第92話 出会いと謝罪
(はぁ……怒らせちゃった)
着替えを終え、鏡の前に座ったあかりは、腰近くまである長く髪をとかしながら、深くため息をついた。
鏡に映る自分の顔は、なんとも気落ちした顔をしていた。なぜならあかりは、昨日飛鳥を怒らせて閉まった。
もっと、言葉を考えるべきだった。
とはいえ、今更ながらに後悔しても、出てしまった言葉を取り消すことはできないのだが、相手を不快にさせてしまったのも確かで、それは、あまり気持ちのよいものではなかった。
(……どうしよう)
このまま疎遠になるなら、あかりにとっては、むしろありがたいことのはずだった。
だが──
(……ケンカ別れ、みたいなのは、なんか嫌だなぁ)
相手を怒らせたまま、謝らずにいるのは、どうにも後腐れが悪く、スッキリしない。
あかりは、いつものようにサイドの髪を編み込みバレッタでハーフアップにすると、再び深くため息をつく。
もう、何度目のため息だろうか?
『そんなに"大切な人"、増やしてどうすんの?』
すると、ふとあの時の飛鳥の言葉を思い出し、あかりは、更にその表情を曇らせた。
「……エレナちゃん、大丈夫かな?」
エレナとあかりが出会ったのは、あかりがこちらに引っ越してきた3月下旬のことだった。
あかりが住むこの部屋のベランダからは、あの公園がよく見渡せる。
そしてそれは、あかりが引っ越してきた翌日。昼頃、なにげなく外を見ると、公園のベンチに、エレナが一人座っているのが見えた。
一際目立つ少女だった。
だが、引っ越しのあとと言うこともあり、あかりも片付けや荷ほどきの作業で忙しかったからか、その後、気にとめることもなかったのだが、夕方また、また外をみると、エレナは、まだそこに、たった一人座ったままだった。
一人寂しそうに座るエレナをみて、ほっとけなかったのは、あかりにも"同じ年の弟"がいたからかもしれない。
あかりは、お節介とは知りつつも、エレナに声をかけにいった。
◇◇◇
「ねぇ、どこか具合悪いの?」
「……」
あかりが声をかけると、エレナは一瞬あかりと目を合わせたあと、無表情で言葉を返してきた。
「いえ、別に……大丈夫です」
「……」
警戒されていたのかもしれない。
だが、ずっと一人で何時間も──
あかりは、ベンチに座るエレナの前に、ゆっくりとしゃがみ込むと
「もうすぐ暗くなるよ? お家、帰らなくていいの?」
「……っ」
その言葉に、エレナは表情を曇らせる。すると、何か訳ありらしいことを察したあかりは、エレナを見上げながら、優しく声をかけた。
「私ね、昨日そこのアパートに引っ越ししてきたの? お昼から、ずっとここにいたよね? なにか、あったの?」
「……お姉ちゃん、引っ越してきたの?」
「うん、私、倉色あかりっていうの、お名前聞いてもいい?」
「………紺野……エレナ」
「エレナちゃんか……クッキー食べられる? ずっとここにいたし、お腹すいてるんじゃない?」
そういうと、あかりはポケットから個包装されたクッキーをいくつか取り出した。だが
「ごめんなさい……私、お菓子とか食べちゃダメなの」
「あ。もしかして、アレルギーとかだった?」
「うんん。モデル目指してるから、食べるものとか色々制限されてるの」
「モデル?」
するとエレナは、あかりに少しずつ、自分のことを話し始め、すると、しばらく話を聞いてあげると、次第に打ち解けてきたのか、エレナの表情に、少しずつ笑顔が見え始めた。
だが──
「…ぅ……ひく……っぅ……」
「エレナちゃん?」
笑顔を見せ始めたエレナに、あかりがホッとした束の間、なぜかエレナは泣き出してしまった。
そして、その後エレナは、しゃくりあげるように涙を流し始めると、モデルのことだけじゃなく、学校のことや母親のことなど、あかりに泣きながら話はじめた。
きっと、誰にも相談できず、ずっと一人で抱え込んでいたのだろう。それからは、時おりエレナと会って、話をするようになった。
◇◇◇
「"大切な人"が増えるのは……そんなに悪いことかな?」
飛鳥の言葉を思い出し、あかりは鏡に映る自分自身止めを合わせる。
確かにエレナとは、出会ったばかりだ。
だが、エレナの話を聞いて、力になってあげたいと思ったのも、そして自分を姉のように慕うエレナを大切に思ってるのも確かなことだった。
それに──
ピンポーン!
「!」
瞬間、物思いにふけっていると、インターフォンがなった。
あかりは、慌ててドレッサーの前から立ち上がると、室内モニターで玄関先の人物を確認する。
するとそこには、一人の男性が立っていた。
その相手にあかりは疑問を抱きつつも、玄関に移動すると、ガチャリと音を響かせて、玄関の扉を開ける。
「おはようございます、大野さん。あの……なにか?」
「おはよう、あかりちゃん」
インターフォンを鳴らした相手は、あかりの隣に部屋に住むの大野さんだった。
大野は、少し恥ずかしそうにはにかむと、あかりにむけ、ひとつ提案を投げ掛けてきた。
「あのさ、今日よかったら、お昼一緒にどうかな? 近くに、美味しいって評判の店があるんだけど、二人で行ってみない?」
「…………」
突然のお誘いに、あかりは一瞬思考をとめる。
「え……と……?」
だが、その提案の意図を察すると、あかりは、顔には出さないが、その心の中でひどく困惑し始めた。
「ぁ、あの……すみません。今日は、 先約がありまして……っ」
「あ、そっか。突然こんなこと言って、ごめんね。迷惑だったかな?」
「あ、いえ……」
突然のことに、当たり障りない断り文句しか浮かばなかった。
だが、大野はもともと人柄のよい人で「いいよ、気にしないで!」と笑いながら手を振ると、あっさりと引き下がってくれた。
あかりは、去っていく大野を見送り、玄関の戸を閉めると、ドアに寄りかかり
「なに、今の……っ」
予想外の出来事に、あかりは酷く動揺した。
あれは、明らかに"デート"のお誘いだろう。そういえば、最近よく声をかけられるとは思っていた。だが、まさか恋愛対象として見られていたとは、微塵も思わなかった。
(どうしよう。今日はなんとかなったけど、お隣さんだし……このまま、ずっと断り続けると、凄く気まずくなりそう……)
大野は、決して悪い人ではない。
むしろ、人当たりもよく、仕事だってまじめにしているようだったし、おまけに見た目もイケメンと言われる部類の人だろう。
そんな、優しくてイケメンなお隣さんが好意を寄せてくれる。本来なら、とても、ありがたいことなのだが──
(……大野さん、このまま、諦めてくれないかな?)
あかりにとっては、そんなお隣さんとの甘い恋の駆け引きなんかより、今後の近所付き合いのほうがよっぽど重要だった。
好意を向けられるのは、ありがたいことだと思う。だが、あかりは、他人からむけられる、その好意に答える気など────全くない。
「………あはは、神木さん……きっと、こんなの日常茶飯事なんだろうなー」
あかりは、昨日の飛鳥が『断るのも大変』と言っていたのを思い出した。
確かに、人から向けられた好意を断るのは、なかなか大変なことだと思う。
それに断った方だって、心を痛める。
きっと彼は、こんな思いを、ずっと繰り返しているのだろう。
それなのに、彼が彼女を作っていないと、安藤たちから聞いていたにもかかわらず
なぜ、作らないのか?
その理由は一切考えもせず言葉を発し、あげく、彼を傷つけて
──怒らせてしまった。
「……バカみたい、私……っ」
そのまま玄関に座り込み、膝をかかえると、あかりは顔を埋めた。
《あかり、嘘ついてゴメン》
古い記憶が脳裏によぎると、あかりは、その瞳に、かすかに涙を滲ませた。
「大切な人を増やしたくない」なんて、思わない。
だけど、あかりは──人を好きになることだけは、どうしてもできなかった。
「っ……ちゃんと……謝らなきゃ……っ」
なんであんなことを、言ってしまったんだろう。
誰かに好意向けられて、拒んでしまうのは
他人を好きにれないのは
私だって、同じはずなのに……っ
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