婚約破棄宣言した殿下の後ろで、被害者本人が冤罪を主張してくる件ー今日も私の婚約者はバカワイイー
「ナサニエル・ドレー! お前がサーシャ・ウッド嬢を虐げたことはわかっている! お前は第三王子である私の婚約者として、相応しくない。今度こそ婚約破棄だっ」
金色の髪をくしゃくしゃに掻き乱しながら、学園のテラスで顔を真っ赤にして宣言するアレス殿下の姿に、思わず眉を顰める。
「……学園内とはいえ、殿下が一人で行動なさっているのは感心致しませんね。従者や護衛はどうなさったんですか?」
「ええい、今はそんなこと関係ないだろう!」
「関係ありますよ。大切な御身に何かあったら、どうなさるのですか」
くしゃくしゃになった髪をそっと整えながら、優しく笑いかける。
「どうせまた、勝手に撒かれたのでしょう。仕方ない御方ですね。後で私と一緒に謝りましょう?」
「っ」
一瞬こちらに見惚れる様に頬を赤く染めたアレス殿下は、すぐに怒りの表情で私の手を振り払った。
「お前に謝ってもらう筋合いはない! 今日限りで私とお前は婚約破棄するんだからな!」
「私が、サーシャ・ウッド嬢を虐げたから、ですか?」
「ああ! 相手が男爵令嬢だから、伯爵令嬢であるお前に抗議はできないとタカをくくっていただろう。私が代わりに断罪してやる!」
「さてさて、困りましたね。全く心当たりがございませんが」
「とぼけるのか!」
「あああ! アレス殿下、ようやく見つけましたよ!」
「もう、ナサニエル様を見つけたからって、リードを外した犬のように突っ走るのはやめてください! 二人っきりでお話したいのはわかりますけどっ」
きゃんきゃんと子犬のように吠えるアレス殿下を微笑ましく眺めていると、アレス殿下が撒いた護衛と従者が走って追ってきた。
ただでさえ赤かったアレス殿下の顔が、今度は耳まで真っ赤に染まる。
「ち、違う! 私はこの女に断罪を……」
「私がサーシャ・ウッド嬢を虐げたから、婚約破棄するおつもりらしいです」
「「はあ?」」
「わ、私は確かにこの目で目撃したのだ! この女が、サーシャ嬢を虐げる姿を」
「――ご、誤解ですわ! 殿下! 私はナサニエル様に虐げられたことなぞ、ございません!」
とうとうサーシャ嬢まで、息せききって駆け寄ってきたのを、半分面白がりながら眺めていると、引っ込みがつかなくなったアレス殿下が顔を真っ赤にして叫び始めた。
「嘘だ! 私はサーシャ嬢が、ナサニエルに階段から突き飛ばされたのを見たぞ!」
「違いますわ! 偶然階段の近くでお見掛けしたナサニエル様があまりにも尊過ぎて、立ち眩みを起こして階段から落ちそうになっただけです! しかもナサニエル様はそんな私を抱きとめてくださいました!」
「血、血が出て医務室に運ばれただろう!」
「抱きとめられた興奮で鼻血を噴きだして失神してしまったのを、ナサニエル様が抱き上げて医務室に運んでくださったんです! ナサニエル様の腕の中で目を覚まして、再び鼻血を噴いて失神してしまって、大惨事になりました!」
「も、物を壊されたり、ノートを捨てられたりしたと言っていたではないか!」
「ナサニエル様に近づき過ぎだと、ナサニエル様親衛隊にお灸をすえられただけです! でもナサニエル様が気がついて、すぐに止めて賠償もさせてくださいましたから、既に被害はありません」
被害者だと思っていた当人に、主張を一つ一つ潰されて、とうとうアレス殿下は泣きそうになった。
「っそもそも、こんな常に男装しているような女が、私の婚約者として相応しいはずがないだろっ!」
「仕方ないでしょう。私は騎士科で、在学中はこちらの方が正装なのですから。ダンスの講義の時は、きちんとドレスを纏っておりますし」
ドレー家は代々騎士の家系で、嫡男以外は性別を問わずに騎士になることが決まっている。家庭教師を雇って第三王子妃としての教育はきちんと受けているが、学園で在学中は男女共通のデザインである騎士科の制服を着るのは当然であるし、それは王家も承知していることだ。
「王家は、私が将来的に騎士団を掌握しながら、第三王子妃の職務も両立することを期待しておりますし、当家もそれを前提としてアレス殿下に婚約を申し込みました。今更私が男装しているとか、女らしくないとか、そのような理由で婚約破棄は通りませんよ」
高く結った黒髪を揺らしながら少しだけ膝を曲げ、まだ10㎝ほど私より低い殿下と目を合わせながら、顎をすくい上げる。
殿下の美しい青い瞳の中には、とろりと甘く微笑んだ私の姿が映り込んだ。――我ながら、男と間違われても違和感のない顔だ。ドレスが似合わないわけでもないので、完全に男顔と言うわけでもないだろうが。
そんなことを考えていると、傍らでサーシャ嬢が鼻血を噴いて失神したのを、アレス殿下の護衛であるゴードンが慌てて支えていた。
周辺からは、女性との黄色い悲鳴が飛び交っている。女生徒からの人気は、相変わらずのようだ。婚約者がいて当たり前のこの貴族学園で、婚約者の気分を害する懸念なく現を抜かせる相手は同性くらいのものだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
次の瞬間、アレス殿下の青い瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。
「……な、なんで」
「?」
「なんでお前ばっかりがもてるんだあああー!!!」
「あ、殿下、お待ちください!」
走り去るアレス殿下の背中を、侍従のリンゲルが追いかける。今日も学園は平和だ。
「……ああ、もう、本当。仕方ない御方だな」
「仕方ないで許していいのか、あれを」
サーシャ嬢が失神している為、アレス殿下を追いかけることができないゴードンが、呆れたように呟く。騎士科の同期なので、それなりに気やすい仲ではある。
「あれは庶民の反抗期のようなものさ。親にも兄弟にも甘えられないアレス殿下が、私にだけ甘えて対抗心を剥き出しにしてくださっているのだと思えば、光栄だとこそ思いはしても、腹は立たないよ。実際殿下は、私に対して以外は優秀だろう?」
妾妃だった母親を幼くして亡くしたアレス殿下は、後ろ盾もないまま王宮で必死に足掻いて生きてきた。婚約をしてからは、ドレー家が後ろ盾として色々動いてはきたけれど、所詮は伯爵家。さらに高位の貴族相手になると、対抗は難しい。
それでも今、きちんと第三王子としての地位を確立しているのは、紛れもなくアレス王子自身の努力の賜物だ。
「むしろ『私と婚約しても何もいいことはないぞ』と、6歳にして全てを諦めた目をしていた頃を思えば、今の成長が嬉しいくらいだ」
『わたしと婚やくしても、何もいいことはないぞ』
『母は死んだ。父はわたしにきょうみがない。母の生家は、役にたたない』
『王位をねらいかねないじゃまものだと、いずれ廃じょされる』
『婚やくなぞしたら、おまえの家までまきこまれるぞ』
誰に吹き込まれたのか、暗い目でそう呟く殿下に、6歳の私は膝を折った。
『わたしは騎士の家系で、かぞくもわたしも、自分のみは自分でまもれます』
『だから、わたしをあなたのこんやく者にしてください』
『あなたをまもりたいのです』
悲しい目をした、一人ぼっちの王子様に、一目で恋をしてしまったから。
「殿下は子ども時代を、子どもらしくいられなかったから、今私に対してだけ、押し殺して来た幼児性を発揮しているのさ。実に愛らしいだろう? 私は殿下が反抗期を抜けるまで、母のようにそれを受け流し続けるつもりさ」
「……そんなことを言って、変な女にアレス殿下を寝取られたらどうするつもりだ」
呆れたように嘆息するゴードンに、私は女性にとって魅力的に映るよう、計算され尽くした笑みを浮かべた。
「その時は、誑かした女を寝取るまでさ」
「……お前が言うと、笑えない冗談だな」
「本気だからね」
馬鹿で可愛い、私の王子様。
私以上に君を守れる相手が現れない限り、私は絶対に君を離さないからね?
5、6年ぶりになろうを再開したら、今の流行が浦島太郎だったので、実験作として投下しました。
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