Hello, new world
天使みたいだな、
初めて見かけた時、そう思ったことは覚えている。とりわけ褒めているわけではなくて、ただ単純な感想として。
淡い色の髪に、小柄な体。加えて白いふわっとした服を着ていたから、何となくテンプレートの「天使」というイメージがしっくりきたのだ。直前に天使の出てくる小説を読んでいたせいかもしれない。
ガヤガヤした大学の食堂を通り過ぎて行ったその子は、学部の1年か……2年か、それくらいに見えた。友達を追いかけてぱたぱたと走っていった彼女が視界から消えればすぐに俺の思考は他へ移って、図書館に寄るのを忘れないようにしなくては、などと考えていた気がする。そしてその約1ヶ月後。
「わ!」
仕事とはいえ、夕方になるまで一歩も研究室のある棟から出ていなかったから、さすがに歩こうと思って少し遠くの自販機まで来た時のこと。
自販機の前に散らばる紙と本。誰かが一通り鞄の中身をぶちまけたところのようだった。
「すみません、ありがとうございます!」
そのうちのいくつかを拾って手渡すと、彼女はペコペコとお辞儀をしながら受け取って、じ、とこちらを見つめた。
……あ、天使の子だ。
見つめられている間に、そう思い出した。あの時と同じ服を着ていたから思い出せたのだと思う。
お礼を言われて、ついでに一言二言話して……何度か顔を合わせるうちにいつの間にか、2人で出かけるようになって。今では当たり前のように、一緒に週末を過ごしている。
「ほんとは初めて会った時、ね」
勝手に膝枕のポジションにつき、俺の読む本越しにこちらを見上げながら彼女は言った。
「なんかこう、ざわ、ってしたの、一目惚れって言うのかな」
「初めて会った時?」
「うん。自動販売機の前で、本とか拾ってくれた時」
俺が読書をやめないから、彼女の顔は見えない。くるくると自分の毛先で遊んでいる様子だけが窺えた。
「あぁ、あの時」
「うん……だからね、ほんとにあの瞬間からね、ずっと、好き」
本を避けて、ちら、と彼女を見る。照れ隠しなのか、遊んでいた毛先は彼女の髭の位置に置かれていた。耳が少し、赤い。
「急に何の告白?」
本を置いて、彼女に被さる。そのまま髭面のおでこにキスをした。
「なんか、言いたくなったから……」
「鞄の中身ひっくり返してたから、焦りのざわざわ感だったんじゃないの」
「ちがうもん!それにそんなの、夢がなーい!」
ぺちぺちと俺の背中を叩いて文句を言う彼女に、思わず笑った。むくれている頬をつまんで、もうひとつキスをする。
「初めて会った時、か」
「うん?懐かしいでしょ」
「うん」
あの頃、俺は比較的自分の人生に満足していた。望む仕事について、穏やかな環境に恵まれ、毎日好きなように生活することができていた。それ以上に望むものなど特になかった。
そこにこの子が現れたのは、それはまるで……自分のものではない落し物を渡されたような。
それくらい、突然で予想もしていないことだった。それなのにいつの間にか、彼女はそのまま俺の生活に入り込んで、馴染んで、ここにいる。ずっと昔からそうだったかのように。
「覚えてるよ。その時のこと、今でもちゃんと」
きっともう、前の生活に戻ったら俺は、満足しているとは思えないんだろう。何かが足りないと、そう思ってしまうんだろう。
「きっと忘れないと思う」
嬉しそうに笑った彼女の口を塞いで、今度は長い長い、キスをした。




