第65話 飛鳥とあかり
その後、飛鳥とあかりは、結局あの場所でサヨナラをすることなく、そのまま、あかりの家に向かっていた。
さっきまでの騒がしい道路を過ぎ去ると、また再び閑静な住宅街にさしかかる。
もちろん、飛鳥の手には、今も重たいカボチャと大根が入った袋が握られており、それは歩く速度に合わせて、カサカサと揺れた。
「……よく気づきましたね?」
「あー、なんか行動がおかしかったからね」
「え、おかしかったですか?」
「だって君、俺の善意、全部棒にふろうとするんだもん。さすがの俺も傷つくよね?」
「……」
あかりにとって、聞き取りやすい左側に並んで、飛鳥は呆れたように言葉をはなつ。
女の子は車道側には立たせないように……と、常日頃から意識はしてきたが、まさかそれで、困ってしまう女の子がいるなんて、今まで考えもしなかった。
「あの……傷つけてしまって、ごめんなさい」
「……」
だが、そんな飛鳥の言葉に、あかりは、また悲しそうに瞳を揺らし謝ってきてきた。
どうやら、彼女にとって、聞こえないことで人に迷惑をかけたり、傷つけたりすることは、とても辛いことなのかもしれない。
飛鳥は、そう思うと──
「冗談だよ♪」
と、再びあかりにニッコリと微笑みかける。だが、そんな飛鳥を見て、あかりはまた少し複雑そうな顔をした。
気を使わせたと思ったのか?
初めてあった時もそうだったが、どうやら、彼女は、他人の気持ちを察することに関しては、とても勘がよいのかもしれない。
「"片方しか聞こえない"って、どんな風に聞こえてるの?」
「え?」
飛鳥は、話題を変えようとばかりに再び言葉を投げかけた。すると、あかりは少しだけ考えたあと、また柔らかく微笑んで
「そうですね。じゃぁ、"両耳聞こえてるあなた"は、どんな風に聞こえてるんですか?」
「──え?」
その問いかけに、飛鳥は一瞬口ごもる。
「……あー、なるほど。上手く説明できないや」
「元々、両耳聞こえていた方が突発性難聴とかで、突然聞こえなくなったなら、その違いを説明できるのかもしれないですが、私の場合は、物心ついた頃には、既に聞こえていなかったので……」
「子供の時から……?」
「はい。4歳くらいで気づいて、長い間、耳鼻科にも通いましたけど、神経がダメになっているそうで、治らないし補聴器をつけても意味がないと言われました」
「それは、障がい者ってことになるの?」
「うーん……それは、ちょっと難しいところで、聴覚障害が認められて障害者手帳を発行されるのは両耳の聴力レベルが70dB以上か、一側耳の聴力レベルが90dB以上、他側耳の聴力レベルが50dB以上って言われているみたいなんですが……」
「70?」
「あ、音の数値です。70dBは電車の車内くらいの騒音で……でも私の場合、右耳は全く聞こえないけど、その代わり左耳が異常に発達して、それを補ってくれてるんです。だから、聴覚障害があるといわれたら”ある”のですが、障害者手帳を発行されるほどのレベルには達してなくて……騒がしい場所では【不便】ではあるんですけど、静かなところなら普通に会話もできるし、日常生活で困ることは、特に何もないんですよ?」
「へー……」
にこにこ話す彼女に、嘘はないようにみえた。
だけど、その「不便」と濁した言葉の中に、色々な問題が隠れているのだろうことは、何となくわかった。
「……ごめん。なんか悪いこと聞いた?」
「いえ、ちゃんと聞き取れないことで、私が周りに迷惑をかけているのはよくわかっているんです。むしろ、気づいてくれて、理解しようとしてくれて、とても嬉しかったです」
「……」
まるで、ホッとしたようにふわりと笑ったあかりを見て、飛鳥は、これまでの彼女の行動や言動を改めて振り返る。
確かに知っているのと、知らないのでは、彼女に対する”見方”は大きくかわった。
普通に接していたら、きっと気付かない。
気づかなければ、無視されたと思ってしまう人もいるかもしれない。
彼女は、あくまでも"健常者"
だけど、場所が変わると、たちまち"障がい者"となってしまう。
健常者でもない、障がい者でもない。そういう、中途半端なところに属している人なのだろう。
見た目ではわからず、気づかれることのない障がい。当たり前のように、健常者として扱われる、障がい者。
その苦労は、どんなに想像しても、自分には分からなかった。
「あ、私の家ここなので、今日は本当にありがとうございました!」
それから暫く歩くと、あかりがまた飛鳥にはなしかけてきた。
見ればそこには、築年数もそこまで建っていない比較的綺麗な外観をした、単身者向けのアパートが建っていて、飛鳥はふとその辺りを見回す。
あまり、この辺りに来たことがなかったが、アパート前の少し狭い道路を挟んだ向かいには、少し広めの公園があった。
夕方になり散歩をしている老夫婦や、公園奥にある噴水の前では、ベビーカーを揺らしながら、砂場で遊ぶ男の子を見守っている母親の姿が目にはいった。
比較的、和やかなその雰囲気は、とても温かくて、なんだか彼女らしいとすら思ってしまうほどだった。
「……て、家バレしてるし」
「あはは。もう、あなたが不審者じゃないことを祈るしかないですね?」
「へー、やっぱり不審者だと思ってたんだ」
「だって、あとはついてくるし、あんな意地悪ばかりしてくるし」
「あー、それさ、なんでこんなに意地悪したくなるのかなーって考えてたんだけど、君似てるんだよ。 バカで騙されやすくて、おっちょこちょいな、うちの妹に!」
「なんですかそれ! 私にもですけど、妹さんにも失礼!? てか、あなた妹いるんですか?」
「いるよー。下に二人。高校1年生の双子の妹弟♪」
「へー……あまり長男には、見えないですね」
「君、さりげなく毒はさむよね? 君はいないの兄弟?」
「あ、私にも一人。9歳の弟がいます。少し年の離れた姉弟なんですけど」
「へー。君こそ、長女らしくないけどね」
「ちょ、ひどい!?」
「はは、それ、お互い様でしょ」
少し前までの険悪な雰囲気はどこにいったのか? 不思議と会話が弾むと、それから暫くして、あかりは改めてお礼を言い、その後、アパートの階段をかけあがる。だが……
「あ、あの……」
「?」
「もしよかったら、コレ少し貰ってくれませんか?」
「……」
階段を半分まであがり、また振り向いたあかりは、そういって、先程まで飛鳥が手にしていた大根とカボチャが入った袋をさしだしてきた。
だが、それを見た飛鳥は……
「それ言うなら、送らせる前に言えよ!」
「あ、ですよね!? あの、ごめんなさい! でも、よく考えたら私一人暮らしだし、こんなに食べられないし。あと、カボチャ苦手で……」
「……」
少し困った顔で「カボチャが苦手」といったあかりに、飛鳥は、またもや悪戯心を刺激されたらしい。一瞬考えたのち、またいつものような笑顔をうかべると
「いらない。しばらくは嫌いなカボチャづくしで頑張ばってね♪」
「……」
そういって「またね♪」と軽く手をあげた飛鳥は、あかりのお願いをききいれることなく、今、来た道を戻っていった。
そして、そんな飛鳥を見た、あかりはというと……
(あの人、いい人だと思ったけど、やっぱり性格悪い……っ)
飛鳥に対して、またまた疑惑の念を抱いてしまったのだった。




