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〈序章〉暗澹

流血描写が多いためこちらの規約に従いR15とさせていただきます。性描写的な表現は一切ありません。

novelist.jpの方でも同作品を連載しております。読みやすい方でご覧下さい。


第一部は手元で完結済みなので、手直ししつつ週1、2ペースであげていきます。

お気軽に感想などいただけると、とても嬉しいです。


連載予定目次

〈序章〉 暗澹

〈第一章〉病める薔薇

〈第二章〉月光の獣道

〈第三章〉歯車軋軋

〈第四章〉澄んだ腐肉の味がする

〈第五章〉毒杯の月 瞳の花

〈第六章〉無垢なる士

〈第七章〉死ねばいいとあなたに言った

〈第八章〉屍が夢を観る

〈終〉  蠢く夜明け

シャンテ=テイルの月は紅い。

 それは決して満ちることはなく、空に星は輝かない。

 シャンテ=テイルの夜は深い。

 人々は闇を蹂躙する魔物を恐れ、早々と寝静まる。

 今宵も、歪に欠け、巨大に膨れ上がった月が昇る。


 一瞬の強い風が草を靡かせた。

 弱々しく燈る遠い街の灯は、不安を孕みながら幽かに揺らめき、そして鏡のような静けさが残された。


 厚く堅牢な壁に護られた街を、四方から小高い丘が取り囲んでいる。――その、北側の一角に少女は降り立った。

 丘の上から見下ろすように街を眺め、眼を細める。

 静寂に似た沈黙。脆弱な呼吸。緩やかな風に運ばれてくる、微かな血の匂い。

 風に長い髪を遊ばせていた少女が、街に、否、其処に今いるモノに向かって視線を投げつける。それは蔑みでも慈愛でもなく――少女の唇が、三日月型に吊り上がった。


   *…*…*…*…*


 生臭い、血の――生き物の臭いがした。

 どうしてこんな事になったのだろう。

 うまく働かない頭で、レリアは考えた。体中に冷たい汗が滲み、自分の心臓の音がうるさいくらいに聞こえる。

レリアは、全寮制の学校の中庭にいた。其処にいるのはレリア一人ではない。庭の中央に座り込んだ人影と、その側で羽を震わす異形。『それ』は、きぃぃぃ、と硝子を爪で引っ掻いたような音を放っていた。

そう、この音だ。この音に誘われて、レリアはふらふらと寮を出てきてしまったのだ。日が落ちてからの外出は固く禁じられているのに。レリアだって言われるまでもなく分かっている。幼い頃からずっと当たり前のことだった。『人間』が夜外を歩くとどうなるか。けれどあの音を聞いた途端、何だかよく分からなくなって、誘われるように。気づいたときには此処にいた。そして、『奴ら』が。

「あんたで二人目」

『奴』が、もげた人の腕を掴み、零れる血を嘗めながら言った。『奴ら』の側にある、何か、塊のようなもの。よくは見えないし、見たくもないけれど――想像は、つく。

「たまにさ、こう云う力持ったイミモノがいるんだよね」

『イミモノ』――人を喰らう、異形の獣。形も大きさもばらばらの色んな生き物の部位を寄せ集めたような、ひどく吐き気のする姿をした、知能も何もない、ただ肉を喰い血を啜るだけの生き物。

今『奴』の側にいるそれは、黄色い猫の毛を生やした巨大な蟋蟀のように見えた。

「まあ、俺達の『能力』とは全然違った、くだらない捕食のためのものだけどさ。聞こえる『人間』は、少ないんだよね」

 ――逃げなきゃ。

そう思うのにレリアの体は恐怖で動かない。どうすればいい? このままでいたら、自分がどうなってしまうのかは分かる。分かるから、レリアは凍り付いたように動けない。浅い呼吸を繰り返す。

 いつの間にか引き攣ったような羽音が止んでいた。代わりに耳朶を撫でるのは、イミモノがすぐ側の『塊のようなモノ』を貪る音。肉を穿つ、骨が砕ける、血が流れる、音。

 ――逃げなきゃ。逃げて、それから『奴』が現われたことを、みんなに知らせなきゃ。

「まあ、二人あれば十分か」

『奴』が立ち上がる。その瞬間レリアはそれに背を向けて駆けだした。

 ――逃げなきゃ、厭だ、死にたくない。

 しかしすぐに、足下を風が掠め半秒遅れて焼けるような痛みが走って、レリアは芝生の生えた柔らかな地面に転倒した。

「あ……?」

 左のふくらはぎが、さっくりと切れていた。赤い筋のような傷から、てろてろと、血が。すぐ側の土に、おそらく『奴』が投げた銀色の短刀が突き刺さっている。

「あ、あ、」

 痛みと恐怖と、色々なものがぐちゃぐちゃになり、声にならない音が喉を震わせる。

『奴』が歩いてくる。短刀を引き抜く。どさり、と、『奴』が嘗めていた人の腕が落とされる。『奴』の口元に、八重歯にしては長すぎるねっとりとした輝きが覗いた。レリアは眼をいっぱいに見開いて、ただそれを見ているこしかできない。

 ――やだ……誰か……、

『奴』の掲げた短刀の向こう、中庭を囲む回廊の屋根に六角形に切り取られた空、歪に欠けて巨大に膨れた紅い欠片が、あった。

『奴』が刃を振り下ろす。

 ――誰か、助けてよ。


 瞬間、右腕が飛んだ

 レリアのではなく、『奴』の腕が、根元から。

「あ……?」

 短刀を握ったままの腕が血の筋を引いて暗闇に弧を描く映像が、やけにゆっくりと見えた。一拍おいて、『奴』の肩口から血が噴き出す。宙に舞った血が、レリアの頬にも落ちてきた。

『奴』は、痛みよりも驚きの色の強い顔で、傷口に触れる。分からない、とでも言うように首を傾げた。

「何……?」

 レリアにも、何が起こったのか理解できなかった。足の痛みも忘れて、呆然と周囲を見回す。

『奴』の後ろ、月を背に、ひとつの人影があった。

 かくん、と強張っていた手足が弛緩する。

「何……、『魔族』……?」

 一瞬、命が延びたことに安堵し、しかしそれ以上の不信と不安と恐怖を抱き、わけも解らず口にする。『夜の人』『影の者』『殺戮者』『化け物』、『奴ら』を示す呼び名は沢山ある中で、最も一般的なものを。

 レリアの呟きに、人影が此方を向いた。

 その容貌に、思わず息を呑む。

 そこに立つのは、少女。

 その瞳。淡く滲むように茫と光る、双眸は。

 背後に浮かぶ、月と同じ。血に染んだ赤。――血の色。

 その表情は、凪。彼女はすぐに眼を反らす。

 年の頃は十三、四歳位だろうか。小さくて、細い。こんな状況でも思わず見惚れてしまうような少女だった。守ってあげたいような幼さと、触れれば血の滲みそうな冷たさを同時に纏っている。長い睫毛に縁取られた大きな瞳に眼光は鋭く、腰まである艶やかな黒髪が陶器のような肌の、蒼ざめた白さをいっそう際立たせていた。纏う服は漆黒。袖口や裾にあしらわれた赤く細いリボンやレースのせいで、まるで血に塗れた鴉だ。――そしてその、人形のような美貌を持った少女は細い腕に、身の丈はあろうかという、巨大な、透き通った斧を抱えていた。それが、男の腕を弾き飛ばしたのが彼女だと云うことを示している。彼女はす、とレリアと男の間に割り込み、男の腹に蹴りを入れる。腕を獲られ茫としていた男は簡単に蹴り飛ばされる。回廊の柱に背中を打ち付け、咳き込んだ。

 側に来て初めて、レリアは彼女の背があまり高くなく、ともすると自分よりも低いくらいかもしれないことと、彼女の薔薇の葩のようなふっくらとした唇がやけに赤いことに気がついた。

 男が緩緩と起き上がり、傷を押さえながら言った。

「あんた……『朝のあしたのつき』か」

 ――『朝の月』

 聞いたことがある。魔族でありながら魔族を殺す、同族狩りの者達の集団、組織が存在すると。しかしそれも、人間にとっては、同義で同位。血の匂いを好む化け物の集まり。

 ――だけど、助けてくれた……?

 男がイミモノを嗾けた。今まで肉を貪っていたそれが、節くれ立った細かい足を動かしてこちらに向かってかしゃかしゃと、襲いかかってくる。少女は地を蹴り斧を振りかざし、ぐしゃりと、その異形のモノを、叩き潰した。赤い血よりも吐き気をもよおす、妙な色のどろりとした体液が飛び散り、少女の服と顔を汚した。

 少女がイミモノの相手をしている隙に、男が切断された腕を拾い上げた。痛みも無さそうな様子で自らの腕を月に翳し、少女を一瞥すると――地を蹴り、跳躍する。彼は一瞬で回廊の屋根に飛び乗ると、黒天へ、消えた。少女は男を追いかけようとしたが、ふ、と立ち止まり、レリアの方を見る。瞳が、足の傷を捉えたような気がした。

 そして、少女が現われてからの殆ど一瞬のこの出来事をただ茫と見ていたレリアは、足の傷みと痛みを思い出す。筋のような傷口からぽたぽた止めどなく滴る血で、芝生が濡れていた。じくじくと、囓り取られるような痛み。

 少女は、男の消えた夜空とレリアの方を見比べるようにして、それから此方へ歩いてきた。半身を起こして、レリアは後退る。少女は屈み、指を伸ばしてレリアの傷口に、触れようとした。

 その時。

「レリア……!」

 校舎側の回廊から、声がした。寮で相部屋の友人と、教師が二人。友人は、レリアと、仮面の少女と、それからイミモノが喰い残した肉塊を見て、ひ、と声をあげた。

 三人の姿を確認した少女がレリアの方へと伸ばしていた手を引っ込める。そして、先刻の男と同じように地を蹴って、屋根に飛び乗ると、夜空に吸い込まれるようにして、去っていった。

 友人と教師が此方へ駆け寄ってきて――レリアは、意識を手放した。


 黒天。

 月。

 異形のモノ。


 優先されるべくは魔族を殺すことではない。人間を、たった今殺されそうになっていた少女を助けること。守ること。それでも。

「逃がした……っ」

 屋根から屋根を跳び、早急に街を抜け出した少女は、闇に溶けそうな程に黒い髪を風に躍らせながら、悔しげに唇を噛み締めた。


  *…*…*…*…*


 透明な夜。

 人間たちは早々と灯りを消し、森の獣までもが息を潜めて朝を待つ。

 そろそろと、世界は侵された。

 広大な大地、シャンテ=テイル。その大地を徐々に蝕んでいく黒い森。森に棲む魔族。――『能力』を操る種族。

 本能で血を好み、殺戮を繰り返す者達。

 彼らはしばしば人を襲う。

 彼らが棲む黒い森はシャンテテイルのほんの四分の一程度、数にしてみれば人間の半数以下の人数だったが、それでも確実に、人間は彼らに脅かされていた。

 ――そして人間も魔族に虐げられ怯えると同時に、彼らを蔑んでいた。彼らはイミモノと同じ。本能から殺戮を望む、化け物なのだと。

 人間と魔族の間にはどうしようもない軋轢が、隠されることもなく横たわっていた。

 けれど、その中間に立つ者も、僅かながら存在する。

 それが、異端。通称『朝の月』。彼らは同胞であり同時に宿敵である魔族を、人を襲う魔族を、狩った。魔族の異端は、怯えた人間と乖離し、森に棲む魔族と対峙する。

 血は、大地に染み込んでいた。

 夜が来る。

 煌煌と病む、夜が来る。

 血と涙を吸い、紅く膨れた月が出る。

 そろそろと、世界は犯される。

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