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戦士の歌

作者: 鱈井 元衡
掲載日:2026/09/06

 ゴンサロ・ゲレロは、かつての同胞のもとに帰れるまたとない機会を拒否した。

 それは、第一にこの地に生きる者たちこそが真の信仰心を持っていると信じたから。そしてその次に、もはや祖国に自分を受け入れてくれる者はもういないと考えたからでもある。

 ゲレロはこの民族の一員となってしまい、もはや自分が属していた集団に帰る意思を完全に放棄した。最初は奴隷の身の上として、ひたすらこんな僻地から抜け出したい一心だった。だが今では、もはやここの社会に適応するどころか、族長にまでなってしまった。なおさら、ここを抜けるわけになどいかない。


 ゴンサロ・ゲレロは初めてこの地を踏んだ時、ここにいかなる種族がいるのかとか、この地域をどうやって福音に染め上げるか、ということについて考える余裕などなかった。

 地理について把握するだけ手一杯だった。全てが未知であり、何が存在するか認識するだけでいつまで立っても頭の中の処理が終わらなかった。


 最初は、この不慣れな地で生き延びることに必死であり、なぜこのような世界が人知れず存在していたのか、などという雑念にとらわれている暇などなかった。

 だが、次第に余裕ができると、どうしても高い次元に関心が向くもので、このインディアスの人々がどこから来たのか、という疑問が冒険者や聖職者の間に持ち上がった。

 そして一説として浮上したのが、彼らが、イスラエルの失われた部族の末裔ではないかという噂だ。アッシリアによる捕囚の時に行方知れずとなった人々が、はるか海を越えてインディアスに流れ着いた後に作り出した子孫なのではないかと。

ではなぜ、神はずっと彼らの存在を我々に教えてくれなかったのか?

 いずれにせよ、主の教えがずっとこの地に伝わらなかったのは不運なことだ。

 彼らにも神の福音を伝えねばならない……そういう会話をひっきりなしに聞いた。一人でも地獄の責め苦から救うためだ。

 ゴンサロはそこまで信心深いわけではなかった。ただ、『新世界』にある富や財宝にありつければそれでよかった。

 だが、彼は虜囚の憂き目にあった。

 マヤ人の一派、ココム族にとらわれたのだ。

 ココム族はスペイン人に敵意を持っており、ゲレロの仲間数人から心臓を抉り出し、供物として神にささげた。悲鳴と流血を浴びて黒曜石が艶めき、犠牲となる者と犠牲を捧げる者が同じ血を共にする――ゲレロはその凄惨な光景を目にして戦慄した。

彼らが聖書にしるされた、モロクやバアルに犠牲をささげた不信心者に近しい存在なのは疑いない。

 だが、彼らの瞳の後ろめたさは何なのだ。

 彼らが自分自身の神々に対して盲従し、曇りなき目を浮かべていたならばもう少し憎みようはあっただろう。だが、あの時の彼らの表情と言ったら何だろうか。まるで、やむをえないがこうするしかないのだ、とでも言いたげな顔だ。これをしていて正しいのかどうかわからない、という悩みがあったように見えた。

 それでいて手際がいい。もうずっと、何百年もの間受け継いできた儀式なのだろう。ゲレロには彼らへの憎しみも軽蔑もあった。しかし、もう彼らを劣った存在だとは思えなくなった。


 ゲレロの母国では、神を額面通りに信じることにうるさかった。モーロ人という異教徒に穢された痕跡を根絶しなければならない、と聖職者が晴れ上がった瞳で聴衆を串刺しにし、がなりたてていた。

 そして神のみ心にかなうために、彼らはかつての支配者が残したムスハフ(クルアーンの写本)や、アラビア語の書物を焼き払った。驚くほどにトンスラ頭どもは厳密に信仰を定義することにうるさかった。そして信仰を定義すれば、もはやそこに何の疑いも躊躇もなかった。


 ほうほうのていでさまよっていたところを、再びマヤ人に捕らわれたのだ。今度こそ命はない、とゲレロは観念した。しかし、幸運にも彼らは以前出会った者たちとは敵対関係にあり――マヤ人は膨大な小国に分かれており、統一されることなく常に敵対し合っていた――命を奪われることはなく、奴隷の身分に落とされることで首の皮一枚でつながったのだ。

 不自由な身の上ではあるが、命を奪われないだけはるかにましだ。 同時に彼らの捕虜になった人間として、修道士とも助祭ともされるヘロニモ・デ・アギラルもいた。同じ虜囚の扱いを受けながらも、ゲレロとは、また異なった人生をたどることとなる。


 ゴンサロがそれからの日々を過ごしたのはトゥトゥル・シウ族の元であった。部族ごとの細かな違いなどよく分からなかったが、彼らの気質は大体似通っている。

 マヤ人は何においても頑固であり、恩でも仇でも必ず返す。

 一度でも悪い印象を与えれば、それを覆すのは難しい。これまで、どれだけスペイン人とマヤ人との間に衝突があったかを思えば、今はましな扱いでも、いつ突然のけ者にされ命を奪われるか分かったものではない。

 ゆえにゴンサロはとにかく彼らと同じように行動することを心掛けた。彼らの信仰をまねするだけでも、魂が傷つきそうな罪を覚えた。

 次第に、彼らの言葉に詳しくなり、大体の会話ができるようになった。

 焚火を囲みながら、世界がいかにできたか? 獣がいかに誕生したか? といったことを古老が話していた。冥界のシバルバーなど、想像もつかないようなこの世の仕組みについてずっと語り続けるのだ。

 その話に、悪魔にそそのかされないように静かに祈りを唱えながら聞き入っていた。


 族長タシュマルからの扱いは過酷なものではあったが――事実、これのせいで――、それでもゴンサロはたびたび他のマヤ人との闘いで武勲をあげることで奴隷身分を脱し、以前よりも待遇が良くなった。決して彼らにただいいように扱われるだけではなかった。ゴンサロはこれまでの航海で培った経験を活かし、どうすれば効果的に戦えるかを教えた。

 もはや故郷の気温や大気の様相を忘れ、身体がこの高温多湿な気候に慣れていくのを感じた。きっと、顔も彼らの者に似通ってきているだろうと感じた。とはいえ、ゴンサロはやはり異邦からの移住者であり、彼の風貌は他の人間と比べるとどうしても浮かざるを得なかった。

 彼はある時、タシュマルに呼び止められた。

「お前さんは力が強いし弁もたつ。見てもらいたいものがあるんだ」


 ゴンサロがついていくと、住居の周辺を散策すると、一角に高く石碑がそびえ、表面に紋章が刻まれていた。だがそれは人間の言葉を表しているのだという。

 アラビア文字やラテン文字しか知らないゴンサロにとっては、それが文字であると最初思えなかった。そして、その読み方を

 かつて、ここにローマのように高度な文明があった。そして、それは今でさえかすかに密林の中に名残をとどめているのだ。

 だが、新参者にとってそれがたいして価値を感じないものならばともかく、破壊しようとする気を抑えられないものであることにゴンサロは嘆きを感じた。

 全てが未知にあふれているこの世界では、ただ目に前を漫然と眺めるだけでも精神に負荷がかかる。

 そして未知なる物からたえず押し寄せてくる驚きに耐えきれず暴力的な衝動を抑えきれない人間が出るのも無理はないとも思った。

 その未知なるものへの衝撃に、次第に慣れていく中でゴンサロにもある程度心境に変化があった。ここにあるものは、ひょっとしたら外から来たものではないかもしれない。

「もたらしたもの」など考えるべきではない、とゴンサロは思った。これは昔からここで栄えたものなのだ。そして、そのような考え方こそ、ゴンサロの同胞たちがついぞ思い浮かばなかったものだ。

 だが彼らがどこから来たのか、となると、やはり海を渡って来たのだ、と考えるほかなかった。天地の創造から、ゴンサロは、やはりその点ではいまだの一般的な世界観にとらわれていた。彼らは、主の福音から外されてしまったか、あるいはそこから逃げおおせた人間かの、どちらかなのだ。だが、驚くべきものはまだ残されていた。

 木が生えた崖に沿うようにして置かれた石に、ある意匠が刻まれていた。

 この世界を支えるという巨大な樹木の浮彫だ。そしてその縦と横の線が交差し、そこからいくつもの枝が分かれて十字架に似ていた。ゴンサロは戦慄を覚えた。彼らが本当に古代、捕囚の混乱の中で消え失せたと思われていた人々の子孫であるのなら、異教の穢れを受けない純粋な信仰を受け継いでいるに違いない。そして、この樹木の意匠はそれに似ているではないか。一体これが意味することは何だ……!?


 無論、人々はつい最近互いのことを一切知らなかったのだから、この程度の共通点があったからといって単なる偶然として片づけても構わないかもしれない。それ以外では、カスティリャ人とマヤ人の間に信仰においてはほとんど共通する所はない。

 彼らの神々に対する解釈はまちまちで、厳格な定義といったものがない。古来から語り継がれた、神と人が織りなす世界創生の伝説ですら、人によって微妙によって内容が異なり、まちまちだ。会話を聞いていると、彼らが時折本当に神を信じているのかどうか疑わしくなる時もある。

しかし、先祖代々受け継いできた祝祭の儀式に関してはかなりきっちりとやり遂げる。行動と規律こそが彼らの信仰の核であり、海の向こうでの厳密な教理の確定、喧々諤々の議論といったものはこちらではほとんど存在しなかった。ゴンサロは、それを最初未熟な宗教のあり方だと思っていた。 

 だが、次第に彼らの生き方を学び、それに従って生きていくうちに、考えが変わり始めた。ここにおいては、神の信じ方が根本的に違うのだ。彼らが無知であるにせよ、愚かであるにせよ、もはやここにおいて我々の信仰を受け入れさせるための前提が整っていない。

 そして最初は理解しがたかった文化も、確かにこの土地でうまく生きていくために先人が編み出したものであることが分かってきた。

 とはいえ、何もかもが合理的にできているわけではない。

 無論ゲレロも近代以前の人間である以上、非合理的な発想や思想から逃れることはできないし、無自覚にその性分を受け入れているのだが、その彼からしてもインディオの慣習や戒律には何ら合理性をみいだせない因習が多くあることを認めざるを得なかった。そう、あの割礼や食物規定をユダヤ人のように。

 ユダヤ人が戒律を守る時、そこには理由がない。神がそう命じた以上の事情など何もない。

 合理性など関係ない。そしてそういう物を越えた所に信仰がある。キリストを信じる者が最も心得ておくべきことがここにあるのではないだろうか。


 とはいえ――どれだけ彼らの信仰に中にある合理性を度外視しても、人間を捧げるという発想はやはり受け付けず、この点においてはどうしようもなかった。

 彼は思い切ってタシュマルに問うた。

「なぜ人身御供を?」

「世界を続けさせるためだ。人は、この世界に報いなければならないからな。あらゆる獣や植物を犠牲にしてしまうのだから、負債を返済しなければならない」

 タシュマルの言葉は重々しく、心の底から愁えを抱いているようだった。

「人間は、選ばれた存在だからそれを気にする必要はないのでは?」

「罪深さだ。ただ勝手気ままに生きているだけではあまりにもつらい。そのつらさを和らげるために、人間が苦痛を背負っていかねばならんのだ」

 ゴンサロは、分かったようなわからないような、複雑な面持ちでそれを聞いていた。

 インディアスにおいて、人を神々に捧げることがさほど珍しくないことが彼らの野蛮さを象徴づけているという者は少なくない。

 しかし、彼らの信仰が非常に身体性を帯びたものであることは分かる。彼らは聖書のような経典を持たず、先祖から伝わる儀式そのものが信仰の核となっている。

 アステカも人間を太陽の神に捧げていたが、それは太陽が沈み、世界が滅ぶのを避けるという迷信によるそうではないか。アステカが滅びても、果たして世界はそのまま続き、あれは結局意味のない悪事でしかなかったが、しかし彼らはそれに本気で取り組んでいたのだ。人の血肉が決して単なる物質とみなさない考え方がそこにある。

 人を残酷に扱っているのではなく、人の力を信じざるを得ないのだ。この信仰の身体性は決して目新しいものなどではない――我らの信仰に存在する、ワインとパンがキリストの血と肉に変わる、という考え方にどれくらい違うのだろうか。これが冒涜的な発想だと気づいて、慌ててゲレロはその考えを撤回しようとした。だがもはや本来の信仰に対しての無自覚な束縛が次第に薄れつつあるのを感じた。


 しかも、これをずっと彼らは続けてきたのだ。その頑ななまでの変わらなさがこれまでずっと彼らの力の源となっていることを考え始めた。聖地カナンの諸民族もまさにこの素朴な変わらなさを持っていたのではないだろうか。この堅固な信仰を、我々は破壊しようとしているのだ。

 だが、カエサルの時代より前から変わらず信仰を保っている彼らこそが真の信心者ではないのだろうか――。ゲレロは、彼らを本当の意味で改宗させるのは不可能である気がした。どれだけ彼らの神々を否定しても、彼らの信仰心の奥底にある純真さがいくらでもキリストの福音を汚すだろう。この地に宿る意思が、嫌でもそうさせるに違いない。

 彼らの信仰の身体性に、いつしかゴンサロは屈服してしまった。

 安産や豊穣を女神イシュチェルに祈った。死人が出た時には冥界の主アフプチを畏れた。

気づくとゴンサロは心の中ですら、カスティリャの言葉ではなくマヤの言葉で考えるようになってきていた。にも拘わらず、アギラルの方は一切マヤ人の気風になびくことはなかった。彼にとっては、帰ることが何よりも重要だったからだ。


 やがて、ゴンサロにここから脱出する機会が訪れた。

 コルテス――周知のとおり、先住民にうまく取り入って、アステカを倒した男だ――の船団から一帯に向けて使者が派遣された。アギラルは彼らのもとに戻れることを無邪気に喜んでいるらしい。

 だがゴンサロは、もはやうれしくも何ともなかった。無論、それが彼らの望みであることを知っていたが、この体にしみついた異教の匂いは、もはやかつての同胞を害するだけだし、向こうのあの匂いも今となっては人間の信心を引き裂くものでしかない。

 使者は、そんなゴンサロの内面などつゆ知らず、こんな異教徒たちに対する愛着などないものだろうとばかり思って、

「お前は戻らないのか?」

 ゴンサロは言った。

「今更、戻れはせんよ。戻るつもりもない」

「奴らに汚れるつもりか」

「いいや、俺は彼らの信仰にかなう者になったんだ」

 相手は、裏切り者の意思を理解しなかった。

「棄教するというのか?」

 しかし、彼にとってはむしろこれらが古い神々であり、もとから帰着すべきものであるように思われた。そこにはいかなる人間の作為もないのだから。

「彼らの信仰は固い。ここでキリスト教を述べ伝えるなどどだい不可能だ。仮に無理矢理洗礼を受けさせ、教会に通わせたとしても、どうせ独自の信仰を作り出すだけだ。見ろよ、この周囲の光景を!」

 マヤ人は、みなこの使者を敵視していた。

「ここに唯一の神の居場所はない。神への畏敬の念が満ちている。もはやここでは教義によって神への近づき方を議論するものはない。彼らは神を実践している。父祖の生き方を額面通りにふまえることで神々と共にあるんだ」

 ゴンサロの瞳に迷いがないのを見て、彼らはもはやあきらめるしかなかった。


 やがて、かつての同胞が侵攻してきた時、もはやゴンサロは彼らに対して切っ先を向けることを躊躇しなかった。彼は族長シクンバを援護するために仲間を引き連れ、プエルト・デ・カバリョスにおいてロレンド・デ・ゴドイの船団に立ち向かった。

 彼は先住民のために尽くす戦士(ゲレロ)となった。多くの神々が彼を見守っていた。

 ホンジュラスの支配者、アンドレス・デ・カレセダがインディオの風習に染まったスペイン人の死について記している。

 ヤシの木に隠れ応戦したが、一発の弾丸がゴンサロの胸を撃ちぬいた。1536年八月十三日のことである。遺体はせめてもの敬意として、ウルア川を通して彼の元来た海である大西洋へと流された。

 今、マヤ人の数が多い国であるグアテマラではゴンサロ・ゲレロの像が多く建てられている。まさに彼こそは先住民の英雄であった。

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― 新着の感想 ―
ゴンサロ・ゲレロの物語。実在の人物なのですね。たいへん興味深く読ませていただきました。読みやすい文体でまるで山の連なりを眺めるように目が自然と引き込まれます。ゴンサロがマヤ族に呑まれたというより、彼の…
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