処がしにくい。

 青年は、そのままヤクザのこめかみに拳を叩き込む。拳の中指を突きだしており、それが綺麗にこめかみに刺さった。

 頭蓋骨が割れるような痛みに、ヤクザはうぎゃあと悲鳴をあげた。青年はその隙を見て、股間を思いきり蹴り上げると、ヤクザは声もあげられずに地面に倒れた。

 それから角棒を拾い上げると、膝を使って半分に割った。

「狭い路地じゃあ、こんな長物は扱いにくいってもんだ」

 青年は両手にそれぞれ、折れた棒を持った。折れた箇所が棘になっているので、殴るだけではなく、刺すためにも使える。

「さあ、度胸があるならかかってきなよ三下ども」

 そう言われて退くヤクザはいない。破れかぶれで、青年に襲いかかった。

「どうしてこう、真っ直ぐしかこれないもんかな」

 青年は砂を蹴り上げて目つぶしをすると、角棒の折れた箇所を相手のふとももに無理矢理突き立てた。綺麗な傷ではない。傷跡は一生残るだろう。

 倒れた男のアゴを、下駄の歯で思いきり蹴り上げる。歯の砕ける音。これで気絶した。

 残りの1人はドスを構えて突っ込んできたので、そのまま角棒で手を叩いてドスを落とした。後はひるんだ相手を、めったやたらに打ちのめす。

 これでおしまい。青年は息も切らしていない。

 路地の壁を見ると、飛び散った血がついていた。たった今、ヤクザ達から吹き出したばかりの真っ赤な血。それとは別に、渇いて茶色くなった血の跡もあった。

 そういえば先日、ここで猟奇殺人があったという話を聞いたが、その名残だろうか。

 倒れていたヤクザの1人がドスを拾おうとする。

「南無阿弥陀仏」

 青年はそう呟くと、壁の血痕に手を合わせたまま、下駄の歯でヤクザ者の手を踏みつぶした。手の筋が骨が、バリバリと壊れる感触がした。

 青年は他のヤクザ達に睨みを利かせる。もう、反撃する気はないようだった。

 それがわかると、青年は懐からいくらかの金を出し、倒れているヤクザの前に落とした。

「痛手は負ったが、シメて金は取ったってことにすりゃあメンツも立つだろ」

「金があるなら、どうして最初から払わなかった」

 ヤクザが恨めしそうに言うと、青年はフッと鼻で笑った。

「どうもこうも、こうしてお前達と遊びたかっただけだ。最近じゃ、この辺で俺と遊んでくれるやつも、めっきり減ったものだから」

「ああ、そうか。ようやくわかったぞ、ちくしょう」

 ヤクザ者は痛む手をさすりながら、青年を見上げて言った。

「お前があの、花烏(ハナガラス)か」

 真っ黒な学生服に身を包んだ青年――ハナガラスは、にやりと笑った。

「そうだよ。気づくのが遅かったな」

「花鳥に、1本足りない花烏、ってか」

 倒れていた別のチンピラが、へへっと笑いながらつぶやく。

 ハナガラスは落ちていたドスを拾い上げると、減らず口を叩いたヤクザの元へと近付いた。

「南無阿弥陀仏」

 ハナガラスは、躊躇せずにドスをヤクザの顔近くに投げつけた。

 ドスはヤクザの鼻の下をかすり、地面に突き刺さった。

 チンピラは流れ出た血に驚き、わあと声をあげて転げ回る。ここを切られると、たいした傷ではないが、多くの血が流れる。

「神社の人間が南無阿弥陀仏じゃあおかしいんだが、祝詞は長ったらしくて覚えられやしないんだ」

 そういうと、ハナガラスは外套をひるがえして路地を出ていった。

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