1-1.暗転
気象庁による梅雨明け宣言が為されてもおかしくないくらい、今日の空はどこまでも青く澄み渡っていた。あと数日この空模様が続けば本当に梅雨明けとなるのだけれど、どれくらい期待できるだろうか。
定期テストが終わると同時に、琉聖はバレー部の一年全員と合流し、煌我のホームルームである一年A組の教室で弁当を食べた。テストの出来映えの話を少しだけして、あとの時間はもっぱら部活のことを話していた。
特に煌我は、今日という日を誰よりも楽しみに待っていたようだった。
「今日から復帰できるんだよな、琉聖!」
煌我だけではない。部員全員の関心事と言ってよかった。琉聖は恥じらいながら「うん」と小さくうなずいた。表情とは裏腹に、心はいつになく弾んでいた。
定期試験終了と同時、つまり今日からボールを使った練習に復帰していいと主治医から許可が下りたのは、定期テスト期間も欠かさずかよったリハビリ中のことだった。
もちろん、最初からこれまでどおりの練習ができるわけじゃなく、簡単な動きから徐々にからだを慣らしていく必要はある。パス練習から始め、次第にレシーブ練習やトス練習へと少しずつ幅を広げていく。病院でのリハビリにもまだまだかよわなければならない。けれど、琉聖は着実に選手としての再起の道を歩んでいた。できる動きが増えるたび、これまでどおりバレーを楽しめる未来をより鮮明に思い描けるようになった。
「よっしゃあ!」
煌我が早く練習したくてウズウズしている顔で言った。
「今日からは伊達さんも出てくるだろうし、これでようやくスパイク練習ができるな」
「そうだな。いきなりこれまでどおりの練習はできないけど、俺も少しなら上げられるかも」
「雨宮せんぱいにダメって言われなきゃあね」
眞生が茶化すように言った。「それな」と琉聖は肩を落とす。
「絶対ダメって言うよ、あの人。今度の大会に出るのも俺じゃないし」
「『一本だけだぞ。これは部長命令だ』とかフツーに言いそう」
「うわ、今のめちゃくちゃ雨宮さんだったわ。似すぎ」
眞生のモノマネがなかなかうまくて、先輩を餌に七色の笑い声が上がる。テスト明けという解放感も相まって、一年たちの雰囲気はいつになく和やかだった。
話が盛り上がる中、琉聖は頭の片隅で今日の練習のビジョンに思いを巡らせていた。愛知県選手権大会の名北予選会まであと一ヵ月。少しずつ試合に向けた調整もかけていかなければならない。
守備はいい。問題は、攻撃だ。
煌我の言うとおり、伊達とのコンビ練習にウェイトを置いた練習が必要になってくる。煌我と伊達、二人の間の最適解はまだ見つかっていない。伊達を、ここぞという時に頼れる一本を上げられるセッターにする。自信を持ってトスを煌我に振れるセッターに。
大丈夫。あの人なら必ず答えを見つけてくれる。
そのために、俺にできることは。琉聖の頭の中は、練習が始まる前からバレーのことでいっぱいだった。
雨宮の指示した集合時刻である午後一時半の少し前。琉聖たちは首を揃えてクラブハウスにある男子バレー部の部室へとやってきた。しゃべったり、スマホゲームを楽しんだりしていたら時間ギリギリになってしまってまだ着替えが済んでおらず、雨宮に怒鳴られることを覚悟で扉をくぐる。
「ちわーっす」
煌我を先頭に入室したが、雨宮の姿はそこになかった。クラブハウスの前にもいなかったし、すでにトレーニングルームへ行っただろうか。
琉聖たちは慌てて着替え、トレーニングルームへ急ぐ。体育館に併設されたそこは土足厳禁で、グラウンド側からも出入りできるよう扉がついている。ラグビー部が普段使っている場所というだけあって、靴置き場は泥の固まった白い汚れでいっぱいだった。
今日はそちらの扉から入る。外履きを脱ぎ、バレーボールシューズを片手に今度も煌我から室内へ入って挨拶をすると、声は返ってこなかったが、今度は雨宮と美砂都の姿を見つけることができた。
しかし、集合時間ぴったり、いや、少しだけ過ぎてしまった頃に現れた後輩に、二人ともなにも言わなかった。怒るどころか挨拶すら返ってこないし、伊達の姿も見えない。
琉聖も顔を曇らせる。二人の横顔はどことなく暗く、空気も重い。なにかあったのか。伊達がこの場にいない理由は、いったい。
「あれ、伊達さんは?」
煌我の声に、雨宮も美砂都もやはりなにも言わなかった。一年生たちは何事かと顔を見合わせ、琉聖が再度雨宮に声をかける。
「雨宮さん?」
「来ない」
雨宮は低い声で答えた。
「公恭は来ない」
「は? なんで」
煌我が詰め寄る。雨宮は答えない。琉聖も黙ってはいられず、真意を探る。
「まだ体調が戻らないんですか」
「いいや」
「じゃあなんで」
「知らん!」
突然声を張り上げた雨宮に、琉聖だけでなく、一年生は全員、わけもわからずその場にぴたりと凍りついた。
雨宮は深く息をついた。
「とにかく、あいつは来ない。今日に限らず、明日も、明後日も」
「裕隆くん!」
美砂都が半ば悲鳴のような声で雨宮を制した。その声は震え、瞳には涙がにじんでいる。
二人の二年生のただならぬ様子は、事情を察するには十分すぎた。
背筋がすぅっと冷えていく。吐き出した息が震えている。
大きな後悔と焦燥感が同時に全身を襲ってくる。思い描いていた、春高に向けたチーム構築のビジョンが音を立てて崩れていく。まるでジェンガのように、一気に、派手に。
琉聖は仲間たちに背を向け、グラウンドへとつながるトレーニングルームの扉を開けた。「琉聖」と煌我にかけられた声には応えず、お気に入りのナイキのスニーカーに足を通す。
「琉聖!」
トントンと短く低い階段を下りきったところで、煌我が今度こそ琉聖を呼び止めた。琉聖は静かに立ち止まり、細く息を吐き出した。
「おまえにはわからないだろうな」
顔を下げて、つぶやく。そう、この気持ちはセッター経験者にしかわからない。
うまくいかなくて、逃げ出したくなる気持ち。点が取れないのは全部セッターのせいだと自分を責めて、周りは敵ばかりだと嘆きたくなる気持ち。
同じコートに、アタッカーは四人。セッターは、一人。
誰も助けてくれない。同じ苦しみを分かち合える仲間がコートにいない。もがいても、もがいても、空回りして沈んでいく。少しずつ心が動かなくなっていく様子を客観的に感じ、絶望する。
今日の練習に、伊達は来ない。明日も明後日も来ないのだと雨宮は言った。
もう二度と、来ないかもしれない。
バレーボールを嫌いになってしまったかもしれない、伊達は。
ギリ、と琉聖は歯がみする。
追い込んでしまった。伊達を、琉聖もかつてハマったことのある袋小路へ。
バレーなんて、こんなにもしんどいスポーツのどこがおもしろいんだ。一度そう思い込んだらなかなか抜け出せない底なし沼へ。
俺のせいだ。
俺のせいで、伊達さんは――。
うつむいたまま、琉聖は再び歩き出す。向かう先は、制服や荷物の置いてあるクラブハウス。
けれどその足をすぐに止めることになった。煌我の心の叫びが、そうさせた。
「おれのせいだ」
琉聖は振り返る。右の拳をきつく握った煌我が、めずらしく顔を下げていた。
「この前の練習試合で、おれが打てなかったから。おれがちゃんと、伊達さんと話をしなかったから」
「煌我」
「どうすればいい、琉聖」
上がった煌我の顔は曇っていたけれど、完全に光を失ってはいなかった。
「おれ、伊達さんのトスでも変わらず打てるようになりたいんだ」
他のどんな言葉よりも、今の煌我の前向きな一言が琉聖の心を動かした。
こいつはまだあきらめていない。目の前で崩れていくジェンガを、また一から組み直そうとしている。
一瞬の後悔と、大きな希望。やはり、煌我は強い。失敗しても後ろを向かず、自分の力でチームをピンチから救おうと動き出せる。
そうだ。うつむいてばかりはいられない。からだの半分も煌我に向けていなかった琉聖は、改めて煌我のほうを振り返った。




