第53話 部下を掌握する元魔王
生誕祭を終えたアリエスは聖女の修行に打ち込みながら、馬に乗る練習を積んでいた。
「はいはい、どうどう」
「アリエス様も、だいぶ馬の扱いに慣れてこられましたね」
「はい、この子が言うことを聞いて下さいますから、私もやりやすくて助かっています」
アリエスが乗っている馬は、先日の任命直後の行進で馬車を牽いていた葦毛の馬の一頭だった。
この馬たちの様子について、一部の馬の世話をしている人たちが首を傾げている。
それというのも、なかなかに気難しくて手を焼くことがあるからだ。ところが、アリエスが乗ると分かれば暴れることはまったくない。むしろ、乗せることを楽しみにしているかのようにそわそわし始めるのだという。
アリエスが乗っている間にはとにかく上機嫌。これには本当に馬の世話をしている人たちは不思議でならなかった。
しかし、アリエスの前世を知っているスラリーからしてみれば当然のことだった。
アリエスの前世である魔王は、人間たちからすれば非情なる存在に思えただろう。
実際のところはその逆で、仲間である魔族に対してはこの上なく優しく接していた。ぶっちゃけ過保護ともいえるところすらあった。
人間に対しても魔族たちは非情であるものの、魔王だけはちょっと違っていた。刃向かってきた者には確かに容赦はない。それでも弱い者には情けをかける場面もあったという。
馬たちには、そういうアリエスの根っからの博愛精神のようなものが感じ取れたのだろう。だからこそ、馬たちはアリエスに対して暴れるようなことはしなかったのだ。
「はあ、気持ちよかったです。ふふっ、また今度よろしくお願いしますね」
「ヒヒーン」
アリエスが首筋を撫でてあげると、馬たちはとてもご機嫌にいなないていた。
笑顔でひらひらと手を振るアリスは、教会へと戻ろうとする。
カプリナとサハーに付き添われて伯爵邸の前までやって来る。
「それでは、私はこれで失礼します。また伯爵邸にお邪魔できる日を楽しみにしておりますね」
「はい。またお越し下さい、アリエス様」
アリエスとカプリナは、笑顔で別れる。
伯爵邸からは、サハーの付き添いで教会まで戻っていく。
その途中、物陰から一人の女性がゆっくりと現れる。
本来なら怪しい人物が出てくれば、護衛であるサハーが身構えるはずである。ところが、サハーは身構えることなく女性と向かい合っている。
アリエスも警戒するところが、その様子がまったくない。
「ふふっ、やっと会いに来てくれましたか。待ちくたびれましたよ、ライラ」
ライラと呼ばれた女性は、ふうっとため息をついている。
すっかり観念した様子でアリエスを見つめている。
「やっぱり、正体に気付かれてしまっていましたか」
「それはもちろん。行進の時だって、いつ声をかけようかと迷いましたよ。カプリナ様がいらっしゃいますから、結局声をかけられずじまいでしたけど」
真顔で淡々と話すライラに、アリエスは苦笑いを浮かべながら話をしている。
「それにしても、あなたまでわざわざ私の監視ですか? 聖女に気付かれずに監視となれば、確かにそれなりの技術を持つ者が必要とはなりますが……。今の魔王軍は相当に人材不足と見ていいのでしょうね」
アリエスはあごに手を当てながら、なにやらぶつぶつと喋っている。
この様子を見守りながら、サハーは周囲を警戒している。なにせ往来のど真ん中だ。誰に聞かれるか分かったものではないからである。
「それはそうと、パイシズは元気にしていますか?」
「はい、パイシズ様はお元気でいらっしゃいます。ですが、今の魔王への対応にかなり苦慮されておりますので、正直言いまして胃の方が心配ですね」
「それはそれは……。相変わらずの苦労人でいらっしゃいますね」
アリエスはくすくすと笑っている。
「やはり、聖女様は私どもの魔王様でしたのね」
「はい。この世界の神とか名乗る者に、よりにもよって、私を殺した聖女というものに転生させられてしまいました。ですが、今はそれでよかったと思います」
「それはどういう……?」
アリエスの言葉がちょっと理解できないのか、ライラは目を丸くしているようだ。
「そうではありませんか?」
アリエスはにっこりと微笑んで、軽く首を傾げている。
「聖女であれば、以前敵対していた人間はすべて味方となります。そして、聖女の敵に回る魔族は、その多くが私の元部下です。スラリーやサハーを見ても分かる通り、人間と魔族の和解は不可能ではないと思われるのですよ」
「……なるほど」
「魔族に理解のある私が聖女となった以上、争いごとは減らしたいのです。そのためには、今の魔王との敵対はどのみち避けられないでしょうけれどね」
アリエスは残念そうに目を伏せている。
「そこでライラ、お願いがあります」
「はっ、なんでしょうか、魔王様」
「私の情報をパイシズに渡すのは構いませんが、時々、あちらの情報もこちらにお渡し下さい。あまりにこちらの対応が早いと、間者を疑われますから、本当に時々でいいのです」
「私に、魔王軍のスパイをしろと?」
「はい。もともと私が築いてきた魔王軍です。勝手にされるのは、嫌というものでしょう?」
にっこりと満面の笑みを見せるアリエスに、ライラは恐怖を感じてしまう。
やはり、この方は魔王様だと確信できてしまう程に。
「承知致しました。このライラ、必ずやアリエス様のお役に立ってみせます」
「はい、よろしくお願いしますね」
話し合いだけでライラを傘下に収めてしまうアリエスである。
魔王と聖女という二面性を持つアリエスの伝説が、いよいよ幕を開けようとするのだった。




