第十篇 福島正則の証言
福島正則は、東軍の将である。
豊臣秀吉の親族として生まれ、賎ヶ岳の七本槍に数えられる猛将として知られた。
石田三成とは激しく対立し、武断派の中心人物として東軍への参加を主導した。
関ヶ原の勝利により、安芸広島藩四十九万石を与えられた。
大谷吉継とは、豊臣政権下において同僚として働いた。
三成の盟友である大谷を、正則がどう見ていたか——記録はほとんど残っていない。
正則本人も、進んで語ろうとはしなかったと伝わる。
以下の証言は、関ヶ原から数年後、正則の居城・広島城にて行われた。
筆録者によれば、正則は最初、会うことを拒んだという。
三度目の使者を送ったとき、ようやく「一度だけなら」と応じた。
その理由を正則はこう言ったと、使者が記している。
「大谷の話なら、聞かずに死ぬわけにはいかん気がしてきた」と。
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——本日はお時間をいただき、ありがとうございます。
座れ。
(大柄な体を椅子に沈めながら、値踏みするような目で)
あんたが三度も使者を寄越したか。
しつこい奴だと思っていたが——しつこくなければ、こういう話は聞けんな。
大谷のことを聞きたいんだろう。
——はい。
俺に聞くか。
(少し可笑しそうに鼻を鳴らして)
俺は東軍だぞ。敵側の人間だ。
それでも聞くか。
——だからこそ、お聞きしたいのです。
……まあ、そうだな。
(腕を組んで)
俺が話せることは、少ない。大谷と親しかったわけじゃない。飯を一緒に食ったことも、茶を飲んだこともない。
あいつとは——遠くから見ていただけだ。
ただ遠くから見ていたからこそ、見えたものがある。
近くにいた奴には見えなかったものが。
それを話す。
——大谷様のことを、どうご覧になっていましたか。
怖かった。
(間を置かずに)
最初から、ずっと。
——なぜですか。
三成は嫌いだった。あいつの顔を見ると、虫唾が走った。
なぜかはわかっている。三成は俺が間違っていると思ったとき、はっきりそう言う。面と向かって。容赦なく。
腹は立つが——わかりやすかった。
大谷は違った。
間違っていると思っても、すぐには言わない。
じっと見ている。
その目が——怖かった。
——「じっと見ている」とは。
人を観察するような目じゃない。
そういう目じゃないんだ。
(少し考えながら)
なんというか——待っている目だ。
こいつはいつか気づくはずだ、という目で。
俺を見ていた。
お前はいつか、自分で気づく。そう思っている目で。
その目が——たまらなく怖かった。
——気づく、とは何をですか。
わからん。
今もわからん。
ただあの目に見られるたびに、俺は——自分が何かを間違えている気がした。
何を間違えているかはわからない。
ただ間違えている気がする。
その感覚だけが残った。
(少し苦い顔で)
俺は間違えている気がするのが、嫌いだ。だから大谷が嫌いだった。
正直に言えば、そういうことだ。
——東軍として戦われた関ヶ原について、お聞かせください。
勝った。
(短く、しかし妙に乾いた声で)
東軍が勝った。俺も戦った。手柄も立てた。
それだけだ。
——それだけ、とおっしゃいますか。
……。
(少し間を置いて)
勝った日の夜、俺は眠れなかった。
それだけは言っておく。
——なぜ眠れなかったのですか。
大谷の陣のことが、頭から消えなかった。
(腕を組み直して)
あの陣は——おかしかった。
小早川が寝返り、脇坂が動き、西軍が次々と崩れていった。
東軍の俺から見ても、もう終わりだとわかった。
なのに大谷の陣だけ、動かなかった。
崩れない。退かない。
何度攻めても——崩れない。
(静かに、しかし重く)
俺はあのとき、初めて思った。
あの男は、勝つつもりで戦っていないと。
——どういう意味でしょうか。
勝つつもりで戦う人間は、局面を見ながら動く。
崩れそうになれば退く。退いて立て直す。
大谷は退かなかった。
どれほど状況が悪くなっても——退かなかった。
つまりあいつは、どこへ退くつもりもなかった。
最初から——あそこで終わるつもりだった。
(少し声が低くなって)
俺はそれに気づいたとき、攻めることが——嫌になった。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ。
でも確かに——嫌になった。
死ぬつもりで立っている男を、攻めることが。
——家康様が大谷様を恐れていたと聞きましたが。
……誰から聞いた。
——複数の方から。
そうか。
(少し間を置いて)
本当のことを言う。
俺は関ヶ原の前、家康殿と二人で話す機会があった。
東軍の作戦を詰める場でのことだ。
そのとき家康殿が——大谷の名を出した。
——どのような文脈で。
俺が東軍の武将たちの話をしていたとき、家康殿が突然、静かになった。
少し間があって——「正則、大谷をどう見る」と聞いてきた。
俺は正直に答えた。「怖い男です」と。
家康殿はしばらく黙っていた。
それから——こう言った。
——何と。
「大谷が西軍についたとき、初めて怖いと思った」と。
(静かに、しかし確信を持って)
俺は驚いた。
家康殿が怖いと言う人間を、俺は見たことがなかった。
あの方が怖いと感じる相手が——この世にいるとは思っていなかった。
——なぜ、家康様は大谷様を恐れたのでしょうか。
それを俺も聞いた。
家康殿は少し考えてから、こう言った。
「三成は読める。あいつは正しいと思ったことしかしない。だから次に何をするか、わかる」と。
「だが大谷は読めない。あいつが何のために動いているのか——俺にはわからない。わからない人間が、一番怖い」と。
(腕を組んだまま、静かに)
家康殿がそこまで言うのを聞いたのは、後にも先にもあのときだけだった。
——「読めない」とはどういう意味でしょうか。
俺なりに考えたことがある。
家康殿は——人を損得で読む。
この人間は何が欲しくて、何が怖いか。それさえわかれば、次に何をするかが見える。
三成は名誉と正義が欲しかった。それを脅かされることを恐れた。
だから読めた。
大谷は——何が欲しいのかわからなかった。
名誉でも、権力でも、生存でもなかった。
損得の枠の外にいた。
(少し間を置いて)
損得の外にいる人間は——操れない。
脅すことも、懐柔することも、取引することも、できない。
家康殿にとって——それが一番怖かったんだろうと思う。
——関ヶ原の後、大谷様について考えたことはありますか。
ある。
(即座に)
勝った後も、負けた後も——ずっと考えてきた。なぜあいつは来たのか。
俺は東軍で、あいつは西軍で。立場は違う。
でも——なぜあいつが来たかを考えることだけは、ずっとやめられなかった。
——どういう結論に至りましたか。
結論は出ていない。
(静かに、しかし力を込めて)
ただ一つだけ——思うようになったことがある。
あいつは、勝ち負けを超えたところで何かをしようとしていた。
俺にはそれが何かはわからない。
ただ——俺が一生かけてやってきたことより、ずっと大きなことだった気がしている。
——大きなこと、とは。
俺は戦ってきた。勝ってきた。領地を取り、家を守り、名を上げてきた。
それが武将というものだと思ってきた。
でもあいつは——そういうものに、興味がなかった。
最初から。
(少し遠い目になって)
俺はこの年になって、初めて思うことがある。
武将として何十年も生きてきて——俺は一体、何を残せたのか、と。
土地は残った。家は残った。
でも——俺が見たもの、感じたもの、信じたものが、どこかに残っているかどうか。
そんなことを考えたことが、これまで一度もなかった。
大谷の話を聞いていると——そういうことを考えてしまう。
あの目のせいだ。
死んで何年も経つのに——まだあの目のせいで、俺は間違えている気がしている。
——最後にお聞きします。大谷様は何のために関ヶ原に立ったとお思いですか。
……俺が答えられる問いじゃないかもしれないが。
(少し間を置いてから、静かに)
あいつは——この世に借りを返しに来たんじゃないかと、思っている。
——借りを。
人間というのは、生きているだけで誰かに借りをつくる。
親に。友に。時代に。
大谷は——その借りを、自分の命で返しに来た。
三成に対してだけじゃない。
この世に生きたすべての人間に対して。
(少し考えながら)
俺には——そんな返し方はできない。俺はまだ、自分の借りがどれほどあるかも、把握できていない。
大谷は——それが全部見えていた。
見えていたから、返せた。
(静かに目を伏せて)
俺はあいつのことが嫌いだった。
怖かった。
でも——この歳になって、あいつのような死に方ができる人間が、この世に一人でもいたことが——。
(そこで言葉が止まる)
……いや。
(短く鼻を鳴らして、照れを隠すように)
やめておく。柄じゃない。
帰れ。
言いたいことは言った。
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福島正則は立ち上がり、背を向けた。
筆録者が礼を述べると、振り返らないまま手を一度だけ振った。
廊下へ出たとき、正則の家臣の一人が小声で近づいてきた。
「殿は大谷様の話になると、いつも最後に黙られます」と言った。
「なぜかと聞いたことがあります。殿はこうおっしゃいました」と。
「あの男の話をすると、自分が小さく見えてくる。
それが嫌で黙るわけじゃない。
小さく見えてくることが——なぜか、悪くないんだ」と。
福島正則はこの証言から十余年後、幕府の法度に触れて改易となった。
五十二万石の大名から、一夜にして流浪の身となった。
以降、わずかな家臣と山中に隠れ住み、数年後に没した。
享年六十四歳。
辞世は残っていない。
ただ没する直前、枕元に一枚の紙を置いていたと、付き添いの家臣が記している*何が書かれていたかは、わからない。
家臣が手に取ったときには、すでに正則は事切れていた。
紙は白かったとも、何かが書かれていたとも、どちらの証言も残っている。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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