第75話 死と絶望の果て① ~母親~
妻が亡くなったのは、とても急な話だった。
朝、いつも通り笑顔で送り出してくれた妻。
だけど、その日なんの前触れもなく、彼女は帰らぬ人となった。
そして残酷なことに、妻の異変に最初に気づいたのは、その時まだ小学二年生の
──飛鳥だった。
その日、飛鳥が学校から帰ると、華と蓮の泣き声が聞こえてきて、家に入ると妻が倒れていたらしい。
慌てた飛鳥は、そのあと救急車を呼んで、俺にも電話をしたらしいが、会議中だった俺は携帯にはでれず。
その後、俺が妻のことを知ったのは
『星ケ峯総合病院の者ですが……』
電話口から聞こえてた、看護師からの残酷過ぎる知らせをうけた時だった。
死因は、心筋梗塞。
妻の母も同じ病で病死していたことから、もともと心臓の弱い家系だったのだろうといわれた。
病院に駆けつけると、霊安室の前の病院特有の硬いソファーの上で、子供たちが三人身を寄せあって座っていた。
泣き疲れたのか、華と蓮は飛鳥に身を預けるようにして眠っているようだった。
飛鳥は、そんな華と蓮を抱き抱えたまま、その青い瞳を兎のように赤く腫らして
ただひたすら──声を殺して泣いていた。
◆
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「侑斗君には悪いけど、下の子供たちは施設にいれた方がいいんじゃないかしら?」
妻の葬儀の最中、まだ呆然としている俺たちの周りを、親戚たちが取り囲んだ。
「男手ひとつで、三人も育てるのは大変でしょう?」
「それに、こんな小さな子には、やっぱり母親が必要だし」
「俺たちは、侑斗のために言ってるんだ」
「そうよ。まだ二歳なんだから、分からないわよ!」
「…………」
亡くなった妻の前で紡がれる非情な言葉。
まだ分からないからと、子供たちの前で容赦なく紡がれた言葉。
それは、まるでナイフのように、槍のように、俺の心を引き裂きズタズタにし、心ないその言葉に
酷くこの世を呪った。
だけど、その中でも一番頭にきたのは、自分の"母親"から受けた言葉だろう。
◆
「アンタもつくづく結婚に縁がないよねー。再婚したと思ったら、"あの子"死んじゃうなんてさぁー」
葬儀のあと、もう長く連絡をとっていなかった俺の母、神木 阿沙子から呼び止められた。
俺が子供の時から、最悪な母だった。
外に男をつくってばかりの──"女"だった。
愛情をかけられた記憶なんて、全くない。
だからだろう。俺は、もともと両親とは折り合いが悪く、頼れるような親戚も、ほとんどいなかった。
「来るなって言っただろ」
「なにさ。嫁が亡くなったんだ。姑が来ないわけにはいかないだろう?」
喪服姿で、ケバい化粧と鼻につく香水を撒き散らした母は、普段と変わらない抑揚のある声を発しながら、俺たちの元に近づいてきた。
こんな人が、自分の生みの親かと思うと、正直、自分の血を呪いたくなるくらいだった。
しかも、この母は、なぜか飛鳥のことは酷く気に入っていて、母はコツコツとパンプスの音を響かせながら、後ろに隠れていた子供たちに近づくと、そっと飛鳥にむけて手を差し出してきた。
「それにしても、飛鳥は相変わらず綺麗ねー。今どこで、どうしてるのか知らないけど、飛鳥を生んでくれたことに関しては、"あの女"に感謝しなくちゃね。ねぇ、アンタも一人じゃ大変でしょう? この子なら、後々いい感じで金稼いでくれそうだし、飛鳥は私が引き取ってあげるわ!」
「!?」
母がケラケラ笑いながら、飛鳥の頬に触れた。
(引き取る? 何言ってんだ、こいつ……っ)
正直、その言葉には、嫌悪感した生まれなかった。
俺のことすら、ほとんど見向きもしなかったくせに、何を言っているんだろう。
母にとって、子供とは、一体なんなのだろう。
「飛鳥に触るなッ!」
飛鳥に触れた手を咄嗟に払い除けて、俺は実の母を威嚇するように睨みつけた。すると母は、呆れたように笑って
「そんな怖い顔しないでよ。アンタのために言ってるんじゃない 」
「何が、俺のためだよ……っ」
「だって母親なしで、こんな小さな子供三人も育てられるわけないでしょ」
「心配しなくても、お前らに頼ったりしねーよ!」
「相変わらず馬鹿な子ねー。なら、華と蓮は施設にでもいれなさい」
「!?」
「子供は一人いれば十分よ。それに、みんな言ってたじゃない。華と蓮はまだ小さいし、里親に出しやすいうちに捨てときなって……片親で貧しい思いするよりも、他所にもらわれた方が、この子たちも"幸せ"よ」
「……っ」
フツフツと怒りが込み上げてくる。
妻を亡くした息子の心に寄り添うこともなく、平然と大切な我が子を捨てろという母親に──
「アンタにとって子供ってなんなんだ!? 飛鳥は渡さない! 華と蓮も施設に入れたりしない! 子供たちは俺が」
「でも侑斗と一緒にいたら、みんな"不幸"になっちゃうじゃない」
「……ッ」
「前の女とは離婚して、今回は死別でしょ? 侑斗のそばにいたら、みーんな不幸になっちゃう。次は、この子達の番なんじゃないの?」
「……っ」
その言葉は、深く俺の心に突き刺さった。
確かに、家庭環境には恵まれなかった。
前妻とは離婚。
そして、やっと手にいれた安らぎも、あっけなく俺のもとから去っていった。
(なんで……っ)
どうして、こうなった?
俺の……せいなのか?




