第102話 ペガサスと空行く元魔王
真っ白な馬体を輝かせながら、ペガサスは一路ゼラブに向けて夜空を駆けていく。
まさか自分が乗馬訓練をしていた時の馬がペガサスだったとか、誰が想像しただろうか。
しかし、驚いてばかりもいられない。
「ペガサス、このままゼラブの方向へ向かって下さい」
「ヒヒーンッ!」
ペガサスはいななくと、アリエスが真っすぐ指差した方向へと駆け続けた。
(まったく、奴らも時を狙っていたのだろうな。どうにかして、人間の国を滅ぼせないかと調べている間に、大きな穴を見つけたのだろう。エリスやキャサリーンの手紙からすると、ここしばらくで一気に国が乱れ始めたようだからな)
アリエスはじっとゼラブの方を見つめている。
かなりのスピードで夜空を駆けているので、本当ならば目を開けているのも厳しいはずだ。
だが、アリエスはまばたきはするものの、顔を上げたまま目はしっかりとゼラブの方向を見つめている。
(娘とアクアの故郷だ。お前の思う通りにはさせはせぬぞ)
アリエスは強い気持ちを抱いたまま、魔族の襲撃に備えるためにゼラブへと急いだ。
その途中、かつての自分の居城のあった方向へと視線を移す。
(この山の向こうが、俺の居城があった場所だな……。相変わらず、凍るような酷い魔力が漂っているな……)
サンカサス王国とゼラブ国を結ぶ山岳地帯の道。山を下ればテレグロス王国、山を越えれば魔族の生息地だ。その魔族の生息地は、アリエスにとって、十三年前まで住んでいた懐かしい地である。
その地域を上空から見た限り、特に魔族が迫っているような感じはしない。だが、ライラからもたらされた情報だ。嘘だとは考えにくい。
(ライラは俺には忠実な魔族だ。嘘をつかませる理由はないだろう。だが、これだけ何もないともなると、少々不安になってくるものだな)
上空を移動するアリエスは、どこまでいっても静かな様子に違和感を感じているようだった。
(ライラが嘘をついていないとなると……、ライラと連絡をつけた魔族が嘘を伝えてきたことになる。確か、あいつはパイシズの息子であるピスケースだったな。パイシズの息子に限って、まさかな……)
いろいろと頭の中で考えが巡り始める。
アリエスにとって、魔王時代から自分の配下の魔族のことを家族のようなものだった。ゆえに、配下のことはとても大切にしてきた。
だからこそ、アリエスは配下である魔族たちのことは信じてやりたい気持ちでいっぱいだ。
ところが、そのアリエスに懸念を抱かせるだけの理由は、ないとは言えなかった。
それは、デビュタントのために王都に向かっていた時のフィシェギルたちの襲撃である。
あの時のフィシェギルたちは、かつてアリエスの下で鍛え上げられてきた魚人族である。サハーがアリエスのことに気が付いたように、おそらくはあの時の他のフィシェギルたちも、アリエスの正体には気が付いた可能性はある。
だというのに、構わず襲い掛かってきたということは、魔族たちの心を操る何者かが、今の魔王軍には存在しているということだろう。
(まったく、俺がどんだけ腐心して魔王軍を育ててきたと思っておるのだ。俺が死んだからといって、いいように扱われては困る)
アリエスはぎゅっと歯を食いしばると、ペガサスに指示を出す。
「さあ、急ぎますよ。嘘か本当か分かりませんし、私の娘に手なんか出させませんから!」
「ヒヒーンッ!」
アリエスの一声で、ペガサスはさらに速度を上げて、ゼラブへと向かって駆けていくのだった。
―――
夜が明けたゾディアーク伯爵領では、アリエスの姿がなく、大騒ぎになっていた。
「アリエス様、アリエス様?! どちらにおいでなのですか!」
朝、迎えに来た神官が、アリエスの姿がないことに気が付いて教会の中を探し回っている。
机の上に書置きがあったはずなのに、気が付かずに探し回っているようだった。
「なんじゃ、騒々しい……」
アリエスの育ての親である牧師が姿を見せて、騒がしい声に文句を言っている。
「ああ、これは牧師殿。アリエス様のお姿を見かけませんでしたでしょうか」
「なんじゃ、部屋におらんのか?」
「は、はい。どこを探しても見つかりませんでして……」
神官がおろおろと戸惑う姿を見て、牧師はアリエスの部屋へと向かった。
アリエスの部屋の中を見ると、確かにもぬけの殻である。ただ、几帳面なアリエスらしく、部屋の中はきれいに整頓されており、特に乱れた様子はなかった。
「うん? あれは何かな……」
牧師はテーブルの上に手紙のようなものを見つける。
はらりと広げて見てみると、そこにはアリエスの筆跡で書置きがしてあった。
『ゼラブに魔族が侵攻しているらしいので、様子を見に行ってまいります』
「なんと……。アリエスめ、他国を守るために出ていったというのか?」
「い、いかが致しましょうか、牧師殿」
神官が慌てふためいた様子を見せている。
「どうしたもこうしたもあるまい。アリエスは自分の信念に従って出ていったのだ。留守の間はわしらでこのサンカサスを守り抜くのだ」
「は、はいっ!」
牧師の力強い言葉に、神官は背筋を伸ばして返事をしていた。
ひとまず普段通りに振る舞うように言われ、神官はいつもの仕事へと向かっていった。
「まったく、お人好しというか、正義感の強い子じゃのう。誰に似たというのだろうな、ほっほっほっ」
意外と牧師は慌ててはいなかった。
だが、その冷静さもあまり長続きはしなかった。
その日の夕方、ゾディアーク伯爵領に思わぬ一報が届く。
それは、魔族たちの軍勢が近付いてきているという、まったく予想もしていなかったものだったのだ。




