多数決
グロテスクなシーンを含むので、苦手な方はご遠慮下さい。
ふと目が覚めると、私はそこに居た。
ココはドコ…?
狭い一室の周りはコンクリート。防音対策でもしているのか外の音が聞こえてこない。
ある物と言えば、ドア。しかし、鍵が掛っていて開かない。
その反対側の壁の中央にはモニター画面。その隣には怪しいボタン。
足元にはスイッチ。ドアの上にはランプ。そのどちらにも1〜4までの数字がついている。たったそれだけだ。
なぜ、私はこんな所にいるのか…覚えていない。
昨日の夜、いつも通りに仕事を終え、帰宅したまでは記憶にあるのだが、家に帰ってからの事だけが、なぜかそこだけ記憶から飛んでいる。
強制的な睡眠をさせられたのか、目覚めは最悪だ。
寝起きが良い私でも、意識が朦朧とする。
なんとか冷静を取り戻そうとする私だが、急にこんな意味の分からない部屋に監禁されては、どうする事もできない。
第一、食事のあてもないではないか。
いずれにせよ、このままではマズイ。誘拐だか何だか知らないが、なんとかして脱出しなくては。
…とは言っても、ドアには鍵が掛っていて開かないし、それ以外はコンクリート。
唯一、助かる見込みがあるとすれば…コレだ。
壁に付いているボタン…!
あきらかに怪しいのは承知の上だ。
ボタンを押した事によって、今より状況が悪くなるかもしれない。
それでも…押してみよう!
このままじゃ飢え死にするのは確実なのだ…なら、押そう。
少しでも可能性があるならば…!
私は勇気を振り絞り、震える指でボタンを押した。
すると、モニター画面に映像が映った。
「…あ!?京子?京子じゃん!!」
『…え?美佐?あんた…何やってんの?』
モニター画面は四分割され、その左上の映像に美佐が映った。
井ノ上 美佐 (いのうえ みさ)。仕事の同僚である。年齢も入社した年も同じという事もあり、何かと気が合った。
仕事の面でもお互いを刺激しあっていたので二人とも急激に成長した。
その美佐も…なぜココに?
「ってか…普通に喋れてんじゃんね」
確に…美佐とは会話ができている。
音声まで伝わるということか。
そして、それはボタンを押した時に発動する。
『あと…三つ?あと三人いるって事?』
「そうなるわね…」
美佐が映っている画面以外は砂嵐になっていた。
その時、二つの画面が同時に付いた。
「あ…あれ?美佐ちゃん?京子ちゃん?」
「オイ!ここどこだよ!お前ら何か知ってるんだろ…?」
うわ、最悪だ…。
新たに登場した二人の人物。
まず、画面右上に映ったのが、遠山 海斗君。彼も仕事仲間だ。成績優秀で見た目もクールでカッコ良い事から、女性社員に人気が高い。
そして、画面左下に出てきたのは、金田 正人。元カレだ。わがままで自己中心的な性格。仕事もサボってばかり。女性社員とは敵対関係の位置にいる。全く…少しは海斗君を見習って欲しいものだ。
「きゃー、海斗く〜ん」
喜んでいるのは美佐。そうゆう状況じゃないだろうに。
「ね…ねぇ、美佐ちゃん。なんで…俺がこんな所に閉じ込められているんだよ…!!」「は?知らないわよ」
正人の呼び掛けに、舌を出して、あっかんべぇ〜のポーズをする美佐。
それにしても気になるのは、後一人だ。
私達四人の共通点としては、同じ職場で働く人間である。
…とすると、後一人も…もしかしたら…
などと想像を巡らしている間に、モニターの右下に映像が映った。
「き…君達!これは一体…どういう事だね!?」
「ぶ…部長!」
やはり…と言った所か。
最後の一人は野村部長だった。
「いや…俺達も気付いたらここに居たって感じっす」
と、正人。彼は脳天気で失礼な態度のため、部長にも口調が礼儀悪い。
とにかく、これでメンバーが揃った訳だ。
私から見て、モニターの左上、1と書かれた画面に、美佐。右上の2には海斗君。左下の3に正人君。右下の4に野村部長。
となると、私の数字は5…と言ったところか。
意識の覚醒はほぼ同時だったに違いない。
美佐はキッパリした行動派の性格なので、ボタンを見付けたらすぐ押したのだろう。
正人君と海斗君も、私と同じタイミング。一通りの考えを巡らせてから行動するタイプ。
部長は仕事上でも、何でも部下にやらせる人で、信頼も薄い。
だからここでもボタンを押すのに気が退けたのだろう。
こうゆう急展開だからこそ、その人間の性格と言うものがそのまま行動に出る気がする。
「…で、これからどうするの?」
美佐が既に飽きている様子で切り出した。
「とりあえず…問題はこのスイッチだね。ここから脱出に繋がるかもしれない…。皆、今手元にある物を確認してくれ」
さすが冷静な海斗君。部長よりも皆をまとめるのが上手い。
彼なら将来、人の上の立場まで登りつめるだろう。
「手元って…スイッチしかねぇよ。携帯も財布もないぞ?」
モニター映像を見れば分かる様に、全員部屋は同じ造りで特に変わった所はない。
私も携帯も財布もない。
『私も…スイッチしかないわ』
「アタシもぉ〜」
「私の所もだ」
やはり…どの部屋も同じ。と、なれば、脱出の手掛かりはこのスイッチだけ…か。
「もう良いよ。押してみるべ!」
痺れを切らした正人が言った。
皆、何が起こるかも分からないボタンを押せたのだ。
スイッチだって軽い気持ちで考えているだろう。
「そうね、その意見には賛成だわ。まず押してから考えましょ」
と、美佐。彼女は人一倍の行動派だから、正人の意見に乗って出た。
「そうだね。このままじゃ何も始まらない」
最善、最速の脱出方法はそれしかない…と言わんばかりに海斗君も言った。
「いや…しかし…海斗君…」
ただ一人、野村部長だけが乗り気ではない。
「なんでだよ部長ぉ〜!ね、京子ちゃんも押した方が良いと思うでしょ!?」
『そう…ですね。部長、このままじゃ永遠に閉じ込められたままですよ?』
「う…うむ。よし、分かった」
優柔不断、臆病者、よくこれで部長が務まるものだ。
しかし、皆も多少の恐怖は感じているはずだ。
でも今の何もできない状況よりはマシだろう…との事で、スイッチを押す事が決まった。
「さて、誰のスイッチを押す?」
正人はテンションが高まっていた。彼には危機感と言うものがないのだろうか?
「自分の番号がないから1〜4の数字…皆、自分の番号が分かるよね?」
海斗君の発言に一同は頷く。
「はい!俺3番だから、試しに誰か俺の番号押してみてよ!」
正人が大声で叫んだ。
「もしかしたら、皆に支持を受けた人が脱出できるかもしれないしぃ〜早い者勝ちでしょ!」
「正人ずるい〜!だったら私の番号押してよ〜!」
「待て待て!脱出できるのなら、私の最初にしてくれ!私は部長だぞ!上司命令だ!」
皆は支持を受けた人が脱出できると決めつけ、我先にと立候補する。
「それは…本当かな?」
海斗君が割って入る。
「その逆も…考えられないか?」
「なんだよ海斗〜。もしかして俺らビビらせようっての?」
「逆って事は……え?何それ?どうゆう意味?」
「つまり…死ぬ…とか?」
「ひ…!や…私のは後で構わんぞ!正人君、君は一番に立候補したね。よし、正人君で試してみよう」
死と言う単語を聞いた途端に掌を返した態度の野村部長。
正人で試すなんて…虫が良すぎる。
「別に良いっすよ。勇気を買われて脱出できるかもしれないし」
部長の発言にも苛つかない正人は、天然か、それともただの馬鹿なのか…。
「ほら皆!とっとと3番押して!なに、死にはしないって!第一、俺を殺したって意味ねぇじゃん」
確に…この拉致した犯人の目的が分からない。
私達を殺した所で得る物などあるだろうか?
金銭的にそこまで余裕があるわけでもない、一般企業のサラリーマンとOL。
もしかしたらTV局のドッキリ…なんて可能性もなくはない。
「脱出できたら、ちゃんと私達も助けに来てよね!」
そう言って美佐が3のスイッチを押した。
すると、正人の部屋にあった、ランプの1が点灯した。美佐の番号が1だから、美佐から指示を受けたと言う事だろう。
「オッケー!まかせなって!俺は裏切ったりしないよん♪さ、他の皆も!」
ここは正人に託そう。皆はそう決断し、3のスイッチを押した。
これで正人の部屋にあるランプは全て点灯した。
「よし、皆押したな!じゃあドア開けるぞ」
正人はドアノブに手を掛け回してみるが、無情にもドアはビクともしなかった。
「あ…あれ?開かねぇ!?クソッ!コノォ〜!!」
力まかせに押したり引いたりしているが、ドアが開く様子は一切見られない。
「正人!上!!」
海斗君が何かに気付いたら様に叫んだ。
「上?…うわぁ!なんだよこれ!!」
正人の部屋の天井には無数の穴が開いていた。
小さな…直径二ミリくらいの小さな穴が天井にビッシリと。
そして、ウィーンと機械音と共に穴から針が出てきた。
「は?…え!?マジ?」
その針は徐々に下へと伸びてくる…。
このままでは正人は串刺になってしまう…!
「うぉ!開け!!開きやがれこの野郎ー!!」
必死でドアに当たるが、ビクともしない。
「たす…助け…」
逃げ場のない部屋で正人は身をかがめた。
気付けば既に頭のすぐ上まで針は伸びてきている。
「ひっ…!…ひいぃい!」
正人は地面に顔を付け、横になり、精一杯針が遠いところまで身を低くした。
…しかし、それも無駄な努力だった。
針が正人に到達…。
「ま…正人ー!」
私達はモニター越しからソレを見ている事しかできなかった。
「うぎゃあがば…!!」
人間の声とは思えない程の叫び声を上げ、正人は…串刺になった。
針は正人を貫通し、ついに地面まで到達した。そして天井まで戻っていった。
正人の背中は無数に針の穴が開き、そこから大量の血を吹き出していた。
余りにも残酷な姿にノドから何か熱いものが込み上げてくる。
「ウ…ウエェェ…!」
それに耐えきれなかった美佐は嘔吐してしまった。
「正人!おい!…おい!!」
状況が信じられないのか、海斗君は何度も正人に呼び掛けたが、返事があるわけがない。
正人は…死んだ。
私達、皆の前で…。
「ど…どうなってんだよ一体!なんで正人が…クソ!」
人…それも友人が目の前で無惨に死んだ事に対して、冷静でいられるわけもない。
一時は興奮状態にあった皆だったが、その後に沈黙が訪れた。
『正人を殺したのって…私達なのかな…?』
「そうだ…俺達がスイッチを押したから…正人が…」
「だ、だから私は押さない方が良いって言ったんだ!」
モニターには正人の死体が映っている。
それを見る度に自分達の立場が絶望であることを改めて思い知らされる。
「どうやら、皆からスイッチを押された人が…死ぬらしいな」
状況を整理した海斗君が言った。
『どうゆう事?助かる方法はないの?』
「それは分からない。そもそも、これを仕組んだ主催者の目的が謎だ。おそらくドコかで監視していて、俺達が殺し合うのを楽しんでいる」
「主催者は相当なサディストね…フザケてるわ!」
美佐の言う通りだ…舐めるな! …人を!
他人の命を何だと思っている。
『ゴメンなさい…ちょっと…一人にさせて』
「あぁ。一旦みんな落ち着こう。冷静になれば解決策もあるかもしれない。二時間経ったら、またボタンを押してくれ」
「…そうね。わかったわ」
私達は一旦、ボタンを押してモニターを切る事にした。
一人、狭い部屋に監禁され、コンクリートの冷たい臭いをかぎながらの孤独は辛かった。
それでも、正人の死体を見ているよりは楽だ。
主催者は誰?
一体、何が目的だと言うの?
私達は助かるの?
謎だらけで先が見えない事を考えるだけで、私は頭を抱えていた。
ーーーーーーーーー
二時間…くらい経っただろう。
何せ時間を計るものがないから正確には分からないが、そろそろボタンを押して、皆集まる頃だ。
スイッチを押せば、また正人の残酷な死体を見なくてはならないのだろう。
それを思うと気が退けるが、決め事なので私は仕方なくボタンを押した。
「あ、京子ちゃん!ちょっと正人の画面見てよ!」
ボタンを押すと、美佐と海斗君がすでに居た。
言われた通りモニター画面を見ると、正人の画面に記号が出ていた。
『…8?何これ?』
「分からない…ただ、これが脱出のためのヒントである事は確かだ」
海斗君の予想は私も合っていると思う。
ただ、情報不足。第一、暗号を解いたところでどうなる?
鍵が勝手に開くとでも言うのだろうか。
それに、ヒントのタイミングが都合良すぎる。
やはり主催者がどこかで監視しているのだろうか。
正人が死んだらヒントが出た…って事は…つまり…。
『誰かが死ぬ度に…ヒントがもらえるって事?』
「京子ちゃんの言う通りだ…と、俺も思う」
もしそうだとしたら…ふざけてる…!
「じゃあさ!…部長…殺しちゃわない?」
『美佐…!それは…』
「いや、部長には聞こえていない。…脱出したいんだったら…もはやそうするしか……」
『ちょ…ちょっと待ってよ!』
皆…何言ってるの!?
部長を殺す…?
それ…本気なの!?
『それじゃ…私達も主催者と一緒になっちゃうじゃない!』
「じゃあどうしろって言うの!?殺さなきゃ…私だっていずれ死んじゃうんだよ!?京子だって…部長が嫌だったじゃない!」
確かに…部長は仕事上ではかんばしくなかった。
セクハラだってされたし、嫌味な事を言われた。
だからって…殺すなんて…。
「京子ちゃん…割りきってくれ。部長に知られる前に…殺ろう!」
そんな……そんな事って…。
『で…できないよ』
「京子ちゃん…さっきね。美佐ちゃんと話し合ったんだ。生き残るには…殺らなきゃ…。京子ちゃんだって…殺られる選択肢だってあったんだよ?」
「そうよ京子。でも私が言ってあげたんだからね!殺すなら京子じゃなくて部長にしてって!」
私も…殺される…?
美佐に…? 海斗君に…?
殺される……!?
『みんな…おかしい!変だよ!!』
「これが現実なんだよ!なんで拉致られたか知らないけど…現実なんだ!」
だめ…だめ…!!
そうゆうんじゃないでしょ!
解決方って、それしかないの?
「部長に気付かれる前に押せば、死体も見ないで済むんだ。三人同時に…いくよ」
『ま…待ってよ!』
無理…私にはできないよ。
正人を殺したのは、このシステムが理解できなかったからと、せっかく前向きになれたのに…。
今から部長を殺すんじゃ、全てを承知の上…この行為は殺人だ。
なんで皆平気でそんな事言えるの!?
「私達が押せば京子も押してくれるって。さ、海斗君」
美佐…待ってよ!
「あぁ、俺もそう信じてるよ」
海斗君…違うよ。こんなの間違ってるよ…!
「いくぞ…せーの…!!」
「あれ?もう皆押してたんだ。それで、解決策は見付かったかい?」
美佐と海斗君がスイッチを押そうとした瞬間…タイミング良く部長がモニターに顔を出した。
「京子がモタモタしてるから…」
美佐と海斗君から冷たい視線を感じた。
「部長、解決策が見付かりましたよ」
「海斗君、それは本当か!?それで、どうゆうのだ?」
「誰かが死ねば、脱出のヒントが出ます」
「誰かが…死ねば?」
ここでようやく部長は正人のモニターに浮かび出た暗号に気付いたようだ。
「8…数字の8か。ダメだ…私には理解不能だよ。こうゆう謎解きは苦手でね。せめて番号を入力できる鍵くらいあるとは思うんだが…」
「そうですか…残念です。では、今までお疲れ様でした」
え…海斗君何を言って…
「バイバイ、部長☆」
美佐…ちょっと待ってよ!
私の願いとは裏腹に、二人は部長のスイッチを…押した!
「な…何してるんだ君達は!私を殺すと言うのか…!?」
「京子ちゃん早く!スイッチを!!」
嘘でしょ…。本当に押しちゃった…。
「京子君!押さないでくれ!私には家族を養わなければいけないんだ!!」
「京子ちゃん、もし押さなかったら……」
「君を殺すよ」
やだ…やだよぉ…。
「京子、お願い、早く押して!」
「京子ちゃん!押すんだ!!」
「京子君!頼む!押さないでくれぇーー!!」
頭の中を巡る理性。何かが壊れてしまいそうな程の重圧感。
できるなら私は耳を塞いでしまいたい!
目を閉じてしまいたい!
聞きたくない…見たくない…何も…!!
『ゴメン………なさい』
ゴメンなさい…ゴメンなさい!
……部長。
私はスイッチを押した。
今の私にかかったプレッシャーから逃げるように…何者かが乗り移ったかのように…私の指が自然とスイッチに伸びた。
「た…助けてくれぇーー!うわああぁあぁ!!!」
部長の部屋にあるランプが点灯。正人の時と同様に、天井に無数の穴が開く。
そこから針が徐々に部長めがけて伸びて…
『ゴメンなさい!』
私は瞬時にボタンを押して、モニターを消した。
壁に体を預けるように力なく寄りかかった。
乱れた心脈。荒い呼吸。水をかぶった様に汗をかいている。
私は…人を殺した。
自分が助かりたいが為に…
人を殺した…!!
こんなゲーム、馬鹿げている。ダメ、辞めなきゃ。
でも、どうやって?
暗号…それを解くんだ。それしかない。
その時、海斗君から私のスイッチが入れられた。
『嘘でしょ!?』
ヒントが足りないから、私を殺そうとしているの!?
慌ててボタンを押し、モニターを付けた。
「あ、京子ちゃん。よかった、気付いてくれて」
「安心して、京子。殺さないわよ。モニターを付けて欲しかっただけ」
『ビ…ビックリさせないでよ…!』
良かった…本当に。
私は信じているのだ。美佐を…! 海斗君を…!!
疑が多少あるにしてもだ。信じる…信じたい。
「それより部長の映像を見てくれ」
部長…その言葉に一瞬だけ体がビクッと反応する。
やはり部長は死んでいた。
そしてモニターには《裏》という文字が…。
『裏…?何の?』
「それを今から皆で捜そうと思ってね。京子ちゃん、協力してくれるよね?」
『も…もちろん』
暗号の一つ目は数字の《8》。そして二つ目は《裏》。
この二つに共通点はない。
「裏…?8の裏って…事じゃないわね」
8と言う数字は表から裏から見ても8だ。
おそらく《8》と《裏》は全く別の代物。
「どこかの裏に何かあるんじゃないかしら?」
美佐はそう言うが、この部屋には何もない。本当に何もないのだ。
無に裏は存在しない。
「どこかって…この部屋にはモニター画面以外……あ!!!」
海斗君が何かに気付いた。
「このモニター画面、外れないかな!?」
音声マイクにガチャガチャ…と雑音が聞こえてくる。
「外れた!……あった、あったぞ!!」
それを見た海斗君の顔は、まるで子供の様にはしゃいでいた。
「本当に!?」
「あぁ。美佐ちゃんも京子ちゃんも、確認してみてくれ!」
海斗君に言われた通り、モニター画面を揺すってみると、外れそうな程緩かった。
上下に揺らし、ガタッと勢い良く外れた。
中は小さい空洞になっており、その中心部分に鍵が設置されている。
鍵は自転車のタイヤなどに巻く、四桁の数字を入れると解除される仕組みになっているものだった。
『そっか、ここに正しい暗証番号を入力すればドアは開くんだね!』
「単純に考えればこの鍵の暗証番号の四桁のどこかに8が入る事になるな…。
さらに言えば、正人のモニター番号は三だった事から、左から三番目の…十の位の桁に8が入るのかも…」
海斗君は本当に良く頭が切れる。
「なるほど、そうかもね♪なぁんだ…簡単じゃない」
美佐は既に勝った気でいる。でも、そんな簡単にいくものなのだろうか?
「0〜9までの数字を四桁に入力して正しい暗証番号になる確率は1万分の1だ」
※10の4乗=10000
つまり、1万通りあるってわけね。随分と骨が折れそうな話だわ。
「そんなにあるのぉ〜…。でもさ、8が入るんだったら…」
「どこに入るか確信があるわけじゃないんだ。ただ、僕の予想では十の位ってだけ。これも勘だから実際は…」
「海斗君のその勘のおかげで、こうして鍵が見つかったんじゃない。だから、今は信じてみようよ、ね?京子」
『うん、そうだね。とりあえず手分けして、片っ端から試してみよう』
先ほどまでは絶望的だった私達に、突如現れた脱出への希望。
私や美佐より、海斗君が言う事はどこか安心できて、信用できるのだ。
きっと、合ってる。
このまま脱出できないわけがない!
「十の位を8にして…と。これで……あとは…」
「あと1000通りにまで絞られたよ」
※10の三乗
「そんなちょっとなの!?じゃあ私は0〜400までやっちゃう!」
急に元気になった美佐は、早速作業に取り掛かった。
「じゃあ僕は401〜700まで」
『私は…残りを!』
いや、元気になったのは美佐だけではないか。私も海斗君もだ。
無理もない。何せ…脱出できるのだから!!!
私達は黙々と数字合わせをしている。
正しく入力できていれば機会音独特のカチって音がするのを願って。
ーーーーーーー
「…ダメか。そっちは?」
「残念ながら違う…みたいだ」
『…私も』
海斗君の推理も虚しく、ドアに掛かったロックは解除されなかった。
「ゴメン、三桁目は8じゃないみたいだ…」
『そんな、海斗君のせいじゃないから、だから謝らないで?』
「そうよ、ナイス読みだったから私達が勝手に希望を持っただけだから」
海斗君の勘は決して外れてはいないはずだ。
私も8が入ると思っている。
誰かが死ぬ度に入る情報だ。それなりの重要度なのには違いない。
「8がどこかに入るとして…やってみるか」
「うん、他にやる事ないし。もしかしたら解除されるかもしれないしね!」
私達は諦める事なく、すぐに作業を再開した。
美佐が左を、海斗君が左から二番目、私が三番目を8と仮定し、それぞれが千通りの数字を打ち込んだ。
※10の4乗−9の4乗=3439通り
気が滅入る様な話だが、三人で手分けすればなんてことはない。
「…くそっ!」
「疲れたあー!もうヤダー!!」
なんで…開かない…!
なんで開かねぇんだよ畜生!!!
ふざけんな、8は入らないのか!?
8が入る4桁の数字は全部試した。なのに開かない!
「まさか…ヒントって…」
「8が《入る》じゃなくて…」
『《入らない》…って事…?』
結論がこれだ。
期待させやがって。
散々体力と精神を消耗させやがって。
分かった事は、8は入らない。たったそれだけ。
「って事は、あと何通りあるわけぇ〜?」
「9の4乗…ってトコかな」
…9×9×9×9=……
げっ、後6561通り?
三人でやったとしても一人約2200通り?
もぉ…冗談じゃないわよ。
こっちは食わず飲まずなのよ?
そんな体力も精神力もあるわけ…
「やろう。いや、やるんだ、皆!さぁ、さぁ!」
私と美佐を煽る海斗君。
「考えてみようよ。最初は鍵すらなくて頭を抱えていたんだ。なのに今はその鍵が目の前にある!脱出のヒントの読みは外れたけど、まだアテはある!凄い進歩じゃないか!」
「そうだよね。いつかは当たるんだもんね」
「そうだ!僕達の今までの行動は無駄なんかじゃないんだ!」
分かった。分かったよ、海斗君。
出よう…脱出してやろう…皆で…!
私達は手分けして、三度作業を開始した…。
ーーーーーーーー
数字は入れども入れども…音はしない。解除されない。
仲間の良報を待てども待てども…聞こえてくるのは溜め息と舌打ちばかり。
「駄目だ、一端休憩しよう」
「待ってよ海斗君!諦めちゃヤダよ!」
「諦めちゃいないさ。仮眠を取った方が良い」
『そうだね。少し休も?』
私も疲れた。この作業は想像以上に疲れる。
それは精神的な問題だ。
だが、当然だろう。意味も分からず目覚めたらこんな訳の分からない部屋に閉じ込められ、二人の知人が死ぬ所を見…いや、殺したと言った方が正しいか。
あげくのはてに、ひたすら数字を合わせ、ドアを往復…。
どこの世界にこんな不条理な条件の元で正常な状態を保っていられる人間がいるだろう。
「わかったわ。じゃあモニターは付けっぱなしで良いわよね?」
「あぁ、頃合いを見て休養が済んだら起こし合おう」
さっきまで強がっていた美佐も、さすがに疲れているのだろう。
海斗君も…たぶん私からも…その顔からは生気は伺えない。
私達は重い瞼を閉じた。
ーーーーーーーー
「京子ぉ〜…」
「京子ちゃん」
私を呼ぶ二人の声で目を覚ました。
弱い光を放つ蛍光灯のせいで薄暗い部屋。寝心地の悪い地面は冷たいコンクリート。
あぁ、戻ってきてしまったのか、現実に。
これほどまで太陽の光を浴びたいと思った事はない。
フカフカのベットで安眠したい。
くせ毛など気にせずシャワーを浴びたい。
お腹いっぱいディナーを堪能したい。
給料日の後に飲む、ちょっと高級なワイン。
『いやああぁああぁあああぁ!!ああぁあぁいやぁあぁ!!』
戻りたい!!
誰か、私を救ってくれ!
この深い闇から地上へ上げてくれ!
誰でもいい! 来い!!
開け! 開けよ、ドア!!
救え! 誰でもいいんだ!
魔でも…! 魔でもいいから!
私を救え!!!!
「ちょ…落ち着いて京子!!」
「京子ちゃん!」
ああああああああ!
やだやだやだやだやだやだやだやだ!!
もうやだ!!
耐えられるか、こんなもん!
壊してやる! こんなドアなんかよ!
人間で作られたもんだろ!?
人間が壊してやるよ!!
私が…! この私が壊してやる!!
この…この! この!!
このこのこのこの!!
畜生…開けよ、このぉ!
ちくしょおぉおぉぉおおぉおおおぉおおあぁぁ!!
「もう辞めて京子!あんた、爪剥がれてんじゃん!」
「そんな引っ掻いたぐらいじゃドアは開かない!京子ちゃん!!正気に戻ってくれえぇ!!」
働かない思考回路。
停止機能を失った理性。
そんな役立たずを待ってましたと侵食する邪気。
心を喰われた廃人は周りから見たら酷いものだった。
「駄目だ…壊れてる」
「そんな…京子ぉ〜…」
激しい嘔吐。
体内に消化物がないためか胃液しか出ない。
それでも、京子は吐き続けた。何度も…何度も。
「お願い!京子!!」
友人の声など、まるで聞こえていない京子は、嘔吐し、ドアを叩き、引っ掻き、また嘔吐の繰り返し。
時折、人間の声ではないような奇声もあげる。
『おぅうぉあぇ!…ゴホッゴホ…うぅ…ああぁあぁぁ!』
小指…中指…薬指…と次々に強度の限界を超えた爪は折れ、果肉が露出する。
人間の爪と指の間の果肉は実に敏感である。その指で…果肉の部分で…京子は尚もドアを引っ掻いている。
普通なら耐え難い激痛が体中を遠慮なく走り回るだろうが、今の京子はそれに気付く程まともじゃない。それでもドアには傷一つつかない。
余りにもその姿は惨めだった。しかし、美佐や海斗にはどうする事もできない。
モニター画面越しに、京子の《壊れっぷり》を見守る事しかできないのだ。
「京子…京子…」
もはや力なく、京子の名前を呼ぶ事しかできなくなった美佐の目からは涙すら零れている。
いずれ自分も京子のようになる時は近いと、瞬間的に脳が察知した。
そんな事あるもんか! など、もはや誰も言えなかった。
「もう…見てられないよ!」
友人の変わり果てた姿に、美佐は絶句した。
「僕だって…まさか…京子ちゃんの」
さらに言えば、海斗は京子が入社した当時から好意を寄せていたのだった。
ただ、奥手な海斗は積極的なアピールもできずに、日々京子との行為を妄想するのが精一杯だった。
海斗は精液を京子の体内に流し込む事すら妄想していた。現実はティッシュの中に包まれていたのだが、そこまで想いを寄せていた京子が、今自分の目の前で廃人と化しているのを見るのは余りにも辛い事だろう。
海斗も男である。性行為をしたくなるのが性質であり、体は正直であるために、日々何億と作られる精子達が体外へ出たがるのだ。
仕事もでき、顔も性格も良い海斗程の男だ。言い寄る女は実に多かった。
だが、海斗は《出来る男》であるがために、京子の代わりに、意外の女を抱くような真似はしなかった。
そこまで京子を愛している。その想いが、この辛さを何十倍にも跳ね上げていた。
「京子…京子!!京子ぉーーー!!うおおあぁおああああぁ!」
なんて事だろう。あろうことか、京子の姿に連鎖反応を引き起こすが如く、海斗までもが精神崩壊の寸前の危機まで陥っていた。
叫びながら壁に頭を叩きつけている。頭突きである。額からは多少なりとも紅色の水性の液体が流れ始めた。
眉間、鼻頭を流れ、地面にポタポタと雫のように落ちる。
「海斗くん…!ちょっと、何やってんのよ!」
美佐も必死である。唯一、正常な精神の持ち主だったが、ただ単に侵食が遅いだけ。
海斗と京子の姿を見ていれば、必ず自分もあぁなる。
今動けるのは自分だけだ。
仲間を救えるのは自分だけだ。
だが、だからといってどうする事もできない。
その考えが、美佐の精神を崩壊させていく。
「やだって…!みんな…ミ…ン……ナ………タ…ス……ケ…テ」
ついに、ついに美佐までもが言葉を喋れない状態になってしまった。
譫言の様に助けてと呟く。もはや涙は出てこない。目が死んでいる。輝きがない、死んだ魚の様な…そんな目だ。
この光景こそ、主催者が望んだ展開なのだろうか。仮にそうだとしたら、今頃主催者は喜びの絶頂に立っているだろう。
マニアックなサディストであればあるほど喜ぶ。京子達の姿はその領域に達していた。
生かさず殺さずとは、まさにこの事。
「うぁあぁ……あ?あぁ?ああああぁぁあぁ!!!???」
その時、海斗が何かに気付いたように奇声を発した。
その声質からでは良い結果でない事が伺える。
「なん…で俺の…はぁあぁぁ?」
とち狂った京子が偶然にも、押してしまったのだ。海斗のスイッチを…!
京子は気絶している。どうやら倒れた手の先にスイッチがあり、それを押してしまったのだろう。
「ふざけんなあぁあ!鍵の在りかを見つけたのは僕だぞぉ!なのに僕を殺すか、京子!!おい!立て!起きろ!!」
海斗の声も、今の状態の京子に届くはずもない。それでも自分のスイッチが入った事で、多少の理性を取り戻した海斗。
落ち着け、落ち着くんだ。海斗は自分に言い聞かせる。
頭のキレる海斗がこの絶望的な状況で編み出した奥の手は…これだった。
「美佐ちゃん…美佐ちゃん」
まずは美佐の正気を取り戻す事を第一に考えた。
「タス…ケ…かいとくん……海斗くん!?私、一体……」
どうやら美佐は正気を取り戻したみたいだ。京子も静まり、海斗の声を聞いて安心したのだろう。
とは言え、この短時間の内に自力で取り戻しすとは美佐はたいしたものである。
「美佐ちゃん、京子はもう見切ろう」
海斗は京子のスイッチを入れた。これで二人の部屋のランプは、それぞれ一つずつ点灯。あと一票、つまり美佐がスイッチを押した人が死ぬのだ。
普通なら美佐は絶対安全圏のベストポジション。
本来なら海斗がこの位置にいるのだろうが、今は急なアクシデントが起きたから仕方ない。このポジションは美佐に譲ってやろう。
「なんで…二人のランプが…」
ここでようやく美佐も異変に気付いた。しかも、自分が誰を殺すかを決めろという重役になっているではないか…!
しかし、すぐに美佐には安吐の表情が過ぎる。
なぁんだ、私は殺されない。私は無事じゃん。
気を良くした美佐。だが、これが海斗の策であった。
気絶している京子に弁解の余地はない。しかも最初に精神崩壊してから使いものにならない。
だったら京子を殺し、ヒントをもらった上で二人で謎を解き脱出しようと…そう美佐に持ち掛けた。
「どうかな?」
海斗はやるべき事は全てやった。
後は美佐の返事待ちだが…京子のスイッチを押してくれるだろう。
美佐は僕を必要としているのだからな。だから僕を殺してしまえば、もう脱出する手段を失うよ。
そう言わんばかりの海斗の視線に美佐は違和感を感じた。
何かがおかしい。
女のカンが異常に働く。
海斗からは赤信号が出ている。やばい、危険だ。煩悩がそう言ってる。
一度破壊されたものは、全く同じ形に戻らないのだ。それは精神でも同じ事。
海斗の目が狂気に満ちている事に美佐は気付く。
この人はもう、私が知っている海斗君ではない…!
もはや殺人鬼。自分が助かりたいために人を殺す殺人鬼だ。
さっか感じた違和感は優しさが偽りの様な気がしたんだ。
海斗の仕事は主にデスクワークだったが、たまに上司命令で販売をさせられる。
押し売りと言う奴だ。
その時の海斗の口車は実に巧みだった。年寄りなら簡単に騙される。
一度、電話で苦情がきた時や、通信販売をしている海斗の販売手段を聞いた事がある美佐には、それが見抜けた。
海斗が早口で言った言葉は嘘偽り。
普段は優しい海斗だ。話し上手、聞き上手の理由はそこにある。
相手のペースに合わせられるのだ。
のんびりした性格の人を相手にする時は、慌てたり、遅いなど苛々しない。
それが難しい事なのだが、出来る海斗が人気なのも頷ける。
美佐は見抜いた。そこまでは良い。では、ここからどうする?
京子を殺しても、後々ヒントが足りなければ美佐だって殺されるかもしれないのだ。
うんそうだね、とたやすく決められるものではない。
なにせ、今まで美佐自身が精神崩壊の一歩手前だったのだ。
「さあ美佐ちゃん早く押しなよそしてヒントが出たら二人で協力しあってここを脱出しよう」
早口…とてつもなく。
もはや休む事なく動いた海斗の口車。
駄目だ…利用されるだけだ。
だったら…
「分かった、押すわ」
「本当かい!?」
えぇ、押してやるわよ。
「あなたのを…ね!!」
カチ…美佐が海斗のスイッチを入れた。
海斗は計画が狂った事から信じられない顔をしている。
「待て…なぜ俺なんだぁ!まだ俺は死ぬ訳には…!」
海斗の一人称が《僕》から《俺》になる。
実は、海斗には裏の性格があるのだ。それを美佐は知っていた。
海斗自体は本当に良く出来た男なのだ。だが、京子にストーカー行為をしていた。
美佐がそれを知ったのは偶然だった。京子の家に行く約束をしていたが、あいにく京子は残業で遅くなるらしい。
よせば良いものを、お節介な性格の美佐は、京子のために晩ご飯を作って待ってて、ビックリさせてやろうと計画していた。
材料を買い込み、京子のアパートの前に着いた時、単純なミスを犯す。
ーー鍵がない。
20代前半の独り身のOLが、仕事に行くのにドアを開けっ放しにする程、無用心な事はしないだろう。
せっかく来たのに…どうしよう…。
そう考えた美佐は、とりあえずドアノブを回そうとした。
しかし、美佐の手は止まる。
音を立てないよう、細心の注意をはかってドアに耳を押し付けてみた。
間違いない、やはり家の中から物音が聞こえる。
泥棒だろうか? だとしたら問題である。
警察に通報しようと考えたが、確かな証拠がない限り相手にされない。もしくは解決しないまま終わってしまう。
親友の危機だ。美佐はとりあえず、その場を離れた。
アパートの一階であるために、少し離れた所に隠れ、玄関と窓の出入口を確認できる場所で待機した。
京子に電話を入れたが、まだ仕事中である。
これで確信した。中にいるのは京子ではなく、全く別の人物だと。
京子の実家はかなり遠く、親もアパートを知らないらしい。
同棲中の恋人もいない。
友達…? 今日は私との予定が入っていたはずだ。それはないだろう。
辺りはすっかり暗くなり、外灯が少ないこの辺では月明かりだけでは数メートル先の人物の顔も確認できないほどになった。
待つ事20分。窓が開いた…!
顔は確認できないが、窓から身を乗り出し、周りに人がいないか注意深く確認しているようだ。
私は電柱に隠れ、その一部始終を伺った。
出てきた…! 取り押さえるか?
いや、身長と体格からして男性のようだ。私に勝ち目はない。それに恐い。
恐いが…勇気を振り絞って後をつけた。
ちょうど犯人が外灯の明かりに差し掛かる時、後ろ姿に見覚えを感じた。
ーーーー海斗くん……!!
「あんた、京子にストーカーしてたでしょ?」
「うわあぁ!うわああぁあ!」
海斗には美佐の声が聞こえていないのだろう。
天井に開いた無数の穴から伸びてくる針は、確実に海斗に忍び寄っている。
「クソったれがぁ!」
海斗は何を考えたのか、上着のスーツを脱いで、両手に巻き付けた。
その手で針の進入を防ごうと言うのだろうか?
馬鹿な考えである。しかし、追い詰められた人間は必死である。
両手を上に挙げ、針と接触。絹製のスーツで防げる訳もなく、スーツを貫通した針は手に到達。
手から血が流れ、顔に付着する。
「ああぁあいたぁあああぎゃあぁあ!」
痛みに耐え切れず手を離す。スピードは変わらずに海斗目掛けて降りてくる。
「くそ…くそ!」
何かないか、この危機を回避する方法は…!
ない。それは正人と野村を見ている海斗にとってあるはずもない回避方。
それでも諦めずに部屋の隅々まで見渡す海斗。
ないのだ。どんなに探しても、考えても。回避方などない。
部屋の四隅だろうが中央だろうが、針を回避できる場所などない。
スイッチを押された者には死あるのみ。
横になった海斗の背中に、ついに針が到達しようとしていた。
『待って!!!』
一人の女性の言葉と共に、針が止まった。
ーーーーーーー
「京子?目が覚めたのね」
『えぇ、随分と目覚め最悪だわ…』
長い事悪夢を見ていた…そんな気分だ。でも今は悪夢が現実なのね。
体中を激痛が襲う。
私の両手の爪がほとんど剥がれている。
床には嘔吐物。
今まで私は何をやっていたんだか…。
相当見苦しいものを皆に見せてしまったみたいだ。
『それより、なんで海斗くんが…?』
私が目覚めの一発目に見た光景が、海斗君の背中に針が到達しようとしている所。
とりあえず慌てて、押した覚えのないスイッチを切った。
すると案の定、針の進行が止まった。
「あああ、ありがとう京子ちゃん…後は美佐ちゃんがスイッチを切れば、この針は戻っていくんじゃ…」
所詮、私一人がスイッチを切ったぐらいでは針の進行が止まるだけ。
海斗君の体制はかなり辛そうだ。
『美佐、説明して。何があったの?』
「京子、コイツはもう今までの海斗君じゃないわ。後、あんたにストーカーしてたの…コイツよ!」
私にストーカー…か。
そうか、下着がなくなったり、誰かに見られている視線は、全部コイツのせいだったのか。
『随分と苦しめられたわ…』
「違うんだ京子ちゃん!僕は君の事が…!!」
『キモい、死ね。』
私がスイッチを切った理由は、海斗がなぜ死ぬのかの理由が知りたかっただけであり、助けようと思った訳ではない。
私は再び、自分の意思でスイッチを押した。
「ぐぎゃあぁあがばばぁぎがあ!!」
針は海斗を貫通し、床に到達。
私もどうかしている。
もはや、こんな残酷な死に方を目の当たりにしても何も感じなくなってしまったのだから。
「京子…これ見て!」
美佐がヒントに気付いた。
海斗のモニター画面には《UNO》の文字が出てきた。
「UNO…これって…まさか……」
『どうやら、そうみたいね…』
私と美佐は同時にスイッチを手に持ち、お互いを威嚇した。
UNO…つまり、あと一人。最初からこの部屋を出れる人間は一人だけだったんだ。
生き残った者…強者。弱者には死を…!
「京子…あんたの事、親友だと思っ」
『遅い…!』
私は美佐の別れ話の途中でスイッチを入れた。
「ちょっと!冗談でしょ!?京子!!ゴメン許して!!」
ったく…私がストーカーにどれだけ苦しめられたと思ってる。
精神が不安定なのも海斗のせいなんだよ。
犯人が海斗って分かってるんだったら、さっさと教えろよ…!
どうせ今回のプロジェクトの案内役に私が任命されたのを根に持って、ちょっと苦しめと思ったんでしょうね。
許さない許さない。
気が付くとこの多数決。あながち私にとっては良いゲームだったかも…。
人を殺しておいて被害者なのだ。
復讐…聞こえは悪いが私の復讐は成功だ。
元カレの性格最悪正人も
セクハラ部長も
ストーカー海斗も
そして…親友のふりをしていた美佐も…
みぃーんな私が殺してやったんだ!!!
ざまぁみろ。ハハハ!
生き残ったのは私だ。
「いやあぁ!いやあああぁあああああぁぎががあ゛」
おっと、美佐も針に刺されちゃったわね。
ウフフ、ゴメンね。私だけ助かって。
さぁ…最後のヒントなんてもう見る必要はないわ!
分かったの、全部。
美佐と海斗と三人で鍵に入力してたけど、あんなの意味はなかった…!
この鍵に入れる正しい暗証番号…それは
《3421》
死んでいった者の数字を入れていく…!!
これは最後の一人にならないとロックは外れない仕組みになっているのだ。
〜カチッ〜
外れた! 今のは紛れも無く、私が待ち望んでいた音!!
私はドアノブに手をかけ、ゆっくり回した。
………開く! ついに私は外に出られる。
『さよなら、みんな』
私はモニター画面に振り返り、死体を眺める。
つい昨日までは同じ会社で働いていた者達。それが今は死んでいる。
ハハ、社会にはなんて説明すれば良いんだろ…。
私はそんな事を考えながら、ドアを開けた。
ーーーーーーー
私を迎えてくれたものは、眩しい太陽の光でも何でもなかった。
蛍光灯の弱い光りのせいで薄暗い部屋。四方を冷たいコンクリートで固められている。
中央にはモニター画面。
ドアは自動で閉まり、上にはランプ。
足元にはスイッチ。
それぞれ1〜5までの数字付き。
『冗談でしょ……』
力なく座り込んだ私。
ひとますモニター画面をつけてみる。
そこには見知らぬ人が四人。
「何だよここ!どうなってんだよ!!」
「ちょっと!何なのよ、もう!」
「あれ?アンタ誰だい?」
「このスイッチなんだろ…?」
『私の…番号の……………スイッチを押して』