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〈終章〉蠢く夜明け

   1

「――この莫迦、頓馬、鈍感!」

 彼の話を渾て聞き終えないうちに、彼女は案の定、地団太を踏みながら貧相な語彙で彼を罵った。

 普段は外見にそぐわないような大人びた雰囲気を纏っているのに、怒り出すと子供が駄々を捏ねているようにしか見えなくなる――彼は思った。

「どうしてもっと早く言わないんだよ! そもそも気付くのも遅すぎ!」

「いや、だって俺まだ――」

「うるさい! もう……遅いんだよ、莫迦……」

 彼女が怒り任せに小石を蹴り上げた後、突然空気の抜けたようになって頭を抱える。

「……そこまで怒ることなわけ?」

「ぼく達はイヴェールより先に彼女を見つけなきゃならなかったんだ」

 き、と彼を睨みつけ、彼女は唇を噛んだ。

「最悪……」

 それから諦めたようにふ、と力を抜き、呼吸を整える。無理矢理落ち着こうとしているようだった。

 怒っているときと普段の、様子がころころと変わる様が何となく、見ていて面白く、つい殆んど無意識に彼女の神経を逆撫でするようなやり方をしてしまうことも多々あるのだが――本当に、飽きない。

「責任とって、働いてもらうからね」

 漸くいつもの調子に戻った彼女がつんと顎を反らし、半眼で睨むように、彼に告げた。

 別段失態を犯さずとも、普段から彼女に使役されている気がしないでもないが、何も言わず彼は頷いた。

「じゃあさ、あの、」

「あ……。待って」

 不意に、何かを見つけたのか、彼女が彼の言葉を遮り背伸びをして遠くを眺める。それから唐突に、半壊している城の方へと向かって駆け出した。

 彼女の向かう先にはどうやら、誰かが倒れているようだった。遠目からだが、子供のように見える。

「何なんだよ……」

 ぼやきながらも、後に続く。

 彼女の気紛れは、彼にとって楽しめるものだから。


   2

 冷たい風が、躯を撫でた。

 土の匂い。草の匂い。それから、血の匂い。――レミーはゆっくりと眼を開いた。

 草の上に横たえられていた躯を、のろのろと起こす。

 何が起こったのか、よく解からなかった。どうしてこんな処にいるんだろう。

 意識を失う前のことを、順々に思い出してゆく。

 大きな音がした――強い力に引っ張られた――恐かった――『能力』がまた、暴れた――。

「あ……」

 そうだ。

 僕はまた、傷つけた。ジルを傷つけて、今度はルネを、傷つけた。長く伸びて触手のようになった爪が、ルネの首と肩を貫いた。――なぜ? 誰かが、死んでいたからだ。ルネが血塗れて、その傍らにいたからだ。ルネが殺したのかと、そう思ったから。――ジルを。ルネは、ジルを殺したいって、言っていた。今は解からないけど、とも言っていた。だけどやっぱり、そう望んだのだろうか。

 レミーの爪が暴れたとき、ルネは僕を見た。あの時の、瞳の色。

 咽喉の奥が、ひゅう、と鳴った。

 冷たかった。一年前、母親にもういらないと言われた時のように、寒かった。

 吐き気がする。心臓が握りつぶされたように痛む。

 何が、どうして、こうなった――?

 不意に。

 背後で草を踏みつける音がした。

 勢いよく振り返る。

 其処に立っていたのは、黒のケープコートを纏った、レミーと同じくらいの子供だった。少年とも少女ともつかないような風貌をしている。アーモンド形の瞳をした愛らしい面立ちをしているが、薄茶交じりの金髪は肩に付くか付かないかの長さで、コートの下に纏う服も男のものだ。

 半眼でレミーを見据え、口元には奇妙に大人びた笑みを浮かべていた。

「君……女の子……?」

 つい、そんな言葉が口を突いた。言った瞬間後悔したが、その子供は思わず、と言った風に噴出した。

「そうだよ、こう見えてもね」

 少し掠れた声が、笑いながら告げた。それから、少女はさっと笑みを消す。そして今度は――さっきとは違った種類の、微笑を浮かべた。唇だけで笑っているような、奇妙な歪み。同じくらいの歳のはずなのに、自分よりもずっと年上の者と向かい合っているような気がした。

「君さ……エポニーヌの子供だよね」

 突然出てきた母の名に戸惑いながらも、レミーは首肯した。

 少女の唇の歪みが増す。

「君、ひとりぼっちになっちゃったね」

「え……」

 少女が、レミーの斜め後ろを指差す。――其処では、自分がかつて住居としていた処の残骸が、あった。城が、半壊している。

「何……何で……」

 意識を失う前に聴いたあの轟音は、これだったのか。レミーを引っ張った強い力は、これから助けてくれたのだろうか。なぜ、こんなことに――いや、それよりも。

「母さん……」

 母は、どうしたのだろう。あんなに城が壊れて、母さんはどうなった? もしかしたら――

 それなのに、少女はさらりと言った。

「死んだよ」

「嘘だ……」

「嘘じゃないさ。言ったろ? 君はひとりぼっちになったんだって」

 少女の言葉が、突き刺さる。

『ひとりぼっちになった』

 ――僕は、ひとりぼっちに『なった』……?

 母さんも死んで、ジルも死んで。

 独りに、『なった』だって。

「違うよ……」

 気付いて、レミーは奇妙な笑みを浮かべている少女に言った。

 何も二人が死んで、僕は独りに『なった』わけじゃない。

 だっていつだって、僕は独りだったじゃないか。

 母さんは僕なんか愛してくれていなかった。僕を疎んじていた。いらないって、言った。ジルは、僕のことなんか見てくれていなかった。いつも、誰か別の人ばかりを。あの人にとって、僕はどうでもいい存在だった。僕は愛されたことなんて一度もないんだから。友達だって、一人もいない。僕はずっと、独りだった。今更、ひとりぼっちになんてなりようがないじゃないか。

 もっと早くに知っていればよかったかもしれない。エポニーヌもジルも、死んでしまった処で――何も変わらない。そう思うと、笑えた。くすくすと、笑いながら涙が零れた。それでもやっぱり、冷たかった。

「――来る?」

「え……?」

「ぼくと一緒に、来る? 君、行くとこないだろ」

 レミーの答えを確信しているかのような口調で、少女が手を差し出す。

 確かにもう、レミーには行く場処がなかった。もともと居場処なんてなかったけれど、棲む処すら、今は失ってしまっていた。このまま森で彷徨い、イミモノの餌になるくらいなら――レミーはおずおずと、彼女の手を、取った。

 少女の指先に触れた、レミーの手を握って彼女が微笑む。奇妙に大人びていて不可解な笑みではなく、それはちゃんと『女の子』に見えた気がした。

「君の名前」

「……レミー」

「そう。ぼくはマリアローズ。それから……」

 彼女は背後を親指で示す。レミー達から数歩離れた場処に、いつの間にか人影があった。二十代前半の青年だ。

「こっちがクラウディオ」

 少女――マリアローズはすぐにその純粋な微笑は消すと、つんと顎を反らして元の奇妙な薄い笑みに切り替えた。

 ――もうすぐ、夜が明ける。 


   2

 あれは、あの時、ジルが居なくなってしまうほんの少し前の、記憶だ。


 どれくらい、眠っただろうか。人の気配で目が醒めた。

 奇妙な夢を随分見た。それでも最近は、。厭な夢は観るけれど、怖い夢を観る回数が減っているような気がしていたから、眠ること自体を拒否することは少なくなっていた。夢に押し付けられた厭な気分は、それでもその日を過ごすとすぐに薄らいで行くからだ。――認めるのは悔しいけれど、多分、ジルと出会ってからだ。

 もぞもぞと首を動かして窓を視る。差し込む光は橙だ。――もう、夕刻なのだろうか。

「――悪い。起こしちまったか?」

 ルネを起こした張本人、ジルが、扉の近くに立っていた。

「別に……構わないわ」

 こんな風に弱っている姿を見られるのは癪で、ルネは起き上がった。

 脊髄の痛みやだるさはだいぶ和らいでいる。頭は痛いけれど、沢山眠って少しは快復したようだった。

「まだ寝てろよ」

「うん……」

 ジルの、いつも通りにぶっきらぼうな態度にルネは安心した。だから、彼の言葉に素直に従い、再び枕に頭をつける。ジルがルネの側に近寄ってきて、額に掌を置く。

「大分下がったな」

「ん……」

 ジルの手はさっきと同じでひんやりと冷たく、心地いい。ルネが眼を閉じると、彼はぽつりと呟くように言った。

「昨日……俺が連れまわしたからかな。……悪い」

 その言葉に――ルネは複雑な気持ちになる。

 昨日、買い物を頼まれたジルに付き合って、ルネは外へ出た。ジルと一緒に街を歩き回って、買い物をした。誰かとそんな風に並んで歩いたのは、もうずっと昔のことだ。此処へ来る、ずっと前のこと。

「別に、あなたのせいじゃない。……外套着てかなかったのはあたしの意思だし……それに……」

 それに。

 楽しかった。

 ジルと街を歩いた。会話もなく、あるとすればほとんど喧嘩、黙っている間も睨み合ってばかりだった。でも――それは、楽しかった。何が、かはよく分からない。苛苛してばかりいた。けれど、あの感情に言葉を当てはめるのなら、楽しかった。そう思えた。

 けれど、その言葉を口にすることができずに。

「それに……そう云うの、似合わない」

 ジルが、謝るなんて、と。

「そう、か……」

 ジルが笑ったのが気配で解かった。

「じゃ……」

「あ……」

 ルネの容態を見に来ただけらしいジルは、用が済んで立ち去ろうとする。――ルネは咄嗟に、額に乗せられていたジルの掌を掴んでいた。――『何?』などと、聞かれたら返答に非常に困るようなことは訊ねず、ジルは掌をルネに?ませたまま、其処で立ち止まる。ルネは何も言えず――言わず、そのままジルの手を握っていた。ジルは何も言わないで、そのままでいてくれた。だから、ルネは再び眠ってしまうまで、ジルの手を握っていた。


 ――冷たい風に躯を撫でられて、ルネは眼を醒ました。

 ゆっくりと身を起こして、周囲を見渡す。背後には森、目の前には草原が広がっていた。――森の入り口の辺りに、横たわっていたらしい。

 あの後――あの場で意識が途切れたはずだから、此処まではきっと、あの人――イヴェールといったけ――が連れて来たのだろうと、何となく判った。一体、何なのだろう、あの人は。あの血を飲んだら、何かが、変わった。言っていた言葉も、わけが分からない。なんだったのだろう。

 周囲を見回してみても、あの人はいない。けれど、何となくあの人の掌の上で踊らされたような気がしてならなかった。

 だけど、あの『血』がなければ、きっとエポニーヌを殺せなかった。エポニーヌ――私が、殺した。

 夜明けの冷気が、躯を冷やす。服をじっとりと湿らすのは血か、朝露か。

 いっそ全部、いつものような悪夢だったらよかったのに。そういえば、この色んなことは、全部一夜の出来事だった。夢と、同じだ。だが夢ではない証拠に、ルネの躯は酷く痛んだ。傷ついていた躯を、疲労していた筋肉を、痛みを感じない故に酷使しすぎたからだろう。とても街までは翔けていけそうもなかった。

 ――歩くしか、ないな。

 一歩踏み出すごとに激痛が全身を走るが、それができない距離ではない。

 痛みよりもずっと、帰らなきゃと思った。

 ジルも言っていたから。帰らないと、きっとカミーユが心配してる。

「ジル……」

 彼のの言葉が聞きたかった。

 言いたい言葉も、あった。

 ジルが言ってくれた。『もっと長く一緒にいたかった』――ルネも、同じ。もっと長く、ジルといたかった。

 だけどもう、ジルはいないから――そんな想いは、徒花にすぎない。

 ルネは、色んな傷みからジルを守れなかった。赦すことすらも、できなかった。幾らルネがそう思っていたって、伝えなければ意味なんてないのに、伝えられなかった。

 いつもいつも、うまくいかなかった二人だけど、結局最後までそうだったのか。

 傍らを風が吹き抜けていく、この感覚は一年前のものと似ているけれど、違う。あの時はジルを憎んで、その冷たさを塗り潰していた。

 だけど今は、ただ、痛い。

 ――それでも。この傷みを、塗り潰したいとは思わない。

 だってルネは、ジルに会えてよかったと、そう思ったから。

 この傷みは、ジルが与えたものだ。傷みは痛むけれど、無理矢理に塗り潰したりなんてしない、絶対に。ジルが――大切なジルがくれたものだから、ちゃんと抱き締めていられる。

 森の方角から昇り始めた太陽に、夜明けの空は白み始める。

 だが、街のある方角にはまだ陽の光は届かず、夜のようだった。

 それでもルネは、傷跡だらけの躯を引き摺りながら、夜明けの空のまだ暗い場所に向かって、歩き出した。



--月色は夜のⅠ 終--


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