第32話 馬に乗りたい元魔王
ライラが依頼をこなしに街の外へと出ている間、アリエスは教会を出て、ゾディアーク伯爵邸を訪れていた。先日、目を輝かせて訴えていた乗馬の件が認められたため、習いに行くためである。
「馬に乗れるなんて、楽しみで仕方がありません。なにせ、魔王時代も含めて初めてですからね」
アリエスは両手を握ってかなり興奮しているようである。
「アリエス様。隣にいるのが私だけだからといっても、そういうことは言わない方がよろしいと思われますよ。ここは人間の街なのですからね」
自分の前世について言及するアリエスを、護衛を務めるサハーが諫めている。
ただでさえ聖女認定を受けた身であるというのに、魔王なんて物騒な単語を出したらどんな反応をされるか分かったものではないのだ。
とまあ、サハーからのお小言をもらいながら、アリエスはゾディアーク伯爵家へとやって来た。
門のところまでやって来ると、待ちきれなかったのかカプリナがわざわざ外までやって来ていた。服装はしっかりと馬に乗るための服装になっていた。
「ようこそいらっしゃいました、アリエスさん」
パンツスタイルのために、カーテシーがちょっと変に感じてしまう。しかし、アリエスはそんな細かいことは気にしないので、さらりと話を進めることにする。
「カプリナ様、本日はお世話になります」
アリエスは体の前で両手を組むと、にこりと微笑んで挨拶をしている。
後ろでは、サハーも一緒になって頭を下げて挨拶をしている。
「それでは、我が家の馬術場までご案内致します」
「はい、よろしくお願い致します」
カプリナの案内で、アリエスはゾディアーク伯爵邸の中を歩いていく。
過去にはお茶会などで訪れたことがあるものの、思った以上に伯爵邸は広く、今回向かう先は実に初めて見る光景である。
庭園の中を抜けていくと、耳に馬の鳴き声が聞こえるようになってきた。
「見えてきましたね。あそこがゾディアーク伯爵家の馬小屋でございます」
カプリナが指を差した先には、立派な木組みの建物が建っていた。その奥には木の柵も見える。柵の中では馬たちが自由に過ごしているようだ。
「まあ、あれが先日の馬ですか」
「はい。よくお分かりになられましたね。先日私が乗っていたのは、あちらに見えるちょっと濃い茶色が特徴の馬ですね。昨日も乗っていましたけれど」
「カプリナ様は、よく乗馬をなさるのですね」
ちょっと食い気味にカプリナに迫っていくアリエスである。
もう馬に乗りたくて乗りたくて仕方がないのか、カプリナとの距離が恐ろしいまでに近くなっている。
「ちょっと近いですよ、アリエスさん……」
カプリナにちょっと引かれてしまい、アリエスは我に返って少し下がる。
「こほん、失礼しました。馬に乗れると思いますと、ちょっと興奮してしまいまして……。申し訳ありませんでした」
「あ、いえ。私も最近は乗りたくて仕方ないですから、気持ちはとてもよく分かりますから、気になりませんよ」
恥ずかしそうに謝罪をするアリエスの言葉を受けて、カプリナも自分もそうだからといって笑っていた。
ちなみにその後ろでは、サハーがはらはらと落ち着かない様子で立っていた。
「スラリー」
「なに、かぷりな」
カプリナの声に反応して、スラリーが擬態を解く。
べにょんとしたスライムがどこからともなく現れるが、騎士たちも馬たちも慣れてしまっているのか誰も慌てる様子はなかった。
「アリエス様は乗馬初心者ですので、あなたのお力で守ってあげて下さい」
「ん、わかった」
カプリナの指示を受けて、スラリーはにょーんと伸びてアリエスの肩からくるりと乗っかると、マントのようなものに擬態して落ち着いた。
「これでよし」
スラリーはアリエスの肩で落ち着いているようだった。
さて、話がまとまって馬に乗るということになる。
アリエスは馬に乗った経験がなく、まだ十歳の少女ということで体力的に問題があるとされた。なので、騎士が乗る馬に一緒にまたがって、馬に乗るということがどういうことなのかを体験してもらうことになった。
まずは馬に乗るための服に着替えてもらうことになるのだが、今日のところはカプリナの着ている乗馬服の予備に着替えてもらうことになった。
「次からはアリエス様専用の乗馬服をご用意しますので、今日のところは私の服で我慢下さい」
「いえ、そこまでお気遣いなく。私は聖女の衣装のままでもまったく構いませんのに……」
「いけません。スカートでは思ったように動けませんし、またがる時にスカートが大きくまくれ上がってしまってはしたないです」
服装を気にしないという趣旨のことをいうと、アリエスはカプリナにしっかりと怒られてしまっていた。
聖女は聖女服であることが当たり前になっているし、アリエスは前世のこともあってか、服装に無頓着さに拍車がかかっているのだ。
「アリエス様、ここはカプリナ様の言葉に従って下さい。何かあれば私どもが気を揉むことになりますから」
サハーからもしっかりとお小言言われてしまう。周りからこんな風に言われてしまえば、アリエスは従うしかなかった。
服を着替え終わると、いよいよ馬に乗ることになる。
馬に乗った状態の景色は一体どのようなものなのだろうか。アリエスは初めての体験に、今から興奮しているようだった。




