第九篇 石田三成の証言
石田三成は、西軍の実質的指導者である。
豊臣秀吉の側近として天下統一を支え、五奉行の筆頭として豊臣政権の行政を担った。
秀吉の死後、徳川家康の台頭に抗い、西軍を組織して関ヶ原に臨んだ。
敗北後、逃亡するも捕縛され、安国寺恵瓊・小西行長と共に処刑が決定した。
大谷吉継とは、豊臣政権下において最も深く結びついた盟友とされる。
二人の関係については様々に語られているが——三成本人が語った記録は、これが唯一のものである。
以下の証言は、処刑の前夜、三条の牢にて行われた。
筆録者によれば、三成は牢の中で書状を書いており、筆録者が入室しても手を止めなかったという。
しばらく書き続けてから、筆を置き、初めて顔を上げた。
その目は——まだ、燃えていたと記されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
——夜分に突然お訪ねして、申し訳ありません。
どこから来た。
(書状から目を上げず、低い声で)
——大谷吉継様の記録を作っております。
……。
(筆が止まる)
吉継の。
(ゆっくりと顔を上げて)
誰に頼まれた。
——誰にも頼まれていません。
嘘をつくな。
こんな牢に入れる者が、誰の差し金もなく来られるわけがない。
——それは——
いい。
(静かに筆を置いて)
どうせ明日には終わる。今さら警戒しても仕方がない。
吉継の話なら——聞こう。
——三成様と大谷様の関係を、お聞かせください。
盟友だ。
(即座に、しかし少し間を置いてから)
……その言葉が正しいかどうかは、わからない。
——どういう意味でしょうか。
盟友というのは、同じ目的のために共に戦う者のことだろう。
私は豊臣家を守るために戦った。
吉継は——何のために戦ったのか、私には最後までわからなかった。
だから盟友という言葉が、正しいかどうかわからないと言っている。
——吉継様の目的が、わからなかった。
そうだ。
(少し苛立ったように)
おかしいと思うか。
二十年以上付き合って、最後まで相手の目的がわからないなど。
私もおかしいと思う。
だが——わからなかった。
それが事実だ。
——最初にお会いになったのは、いつ頃のことですか。
豊臣の世の初め頃だ。
まだ私も吉継も若かった。秀吉様の下で、共に働いていた。
(少し遠い目になって)
最初に話したのは——そう、書状の処理をしていたときだ。
私が誤りを見つけて指摘したら、吉継が「気づいていたが、あなたが言い出すのを待っていた」と言った。
——なぜ待っていたのですか。
それを私も聞いた。
吉継は「誰かが気づいたとき、その人が言うべきだ。私が言えば、あなたが学ぶ機会が消える」と答えた。
(少し苦い顔で)
生意気なことを言う奴だと思った。
同時に——こいつには敵わないと思った。
——なぜ。
私は誤りを見つけたとき、すぐに言う。
それが正しいことだから。
でも吉継は——正しいことをする前に、人のことを考えていた。
私にはその順番が、逆だった。
ずっと——逆だった。
(短く笑って)
それが私の限界だと、吉継は最初から知っていたのだろう。
——軍議で「勝てぬ」と言われたときのことを、お聞かせください。
……聞いたのか。誰かから。
——はい。
そうか。
(少し間を置いて)
覚えている。
吉継が「勝てぬ」と言ったとき——座が凍った。
私は最初、腹が立った。
なぜ今更そんなことを言う。もう決まったことだ。皆の前で水を差すな、と。
でも吉継の目を見たとき——腹立ちが消えた。
——なぜ消えたのですか。
あいつは——嘘がつけない目をしている。
正確には、嘘をつこうとしない目だ。
本当のことだけを見て、本当のことだけを言う。
その目が「勝てぬ」と言っていた。
だから腹立ちが消えた。
代わりに——怖くなった。
——何が怖かったのですか。
吉継が見えているものが、私には見えていないことが。
(静かに、しかし重く)
あいつは座の将たちを見回した。一人ひとりを。
私にはその意味がわからなかった。
なぜ将たちを見回す。兵力の話をしているのに。
後から——わかった。
あいつは兵力の話をしていなかった。
将たちの目を見ていた。誰の目に火があるか。誰が本当に戦う気でいるか。
それを見て「勝てぬ」と言っていた。
私には——その目が読めなかった。
---
——「お前でも来てくれるか」と聞かれたとおっしゃっていたと。
……誰がそれを言った。
——小西様です。
行長か。
(少し間を置いて)
そうだ。聞いた。
今から思えば——おかしな問いだ。
勝てないと言っている相手に「来てくれるか」と聞くのは。
戦略の話でも、兵力の話でもなく、ただ「来てくれるか」と。
——なぜそう聞いたのですか。
……。
(長い沈黙)
わからない。
あのとき私は——気づいてしまったのかもしれない。
——何に。
吉継が「勝てぬ」と言ったとき。
私は反論しなかった。
反論できなかったのではない。
反論しなかった。
(静かに、しかし重く)
つまり私も——わかっていたのだ。
勝てないかもしれないと。
それでも止まれなかった。止まる理由が、私にはなかった。
豊臣家を守るために戦わなければならない。それは変わらない。
ただ——一人で行くのは。
(そこで言葉が止まる)
——一人で行くのは、と。
…………。
怖かった。
(絞り出すように)
言いたくなかったが——そういうことだ。
私は吉継に、来てほしかった。
勝つために来てほしかったのではない。
ただ——隣にいてほしかった。
それだけのために「来てくれるか」と聞いた。
武将として、あるまじき問いだと、今もわかっている。
——吉継様が「行く」とおっしゃったとき、どう思われましたか。
……正直に言う。
(牢の壁を見つめながら)
嬉しかった。
それだけだ。
勝算が増えたとか、兵力が整ったとか、そういうことではない。
ただ——嬉しかった。
その気持ちが、私は今でも恥ずかしい。
——なぜ恥ずかしいのですか。
吉継は「勝てぬ」と言っていた。
その上で「行く」と言った。
つまりあいつは——死にに来てくれたのだ。
私のために。
(声が低くなる)
そのことを理解したのは、関ヶ原が終わって、吉継が死んで、私が捕まってからだ。
気づくのが、遅すぎた。
遅すぎたどころか——気づかなければよかったとさえ思う。
気づいてしまったから、この二日間、眠れていない。
——関ヶ原当日、吉継様の陣をご覧になりましたか。
見た。
(静かに、しかし強く)
あの陣は——崩れなかった。
小早川が寝返っても、脇坂が動いても、崩れなかった。
私の陣は崩れていた。どんどん崩れていった。
なのに吉継の陣だけは——最後まで。
——どう感じられましたか。
情けなかった。
(即座に)
私は西軍を組織した。この戦いを始めた。
なのに自分の陣を守れず、吉継の陣に守られていた。
……あの男は最後まで、私より前にいた。
いつもそうだった。
私が正しいと思って突き進んでいると、吉継はいつの間にか、私より一歩前にいた。
なぜそれに、生きているうちに気づかなかったのか。
---
——なぜ吉継様は、あの戦いに来てくれたとお思いですか。
……。
(これまでで最も長い沈黙)
わからない。
(静かに、しかし確固として)
私のためではないと思う。
——なぜそう思われるのですか。
私のためなら——止めてくれたはずだ。
勝てない戦いに行くなと、止めてくれた。
でも吉継は止めなかった。「行く」と言った。
つまり——吉継の目的は、私を助けることではなかった。
私が勝つことでも、私が生きることでも、なかった。
別の何かのために——来てくれた。
——その「別の何か」とは。
…………。
今も考えている。
(牢の外で風の音がする)
一つだけ——思うことがある。
——何でしょうか。
吉継は「見えぬのか」と言った。
あの軍議の日。
私に。
私は「何が見えているのか」を、あのとき聞かなかった。
聞けばよかった。
(静かに、しかし痛切に)
なぜ聞かなかったのか。
怖かったのかもしれない。
吉継が見ているものを聞いたら——私が見えていないものの大きさを、知ることになるから。
知ってしまえば、戦えなくなるかもしれないから。
だから聞かなかった。
それが——私の限界だ。
ずっとそうだった。
正しいことだけを見て、正しいことだけを言って——その陰で何が見えていないかを、私は最後まで直視できなかった。
吉継は——その私を、それでも認めてくれていた。
なぜかはわからない。
わからないから——怖い。
——吉継様の手記が、ある古刹で見つかりました。
……。
(動かない)
……本当か。
——はい。
(長い沈黙)
何が書いてあった。
——まだ拝見しておりません。
そうか。
(静かに目を伏せて)
……読みたかった。
(小さく、独り言のように)
なぜ来てくれたのか——書いてあるだろうか。
書いてあったとして——私には、理解できるだろうか。
吉継が見ていたものを、私は最後まで見られなかった人間だから。
(少し間を置いて)
いや——。
(顔を上げて)
一つだけ、お願いがある。
——何でしょうか。
手記を読んだとき——私のことが書いてあれば。
どう書いてあったか、教えてほしい。
明日には私はいないから、教えることはできないが。
(静かに笑って)
吉継が私をどう見ていたか。
それだけが——この二日間、ずっと気になっている。
おかしいだろう。
死ぬ前夜に、そんなことを気にするのは。
——おかしくないと思います。
……そうか。
(少し間を置いて)
あいつが「行く」と言ったとき、私は嬉しかったと言った。
もう一つ・・・、正直に言う。
——はい。
怖かった。
(静かに、しかし明確に)
嬉しいと同時に、怖かった。
なぜ来てくれるのか、わからなかったから。
わからないまま、受け取ってしまった。
わからないまま、吉継を——死なせてしまった。
(声が初めて揺れる)
それだけが——後悔だ。
この戦いを始めたことではない。
負けたことでもない。
吉継が「行く」と言った理由を——聞かなかったことが。
聞いていれば——何かが違ったかもしれない。
あいつが死なずに済んだかもしれない。
そう思うことが——。
(そこで、止まる)
……いや。
吉継は止まらなかっただろう。
何を聞いても、「行く」と言っただろう。
そういう男だったから。
だから——怖かったのだ。
——最後にお聞きします。大谷吉継様に、何か伝えたいことはありますか。
……。
(牢の天井を、静かに見上げて)
伝えたいことは——ない。
向こうで会ったとき、直接言う。
(少し間を置いて)
一つだけ。
あいつに聞きたいことがある。
——何を。
なぜ来てくれたのか——と。
それだけだ。
二十年以上付き合って、最後まで聞けなかった。
向こうでようやく、聞ける。
(静かに、しかし確信を持って)
吉継は——答えてくれるだろうか。
——どう思われますか。
……。
(長い沈黙の後、初めて、かすかに微笑んで)
答えてくれないかもしれない。
「お前にはわかるだろう」と言うかもしれない。
あいつはいつもそうだったから。
答えを教えない。
ただ——問いを深くする。
(静かに目を閉じて)
それでもいい。
向こうで問いを深くしてもらえるなら——それで、十分だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
石田三成は、翌朝、三条河原にて斬首された。
安国寺恵瓊、小西行長と並んで。
処刑の前、三成は柿を勧められた。
「腹に毒だ」と断ったという。
死の直前まで、三成は三成だった。
辞世はこうである。
「筑摩江や 芦間に灯す 篝火と ともに消えゆく 我が身なりけり」
処刑後、三成が書きかけていた書状が牢に残されていた。
誰宛のものか、書きかけのため判然としない。
ただ書き出しの三文字だけが、はっきりと残っていた。
「吉継へ」
続きは——書かれていなかった。
いや、正確には——書きかけた跡があった。
何行かを書いて、強く塗りつぶした跡が。
何を書いて、何を消したのか。
もはや読むことはできない。
ただ塗りつぶした筆跡だけが、ひどく乱れていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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