2-4.それでもきみと一緒がいい
「そういうことらしいぞ、公恭」
この場にいる三人とは別の声が聞こえてきて、琉聖は煌我とともに頭を上げ、背後を振り返った。
雨宮に続いて、バレー部のみんなが伊達家の前に最集合した。伊達は目を大きくして、唐突に姿を現した雨宮を見た。
「裕隆」
「どうする。後輩にここまで言われて、それでもシッポ巻いて逃げるってんなら、俺はおまえを軽蔑するけどな」
いかにも雨宮らしい声かけだった。瞳を揺らし、雨宮から目をそらした伊達に少しずつ近づきながら雨宮は続ける。
「おまえの気持ちはよくわかった。気づいてやれなくてごめん。おまえなら大丈夫だって、俺、心のどこかで安心してた。大丈夫なはずないよな。今のおまえは、泥で作った船で海へ放り出されたようなもんだ。そんなの、いつか溺れちまうに決まってる」
琉聖と煌我が道を開け、雨宮は伊達の正面に立った。
「久慈のことを意識するなとは言わん。けど、おまえがセッターの練習をはじめてまだ二ヶ月も経ってない。そんな短時間で久慈くらいうまくなれると思うか? あり得ないだろ。なれるわけがない。そんな魔法が使えるなら俺がとっくに使ってるよ」
「それは……」
「な、そうだろ。誰もおまえのことを責めてなんていない。我慢してるヤツもいない。みんながみんな、それぞれに責任を感じてる。今はただ、その気持ちが噛み合ってないだけなんだよ。今聞いたよな、佐藤の話。勝てないのは自分の力が足りないからだ、おれが伊達さんを支えてやらなきゃいけないのにって、責任感じてヘコんでる。頭お花畑日本代表のこいつがだぞ、信じられるか?」
「ちょい、雨宮さん」
「なんだよ、ホントのことだろ」
煌我がツッコむも、雨宮はなんでもない風で受け流す。ささやかな笑いが起きた。琉聖の顔にも笑みが浮かぶ。
「冷たい言い方に聞こえるかもだけど」
言葉とは裏腹に、雨宮は穏やかな表情で続けた。
「誰もおまえに久慈レベルのトスなんか求めてない。期待なんてしちゃいないんだ。久慈と同じレベルでバレーができて、久慈と同じことをしろっておまえに言えるヤツはこのチームにいないんだから。おまえはただ、今のおまえにできることを精いっぱいやってくれればいい。ヘタでいいから、堂々と胸張ってコートに立て。おまえはおまえのやるべきことをちゃんとやれてる。自信をなくす必要はない」
「でも」
「頼むから」
伊達の声を遮り、雨宮はすがるような目をして言った。
「頼むから、戻ってきてくれよ」
いろいろなことを話したけれど、雨宮がもっとも伝えたかった気持ちはそれだった。
「決めたろ、一年前に。なにかあった時には腹割って話をしようって。お互い助け合っていこうって。おまえひとりで苦しむなよ。しんどいならしんどいって素直に言え。俺が半分背負ってやるから」
「裕隆」
「そうだよ、公恭くん」
美砂都とが雨宮の隣に立った。
「わたしも一緒に背負う。裕隆くん一人じゃ頼りないもん」
「おい」
「なに。ホントのことでしょ」
少し前に見た光景が人を変えてくり返される。雨宮はため息をついたけれど、すぐに気持ちを切り替え、改めて伊達と向き合った。
「そういうことだ。俺たち三人で、一緒に苦しもう。一緒にうまくなろう。今はまだ勝てなくてもいいよ。勝てない時間があってこそ、勝てるようになった時に心から嬉しいって思えるんだろ」
そうだよな、と琉聖はこれまでの自分と違う場所に立っていることを改めて実感した。
勝つことを第一に求められる常勝チームにいると、負けた時には絶望して、勝った時はホッとする。よかった、勝てた。それは喜びの感情ではなく、安堵。誰にでもできることではない「勝つ」ということを当たり前のように為さなければならない環境では、「勝てたら嬉しい」という、誰もが当然に持っている感情を失ってしまう。
そうした厳しい環境、勝つことだけに執着することを自然と楽しめる人はそれでいい。でも、伊達はそうじゃない。
勝たなければならない、うまくやらなくてはならないというプレッシャーに対し、心が拒否反応を示している。実里丘高校男子バレー部ををそういうチームにしてはいけないのだと、勝つことだけを目標にするチーム運営ではいけないのだと、伊達はチームに背を向けることで琉聖に教えてくれていた。
「楽しんでいこう、俺たちのバレーボールを」
雨宮は伊達の前に右手を差し出す。
「俺は、おまえと一緒にバレーがしたい」
伊達の瞳の色が変わった。心を揺さぶられている人の目になった。
「おれも!」
煌我が言った。
「おれも伊達さんと一緒がいい!」
「オレも!」
「ボクも」
「「おれもー」」
「オレもだ」
眞生、オグ、左京、右京、快。
煌我に引っ張られるように、一年生たちが次々と声を上げていく。「公恭くん」と美砂都がめいっぱい笑ってその名を呼ぶ。
「伊達さん」
最後に琉聖が口を開いた。
交渉に失敗しそうになったら話そうと決めていたことを伊達に告げた。
「やめてもいいですよ、セッター」
「え?」
伊達だけでなく、全員が驚いた顔で琉聖を見た。
一方で、琉聖だけは冷静で、真剣だった。
「その代わり、部活には戻ってきて。セッターは俺がやる。愛知県選手権にも俺が出るから」
「なにを言ってるんだ、久慈」
雨宮が口を挟んできた。
「それはダメだろ。医者の許可は下りてるのか」
「下りてない」
「だったら」
「そういうことじゃないんだって」
それ以上雨宮にはなにも言わせなかった。雨宮にダメ出しをくらうことは想定済みだった。
「俺以外にもう一人セッターを作っておくことは絶対に必要。それは俺もわかってる。だけどさ、セッターなんてろくでもないポジションなんすよ。地味だしすぐ文句言われるし繊細な技術を要求されるしどれだけがんばっても最後はアタッカーに全部持っていかれるし、とにかくしんどいことばっかりで、生半可な覚悟しか持たずにやるとつぶれるのは当たり前なんだ」
「久慈……おまえ普段そんなこと思いながらセッターやってんのか……」
「そうだよ。どうせあんたたちアタッカーにはわかんねぇだろうけどさ、俺の気持ちなんて」
雨宮は渋い顔をしたけれど、わかってほしくて話をしているわけじゃなかった。
耐えられないくらい苦しいなら、部活に足が向かなくなるくらいなら、やってもらわなくていい。伊達を苦しめたくて、彼にセカンドセッターをお願いしているのではない。
彼から楽しいバレーボールを奪うことを琉聖はこれっぽっちも望んでいない。楽しめない苦境、逆境なら、逃げ出したくなってしまうのは当たり前だ。
「俺はもう、腹決めてるから」
琉聖は続きを話した。
「どうせ俺にはセッターしかできないんだ。チビだし、パワーもジャンプ力もない。でも俺は、セッターにしか味わえないバレーの楽しさを経験してる。つらいことばっかりだけど、それでも楽しいって思える瞬間があることを知ってる。だからセッターは俺がやる。からだのことも心配いらない。順調に回復してるし、次の春高でバレーボール人生が終わってもいいって思ってる」
「そうなのか」
煌我が目を丸くした。琉聖は「そうだよ」と淡々とこたえた。
「別にプロ選手になろうとか思ってないし、大学もバレーをやるために選ぶつもりないから」
「獣医になるんだよねー」
左京が言った。「ねー」と右京が念押ししてきて、余計なことを話すんじゃなかったと琉聖は軽く後悔した。仲間たちの「へー」というキラキラした声と視線が恥ずかしくてたまらない。
「とにかく」
仕切り直すように、琉聖は伊達と目を合わせた。
「もし伊達さんがこれ以上セッターとしてバレーにかかわりたくないって言うなら、俺はその気持ちを尊重します。とりあえず俺さえいればチームとしては成り立つわけだし、伊達さんにはバレーを嫌いになってほしくない。愛知県選手権まであんまり時間ないけど、もう一回チーム構築を見直して……」
「勝手なことを言うな!」
これまで黙りこくっていた伊達が、叫ぶように声を上げた。みんなが驚き、伊達を見た。彼の握りしめている右の拳は震えていた。
「ぼくは」
拳だけでなく、伊達はその声までをも震わせた。
「ぼくはそうやって、ぼくの行く道を誰かに決められるのが大嫌いなんだ」
誰に向けられた言葉でもない。矛先は伊達自身だった。
沈黙が落ちる。少なくとも一年生が口を開ける空気ではなくなった。
「じゃあ、おまえはどうしたい?」
そんな中、雨宮が伊達に優しく問いかけた。
「俺たちの言いたいことはだいたい伝えた。話を聞いて、おまえはどう思ったんだ」
伊達は再び黙ってしまった。答えはとうに見つかっているけれど、口に出すことをためらっているように琉聖には見えた。




