本編 3
佐藤がこれまでに建てた玉の総額は、2億近かった。
佐藤は知らないが、佐藤の建てた玉の分だけで、アツシは50万ほどの副収入を得ている。佐藤よりも大きいカネを動かす客も二人いるし、佐藤程度の客も他に数人いる。この数か月で、かなりの額の副収入が入った。加えて、佐藤ら、負け組を救済する為の、○○〇A銘柄でも、こっそり提灯をつけて稼がせてもらった。
「でも、次も上手くいくとは、限りません」
「ん?」
「ここらで手仕舞して、利益の出た分で、私の勧める債権なり、投資信託を買って頂くというのは、どうでしょうか?」
「ふふ。小心な男だな。相沢君」
「はぁ。でも、……」
「心配するな。損をしても、君や、君の会社に、苦情は持ち込まん」
その言葉を待っていた。アツシから教えられた、駆け引きだった。「いざという時に、身を守る保険になる、言質を取っておけ」と。
「それで身を守る保障にはならないが、少なくとも追及の手は緩むものだ」
「『あの時に、手仕舞しましょうと、言ったじゃないですか』と、クレイムを思い留めるように、哀願するんだ。覚えておけ」
そういうアドバイスだった。
数日前まで、取り付く島もないほど、ご機嫌斜めだった佐藤の言葉だ。鵜呑みにはできないが、一応、言質は取った。
太田黒のオフィスで、久保アツシから稼ぎの分配を受け取った後、相沢はアツシにそっと訊いてみた。
「こんなに稼がせてもらって有難いんですが」
「ん?」
「太田黒さんやアッチャンは、儲かっているんですか?」
「当たり前だろ。俺らは、ボランティアじゃないんだ」
「俺らが繋いだ客は、揃って負けているんですよね」
「だな」
「それでも、儲かっている?」
「そうだ」
「ふ~ん。……」
「こんな仕組みも分からないようじゃ、お前、見込みがないぞ」
ニッと目を細めた、アツシに見つめられたが、相沢はなんだか叱られているように感じた。
「まぁ、しかし俺も、太田黒さんから初めに話を聞いた時は、正直、俺らはどうやって儲けるんだと思ったものだ」
「……」
「説明されれば『なるほど』だが、何もないところから、こういう仕事を作り出すんだから、……」
アツシは、後の言葉を濁した。
アツシでさえ、小笠原という名を聞いたのは、初めてだった。
「もう死んでしまった人のことだ。知っても何もならないが、……」と、太田黒が述懐を始めたのは、数日前のことだった。
夜も更けた新大塚のオフィスで、ロックの焼酎を、チビチビ舐めながらのことだった。
「今回のような、天才トレーダーをネタにし、投資セミナーで客を募って、取引させて儲ける仕組みを作ったのは、小笠原さんなのだ」
「……」
「アツシの家のことも、小笠原さんが気に掛けていたんだ」
「……!」
「最初に、お前に会いに行ったのは、白石川だろ?」
「ええ」。コクリと頷く。
「小笠原さんから頼まれたと、白石川から聞いた」
「(そうだったんだ)。……」
「白石川を始めとして、俺の同期といえる同僚たちも、俺らと同じく、小笠原さんに拾われて、ここまで生き永らえることができた」
「……」。頷く。
「俺は同僚たちと、先物取引の仕事を、小笠原さんから引き継ぐことになった」
「……」。アツシは、コウゾウの話の腰を折るまいと、黙って太田黒の話を聞いている。
「他にもいくつかグループがあって、それぞれ小笠原さんから引き継いだ仕事で、生きている」
「(そうなんだ)。……」
「お互いのことをあまり知らないほうが、お互いの安全のためになる」
「……」。深く頷く。
「小笠原さんは、戦争孤児だったらしい。戦争直後は、上野駅の地下道で暮らしていたと、聞いたことがある。尋常ではない苦労を、いくつも経験してきたようだ。詳しくは語らなかったが、言葉の端々に、それが滲み出ていた」
「……」。しみじみと語る口調が、コウゾウが小笠原を慕っていたことを感じさせた。
「俺が小笠原さんに感じていたのは、義憤の人だということだ」
「ギフンですか?」
「うむ。小笠原さんにとっては赤の他人のことなんだが、その人が理不尽な仕打ちを受けていると、いつも強く憤っていた」
「……」。小さく、数度、頷く。
「小笠原さんが、体調を崩してた頃だった。福島の原発事故によって、避難生活を余儀なくされている人達の様子をみて、……」
「……」
「補償の額をケチるなんて、国のやることはいつもそうだが、下の下の行ないだな。自分が相手の立場だったら、という発想は絶対にしない連中だ。ただの災害じゃないだろう。国の施策のせいで苦汁を舐めさせられているんだ。補償額を倍額くらいにして、さらに慰謝料を払って丁度いいくらいだ」
「(なんと。なんと、尤もなことを言ってくれる人なんだ)」
「いつもそんな風に、義憤を持っている人だった。……」
「(きっとあなたもなんですね)」。そういう思いで、アツシは聞いていた。
自分の辿ってきた半生を思い返し、小笠原のように義憤を持っている人がいたことは、アツシにとって、胸が熱くなる思いであった。しかも、その人が、前途に何も希望を持てず、人生に打ちひしがれていた自分を、探し出し、生き返らせてくれた。
「いずれ、時期が来たら、詳しく言うが、……」
「……?」
「俺の代わりを、お前に務めてもらう時が、くるかもしれない」
「……」。――そんな、……。
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