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改訂 【 塀の上、綱渡りのハッカーズ 】  作者: 風風風


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D幕 第32編

 久保篤アツシは、太田黒と知り合ってから、数年たった頃を思い出していた。

 そこは、東京近郊の私鉄沿線の駅から、徒歩ならば15分から20分ほどのアパート。駅周辺は、賑わいのある街並みだが、このアパートは田畑に隣接した、やや不便な所にある。

 アパートの前の道端に、一台のセダンが止まった。助手席から降りてきたのは、アツシである。車の後ろに回り、トランクを開ける。何やら重そうな、大きめのレジ袋に入った物を取り出し、両手に下げた。そのまま、アパートの一階にある部屋の前に行き、ドアノブにその袋を掛けている。袋の中身は野菜類らしく、大根の頭が少し覗いている。隣の部屋のドアノブにも、同じような袋を掛けた。

 アツシは車に戻ると、さらにもう二つ、重そうに袋を手に下げる。同じように、一階の残りの二部屋のドアノブにも、それらを掛けて車に戻ろうとしたところで、最後に袋を掛けた部屋の住人が帰ってきた。

「あ、久保寺さん。いつも、ありがとうございます」。丁寧にお辞儀しているのは、警備保障会社の制服を着た、五十は過ぎていそうな中年の婦人であった。

「いつもの、太田さんの所の家庭菜園で取れたものです。『見てくれは悪いんですが、よかったら食べてやってください』って、太田さんが」。久保寺というのは、勿論、久保のことで、太田というのは太田黒のことである。

「いつも本当に、美味しく頂ています」。恐縮している素振りで、婦人は言った。

「そう伝えます。太田さん、喜びますよ」。小さく会釈して、アツシは足早に、車に戻った。

 車内にいるのが太田であることに気付いたのか、婦人は車に向かって、丁寧に頭を下げていた。挨拶代わりなのか、「パン」と小さくクラクションを鳴らして、太田黒は車を発進させた。

「細川さん、チャリンコで帰ってきたな」。太田黒が、ボソっと言う。

 車は、夕闇の中を、ゆっくりと走り出した。

「はい。……」

「遠慮しないで、お前やヒロシの車を呼ぶように言っておけ」

 ヒロシというのは、アツシの同僚である。

「はい。………」。(いつも言ってるんですけどね)。

 買い物するにしても、仕事で出掛けるにしても、このアパートで暮らしていれば、駅周辺に行くか、駅から電車に乗るかである。一階の住人は、アツシやヒロシの携帯に連絡すれば、駅に続くアケード付きの商店街の入口まで、車で送ってもらえた。アツシやヒロシが行けない場合は、彼らの指示を受けたものが、その役割を担っていた。つまり、このアパートの一階の住人は、一見不便そうな所に住んでいるようで、その実、便利な暮らしを送ることができているのである。

 家賃も格安であった。「私の知り合いが経営しているアパートです。家賃は、月一万円です」。太田黒の決めた賃料であった。部屋の間取りは、六畳二間の2DK。不便さを考慮しても、周辺相場の五分の一以下だった。

 野菜やコメや、缶詰類、時には季節の果物など、太田黒から届けられるそれらのものを考えれば、家賃は無いも同然だった。

 アツシはかつて、このアパートの一階の住人のことを、太田黒に尋ねたことがある。

「あのアパートに住んでいる人じゃないが、……」と、太田黒は話し始めた。

 同じようなアパートが、あと幾つかある。そのうちの一家族の話だ。

 かつて、都内に入るのに、電車で二時間くらいかかる地方都市に、その家族は住んでいた。子供が三人いる三世代同居の家で、家族経営の町中華を営んでいた。娘二人に、息子一人。高校生のその息子。仮にタツオ君としておくか。

 彼は、やや気弱なタイプで、同級の不良グループの使い走りをさせられていた。不良グループは、さらにその上をいくワルから目をつけられていて、度々金銭を要求されていた。ある時、その金銭の要求に窮して、タツオ君を人質として預け、カネの工面をしてくるという方策に出た。彼らは、真面目にカネの工面をする気がなく、丁度そういう頃合いだったのだろう、揃って都内にフケてしまうことにした。中に、少しばかり悪知恵の働く奴がいて、タツオ君の店に電話をし、「タツオ君は、不良に囚われていて、カネを払わないと解放してもらえません」という趣旨の話をした。一方、ワル連中には、「カネは、タツオの親が払います」とだけ告げて、仲間全員で行方を晦ました。

 驚いた両親は、タツオ君の携帯に電話をしたが、呼び出しには応答がなかった。翌日の夜、電話をした母親の携帯に、痛めつけられた様子が分かる、タツオ君の画像が送られてきた。

 思い余った両親は、すぐに警察署に駆け込んで、相談窓口の担当者に息子の保護を願い出た。

 担当者は、当番らしい刑事に両親を引き継いだ。母親が顛末を話し始め、自分の携帯の画像を見せようとすると、その刑事らしき男は、ひったくるようにその携帯を手に取り、いくつかの画像を見たり、通信履歴を見るような操作をしていた。丁度その時、その携帯に着信があった。刑事は、母親に携帯を渡し、電話に出るように言った。母親が出ると、声はタカシ君だった。

「タカシ、大丈夫?」という母親の声を聞くなり、刑事は携帯をひったくり、

「モシモシ、警察だ」と、大きな声で言った。

 通話は、そこで切れた。身元不明の遺体として、タカシ君が河川敷にある野球場の近くで発見されたのは、数日後のことだった。

 真剣に、当時のタツオ君の置かれている状況を考えれば、その刑事の対応は、極めて不適当なものだったといえる。何よりもまず、相談に来た者の話をよく聞いて、相談内容を的確に把握すべきなのは、普通に考えて当然のことだ。「その間もなく、突然着信があった」と言うかもしれない。そうだとしても、そういう事件の専門職ともいうべき、警察官の対応としては、お粗末としかいえないものだった。

 その刑事の「警察だ」の一声で、俺は思った。その無能な刑事は、権力を持つ己の立場を、誇示することに満足を覚えていたのだろう。彼は、警察署内の、例えば捜査会議などなら、慎重な意見を述べるのかもしれない。だが、相手が一般市民となると、相談者の側に立って、一緒に解決策を考えてやるような親身な対応などは、頭の中にない人間なのだ。

 相談ごとで、警察の窓口を訪れたことがあるか?

 彼ら警察の人間は、一見、親身に話を聞く態度は見せる。だが、「こうすれば、どうです?」程度の助言を与えるくらいで、とても親身な対応とは呼べないものだ。「俺らの仕事はな、あんたらを取り締まることなんだよ。つまらんことで、お上の手を煩わすんじゃない」と言ってるように、俺は邪推している。

 俺は一、二度、警察に相談したことがあるが、二度と相談になど行くものか、と思っている。俺は、警察が嫌いだ。まあ、それは置いておく。

 タカシ君の家族には、その後いくつかの不運が重なって、老齢だった祖父母は相次いで亡くなり、店は他人手に渡り、娘二人は家を出たらしい。両親を呼び寄せるほどの生活は、できていないらしく、とても、幸せな暮らしを送っているとはいえない状態らしい。

 タカシ君の両親は、すっかり気力を失い、しばらくは車中生活をしていたようだが、貧困ビジネスに誘い込まれそうになっているところを、偶々俺と出会って、ああいうアパートの住人になった。

 要約すれば、太田黒の話は、以上のようなものだった。

 タカシ君の両親と出会ったくだりは、やや不明瞭だが、かいつまんで凡そ本当のことを話しているように、アツシは感じた。

「そのご両親は、今は、どうしてるんですか?」

「そのアパートで暮らしてる。時々、娘さんらが訪ねているらしい」

「コウゾウさんは、会わないんですか?」

「事情を知っている人間は、時として煩わしいものだ」

「ですね。……」

「そのアパートは、俺の同僚が面倒をみている」

「そうなんですね。……」

「どうした?」

「俺もいつか、コウゾウさんたちのように、そういうことができる人間になりたいです」

「お前は、既に、そうしているじゃないか」

「いえ、お手伝いをしているに過ぎません」

「お前の下で仕事をしている、浅野」

「はい」

「いい稼ぎをしてるじゃないか」

「ええ」

「それを知っていながら、お前は、浅野ほどには稼げない、俺の手伝いをしている」

「……」

「なぜだ?」

「俺は、助けてもらっただけで十分です。今は、稼ぐことより、コウゾウさんの手伝いがしたい」

「そうなんだろうと、思っていた」

「……」

「だから今でも、お前を俺の手元に置いている。見ていて感じるだろうが、俺のやっていることは、掛かり(経費)が多い。一見、上の立場にいるようだが、上に行くほど実入りが少ない。俺たちは、そうなっている」

「ええ。……」

「お前は、薄々それに気付いていても、何も言わないどころか、ますます俺に似てきている」

「……」

「いつか俺が、今のようにできなくなった時は、俺の代わりを頼む」

「……」

「どうした。イヤか?」

「いえ、まるで、コウゾウさんがいなくなるような時のことなんて、……」

「考えられないか?」

「はい」

「でもないぞ。一寸先は闇、という覚悟をいつも持っていることだ」

「……」。アツシは、身を固くして、太田黒の戒めを聞いた。

 

 久保アツシはかつて、白石山という男に拾われ、彼の庇護を受けた。

 白石川は、太田黒の同僚である。

 アツシが、炊き出しの弁当をもらって帰り、ダンボールハウスの中で寝転んでいると、訪う渋い声がした。戸を細目に開けて覗くと、屈み込んでいる50歳は超えていると見える男と目が合った。

 後に、その男は「白石川さん」と呼ばれていることを知る。

「ちょっと、おじゃましていいかな?」

 男は、手に下げたコンビニ袋を見せた。ちょっと迷ったが、招き入れた。

 ――危害を加えられる様子はないし、奪われるような貴重品など持っていない。

「仕事は品物の仕分けだ。難しい業務じゃない。イヤになったら、すぐ辞めていい。狭い部屋だが、安心して寝起きできる居場所が手に入る。どうだ?」

 そんな内容の話を、男は簡潔に語った。何の展望もなく、途方に暮れていたアツシには、渡りに船のような話だった。

 賃金は、毎日の仕事終わりに支払われた。酒とタバコと、二食分の食い物を買って帰る。

 一階が倉庫になっている、バラックのような建物の二階に、中廊下を挟んで片側に五部屋ずつ、都合十の部屋が並んでいた。その気になれば蹴倒せるような、粗末なドアを開けると、三畳ほどのスペースに、簡易ベッドが置かれている。ガス、水道、トイレ、風呂など一切ない部屋だった。生活に必要なそれらのものは、共同で使うものが一階にあった。

 ここにアツシを案内した白石川は、建物に隣接している小さな畑に目をやり、「この畑もウチのものなんだ」と言った。

「紹介した仕事が合わなかったら、この畑の面倒をみてもらう、っていうのでもいいんだが。……」

 そういう言って、アツシの顔を見た。

「……」。アツシは、コクッと頷くだけだった。

そこでの生活を20日ばかり送った夜、部屋のドアを白石川がノックした。

「この暮らしは、どうだ?」

「申し分ないです」

「でも、ないだろう」

「……」

「この仕事を続けていく気があるなら、もう少しまともな部屋に移れる。これから、その部屋を見に行かないか?」

 そう誘われて、二つ返事で応え、男の車の助手席に乗り込んだ。

 ごく普通の民間アパートだった。間取りは1DK。二口コンロのガスと流し台、洗面台とトイレ、バスタブのユニット型バス。居室は6畳ほどだった。

 アツシがそのアパートで暮らしている間、

「契約している農家や酪農家から商品を仕入れ、経営している直轄のラーメン店からの、毎日の注文通りに商品を発送する。あんたが今いるのは、そういう会社だ。勤続と共に、給料も上がる。不満がなければ、会社が存続している限り働ける。将来への展望があるなら、しばらくはここで英気を養って、次のステップに進むといい」

「……」

「どうだ?」

「なんで、こんなに親切にしてくれるんですか?」

「俺自身の為でもある」

「……?」

「こういうことをしてやるのは、あんたが初めてじゃない。俺も以前は、あんたと同じような境遇にいた。そういう境遇に、陥るようになった原因をつくった奴。そいつに仕返しすることばかりを、考えていた時期もあった。だが、当時の俺の、惨めさから救われるには、同じような境遇にいる人を助けることだと気が付いた」

「……」

「ひとり救い出す毎に、俺の惨めさは、少しずつ薄らいでいく」

「ふ~ん。……」

「将来、あんたが今の俺のように、なるかもしれない」

「……」

「そうじゃなくても、あんたが、俺の思いに応えてくれるなら、また違う仕事を頼みたい、という目論見もある」

「……」

「なにも、今すぐ決めなくていい」

「うん」

「今夜のことは、忘れてくれても構わない」

 男はそう言って、アツシを部屋まで送り届け、帰っていった。

 半年後、男がまた現れた。

「どうだ?」

「今の暮らしに満足してます」

「そうか。それはよかった」

「車の免許を、取ろうと思っています」

「ほぅ。それはいい」

「住民票をほったらかしにしていたので、ここに移そうかと思っています」

「うむ。……」

「何か?」

「住民票を移すのは、ちょっと待ったほうがいいかな。……」

「はい。……」

「あんたと同じように、不遇な境遇から救い出された者が、あんたと同じような道を辿って、今、この部屋に来ようとしていると思ってもらいたい」

「……」

「あんたさえ良ければだが、あんたには俺の同僚の仕事を、手伝ってもらいたい。後で説明するが、同僚の名は、太田黒という」

「いいですよ。白石山さんの為なら」

「今度の部屋は、駅近くの1LDKだ」

「……」。微笑みつつ、頷く。

「数年間はそこに住むと思ってくれ」

「はい」

「ずっと住み続けてもいいし、自分好みの物件に、移り住んでもいい」

「……」

「免許が取れたら、今の業務に加えて、配送の手伝いもしてくれ。徐々に、運転に慣れたら、配送の方に回ってもらいたい」

「はい」

「仕分けや配送の為の人員には、少しばかり余裕を持たせている」

「……」

「太田黒の仕事を、手伝ってもらいたい時のためだ」

「……」

「仕事の内容は、時期が来たら教える」

「……」。しっかりと、頷いた。

 東京近郊の最寄駅で降りて、短い商店街を抜けた所に建つ8階建の、最上階にアツシの部屋はあった。独り身の三十男には、申し分ない住環境であった。雨の日には、アケードのお陰で、傘をささずに駅に入れた。

 アツシは、今日は太田黒の仕事を手伝ってきた。最寄駅から二つ手前の駅で降りて、駅近くのラーメン屋に寄り、その店の従業員用の部屋で、身なり一切を着替えて、通用口から店外に出る路地の様子を伺い、その上でハス向かいの定食店の通用口に入っていく。外からは伺い知れないが、その定食屋もラーメン屋と同じ系列だった。

 そういうふうに、尾行を洗ってから、自宅に帰るのがアツシの日常だった。

「念の為に、尾行の有無を確かめてから、自宅に帰るようにしろ」という、太田黒の指示だったが、太田黒の仕事の手伝いといっても、「他人に不信を抱かせるような振舞いではないのに」と、いつもアツシは不思議に思っていた。

「あの部屋の住人は、俺の仲間だ」

「はい」

「ただし、仕事上の関りはないから、お前の知らない男だ」

「……」。頷く。

「毎週決まって、土曜日の夕方に、部屋に帰ってくる」

 太田黒が言って間もなく、男が部屋に帰ってきた。

 男の部屋がるマンションと、今、太田黒たちがいるアパートの部屋は、カギ形に駐車場に沿って建っている。

 今いる部屋の窓には、遮光性のカーテンが吊ってあり、窓ガラスには反射フィルムが貼ってある。そのフィルム越しに、駐車場や、マンションに通じる歩道など、数か所を見張る為の、カメラが据えられていた。

 男が帰ってくる時間は決まっているので、その30分前に部屋に入り、周辺に不審者がいないか、とくに男の部屋を気に掛けてる様子の者がいないかをモニター画面で、チェックするのが、アツシの仕事だった。

「男が部屋に入って、30分しても、周囲に異常がなかったら、帰っていい」と、太田黒に言われていた。

「異常がなければ、連絡はいらない。もし、気になる者がいたら、すぐに俺に報告してくれ」

 そういう簡単な仕事だった。ただし、一時間だけ、気は抜けない。


「ラーメン屋にも定食屋にも、『日常的に、チェーン店の営業をチェックする、覆面調査員が出入りする』と通達してあるから、お前は何も気にすることなく、店の通用口を使え」と、太田黒から言われていた。

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