第3話 西園寺風子
思わずぎゅっと目をつぶる。
だが、聞こえてきたのは火薬が爆ぜる音ではなく、
少し低めの、でも紛れもなく十代の少女の声だった。
そのまま脳漿と一緒に吹き飛ぶはずだった意識も、まだ頭の中に保たれたままだ。生きている、多分。
颯太はおそるおそる目を開ける。
「ふふ」
目の前には、いたずらが成功して嬉しそうな様子の少女が立っていた。
まがまがしいくらいに黒光りする拳銃の銃口は、すでに降ろされコンクリートを睨んでいる。
レインコートの表面に浮いた水滴が、電灯の光にあたってきらめいていた。
拳銃をもった死んだはずの少女に仕掛けられるドッキリ。
あまりに日常から足を踏み外した状況に、自身の無事が分かっても混乱で体は固く硬直したままだ。何が何だか分からない。
そのまま数十秒が経過する。
「かさ」
「え」
呆然と突っ立っている颯太に、少女はおずおずと声をかけた。ぼんやりとしている颯太を気遣うふうでもあるし、いたずらがすぎたと反省している様にも見えた。
「傘、そのままでいいの? 雨冷たくない?」
そう言って、足元に二人の足元に転がっている傘を指さす。
その声に我にかえって右手に目をやると、握っていたはずの折りたたみ傘の取手がなかった。
どうやら撃たれたと身を縮こませたはずみに、落としてしまったらしい。
気づけば小ぶりになった雨が、自分の髪や制服を湿らせている。
颯太は慌てて腰をかがめると、コンクリの地べたに転がった傘を拾い上げた。
その様子を見て、少女はよかった、と呟いた。
「ごめんなさい。驚かせすぎたみたい」
少女はしおらしくそう謝った。そのままゆっくりと頭を下げる。綺麗な黒髪が、赤いフードの隙間からするりと垂れる。
その様子にうっかり見とれてしまった颯太は、慌てて取り繕った。
「いやいやいや、大丈夫です大丈夫、ちょっと髪が濡れたぐらいのもんだし」
「本当はちょっとからかってやろう、ぐらいの気持ちだったんだけど」
少女は手にもった銃に目をやって、
「これを使うのは、ちょっとやりすぎね」
はあ、とため息を一つ落とす。なんだかかなり落ち込んでいる様に見えて、被害者のはずの颯太は落ち着かない。
驚きや理不尽からくる怒りは、すでに腹の中から消え去っていた。単細胞とからかわれる颯太は、もともと根にもつタイプとは真逆の性格をしている。
つまり、どんな不快な事をされてもすぐに忘れるし、怒りはまったくと言っていいほど持続しない性分だった。単細胞と言われてむっとくる颯太も、自身のその点だけは悪くはないと思っている。
だから自分が被害者だといっても、このくらいの事で他人に落ち込まれるのはかなり気が引ける。
が、こんな時間に拳銃を使ったドッキリを、見知らぬ……ではないけど、直に初めて会った他人にされるのはかなり不自然だという事は自分にも分かった。
それも、本来は死んでいるはずの同い年くらいの少女に。
「だから気にしないで……ください。えっと」
「西園寺風子です、西の園の寺と書いて西園寺、風子は風の子よ」
もしかしたらネットかテレビで知ってるかもしれないけど、と少女は少し照れくさそうに微笑んだ。その顔は、誠道学園のホームページにのっていた写真のそれとまるっきり同じだった。
やっぱり、彼女なんだ。
もしかしたら別人かもと心の隅に残っていた最後の疑念も、その合致によって綺麗になくなった。そう言われれば、声も喋り方も、誠道学園の動画やテレビ番組で聞き覚えがある。
「えっと、俺は、草薙颯太です。草を薙ぐと、颯爽の上の字に太郎の太で」
つられて、颯太も漢字まで含めて自己紹介をする。
「へえ! いい名前。それになんだか私に似てる」
―あ、あとタメ語でいいよ、年、ほとんど変わんないでしょ?
そう言って風子は嬉しそうに笑った。なんだか変わった子だ。雑誌の特集なんかでは、しっかり者で皆のお姉さんのような立場にいると紹介されていたのに。
腑に落ちないような顔をしている颯太に気付いたのか、風子は話題をより核心に近づけた。
「何で私がここにいて、こんな事をしてるんだろうって、きっと思ってるよね」
「はい」
即座に答えた颯太に、西園寺はまた可笑しそうに笑った。
「素直。なんだかカズマと話してるみたい」
そのカズマ某のことは知らなかったが、以前から少なからず憧れていた少女に褒められたと考えれば、颯太も悪い気はしなかった。
素直、という言葉を素直に褒め言葉として受け取れるところは、颯太の単細胞のなせるわざである。
「そうそう、私のこと話してたんだったよね」
また話がそれそうになったのを、今度は風子自身が気付いて引き戻す。
「どうして俺にあんなイタズラを、ってのもありますけど」
敬語でなくても良いとは言われたが、口から溢れる言葉はまだこわばったままだ。
「なんで、えっと、風子さんがここにいるのか、それを教えてください。イタズラの事は別に気にしてないんで」
「それは、私が死んだはずじゃないかって意味かな?」
死んだ、という言葉に思わずどきりとする。
間違いなく目の前の少女は生きているのに、
テレビの報道でうつされた誠道学園の、無残な光景が頭から離れない。
「そうだね。まず私がどうしてこの街をふらふら歩いていたかってことだけど」
いつの間にか、小降りになっていた雨もあがっていた。レインコートの表面を、街灯の光を反射した水滴がするりと垂れる。
「私は、私の大切な人に会いに来たの。この街に」