おいしい夢
おうちの中は真っ暗。
くらい、くらい、くろい、くろい。
お母さん、どこ?
お父さん、どこ?
お姉ちゃん、どこ?
台所もリビングもお風呂場もいない。
くらい、くらい、くろい、くろい。
だれもいないの。
みんないないの。
くらい、くろい、くらい、くろ…………むしゃ、むしゃ、むしゃ、ごっくん。
怖い鬼が追いかけてくる。
逃げなきゃ。
鬼に捕まったら殺されちゃう。
逃げなきゃ。
鬼は鉈を持っていた。ぶんぶんと振り回しながら追いかけてくる。
逃げなきゃ。
走る足が絡まって転けそうになる。なんとか踏み止まってまた走り始める。
逃げなきゃ。
なのに、目の前には高い高い壁がある。逃げ道はない。
どうしよう。鬼が来る。
大きな音がして、振り返ると………もっち、もっち、もっち、ごっくん。
細い細い橋がある。
蔦と板だけで出来た粗末な橋。
周囲は濃い霧で覆われ、この下が濁流なのか渓谷なのかも分からない。来た先も行く先も濃い霧の中。
目的なんて分からない。
どうしても進まなければならない。
古びた橋は歩くたびに不快な音を立てて揺れる。
怖いのに進まなくてはいけない。
戻ることは許されない。
怖い。
歯を食いしばって進むと、ぷつりと蔦が切れた。
落ちる。
そう思った瞬間体が浮いて下へと………あーん、ぱっく、ごっくん。
むしゃむしゃ、もぐもぐ。
ごっくん。
怖い夢はどろりと甘くて、悲しい夢はふわりと甘い。
今日もお腹いっぱい。ご馳走様。
ボクは夢を食べる獏。
怖い夢、悲しい夢、恐ろしい夢が大好物。
食べ終わって満足したら鼻から夢の残りが出てくる。
んふー。
暗いおうちには灯りがついて、家族が笑顔で過ごしてる。
んふー。
怖い鬼はつまずいて転んで、ぐるぐる回転しながら穴に落ちて空からお金がジャラジャラと降ってきた。
んふー。
橋から落ちたら、柔らかくて美味しい綿飴の雲の上。ジュースの雨を飲みながら光の金平糖を口に入れた。
今日もお腹いっぱいで満足。
「ぼうや、もうお腹いっぱい?」
「うん、ママ。おいしかったよ」
「よかったわ。じゃあ、今度はママの番ね」
側で見守ってくれていたママと次の夢に行く。
落ちる夢。
追いかけられる夢。
誰かが死んじゃう夢。
怒られる夢。
ママはもぐもぐ、パクパクと食べては夢の残りを置いていく。
キャンキャンと吠えながら、小さな白い犬が駆け寄ってきた。
右の後ろ足を引き摺りながら嬉しそうに尻尾を振っている。
チロだ。
嬉しい。チロだ。
もう会えないと思っていたのに、会えた。
チロ、ごめんね。ごめんね、痛かったよね、ごめんね。
足が悪かったのに、私を庇ってくれてごめんね。
ありがとう。チロのおかげで生きてるよ。
でも、チロがいないのは寂しいよ。…………あーん「ダメよ」
ママに言われて口を閉じたけど、ちょっとだけ噛んじゃった。
ごめんなさい。
「なんで?悲しい夢でしょ?」
「これは嬉しい夢よ」
「なんで?泣いてるよ?」
「嬉しくて泣いてるのよ」
ふうん。だから、ちょっと苦かったのかな。
泣いてるのに嬉しいなんて変なの。
「ちょっとずつ覚えていきましょうね」
ママはそう言って次の夢に連れて行ってくれた。
真っ白だった。
上も下も横も、果てのない白が広がる空間。
「次に行きましょう」
ママはため息を吐いてそう言った。
「なんで、ここは白いの?」
「ここに夢はないからよ」
「夢を渡ったのに?」
「ええ。もうここはどうしようもないのよ」
ママは寂しそうに笑って歩き出した。
ちょっとだけかじってみようかと思ったけど、口の中にはなんの感触も味もしなかった。
ここに夢はない。
ないものは食べられないんだ。
夢なのになんの味もしないのがなんだか怖かった。
ボクは獏なのに。
次は真っ暗だった。
どこもかしこも真っ黒。
「ママ。真っ黒だよ」
「まぁ、食べ甲斐のあること」
ママは楽しそうに笑うと、鼻を上に向けてズズズーと吸い込み始めた。黒いのがどんどん吸われていく。ボクも真似して吸ってみる。
爽やかな甘みが通り抜けていく。
美味しい。
お腹いっぱいだったけど、これはスルスルと食べれちゃう。
ボクはちょっとずつ、ママはたくさん。
だんだん、黒いのが薄くなってきた。しばらくすると真っ黒は無くなって白い場所になった。
んふー。
ママの鼻から夢の残りが出てきて、白い場所に花が咲いた。
んふー。
ママの鼻からたくさんの夢の残りが出てきて、白い場所は花だらけの綺麗な場所に変わっていった。
「ああ、もうお腹いっぱいだわ」
ママは満足そうに鼻を振った。
「美味しかったね」
「ええ、美味しかったわね」
ボクとママは笑った。その拍子に残っていた夢の残りが鼻からポンっと飛びでた。
怖い夢。
悲しい夢。
嫌な夢。
ボクは夢を食べる獏。
明日は君の夢を食べに行くかもね。
【おわり】