第72話 あかりと呼び捨て
講義が終わると、あかりは一人溜息をつきながら校内を歩いていた。
今日は、とんでもないことを知ってしまった。
なんと、先日の本屋で出くわし、家まで送り届けてくれた"あの金髪の青年"が、自分と同じ大学に通う、神木飛鳥という先輩だということが発覚したのだ。
しかも、その神木 飛鳥。
あろうことか、かなりの人気者らしかった。
あれだけの美青年。
しかも隠し撮りされるほどの人気者だ。
ならば、熱狂的なファンくらいいてもおかしくないし、そんななか、もし自分が、あの日一緒に歩いていた女だとバレたら、命がいくつあってもたりない!!
(でも、さすがに刺されたりはないよね? それに同じ学部っていっても先輩だし……さすがにもう会うことは……)
ここ桜聖福祉大学は、そこそこ広い大学だ。
きっと、運命的なものでもない限り、まず再会することはないだろう。こちらに引っ越してきてまだ数ヶ月。できるなら、この大学生活、平穏無事に過ごしたい。
だが、あかりが、そう思った時──
「アスカ!」
「!?」
あかりの横を一人の青年がとおり過ぎた。
赤毛の髪をした、スラリと背の高い青年だ。その青年は、男性とも女性ともとれる中性的な名前を呼びながら、目的の人物のもとへと駆け寄っていく。
あかりは、ふとその名を聞き、今まさに考えていた人物の事がよぎると、その赤毛の青年の行く先を視線だけで追いかけた。
すると──
「あ、隆ちゃん。今帰り?」
「あぁ。丁度良かった飛鳥。お前今日、用事あるか? ないなら少し付き合え」
「なに? どっかいくの?」
「母さんが喫茶店の新メニュー、味見してほしいんだと」
「へー。美里さん、また新作考えたんだ。いいよ、時間ならあるし」
「…………」
赤毛の青年が話しかけると、夕日色にも近い”金色の髪をした美男子”が、これまたにこやかに答えた。
そして、あかりはその光景を見て、絶句する。
なぜなら、そこには、あの日あかりの荷物を持ち、家まで送り届けてくれた、あの青年か!!
そう、この大学の有名人でもある、あの"神木 飛鳥"がいたからだ!!
(嘘でしょ!? ホントにいるよ、あの人?!)
今一番会いたくなかった人物の登場に、あかりは、まるで恐ろしいものでも見るかのように顔をひきつらせた。
もう会うことも無いと思っていたのに、神様はなんて残酷なのだろう。
しかも、残念なことに、ここを通らなければ校舎から出れない。もはやレベル1で、ラスボスに出くわしてしまった時のような心境だ。
だが、出くわしてしまったからには、なんとかしなくてはならない。
もし、選択肢があるなら、こうだろう。
□話しかける
□逃げる
□助けを呼ぶ
(うん。ばれないように逃げよう……っ)
いや、選択肢なんて、あってないようなものだった。助けを呼べる相手なんていないし、話しかけでもしたら一巻の終わり。”逃げる”以外を選択していいはずがない!
(だ、大丈夫、落ち着こう。きっと私の事なんて、もう忘れてるわ)
むしろ、忘れていてくれ。
そう願いながら、あかりは小さく深呼吸をすると、顔を伏せ縮こまるようにして、飛鳥と隆臣の元をこっそり通りすぎる。
「新作って、どんなの?」
「夏向けのデザートらしい」
「へー」
幸い二人は、未だに喫茶店のデザートについて話していた。きっとこれなら、こちらに気づくことなくサヨナラできるだろう。
だが、そう思った時──
「あれ、あかり?」
「ひぃ!?」
通りすぎようとした瞬間、飛鳥があかりに気付き声をかけてきた!しかも
(なんで、呼び捨て!?)
あろうことか、超親し気に”呼び捨て”にされた。勿論ここは大学構内。まわりには他の生徒もたくさんいる。そんななか、いきなり呼び捨てで「あかり」などどいわれたのだ!!
「あ、やっぱり、あかりだ~。この前のカボチャ、全部食べれた?」
「……っ」
だが、あかりの心中など知りもせず、飛鳥は、爽やかな笑顔を浮かべながら、あかりの側に近づいてきた。
しかも、嫌いなカボチャを全部食べたのかと聞いてくる。何だこの人、嫌がらせの天才なのか?
ちなみに、おばあちゃんからもらったあのカボチャは、かろうじて食べれる天ぷらにして全部食べました。四日間くらい天ぷらづくしだったけど……
「あかり、聞こえてる?」
「!?」
すると、一向に返事を返さないあかりに、飛鳥が首を傾げながら再び問いかけてきた。おもったより近い距離に立つ飛鳥に、あかりは思わず後ずさる。
いや、近づかなくていい。
だいたい、そんなに仲良くなった覚えはないのに、なぜ呼び捨て!?
コミュ力高すぎて、びっくりした。せめて「さん」くらいはつけてほしい!ていうか、なぜ名字で呼ばない!?
(あ、そっか……この人、私の”名字”知らないんだった)
だが、思い返せは、お互い名乗っていなかった。
先日、送ってもらった時も、もうこれっきりと思って、おたがい名乗らないまま別れた。なにより、あかりが彼のフルネームを知ったのも、今日たまたま。
(どうしよう……ちゃんと名乗ったほうが良いのかな?)
自分だけフルネームを知っているのは、少し不公平な気もして、あかりは軽く罪悪感を抱いた。
それに、この前は荷物を持ってもらえて、とても助かった。ちゃんと名乗って、改めて、お礼を言ったほうが良いかもしれない。
だが……
(あ、でも……この人、同じ大学に通っていることを隠してたし)
すると、今朝のことを思い出し、かりの中には、またふつふつと別の感情が芽生えてきた。
だいたい、もう関わりたくないのだ。
ならば、名乗る必要があるのか?
「あかり、大丈夫?」
「!?」
だが、またもや飛鳥が声をかけてきて、あかりはびくりと肩を弾ませた。
先日の朗らかな雰囲気とは全く違うあかりの姿。それを見て、体調でも悪いのかと心配したのか、飛鳥は、不意にあかりの顔を覗き込んできた。
さっきより近い距離で見つめられ、思わず身体が硬直する。改めて見れは、とても綺麗な顔をしていた。これなら、ファンクラブくらい余裕でありそうだ。
どうしよう。いますぐ、逃げたい。
ただでさえ、呼び捨てにされて、わずかながらに注目を集めているのに、こんなところを見られたら、明らかに知り合いだと思われる。
いや、まだ知り合いならいいが、下手したら、彼女だと勘違いされる! そうなったら、刺される!!
「────ッ」
瞬間、あかりはきつく飛鳥を睨みつけると、一切言葉を発することなく逃げるように、その場から走り去っていった。
「……ありゃ?」
だが、いきなり睨まれ逃げられた飛鳥の方は、そりゃ意味が分からない。
(聞こえてなかった……のかな?)
いや、目もあったし、あれだけ近かったのだから、それはないだろう。
となれば……
(さてはアイツ、あえて無視したな)
それに気づいた飛鳥は、何やら黒い笑顔を浮かべた。なんの恨みがあるかは知らないが、どうやら、完全無視を決め込んだらしい。
すると、そんな飛鳥を見て、今度はその横に立つ隆臣が声をかける。
「……誰だあの子? お前、スッゲー睨まれてなかったか?」
「あー、少し前に話さなかったっけ? 迷子になってた女の話」
「あぁ、大河の言ってた優しそうなって、あの子か?」
「そうそう、でも、あれ間違いだった。アイツ、俺の善意をことごとく無に返そうとするんだよね。それになにあの態度。ケンカ売ってんのかな?」
「いや……なんでそんな犬猿の仲になってんの?」
飛鳥が珍しく興味を示していた女の子のはずが、そんな彼女と、なにやら殺伐とした雰囲気を醸し出しているのを見て、隆臣はただただ顔をしかめるばかりだった。




