第89話 優しい人と大切な人
エレナを見送ったあと、公園のベンチには、飛鳥とあかりの二人だけが残った。すると、一瞬の沈黙を挟んだあと
「えっと……どっちだっけ、聞こえる方?」
「え?」
不意に、飛鳥がそう問いかけて来て、あかりは目を丸くした。"聞こえる方"とは、耳のことを聞いているのだろう。あかりは一瞬キョトンとしたのち
「あ……左です」
「左ね」
すると飛鳥は、そのままベンチの左側に腰かけた。それを見て、あかりは更に困惑する。
「え!? なんで座るんですか?」
「あ、ダメ?」
「ダ、ダメと言うわけでは……」
──そういえば、この人なにしに来たの?
飛鳥の行動に、あかりは改めて首をかしげる。それに、今の行動には、不覚にもドキッとしてしまった。
(……私が聞きとりやすいように、わざわざ左側に移動してくれたんだ)
さりげなく、気遣ってくれたのがわかった。きっと彼は、こういう気遣いをさりげなくスマートにこなせてしまう人なのだろう。
しかも、この見た目と人懐っこい性格。きっと、誰にでも優しくして、女の子を勘違いさせるタイプの人間だ。なんて、タチの悪い……
「座らないの?」
「ぁ……」
すると、ベンチの横で立ちすくむあかりに、飛鳥が「早く座れば」とばかりに声をかけてきた。この大学の人気者と、ここで二人っきりになるのは、あまり良くないような気がする。
だが、そう思っても今更遅い。あかりは、仕方ないかと腹をくくると、飛鳥の隣に少し感覚をあけて腰かける。
「あの、私になにか、ご用ですか?」
「あー、ちょっとまってね」
「?」
すると、ニコニコと笑顔を絶やさない飛鳥は、バッグの中から、小ぶりの手提げ袋を取り出し、それをあかりに差し出してきた。
だが、それを見たあかりは、更に困惑する。
無理もない。何かを貰うほど、この人と仲良くなった覚えは全くないからだ。
「そんな顔するなよ。おばあさんに失礼だろ?」
「おばあさん?」
「この前会った大根とカボチャのおばあさん。さっき、たまたまバッタリあったんだけど、コレあかりに渡してほしいって」
「え? 私に……」
差し出された手提げ袋の中を見れば、そこには和菓子の箱が入っていた。
(おばあちゃんに頼まれて、わざわざここまで、届けに来てくれたの?)
あかりがそんなことを思いつつ、再度飛鳥を見れば、彼はなんで俺がと言いたげに、軽く悪態づいているのが見えた。
だけど、嫌なら断ることもできたはずだ。それなのに──
(なんだか、意地悪な人なのか優しい人なのか……良くわからない)
でも、こうして、おばあちゃんの気持ちを届けにきてくれたことは──素直に嬉しかった。
「ありがとうございます。今度おばあさんに、直接お礼しにいきますね」
すると、あかりはまたふわりと笑って飛鳥に微笑みかけて、その陽だまりのような笑顔を見て、飛鳥は小さく息をつめた。
(本当になんなんだろう。この感じ……)
どうして、あかりといると
こんなに"懐かしい気持ち"になるのだろう……
「あ。それより、あなた同じ大学だったんでね」
すると、感傷に浸る間もなく、あかりがそう問いかけてきて、飛鳥は先日大学でばったり出くわした時の事を思い出した。
「あーそう言えば、なんでこの前、俺のこと無視したの?」
「っ……無視したくもなりますよ! なんで一緒に歩いてただけで命の危機にさらされなきゃいけないんですか!?」
「なにそれ、意味わかんない」
「それに、同じ大学で同じ学部で、しかも先輩だなんて、あなた一言も言わなかったじゃないですか」
「あー、なるほど。それで睨んできたんだ? でも、言っとくけど俺は、赤の他人にわざわざ個人情報ばらしたりしないよ~。むしろ、お前の方こそ危機管理がなってないんじゃないの?」
「え?」
「名前も知らない男に、通ってる大学だけじゃなく、学部、住所、それに一人暮らしだってことまで知られるなんて、俺が本当に"変質者"だったらどうすんの?」
「……っ」
ニコッと爽やかに笑って、放たれたその言葉にあかりは絶句した。
確かに、安藤達に聞くまでは、彼の名前すら知らなかったし、今でも知っているのは大学の先輩と言うことだけだ。
名前も素性も知らない相手に、これだけの情報を引き出されていたのかと思うと、流石に自分の危機管理能力を疑いたくなってくる。
「本当バカだよねー。そんなんじゃ、いつか襲われちゃうよ」
「ッ……そうですね。 あなたのこと、いい人だと勘違いして気を抜いていたようなので、今後はこのようなことがないよう気を付けます」
「……お前、ホント可愛くないよね。忠告してやってるんのに、もっと愛想よくできないの?」
「そちらこそ、人のこと『お前』とか『バカ』とか、さっきから何なんですか?」
「あー、それはごめん。俺、ちょっと口悪いんだよね。子供の時に、友達に作らないように、無理して冷たく接してた頃の癖が抜けきらなくて」
(何この人!? なんか、すごい闇を抱えてるんだけど!?)
「俺、こんな見た目だから、けっこう色々あってさ。痴漢や変態に追いかけられたり、コレクションにされそうになったり」
「こ……コレクション??」
何が? 何を??
さすがに、その言葉には、あかりも頭を抱えた。
だが、その後視線を落とし、どこか遠くを見つめた飛鳥は
「でも、本当……色々あって……未だにトラウマなんだよね」
「……」
そう言って、青い瞳を悲しげに揺らす姿をみて、あかりは目を見開いた。
どこか思い詰めたような表情。きっと見た目がいいが故に、怖い思いをしたり、苦労したこともたくさんあったのかもしれない。
「……そうですか……それで、友達できなかったんですね?」
「いや、出来なかったんじゃなくて作らなかったね? なに、その可哀想な奴みたいな言い方」
だが、その後飛び出してきたあかりの言葉を聞き、飛鳥は、怪訝な顔を浮かべた。いちいち、癇に障る女だ。
「あ、ごめんなさい。そうじゃなくて……ただ、その見た目だと、やっぱり友達作るのに苦労するのかなって思って……実はエレナちゃんも、友達ができないみたいで」
「え?」
「あの子、去年の冬にこちらに引っ越してきたんですけど、あの見た目で、しかもモデルの仕事もしているからか、なかなかクラスの子たちと馴染めないみたいで……それに、他にも色々と悩みがあるのに、私、全く助けてあげられなくて……っ」
「……」
そう言って、悲しげに表情を暗くしたあかりは「大切な友達」と言っていたエレナのことを、まるで自分のことのように心配しているのが見てとれた。
そして、そんなあかりの言葉に、飛鳥は再度エレナのことを思い浮かべると
(あの子……モデルしてるんだ)
その姿が幼い頃の自分と重なり、わずかに影を落とす。
「あの、神木さんなら、エレナちゃんの気持ち、少しはわかるなかと思ったんですけど?」
「え? あー、それはどうかな? 俺は、友達を作らなかっただけで、普通にしてたらあっちから寄ってきてたから、友達作りで悩んだことないんだよね?」
「っ……ですよね~。一瞬でも、あなたにエレナちゃんの気持ちがわかるかもと思った私がバカでした」
「は? そっちから聞いといて、なにその態度」
「いいえ。でも、あなたほどの人気者なら、友達を作るにしても、恋人作るにしても簡単にできるのかな~って。実際、悩んだことないみたいですし! 特に恋人作りには苦労しなさそうですよね! あなたに憧れての彼女になりたがってる子、たくさんいるみたいですよ?」
「……」
にこやかに言葉を放つ、あかり。
すると飛鳥は、あかりから視線をそらすと
「……簡単なことじゃないよ」
「え?」
「確かに俺こんな見た目だから、女の子からよく声もかけられるし、他にもいろんな誘い受けるけど……でも、そういう誘い断るのって、結構大変なんだよね?」
「え? 断るんですか?」
「当たり前だろ、俺……もう……」
飛鳥は、薄く笑みを浮かべると、呆れたように笑い、また目を細める。
「良く言われるよ。なんで彼女作らないのとか、女の子選び放題なのに、もったいないとか……外見がいいから、良く告白も受けるし、彼女になりたい子もいっぱいいるみたいだけど……俺、もう彼女つくる気になれないっていうか……どうすれば……赤の他人を好きになったりできるんだろう」
「──え?」
瞬間、あかりは瞠目する。
弱々しく放たれたその言葉は、あまりにも、彼に似つかわしくない言葉だった。
春の風が揺らすその髪の隙間からは、どこか悲しげな瞳が見えた。それはまるで、何かに怯えているような、そんな弱々しげな色を秘めているようにもみえて、あかりは、飛鳥のその瞳から目が離せなくなった。
「神木さん?」
「……エレナちゃん」
「え?」
「まだ、出会ったばかりの子なんだよね。なのに、なんで、そんなに親身になれんの?」
「……」
だが、次に放たれたその言葉は、どこかイラついているような、そんな棘のある言葉だった。
まるで攻めたてるようなその声色に、あかりは反論もできず、ただただ飛鳥を見つめる。
「"大切な友達"とかいってたけどさ、友達つくったり、恋人作ったり、そんなに簡単に"大切な人"増やしてどうすんの? 許容範囲ってあるだろ。自分の手から取りこぼした人はどうなんの? 彼女作れとか言われても好きにもなれない子、守ってあげられるほど、俺も暇じゃないんだよね。それに……"守る"って、そんなに簡単なことじゃないだろ……なのに、わざわざ人を好きになってまで、大切な人を増やすなんて──」
「怖いですか?」
刹那、ハッキリと声が聞こえた。
穏やかだが、どこか心を射抜くような凛とした声。
その声に、飛鳥は咄嗟に息を詰めると、そのままゆっくりと、あかりに視線を向ける。
「……は?」
「ですから、あなたが、今人を好きになれないのは、大切な人を増やすのが怖いからですか? 今のあなたはまるで……大切な人を失うのが怖くて、人を好きになるのを拒んでるみたい」
「…………」
─────怖い?
瞬きひとつ出来ず、あかりを見つめていると、その後、ザァァァと木々が揺れる音が吹き荒れると、それは同時に二人の頬を撫で、髪を揺らし、言葉を攫った。
長い長い沈黙が続いて、数秒間見つめ合うと、その後、薄く口角をあげた飛鳥は
「はは……俺、君のこと、嫌い……だな」
そう言って、どこか貼り付けたような笑顔を浮かべた飛鳥は、荷物を手にベンチから立ち上がると
「まーいっか。 もう、話すこともないだろうし。それ、確かに渡したよ。じゃぁね───あかりさん」
軽く小首を傾げて、別れの挨拶をする姿は、特段普段と変わりなく見えた。
でも、背を向けた彼のその声は、決して好意的な声ではなく……それは明らかな『拒絶』を意味しているのがわかった。
「……あかりさん、か」
一人残ったベンチに残って、あかりが小さく呟く。
怒らせてしまったのだと思った。
今の言葉はきっと、彼の逆鱗にふれてしまうものだったのだろう。だけど、あまりにも泣き出しそうな声で、言葉を放つものだから
──つい、気になってしまった。
「図星……だったのかな?」
大切な人を、増やしたくないだなんて
大切な人を、増やすのが怖いだなんて
失ったことがあるのかな?
『大切な人』を……
でも、あんなにもたくさんの人から好かれて、愛されている人なのに、当の本人は、他人を愛することができないなんて……
なんだか、それは──
「……はは、人を好きになれないのは、私も同じか」
◇
◇
◇
────バタン!!
「ひっ!?」
その後、飛鳥が自宅に帰ると、リビングの扉を開けた瞬間、華と蓮はビクリと肩を弾ませた。
いつもより乱暴に開かれた扉。見れば、そこには、帰宅した兄が酷く神妙な面持ちで立っていた。眉間にシワを寄せ、ただならぬ雰囲気の兄。それを見て双子は、ただただ硬直する。
「……あ、飛鳥兄ぃ? どうしたの?」
「別に……蓮、これ頼まれてた漫画とノート」
「え? あ、ありがとう……!」
華が恐る恐る問いかけると、飛鳥は蓮に頼まれていた荷物をさしだし、早々にリビングから出て行った。
そして、その姿を見た双子は
「ちょっと、何あれ!?」
「知るかよ、俺が……っ」
「蓮、アンタが漫画とか頼んでパシリに使ったからじゃないの!?」
「はぁ!? 出るときは、いつも通りにこやかだったっての。俺にせいにすんな!」
「じゃぁ、何であんなに機嫌悪いの?」
今の兄は、一切笑顔を浮かべていなかった。
あんなにも余裕のなさそうな兄は、とても久しぶりに見た気がした。
(何か……あったのかな?)
兄が出ていった扉を見つめると、華はいつもとは違う兄の姿に、少しだけ胸の奥がざわつくのを感じた。
閲覧、いつもありがとうございます。
今話は、少し長くなりました。半分に分けるか迷いましたが、一気に読んで頂きたい回だったので、このまま掲載しました。5000文字超えましたが、どうかご了承くださいませ。
また先日、有り難いことにジャンル別ランキングの日刊27位。週間75位に上がることが出来ました。最近は一日のPVが1000を超える日も出てきまして、少しずつですが、読む方が増えてきています。
これも、皆様が評価やブックマークをしてポイントを入れて下さったおかげです。こんな未熟な作者を応援頂けるなんて、ありがたいことですね。皆様の優しさに感謝です。
さて、これから春にかけては、少し忙しくはなりますが、できる限り更新していたいと思っておりますので、引き続きお付き合い頂けると嬉しいです。
それでは、いつもありがとうございます。
これからも、宜しくお願いします。




