冬の宿命
「春君、これからラブホいこ」
秋葉は真剣な面持ちでそんなことをのたまいやがった。
自宅のリビング。
つけっぱなしのテレビが白々しく雑音を発している。それ以外に音はない。
秋葉は僕と対面するようにコタツで暖をとっていた。リビングの窓からは楚々に咲き誇るヤブツバキが見える。
雪が降っているらしく、白と朱の対比が美しい。明日の朝には白銀の景色を拝めるかもしれない。
……とそんな現実逃避に浸りながら、僕はそらしていた視線を元に戻した。
秋葉は僕の反応をうかがうように、だんまりを決め込んでいる。
「寒いからイヤだ」
「えぇ、そんな理由でっ!」
秋葉は泣きそうな顔になった。
コタツの上にあるミカンの皮をむきながら、僕はいった。「外は雪降ってるからさ、絶対寒いだろ。僕は寒いの嫌いなんだよ」
「大丈夫! 私が人肌で暖めてあげるから」
バッチシだね、と秋葉は親指を立ててみせた。
「おまえは恥じらいってものを知れよ」
「そう言うと思って、今清純な白の下着はいてるから。いつものセクシーな黒のレースのやつじゃないから」
「そんなカミングアウトはいいよ」
「あ、そっか。私の下着の色くらい、把握してるか。春君のことだから」
「最後の一文は余計だった」
「でもさ、私の下着を脱がす時の春君って、変態みたいな顔してるよね」秋葉はその時のことを思い出したのか、顔を少し赤くした。困ったように髪の毛を指で巻き上げる。「でも、兄妹でそんなことしてるんだから、その時点で変態か」
その事実は存外、僕たちの心に澱を落としていた。
許されるはずもない。
人倫に反している。
秋葉は長いため息をついた。体を曲げて、コタツに頬をくっつける。視線は外の優麗な雪景色に移っている。秋葉は目を細めて、そよそよと降り積もる新雪を眺めていた。「切ないなぁ。好き合ってるんだからさ、ラブホくらい行くっつーの。恋人同士なんだから、セックスくらいするわっ!」
僕も秋葉に習って、コタツに頬をくっつけて、師走の淡い日差しをあびた。
土塀の向こう側には、落ち葉が雪空の下に風に舞っていた。深々と凍てる冬の昼。それは僕たちの心境を暗喩しているようだった。
「お母さん、遅いね」
「町内会の集まりだからだろ。きっと夜遅くまで飲んで飲んで、飲みまくってんだ」
「お父さんも最近、残業多いし」
「世知辛いご時世だよなぁ」
「でもさ、これってチャンスってやつじゃん? ここは一発、ラブホであったまろうよ!」
「おまえ今、虎視眈々とその言葉を言う機会を待ってただろ」
「せっかくお父さんもお母さんもいないんだし、明日から冬休みでしょ? これってチャンスじゃん! 私たちの愛を確かめ合うチャンスだよ!」
「そういうのはいいよ」僕は気だるい心持ちになった。今日の秋葉は一段とヒートアップしているな、と思う。「わざわざ確認なんかしなくても、僕は秋葉のこと好きだし、秋葉も僕のことが好きなんだろ。だったら、別に、いい」僕はのそのそと手を伸ばして、秋葉の華奢な指に自分のを絡めた。顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「……春君」秋葉はぎゅっと僕の手を握り返した。「そんなの当たり前だよ。大好きだよ。本当に、心の底から、生まれた時から、春君のこと大好きだよ!」
「だったら、このままコタツでぬくぬくとしてようぜ」
「でも、それとは別に、単純に、したいっ、んだよね……。春君とさ、気持ちいいことしたいんだよね……」
「秋葉」
「ちゃんと避妊具とかそういうの用意するからさ、ラブホ行こうよ」
僕は思わずうなづいてしまった。
そんなとろけるような上目遣いで見つめられたら、了解するしかないじゃないか。
ピンク色のネオンと降りしきる雪。
凍えるような寒空の下、僕たちはラブホの前にいた。
「三回目かな、ここ使うの」
さすがに気恥ずかしいのか、秋葉は紅潮した顔を俯けた。ぎゅっと僕の服の裾をつかみしめる。そして小動物のように体を寄せてきた。
僕は無言で、秋葉を引き寄せた。秋葉の顔がかぁーっと赤くなるのがわかる。
実は言うと、僕の方がもっと赤い。熟れたリンゴのように、真っ赤っかだ。
「ほら、行くんだろ」
「うん……」
僕たちはラブホの自動ドアまで行こうとした。
と。
「春彦、君……?」
ドサっと何かが落ちる音がした。
その方向に目を向けると、彼女がいた。
彼女は整った顔立ちを悲壮に歪め、目に涙を溜めていた。プルプルと震える体は捨てられた子犬のようだ。カチカチと苛立たしげに歯を鳴らしている。
「え? なんで? なんで春彦君がこんなところにいるの……? 隣にいる女は何? なんで仲良さそうに春彦君にひっついてるわけ? 許さないよ、そんなの」
「森町夏帆」僕は彼女の名を呼んだ。森町夏帆。それが眼前の少女の名前だ。「なんでおまえが」
「なんでって……こっちのセリフだよ! なんでこれから実の妹とラブホテルに入ろうとしてるの? 犯罪じゃん、それ……世間が許さないよ……気持ち悪い……でも、晴彦君がそんなことするわけない」そして夏帆は一つの可能性にたどり着いたようだった。「たっ、たぶらかしたな、この小娘! 春彦君をっ、純粋無垢な春彦君をっ、たぶらかしたんだ。春彦君には私っていう恋人がいるのに、優しい春彦君を無理ラブホテルに連れ込んで既成事実を作ろうとしてるんだっ……このクズめ……死ねよ」
夏帆は胸に手を当てて、激しく糾弾してきた。周囲にはチラホラと人がいるのに、そんなの全然無視だ。
「あのさぁ、ストーカー風情が何言ってるわけ? あんたが春君の恋人ぉ? そんなわけないじゃん! 春君はね、私だけを愛してるの。わかる? あんたなんで眼中にないわけ。そりゃラブホに誘ったのは私だけど、春君は快く了承してくれたよ。それに……私、春君と何回もラブホに行ったり、もちろん彼の部屋とかでいっぱい愛し合ってるの。春君は私のものなのよ。だからさ、とっととどっかに行って行きずりの男とでも盛ってろよ、ストーカー」
一転、秋葉は辛辣な口調でせせら笑った。そして見せつけるように僕の腕に自分の腕を絡める。
二人は敵愾心をむき出しにして対峙している。今にも取っ組み合いになりそうな雰囲気だ。険悪で、刺々しくて、生々しい。
はたして、渦中の僕はどうしたらいいものか……。
周りの人達は口々に、「修羅場」とか「三角関係」とか「痴情のもつれ」などとヒソヒソ声を交わしている。その現場がラブホテル前なのが最悪だ。今にも包丁で刺されるんじゃないの? と他人事のように話している。他人事だけど。
「とにかく、落ち着けよ、二人とも」
「ねぇ、春彦君は私のこと好きなんだよね? 君のこと愛してるって告白してくれたよね? それって嘘だったの? 私とはただの遊びだったの? ねぇ」
「僕は君に告白したことはないよ」僕は彼女の言葉を否定した。「そもそも、君とは中学高校が一緒なだけで、そういう関係でもなかっただろ」
「嘘だ! そんなことない! 私、私、春君が好きなだけなのに……なんでそんなひどいこと言うの? ……あ、もしかして、私を試してるんだ。こうして私の愛を試してるんでしょ? そんなイジワルしないでよぉ」
僕は彼女の言葉に気が滅入った。
「いい加減目を覚ませよ。森町。君は僕につき待ってるだけのストーカーだったんだ。家に僕の写真を投函したり、大量のメールを送ってきたり、校内で僕の彼女だって公言したりしただけの、ただの迷惑な同級生に過ぎないんだぜ」
夏帆は顔面を蒼白にして僕を見た。明確に告げられて、脳が機能停止に陥っているようだった。
「だ、だったらなんでこの女とラブホテルに行こうとしてるの? 血のつながった妹だよ? 再三注意したよね。そんなの許されるわけないじゃん! 妹とそういうことするなんて、おぞましくて気持ち悪い」
「それでも、好きなものは好きなんだからしょうがない」僕は本音をぶちまけた。「たまたま好きになった子が妹だっただけの話なんだ。別に社会に許される必要もないし、もし両親に勘当されたのだとしても、二人でどっか人里離れた山にでも引きこもるよ。ようは二人で一緒に暮らせるかどうかってことだ。僕だって……その、責任もある。秋葉の処女もらっちゃったわけだから、なんとしても責任を果たさなくちゃいけないって思ってるんだよ」
「春君……」
秋葉は僕に抱きついた。その華奢な胴に手を回して、背中をなでてやる。
「だからさ、森町も別の人を探せよ。僕よりカッコよくて森町のこと好きになる奴もたくさんいるだろうからさ、そういう人を探せばいい。無責任なようだけどさ、どうしようもないんだ。ここで森町の方になびく男だったら、僕は二股をかけるクソみたいな男だってことになるだろ。逆に言えば、彼女がいても別の女になびくってことだ。森町も、軽々に自分以外の女になびく男なんて人間として最悪だと思うだろ。君を僕をそんな男に仕立て上げたいのかよ」
「あぁ……やめて……離れないで……私から、逃げないでよぉ」
「ごめんな、森町。僕は君が幻想しているよりずっと、自分本位でひどい人間なんだ。だから、君の目の前でこんなことをするんだよ」
僕は森町はおろか、衆人観衆のいる中で秋葉のあごに指をかけ、その朱唇に口づけた。
唇を離したとき、秋葉はぽぉーっと僕を見ていた。
「さ、これから楽しいことしようか」
僕は秋葉の手を引いて、ラブホテルの中に入った。
後ろからすすり泣くような声がする。世界に絶望するように、信じていたものに裏切られたような、そんな悲痛な叫び。
でも秋葉だけが世界の僕は、そんな不純物はたちまち排除される。
目の前にいるのは、ただ僕を好きでいてくれる彼女だけで……。
「新郎となる冬坂春彦は、新婦となる冬坂秋葉を妻とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓いますか」
「誓います」
純白のベット、ちゃちな内装のラブホテルで、僕は彼女の手を持つ。
彼女は恥ずかしそうに僕を見て、視線を下げた。
彼女の裸はギリシャ彫刻のように美しく洗練されていて、優しく愛撫すると子鹿のように鳴くのがたまらなく好きだった。
生まれたままの姿で僕たちは絡み合った。かすかな息遣いと確かに脈を打つ心音。薄桃色に染まる彼女の肌にはきつく吸ったキスマークがある。
激しく互いを求め合い、そしてぐったりとベットに横たわる。
僕たちは疲れきった体を休めつつ、シミのついた天井を見上げた。
彼女は言った。
「春君さ、さっきお母さんたちに勘当されたら、二人人里離れた山にこもるって言ってくれたよね」
「うん」僕は彼女の髪をなでた。「言ったね」
「駆け落ちしよっか」彼女はイタズラっぽく笑った。いかにも軽口を叩いてるって感じだ。
でも。
「いいよ。おまえとなら」
彼女は驚いたような表情をした。
そして、「うん」と体を縮こまらせて、面を紅に潮した。か細い手を伸ばして僕の指をつかむ。
僕は彼女があまりに可愛らしくてどうしようもなくなり、彼女に馬乗りになって頬にキスした。
窓の外には、いまだにそよそよと雪が降っていた。
久しぶりに気合いれて書いた。