〈第二章〉月光の獣道-2
6
イミモノ――――忌みモノ。
一つとして同じ貌をしていない。
いろんな生物を無節操にかき混ぜたような意味不明の貌。
そいつらは、他のあらゆる生物をだた、喰らうことしかできない。
魔族とは違った、下等生物。
だから、そいつらはときに魔族に使役された。
だから、人間にとってそいつらと魔族は同義ではないが同位だった。
だから、『朝の月』は同じようにそいつらも、狩った。
街の、北区一角は恐慌状態だった。
非常事態を知らせる鐘がけたたましく響き、人々は逃げ惑う。悲鳴と、泣き声、そして怒号。
最も防護壁に近い家の一軒が破壊され、住人であった中年の夫婦は肩や足に軽い傷を負い、瓦礫の傍で震えている。
その傍で滅茶苦茶に暴れているのは、一見すると犬のように視える何か――イミモノだ。中型犬の脇腹から、猫の手の生えた巨大な蛇が半身を突き出している。そんなわけの分からない生物が、周囲の塀や壁に、体当たりを繰り返している。
「あははははは! 何あれ!」
リュシアン・バシュレは防護壁に寄りかかりきゃらきゃらと笑った。傍らにしゃがみ込んだクラウディオ・アンドロシュも楽しげに口端を歪めている。
イミモノの二つの頭はそれぞれやりたいことが違うのか、互いの顔に噛み付こうとしたり引っ掻こうとしたり、唾液を散らしてがうがうと騒ぎながらあちこちを駆け回っている。足が縺れ、蛇がうねり、塀に木にぶつかる。周囲の人間には目もくれず、一匹で仲違いをしているさまは、リュシアンにとって声を上げて笑える程度には滑稽だった。――初めのうちは。
ただ――茫と座り込む側の夫婦の擦過傷から滲む血を視ると、躯が疼く。もっと、その傷口を広げたい衝動を、無理矢理に押さえつけた。
今回はクラウディオが街に行きたいというのを半ば無理矢理ついてきたのだ。彼の言うことは聴くほかない。
クラウディオはいつも街に出るときはイミモノを引き連れてゆき、そいつが好き勝手に暴れるのを視て楽しんでいた。彼の頬の歪みは、かろうじて笑みに視える。ペットの散歩、といったところか。リュシアンにとっては、自分が暴れるでもないのに何が楽しいのかさっぱり理解できないが。
「ひぃっ……」
振り回された蛇の頭が蹲る夫婦を掠めた。
――逃げりゃいいのに。
恐怖で動けないのか、へたり込んだ夫婦はあまり面白くない。
「ねークラウ。俺も遊んできちゃダメ?」
「ダメ」
試しに言ってみた言葉は即座に却下され、ちぇ、と唇を尖らす。ふと、肩から血を流している夫の方と眼が合った。魔族の特徴である長めの八重歯を出して口だけで笑いかけてみる。肩をびくりと震わせ、眼を逸らされた。反応が面白くない。
リュシアンは愚かしくも立ち向かって来る者が好きだった。一方的な虐殺より対等に戦う方がずっと面白いから。
頬を軽く膨らせそして――短い口笛のように細く鋭く、息を吹いた。すると。リシンの息は唇から放たれた途端に白い三日月の形をした刃を形造る。大人の掌程度の大きさのそれはくるくると空中で踊り、近くの木の枝をひとつ、すぱん、と切断してから霧散した。
それを観て、「ひぃ」と震える夫婦。
「つっまんねぇ……」
次いで、涙が出る程大きな欠伸をする。
イミモノは相変わらず一匹で仲間割れを起こし壁に木に、激突してばかりいる。家は倒壊寸前だ。
「お前……楽しいわけ?」
「……」
無視。
リュシアンは諦めて、クラウディオに背を向けた。
「俺つまんねぇから帰る」
「んー……」
魔族は、その殆どが主に血族からなる集団――『セクト』に属している。『セクト』同士の繋がりは希薄で、ときには互いに争うこともある。『同族殺し』の『朝の月』も、或いはセクトの一種と呼べるかもしれない。リュシアンもクラウディオも例外ではなく小さなセクトに属していた。
普段、あまり街に出ることは許されておらず、たまに許可されると嬉しくて暴れまわるのだが、最近はその回数も減っていた。だからつまらなくてクラウディオについて来たのだが、間違いだったろうか。クラウディオ本人も何を考えているのかよく解らないし感情の起伏も少ないから面白くない。あいつに付き纏っていたほうが楽しかったかもしれない。
無駄足だったなと思いつつ石畳の床を蹴り、防護壁に飛び乗った。
7
屋根と屋根の間を全速力で走る――否、跳ぶ。
膝を軽く曲げて着地し、とん、と小さな音を立てて跳躍、次の屋根へ移る。普通に走るよりも遥かに迅い。だがこの程度のこと、筋力の発達した種である魔族ならば誰でもできた。それでも、ルネは何処までも身軽だ。
館は南側にあるから、当然のことながら街の中心を通過する。其処は家屋が途切れており、石畳の中心を駆けた。だだっ広い中央の広場に今はもう人の姿はなく、灯もない。だが夜目はかなり利くほうなので視界に不自由はなかった。広場の真ん中――つまりは街の中心に、大きな噴水がある。今は夜だからか、噴き出る水は止まっていた。その前を通り過ぎるときも、ルネは足を遅めたりはしない。だが、その速度を緩めぬまま、水の溜まった場所に手を浸す。そうやって走るから、水が、ざざざと波紋を描いた。
すぐに、水から手を引く。手元には目もくれず、前だけを観る。
一瞬。水から引き出した手は。
濡れていない。その代わりに、透き通った武器が握られていた。それは、ルネの身の丈ほどはある、水でできた、斧。細かな装飾までもが施されている。――ルネは、水を自由に操れた。
『能力』と、人は呼んでいた。例えば、炎を生み出すことができたり、体の一部を変異させたり。魔族が当たり前に持ち、人間族は必然のように持たない、彼らが魔族を畏怖する理由のひとつ。
ルネは、液体を意のままに変形させることができたが、武器が一番使い易いのでこうしている。
斧は、街の骨董屋で見つけた物だ。細かく彫られた装飾や大きさがとても気に入ったから、細部まで記憶し、そしてそれをイメージして水に触れ、生み出す。水溜まりから、引き摺り出すように。もう慣れたもので、ほぼ無意識のうちに造り出せた。
斧を右の手に携え、すぐに北区に入る。再び、塀を介して屋根に飛び乗った。此処まで来ると、人々の悲鳴や警鐘の音が鼓膜に触れる。
ただ、道を急いだ。
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「あー……」
双頭で仲違いをしていたイミモノの、蛇の方がぐちゃ、と叩き潰れる。続け様に、いっそ小気味いいほどあっさりと犬の首が外れた。――切断された。一拍おいて血が噴き出る。
返り血を浴びたままに、今度は取り逃がしたくなくて、いつもは執拗なまでに続けるイミモノ殺しを手早く終わらせ、ルネは防護壁の側にしゃがみ込み感嘆と疑問の入り混じった声を上げたまだ少年の面差しの残る青年を、彼のくすんだ赤毛より遥かに鮮やかな真紅の瞳で睨みつけた。
「あ、こないだの子供」
彼は不快そうに眉を顰めながら、呟く。ルネも、すぐに思い当たる。この間取り逃がしてしまった魔族の男だと。
激情と冷静さが渦巻き、どちらも勝つことはなくそれでもすぐに躯は動いた。
床を踏み割り一瞬で男に肉薄し、斧を振るう。単純な攻撃は簡単に躱され、代わりに堅牢なはずの防護壁が抉れた。男は軽々と壁の上に飛び乗り、反対側に消える。
――今度は逃がさない。
他に、魔族らしき存在がいないことを素早く確認し、ルネは後を追った。
草原を疾走する。身を低くして、地を這うように。
斧を抱えたままだったが、赤毛の男との距離は徐々に縮まる。
あの街は、魔族の巣窟である森に最も近い。走り続けているとやがて、生い繁る深緑――夜闇に今は威圧感を孕む黒の塊に視える、森の入り口が姿を現した。森に入られると厄介だ。ルネは力を込めて大地を蹴り、勢いよく男に接近すると斧を振り下ろす。――ばらばらと土片が舞った。またしても避けられる。男は後ろに大きく飛び退き十分に距離を取ると、ふと引き攣れた笑みを唇に刷いた。
「安心しなよ……今度は逃げない。……知りたいから」
心中の焦りを見透かされたような気がしてルネはぐっと拳を握り締めた。
彼に逃げる気がないのならば十全だ。――こころおきなく、暴れられる。イミモノはさっき殺した。彼を仕留めて、帰ればいい。
彼は、道具だ。ルネをカミーユの元に繋ぎ留めておくための。
唇の隙間からちろりと赤い舌を出して、まだ乾かないイミモノの返り血を一雫、舐め取る。ざわ、と胎内の本能がざわめいた。
9
鬱蒼と生い繁る草木の中、葉末の間から差し込む紅い月の光は微々たるものだ。人間族であれば、物の輪郭がぼんやりと判るか判らないかと云う程の闇だが、魔族は夜目が利くから、視界に大きな不自由はない。
シャンテテイルの東から西を横断するように存在する森。滅多に人間族が這入ることのないこの場所は、イミモノが巣喰い魔族が蝕んでいる。広大な大地を最北端から蝕むように、緩やかに、時間をかけて犯してゆく魔族の『領域』は、まだこの森から先へは南下していない。更に、イミモノの発生が確認されるのも決まって森よりも北側だった。シャンテ=テイルは其処を境に二つに分かたれていると言ってもよいだろう。魔物の跳梁跋扈する森に囲まれた不運な土地サリュ平原も、その森によって擁護されている。イミモノは、なかなか森の外へと出て行かないのだ。故に、人々は此処を『魔族を抑える地』――――『ベルスーズの森』と呼んでいた。
当然のことながら、其処に人間族は住んでいない。だから、森は手入れもされずに木や草が無節操に生い繁っている。こんな場所では平原のように障害物を気にせず走ることはできない。けれどもそれを感じさせない、軽い足取りでリュシアンは森の中をすたすたと歩いていた。
向かうのは、彼の棲んでいるセクトの塒――城だ。
無口で何を考えているか解からないクラウディオはそれでもセクト内での立場はリュシアンよりも高く、逆らうことはできない。だから遊ぶなと言われたなら遊ぶわけにはいかなかった。
それでも、街に出れば何か楽しいことがあるかと思ったが、人間たちは逃げ惑うだけで、期待外れだ。ちぇ、と剥れたように唇を尖らす。
今度また来よう。そのときは、一人で。
「――何してる」
「ん?」
不意に、すぐ近くで声がした。どうやら周囲に気を配るのを忘れていたらしい。
右斜め前、リュシアンとは反対側に進んでいたらしき人影が此方を向いている。――よくよく観れば、それは知った顔だった。
「ジル? ……お前こそ何してんの」
同じセクトの知人だ。灰褐色の薄いコートを着込み、大きめのサーベルを肩に担いでいる。リュシアンより少し年少の顔は驚きが窺えるが、その右半分は包帯で覆われていた。
「……何となく。お前らの様子でも観ようと思って」
ジルがよく森のは端まで出て、あの街のことをぼんやりと眺めているのはリュシアンもよく知っていたから、またかと思い納得する。
「お前こそ、どうしたんだよ。クラウは?」
ぶっきらぼうに言いながら、ジルの顔は段々に普段通りの不機嫌そうな表情に戻ってゆく。
「んー……つまんないから帰って来た。クラウはまだ街の中だと思うけど」
「つまんないってなんだよ」
「だってクラウが遊ばせてくれねーんだもん。街の奴らもつまんないしさ」
リュシアンの愚痴とも文句ともつかない不平を聴き、ジルは肩を竦める。
「お前莫迦だろ」
「……そんなの知ってるけど」
「もう少し待ってたら『朝の月』でも来たかもしれねぇだろ」
「あー!」
『朝の月』。実際に彼らを殺したことはない。刃を交えるときはいつも互角で、決着が付かないままどちらかが退散するからだ。彼らとの戦闘行為はそれなりに危機感があり、リュシアンは一方的な暴力よりもよほど気に入っていた。
確かに、街中であんなことをしていたら『朝の月』は黙っているはずがなく、狩人が派遣されるだろう。そんなこと考えもしなかった。
「俺もう一回戻る」
と、踵を返しかける。運がよければ『朝の月』と出会えるかもしれない。
「ジルは? 一緒に行く? どうせあの街に行くつもりだったんだろ?」
「ああ。そうする」
感情の読み取りにくい不機嫌そうな表情をあまり動かさず、ジルは首肯した。
先より僅かに速度を上げ、二人並んで走り出す。
リュシアンは知らず知らずのうちに笑顔を創る。
ジルが一緒なら、きっと楽しい。――この少年を、彼は格別に気に入っていた。
10
男の躯を蹴ってその胸に刺さった彼自身の短刀を引き抜くと、ルネは乱れた息を整えた。
短刀を投げ捨てる。
暖かな血。柔らかな臓物。袖口で、顔を真っ赤に染めている返り血をぐしぐしと拭う。――沸騰していた血液が、漸く鎮まってゆく。
――また、あたし、殺した。
幼い頃はいつも、イミモノを殺すと褒められていたから。その度に安心していた。
今はもう、褒めてくれる人は何処にもいないけれどその気持ちは変わらない。カミーユは仕事を与えてくれるし、その命令を果たせればいい。
血を吸い込んだ服が重い。白かったレースの部分は既にどす黒く染まっていた。
来た道を振り返ると、此処は森のすぐ側だから当然なのだが、大分街から離れてしまっていた。それでもルネには傷一つないから、簡単に戻れる。今日は失敗もなかったから、心は軽かった。前回の失敗も、これで拭えたと思う。
帰ろうと、踵を返したところでふと立ち止まり、今しがた投げ捨てた男の短刀を拾い上げる。――それはとても使い易く、気に入ってしまった。殺掠は好まないから、よく覚えて帰ることにした。
月光に、濡れた短剣を翳す。――――と。森の中から、人の、気配が近づいてきた。
反射的に、跳び上がる。すぐ側は森だ。ルネは木の枝に乗り、息を潜めた。枝が撓み、葉が騒めく。
息を殺して様子を窺っていると、葉末の間にちらついたのは二つの人影だった。
一人――まだ少年と呼べるほどに若い男が、先に殺した男へと駆け寄る。もう一人はまだ森の中。ルネの今いる木の下に立っていた。
「あー……遅かったみたい」
「はっ。残念だったな」
男の仲間――同じセクトの者だろうか。
「うっわ、ひっでぇの」
「あ?」
「屍体だよ、屍体。なんかすっげぇ殺し方」
このまま街へと行ったとしたら仕留めた方がいいだろうが、そうでなければただ彼らが過ぎ去るのを待つだけだ。殺す義務も、意志もないから。
「見てみなって。あ、眼球抉れてる」
下にいた男はのろのろと歩き出す。つい、森から出た方の動向ばかり窺っていたから彼にはあまり注意を払っていなかった。
だが視界を掠めたその姿に、奇妙な既視感を覚える。
「あー、もうちょっと残ってればよかった。俺も遊びたかったなぁ」
「諦めろよ。また今度街に降ろしてやるからさ」
だから、もう一度よく観た。薄暗い森を抜け、月光を受けたその男の――いや、少年の姿は鮮明になる。
――あ……?
思った。
「……」
「どうかした?」
「……いや、確かにひでぇなと思って」
十代半ば過ぎに観える。
オリーブ色の、柔らかそうな癖毛。
少し不機嫌な、気だるそうな表情。
その顔――右半分を、包帯が覆っている。
――嘘だ。
知っている。
その顔を、声を――知っている。
「帰る」
「え?」
「お前はクラウ運んで行けよ。イミモノの餌にでもなるだろ。じゃあな」
「あっ、おいちょっと待てよ――…」
彼は、踵を返す。
「――ジルってば」
呼ばれたその名に。
力無く握り締めたままでいた短刀が、滑り落ちた。
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「ジルってば。……置いてくなよ」
だがジルはあっという間に森の奥へと消えてしまった。
なぜだか、クラウディオの屍体を目にしてから様子が変わった。不機嫌というか、なんというか。
「まぁ、いいけどさ」
リュシアンは肩を竦める。
彼にとって、この世界の大抵のものがどうでもよかった。仲間への好意は持っていても執着は無い。だから、クラウディオが死んでもどうということはなかった。ジルに言われた通り、クラウの屍体を背負おうとしたとき、森の方で音がした。――生き物の気配。
好奇心で森へ入る。
さっきまでジルのいた場所が、ちかりと光った。
短刀だ。
地面に垂直に突き刺さったそれを、引き抜く。
――これ、クラウのだよな。
はっとして、上を視る。――高い木の上に、少女が立っていた。
真っ黒な服と、真っ赤な瞳。――血に塗れた顔。
クラウディオを殺した魔族。すぐに、判った。
少女はリュシアンが近寄ってきたことに気付いていない様子だったが、彼がその視界に少女を捕らえるのとほぼ同時に枝を撓らせて、森の奥へと消えてしまった。――ジルが去っていった方向へ。
別に、クラウディオを殺された恨みも憎しみも、同族殺しへの侮蔑も無かったが、後を追った。
ただ単に、思ったから。楽しそうだと。




