第1話 私立誠道学園
西暦2029年7月7日、時刻は夜の12時を少しまわったところ。空は憂鬱な雨雲に覆われていて、手に持った傘をポツポツと等間隔で濡らしている。
バシャンとコンクリートの凹みに出来た水溜りに気づかずに足を突っ込んで、慌てて飛び退くように脇に避けた。
「くそっ」
山田颯太は思わずそう声を漏らす。幸いにもこの時間の住宅街に人影はあるはずもなく、
格好悪い自分の姿を他人に晒す事はなかった。
勿論、自分の泣き顔を誰かに見られる心配もない。
水溜りにはまった買ったばかりのスニーカーと同じように、颯太の顔もまた水で濡れていた。
目の周りに残った涙の塩分が、責めるようにちくちくと肌を刺してくる。
雨で湿った陰鬱な匂いが鼻をくすぐる。不意にほんの数十分前の出来事がフラッシュバックした。
雨に濡れた美和子の白い肌。長い睫毛の横顔。身体にまわされたツバサの日焼けした腕。
重なる唇と足元に落ちた赤い傘。
驚いたようにこっちを見る二人の見開いた四つの目。
思わずなにも言わずに逃げてきてしまったけれど、二人はまだ心配して辺りを探しているかもしれない。
数分前までは「首輪」に止めどなく二人からの連絡の通知が来ていたけど、
煩わしくなって接続自体をオフにしてしまった。
あの光景に出くわした際の驚きは徐々に薄れてきていたが、それと入れ違うように、
今度は自分自身に対する惨めさが颯太の体中を巡るようになっていた。
「何やってんだろうな、俺」
ツバサも美和子も本当に良い奴らだ。二人の関係も、だから俺が気にするのを知って黙っていたに違いない。
中学二年の時に一緒のクラスになって、何となく気があって、
何となく三人で一緒に行動する事が多くなった。放課後はよく学校の近くのマックでだべって時間を潰した。
高校に進学する際も、示し合わせたように三人とも同じ高校に進学した。
ツバサはサッカー部、俺は弓道部に入部して忙しくなったから、
以前の様に一緒に放課後を過ごすことは少なくなったが、
休日は必ず誰かの家に集まってゲームをして過ごした。
いつからだったんだろう。
これじゃあまるで俺が道化みたいじゃないか。
悔しさと惨めさと恥ずかしさからくる言葉にならない言葉が颯太の頭の中をぐるぐるとまわった。
明日は金曜日だ。学校がある。高校生活も二年目になって、三人ともクラスはバラバラになったけれど、
二人と顔を合わせずに一日を過ごすのは不可能に近いだろう。
学校、休むしかないか。
今まで皆勤賞だったんだけど。
こんな時に皆勤賞なんて言葉が出てくる自分の頭の単細胞さに、颯太は自嘲気味に口を歪ませた。
だが、兎にも角にも金土日の三日間は二人と顔を合わせずにすむと思うと、少しは気が楽になった。
三日間、家で好きなゲームでもして気を晴らせば、少なくとも学校に行く元気ぐらいは出るだろう。
とりあえず家に帰ろう。
そう思って颯太は今までふせていた顔を上にあげた。
行き先も何も考えずにただ歩いてきたせいか、周りには見慣れない住宅街が広がっている。
一軒一軒の外装が白で統一された近未来的なものだったので、少なくとも颯太の家がある旧市街地ではない。
とすると恐らく川むこうの新市街地だろう。
気づかないうちに街の中心を流れる楓川を渡って、向こう岸まで行ってしまっていたらしい。
仕方ない、元来た道を歩いて帰ろう。そう颯太が体を反転させると、
「え」
自然と漏れた声を慌てておさえた。
颯太がいる歩道の道路を挟んだ向こう側、そこにレインコートを着た一人の少女がいた。
くすんだ赤のレインコートをひらひらさせながら歩いてくる。
颯太が唖然と立ち止まって見つめているのに気づいたのか、少女は一度眉をひそめて、
それから顔を隠すようにレインコートを目元に引き寄せた。
颯太も慌てて、目を反らし、何もなかったように再び歩き出す。
だが全神経はその少女の方に向いたままだ。
驚いた。
何でこの街に彼女がいるのだろう。
横道に曲がる振りをしてさり気なく目をやると、赤いレインコートは姿形もなかった。
一瞬慌てたが、すぐに少女は道を少し行った先にある路地を曲がったのだと分かった。
颯太ははやる気持ちを抑えつつ、道路を横切って曲がり角まで慎重に足を運んだ。
そのまま、そっと角から頭を出す。
いた。赤いレインコートがゆらゆらと道の先に見える。
見失わないよう、適度に距離をとりながら後を追いつつ、電源を落としていた「首輪」の起動ボタンに手をのばす。
ぶうん、という起動音。
すぐさま目の前に半透明のウインドウが現れた。
右隅にある着信ボックスには、ツバサと美和子からの着信を知らせるポップアップが
赤く光って自己主張を続けていた。最新の着信はほんの数十秒前のものだ。
少し心が傷んだが、それを無視してウインドウの下部に並べられたアイコンの中からブラウザを選択し、
起動。
目の前に現れた検索ボックスに、すぐに「西園寺風子」と打ち込む。
その間にも、少女はゆっくりと道を進んで行く。こっちに気づいた様子は、まだない。
検索結果は一千万件をゆうに越していた。その中でもトップでヒットしたリンクをクリックする。
押した拍子に少し緊張で体が硬くなったのは、
本当に彼女だったらどうしようという考えが頭をよぎったからだ。
私立誠道学園高等部。リンク先には白く大きく書かれた校名と、
その真下に貼り付けられた制服を着た三百人以上の男女の写真があった。
日本で一番有名な高校生達が、皆仲良さそうに写真の中で笑っている。
多くの学生が、一度はテレビで観たことのある顔をしていた。
私立誠道学園は、超能力を持った子供達の高校だ。そういう風に颯太は教えられていた。
超能力とは一体何なのか、彼らのその力が人工的なものなのか、それとも自然発生したものなのか、
彼らは何者なのか、誠道学園とは一体どんな団体なのか。
そういった詳しい事は全く知らない。
ネットにはそれこそ、ありがちなサイボーグ説から始まり、
宇宙人説や実はロボット説までありとあらゆる推測と、
それをネタにした記事やブログが海のように溢れかえっている。
颯太もよくツバサや美和子とこの話をネタに、だらだらと放課後の気だるい時間を過ごす事がよくあった。
ただどんだけ推測を深めていった所で、颯太の様な一介の高校生が確実に言える事はおそらく二つだけだ。
一つは、彼らが「ケモノ」から自分達を守ってくれる、まるでヒーローの様な存在だったという事。
二つ目は、六ヶ月前に彼らは全員死んでいるはずだという事実である。