伯爵の誤算
「お父様。私、結婚しようと思うんです」
溺愛する妻によく似た愛娘であり、10年来の悩みの種でもあるフリーデからその言葉を聞いた伯爵は驚いてしばらく口を利けなかった。
彼女が幼少期から長兄や次兄とともに走り回って庭を荒らし、庭師が毎日溜息をついていたことや、子ども達だけのお茶会で、彼女をからかった男の子を追いかけ、尻を蹴り泣かせていたことを思い出した。
しかもそれは何年も前のことだということではなく、周りが大人になってからも彼女は変わらなかったのだ。
「頭でも打ったのかい?フリーデ、だから馬にドレスで乗ってはならないといったのに、、」
伯爵は彼女が正気ではないのだと疑わなかった。今日は朝からとてもよい天気で、ダンスのレッスンをいつものように抜け出し、彼女の愛馬のゴルゴンを乗り回し、裾でも引っ掛けて落ちたのだろうと思ったのだ。
それくらい彼女の格好は薄汚れていて、髪には芝生がふんだんについており、とてもじゃないが伯爵家の令嬢には見えなかった。
「違うわ。この格好は確かにゴルゴンに振り落とされたことでなったんだけど、頭は打っていないの。
結婚しようってのは本気よ。ひらめいたの。結婚してもっと広いところで乗馬したり、芝生で昼寝しようって」
彼女は自分の話している結婚後のことが非常に陳腐で浅はかだとわかっていない、自信の満ちた声で言った。
伯爵は可愛い可愛い娘だが、この常識のなさは目に余るなと思った。貴族令嬢は確かに結婚後に自由が広がるが、それは決して自由に野生の猿になることが許されているわけではない。あと目立った怪我がないところを見ると、彼女が落馬だけではなく芝生で昼寝をして髪を鳥の巣のように整えたことがわかった。
「いいか。結婚相手によってはもしかしたら許されるかもしれないが、基本的にお前の振る舞いを許してくれる相手はいないだろう。つまりお前の理想とする結婚相手に会える確率は無いに等しいのだ。しかもお前は結婚相手の目星などついていないのだろう?」
伯爵は溜息を押し殺し彼女にそう言った。
彼女はそんな父親に目を丸くしていたが、15歳ということがよくわかる溌剌とした声音でこういった。
「結婚相手のあてならあるに決まってるでしょう。ボブよ」
伯爵は一瞬ボブが誰のことなのかわからなかった。しかしすぐに思いつき、一気に老け込んだような気分になった。
「また彼をボブなんて呼んでるのか。というか彼は栄えあるスコットナー公爵家の嫡男だろ。そこの女主人に馬に乗ってる暇はないだろう。暇があっても許されないだろうし」
脳裏に幼少期彼が娘に名乗らなかったことから勝手に変なあだ名をつけられた青年を思い描いた。明るい金髪に碧眼の美丈夫はそういえば彼女のことをなぜか気に入っていたなと思い出した。自分の事をチヤホヤしないどころか、無礼な振る舞いを続ける彼女に求婚したいと一年前に話していたなと思った。
「それに彼に嫁ぐには色々と面倒が多いよ。うるさい親戚は多いし、彼と結婚したい適齢期の女性が大勢いる。社交に相当長けた娘じゃないと難しいと思うがね」
伯爵は娘に淡々と言った。確かに娘の艶やかな黒髪は美しいし、琥珀色の瞳は人気がある。性格は明るいし、頭も馬鹿なようでいて賢い。それなりの心の広い御仁なら持参金を弾めば大事にしてくれるだろうと思う。だが社交界の中心の青年と結婚すると苦労すると思った。彼女は美点が多いが欠点も多く、特に同年代ではそんなに評価が高くないだろう。そんな彼女を彼の婚約者とするには、リスクが大きく決め切れなかった。
「お父様ったら!」
フリーデは笑って言った。
「ボブはちゃんとプロポーズしてくれたのよ。ちゃんと地面を平らにして君に苦労させないって」
伯爵は思った。怪しいな、、と。彼は王子様みたいな外見をしており、実際王家の血を受け継いでいる公爵家の嫡男だ。魑魅魍魎の跋扈している彼の周りを整えるなんて到底できるとは思えなかった。
だが機会を与えなかったらボブに何をされるかわからない。彼が虎視眈々と娘を手に入れる機会を狙っていることは分かっていた。ボブなんて私が心の中で呼んでいることがバレたらいい機会だと消されかねない。
「わかった。じゃあ一ヶ月後の王家主催の夜会で、彼が君にエスコートを申し込み、彼の周囲を平定し、問題なく一日を終えたら結婚を認めよう」
伯爵はそう返しながらも無理だと思った。娘は野生児のまま何故か成長してしまったので、毎回人の集まる場所では素敵な失態を繰り広げるからだ。
前回の夜会では彼女に失礼な女だと嫌味を言った紳士に、しっつれーい!と叫びながらカツラを飛ばしたのだった。
正気とは思えない振る舞いだったが、その紳士が非常に評判が悪かったことから彼女はなんのお咎めもなく飄々と夜会を後にしていた。
彼の周囲は言わずもがな。社交に出るたびに、まるで戦争中かのような有様なため、とてもじゃないけど一ヶ月でどうにかなるとは思えない。
そんな話をしたが、本当に彼からエスコートが申し込まれるかは伯爵は半信半疑だった。普段王宮の招きには、彼の妹のクリスティーナを連れていることがほとんどだったからだ。
娘と同い年の15歳のクリスティーナは大層なブラコンで、こんな野生児など公爵夫人に相応しくないと公言していることを伯爵は把握していた。
後日当たり前のようにボブからエスコートの申し込みがあり、彼の瞳の色に合わせた美しい青色のドレスが届けられた。
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夜会当日、野生児の美しい黒髪が、ドレスと同時に送られてきた美しい金でできた髪飾りで飾られていた。
そして当然のように流石な豪華な馬車でボブは伯爵家に到着していた。
「義父殿、では会場でお会いしましょう」
ボブはその外見に相応しい装いを普段からしているが、今日は余計に気合が入っているとわかる圧倒されるような気品を感じる服装をしていた。
そしてさりげなく伯爵を義父と呼んでいた。
伯爵は返事をするのも面倒だったがわかったとだけ返した。
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「ねぇボブ!これ美味しい!これもこれも美味しいわ!王宮の料理は絶品ね!!」
淑女とは思えない声がする。だが気のせいだと伯爵は自分に言い聞かせた。
「フリーデが楽しそうでよかったよ。我が家も王宮の料理人から引き抜かせてもらった副料理長が料理していてね」
嬉しそうなボブの声がする。
夜会ではクリスティーナが、日頃から求婚されていた隣国の第三王子の元に嫁いだと話題だった。自分の幸せのために妹をあのドSと有名な男に送るとは、、、と伯爵は慄いた。
だがまだボブは海千山千な父親である公爵もいるし、母親の公爵夫人もかなりのヒステリーな女性だった。血が繋がってるんだからわからないようなハイエナのような親類も多くいるし、ボブにたかる貴族女性はハンターのような目をしているはずだ。
と、伯爵は考えたところで、違和感を覚えた。そういえば今日は娘の周りがいつもよりは静かだなと。
深くは考えず、とりあえずと伯爵夫妻は王家に挨拶に行った。かなり歴史も財産もある伯爵家であるため、比較的早めに挨拶へと行けるのだ。
「国王陛下、本日はお招きありがとうございます。王妃様も相変わらず美しく、王家の変わらぬ繁栄をお祝いさせていただきます」
「あぁ、ペクスター伯、感謝する。伯もおめでとう。娘もとうとう公爵夫人か」
ち、あいつ適当なこと言いやがって。婚約を了承した覚えはないぞ。伯爵は思った。
「陛下、恐縮です。娘が公爵夫人とは気が早い話ですが、なにかご挨拶で失礼でもございましたか?」
「まぁそんなことはありませんよ。スコットナー公爵になったギルバートが、来春の結婚式に招いてくれたのです。私たちにとって彼は甥という関係ではありますが、息子のように可愛がっておりました。
なので卿の美しい娘と婚約を結んだという知らせを受け、とても嬉しく思っております」
あの若造、、婚約、、結婚だと!?
条件を満たすのが困難と見て外堀から埋める気か!?
「王妃様、お言葉ありがとうございます。、、、え?スコットナー公爵?ギルバート子爵がですか?貴族院でそのような襲爵の話がございましたでしょうか、、?」
「まぁ、卿らしくもないな。どうしたのだ。前スコットナー公爵夫妻が先月体調不良による引退が発表され、急遽、後を嫡子であるギルバートが継ぐと連絡を入れただろう」
「そうですよ。継承式はいきなりだったので、大きな声で言えませんが、あの親類達に横槍が入れられる前に身内でやりましたが、義父になる伯爵に急使を送るとギルバートが言っておりましたからね」
あいつ大事な情報を遮断までしている、、、伯爵は震えたが、ふと疑問に思った。
「そういえばあのご親類方がいらっしゃいませんね。前公爵夫人の妹君のカルー夫人とか」
貧乏な伯爵家だが、公爵家からの援助で王家の夜会になかなかのドレスを着て大きな顔をしていた、姉に負けず劣らずのヒステリーな豚がいないことに伯爵は気づいた。
「まぁ、彼女は自宅療養なさることになったとそういえばギルが言ってましたわ。今夜は彼女の夫だけが来ておりますね」
何か恐ろしいことが起こっている気がすると伯爵は頭の隅で考えたがひとまず忘れることにした。
「長々とご挨拶させていただきまして、ありがとうございます。両陛下のお言葉をいただけて光栄のいたりでございました。それでは失礼いたします」
戦線離脱を決めた伯爵は、溺愛する妻を連れ、ささっと逃げ出した。
おかしい、、この一ヶ月間で色々やっているようだが、手際が良すぎる。やつは私が条件を出す前から動き出していたようだぞ。
なんで私が出す条件がわかったんだ、、、?
だがまだまだだな。やつが婚約したと発表しても結婚を狙う狩人たちは多くいるはずだし、結婚しても愛人狙いも多いはずだ。
絶対に娘は今日も問題を起こすだろうし、その後始末も慣れないボブには重荷だろう。
ふ、私が妻を守っているように娘を守れるやつでなければ娘はやらない!あんな野生児でも性格も可愛いところがあるし、妻に外見が似ているたった一人の娘だからな!
「さて、ギルバート卿と娘はどこかな」
妻に話しかけたそのとき、どこからか大声が聞こえた。
「ギルバート様!そのような野生児はあなたに相応しくありません!」
お、私の娘が言われてるぞ。沢山の貴族令嬢に二人が囲まれているようだな。お手並み拝見としようか。
「ボブ、、私やっぱり名前ボブのが貴方に合ってると思う。短いし」
ふふふ、やはり問題が起こると思った。短さを理由にするならギルでいいだろ。
何はともあれ、何事もなくこの騒動の解決をなんとかできたとしても、彼と結婚する限りゴルゴンを乗り回し、街中をぶらぶら歩いて野良猫の集会に混ざっているような娘が彼の妻に認められるとは思えない。
両陛下もこのような娘が甥の妻となることをよく思わないだろう。
「あなた!!!聞いているの!?」
金切声が響いた。
その場に水を差すような声が聞こえた。
「五月蝿いんですよね。君たちには幼少期から嫌気が差してたんだ。一言もこっちは話してないのに好き勝手言って。今だって私がエスコートしている令嬢に向かって何様なんだか。
でもいいことを考えたんだ。義父にも私が彼女を貰い受けるにふさわしいと思ってもらえるよう、この夜会で素晴らしい演出の一環になってもらおうと思って」
「ギ、ギルバート卿?」
震える声で強気だった少女たちが言うと、笑いながらギルバートは言いました。
「君たちになかなか諦めてもらえないから、良い縁談をクリスティーナの伴侶などに紹介してもらってね。
あ、もちろん君たちのご両親にも了解を得ているよ。
我が国の淑女たちは元気だからと周辺国では人気らしくてね。
国と国の架け橋に自分の娘がなるならと、今日サプライズでこれから旅立つことを是非にと笑顔で進めてくれたよ」
え、、と戸惑ったような声を出して両親を見る娘達に、目を合わせない親たち。あの手この手で弱みを掴まれているのか、会場が静かになっていく。
伯爵は思った。容赦、、ないな、、と。
でももうこうなったら娘が野生児なことなどどうでも良いだろう。娘の夫が魔王なのだから、野生児なんて可愛いものだ。
ふぅ、娘の結婚式に行くのやだけど仕方ないな。伯爵は他人事のような顔をした。
このお通夜のような雰囲気どうするのかな?と思っていると、ギルバートがパンパンっと手を打った。
「さぁ!我が国の誇る淑女たちが出発だ。
みんなで拍手で送ろうではないか」
その声かけで、啜り泣く声が聞こえないほどの拍手が湧き起こった。会場のドアが開き、多数の他国の人々が自分の花嫁を連れて出ていく。
中にはこの花嫁誘拐から免れた者もいた。今日も空気読んで周りに立ってたただけで、フリーデの自由さをちょっと楽しんでいた令嬢たちだ。涙を流して家族と我が身の無事を喜んでいた。
この恐ろしい状況に陥れた張本人が、何故か娘を連れてこちらにやってくることに伯爵は気づいた。
娘にアイコンタクトで来るなと送るが、それに気づいた娘は喜んだ顔をしてこちらに走ってこようとした。
もちろん隣の男が腕を掴んで早歩きくらいでおさめていたが。
「義父殿、今回の夜会は楽しんでいただけましたか?」
魔王に話しかけられてしまった伯爵は、妻の手を握り締めながら余裕ぶって言った。
「娘を大層に大事にしてくださると、今回確信できました。
ゴルゴンも広大な公爵邸で走ることを今夢見ているでしょう。
遅くなりましたが娘をよろしくお願いいたします」
伯爵は風見鶏と若い頃は呼ばれていた。昔取った杵柄で、堂々と方針を転換した。長いものには巻かれるべきだ。貴族社会は厳しいのだ。
華麗に娘を売り飛ばした伯爵は、年長になってからは久しく忘れていた緊張感をみなぎらせながら魔王のご機嫌を伺った。
「義父殿、そのように他人行儀になさらないでください。
すっかり社交会に親類が減ってしまいましたから、是非これからも仲良くしていただきたいんです。
気軽にこれからもボブと呼んでくださって結構ですよ」
伯爵は口の中がカラカラになってしまった。
直接ボブと呼んだことなんて、、ないと信じたいが、、、あるのかもしれない。
そこに伯爵の妻がそっと夫の腕に触れ、言ったのだ。
「まぁ、ありがとうございます。娘を選んでくださってとても嬉しく思います。
ほほえみ亭の女将さんからもボブ様にとお祝いの言葉をいただきましたわ。蝶から蝶へと渡り歩いているあなたが身を固めることを大変喜んでくださっておりました」
笑いながら言う自分の妻を伯爵はパラレルワールドに来てしまったかと二度見した。
「・・・」
ギルバートも絶句している。
沈黙が支配するかと思ったが、娘が言った。
「えー、お母様、それはワクワク亭でしょ?」
娘の声に妻と握っている自分の手から冷や汗がどっと出たことがわかった。
触れられている腕も震えが止まらない。
「まぁ、それはずっと前の話よ」
男二人が世界から取り残されてしまったようだった。
そこに両陛下が来た。
「今日はめでたいな。是非ワインでも一緒に酌み交わそうではないか」
「そうですわ。めでたい席ですもの」
おしどり夫婦と名高い二人が来てくれたら安心だと場の空気が緩みそうになった。
「あ、このワインは元気亭からいただいたものよ」
「乾杯!!!」
不思議と陛下の声も震えて聞こえる。私は感動で涙が滲みそうになりながら、乾杯と復唱した。
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娘は元気にボブとやっているらしい。
毛並みのツヤツヤしたゴルゴンと、飼ってもらったという目つきの悪い元野良猫達が絵葉書に描かれている。
私はと言うと、美しい大きなルビーのネックレスとイヤリングを妻にプレゼントした。私の個人財産はかなり使ってしまったが、これは愛妻家として当然のことである。
ボブも色々と娘に尽くしてくれているようだ。
色々あったが、野生児のような娘も嫁に行き、なかなか良い結末になったのではないだろうか。
ちなみに陛下は王妃様に別荘を購入したらしい。
男三人で今度飲み会でもする予定だ。
このような交友関係ができるとは思わなかった。
世の中は誤算だらけだ。だから楽しいのだ。