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005 アイルの声

―――――


ドシュっと四方八方から青黒虫が牙をむいた。


「もうダメか」と思いつつ、リョウは両肘を抱えて身を屈めた。


無数の咢がリョウに襲い掛かった。右足の脹脛がかじられた。右腕もかじられた。なんか脳も飛び出てるかも。人間は「脳」なのか?心は脳なのか?タマシイは脳なのか?「死」とは何なのか?あーもうちょっと、サイコパス特性が軽減すれば、オレも彼女つがいとかできたかもーと思いながら、リョウは自分の「死」を見つめていた。


…で、その時、何故かリョウの左腕のタコ足触手がズバッとした。触手が無数に分裂し、湧き出た青黒虫たちを貫いた。


『グッ、グリヤ対価、クリア対価カ?!…ケンゾク、さか…さからう…なぜ…ギエル、キエル、イヤダ、イや…』


「ば、化け物め、フハ、フハハハハハー…」


さらにリョウは漂白剤等、体に悪そうなもの一覧をまき散らし、ライターで火を着けて、辺りを燃やしていく。


「化け物」という言葉も、青黒虫たちに呟いたのか、それとも自分に呟いたのかわからない。


使っているのは触手化した自分の左腕だった。


自分の服やら髪の毛やらが焦げていくのもご愛敬だ。


『ヤメデ、ヤメテ、シン、シンジャ、シ…』


幻聴が聞こえる。いや、感情が流れ込んでくる。心が心に流れてくる。


『カわれない、し、シン…』


「…うっせ…皆死ぬ…みんな死ぬんだよ!」とつぶやいたリョウにまたあの「アイルの声」が聞こえた。


「……」


―――――


小学生だったか、随分小さい頃だった。団地の踊り場(踊り場)に蟻がたかっていた。「まったくやんなっちゃうよな、缶ジュース、飲みかけ、こぼすなよ」とやる気がなさそうな、初老の管理人。管理人はほうきで蟻を外に掃き出していた。リョウもスニーカーで蟻を中庭に掃き出そうとする。


「ばっちいよ、キモイ」と年子の妹の乃亜ノアが言う。


「外に出してるだけだよ。手でつかむとノアがもっと嫌がるだろ?」


「潰してるのと変わんないよ、それ」


「アイルを見てみろよ。潰すっていうのはああいうのを言うんだ」


瘦せっぽちの少女、目がくりくりと大きい。


うちの家族が団地に越してきたのは数年前。それからオレもノアも随分背が伸びた。けどアイルは小さいままだった。


いつも同じぶかぶかの服を着ている。夏は洗いざらしの赤茶のワンピース。


…そのアイルという少女は蟻を盛大に踏み潰していた。それも一匹ずつ、バン、バンと大きな音を立てて。


「おいおい、やめろ、今時のガ…今の子は随分ひでーことするのな」と管理人。


「…でも、ああ…でも俺もガキん頃同じようなもんだったか…でもなあ、「一寸の虫にも五分の魂」って言うんだよ。蟻だからってむやみに殺すなよな、ほれ、やめろ、タイルに跡がつくだろう。虫も体に油があるんだ」


管理人に踊り場を追い出される。


「「「わー!」」」と三人で中庭に出ると、アイルが聞いてくる。


「リョウ、「イッスンボウシにもゴブリンの魂」って何?」


ちょっと固まったが自分もその頃は「一寸」も「五分」も何かわからなかった。ただ言い回しから、「命大事に、セーブポイントないからな」みたいに応えたと思う。


「あ、蟻さんの行列!」誰ともない声に、皆で行列を辿って行った。


溜池の近くには蟻が巣を作っていた。せわしなく黒い蟻が動いている。


「ほへー蟻さんがこんなに行ったり来たり」アイルの言葉いつも幼い。


こんなに話すことの方が珍しい。


「今日はお母さんが夕食作ってくれるの。

お母さんの生姜焼きは世界で一番美味しいんだよ」


そんなこと言ってたな。


「よし、こうするんだよ!」オレは溜池の水を両手ですくい、蟻の巣の中に注いだ。


暫く蟻の往来が止まるが、ちょっと経つと、またびっくりしたように蟻が出てくる。


で、また水を注いだ。


「一網打尽だ!こうすればもう踊り場にやって来ない」


「やめなよー。かわいそうだよ。暗い所で溺れるなんてキモイよ」とノア。


すっと立ち上がると「チチチチチ」と夏の虫が鳴いているのが聞こえた。


アイルは嬉々として、自分がしたように巣に水を注いでいる。


アイルの二の腕には包帯が巻かれていた。


いつもどこかしらに包帯が巻かれていた。


風が吹いた。


『おまえも同じ、皆同じ、おまえも蟻、いつか死ぬ』


一陣の風からそんな声が聞こえたような気がした…。


『おまえも蟻、いつか死ぬ』


「アイル、ノア、ブランコだ!」


「えーまだ、蟻さん倒してないし」


蟻が頭を切り離されても、数日も生きられると知ったのは大分後のことだったか。


「ほら、アイル、飴だよ。クエン酸と塩が入ってるんだ。熱中症予防飴だよ」


「…う、うん」


アイルに食べ物をあげるととても嬉しがる。


でも家の人に怒られるらしく、包紙を持って帰るようなものには躊躇する。


「飴なら大丈夫だよ、アイル」


「う、うん!」


三人はブランコに向かって走って行った。


―――――


次の日の朝、アイルは溜池に浮かんでいた。


白くなった目には水の中の小さな虫がたくさんたかっていた。


早朝の団地の中庭では「チチチチチ」と静かに虫が鳴いていた。


アイルの母親は「元」二級国民だったそうだ。


酷く酩酊したような女が泣き叫びながら、パトカーに押し込まれていくのを見ていた。


母親が逮捕されて、初めてアイルの名前の文字を知った。


テレビの放送を見て、「愛留」、愛が留まるって意味かしらね、と母が言った。


『皆同じ、おまえも蟻、いつか死ぬ』


命に価値を見出せない。


しかし命を無駄にしたくもない。


リョウの命に黒々と黒い境界(境い目)が出来た。


―――――


お読みいただきありがとうございます。拙文ですが評価いただければ励みなります。

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