第56話 エレナとお姉ちゃん
「紺野さん、バイバーイ!」
「う、うん、バイバイ」
小学校の下駄箱前──
下校にむけて靴を履き替えていたエレナは、同じクラスの女子に声をかけられた。エレナは慌ててそれに手を振り返すと、その後一人帰路につく。
モデル事務所に所属しているエレナは、まだ九歳の小学四年生。
母親似の美しい顔立ちと、父親似の茶色の瞳。
サラサラとなびくストロベリーブロンドの髪はとても細く煌びやかで、その長い金色の髪は、黒髪が多いこの日本の小学校では一際目を引いていた。
初めて、この"桜聖第一小学校"に転校してきた時は「金髪の美少女がやってきた!」と、それはそれは噂の的となったものだった。
だが、エレナがこの街に引っ越してきて早五ヶ月。噂もある程度収まり、少しずつだが環境にもなれてきたのだが、この見た目とモデルを目指しているということもあってか、エレナはまだクラスでは浮いた存在であり、なかなか友達が出来ずにいた。
(……作文、明日までだっけ)
小学校を後にし、一人通学路を歩きながら、エレナは先日、先生が話していたことを思い出した。
次の授業参観では『将来の夢』について、みんなの前で発表するらしい。
今から一週間ほど前の授業で配られた原稿用紙。ここ数日は、授業でも作文を書く時間が設けられ、エレナもそれに取りかかったのだが
──私の将来の夢は、モデルになることです──
その一文を書いたあと、なぜかその先の文は、全く書けなかった。
「はぁ……」
閑静な住宅街をとぼとぼと進みながら、エレナは深くため息をつく。
将来の夢に悩む必要など、本来はあるはずがなかった。それも、母が来る授業参観で発表する作文。
「他の答え」など、あるはずがなかった。
(帰ったら、ちゃんと書かなきゃ……っ)
チョコレート色のランドセルをキュッと握りしめて、エレナはその先へと進む。だがその時
──チリン
「……?」
どこからか鈴の音が聞こえてきた。
まるで猫が跳ねるような軽やかな鈴の音。その音に気付いて、エレナが前方に視線を向けると、その数メートル先で、長い髪の女が歩いているのが見えた。
年は17~8歳、腰元まで伸びた栗色の髪に、細いながらも柔らかそうな身体付き。
どこかふわりとした優しげな雰囲気を纏ったその女が、誰だかわかった瞬間、エレナはパッと表情を明るくする。
「お姉ちゃん!!」
「………?」
エレナが声をかけると、その女性は、数秒辺りを見回したあと、少し遅れて振り向いた。
すると、無邪気にかけよってくるエレナに気づいたらしい。女性は優しく微笑みかけてきた。
「あら、今帰り?」
「うん! 」
エレナが、ぎゅっと女性の腕に抱き着く。
「お姉ちゃんは? どこか、でかけるの?」
「…うん。私は、今から買い物に行こうと思って!」
「そうなんだ。あ、そういえば、一人暮らしは、もうなれた?」
「…え? あーまだまだ全然。大学に通いながら家のこと全部一人でしなきゃならないし、やっぱり大変かな? あ、それより、今日は撮影とかレッスンはないの?」
「うん、今日はないよ! あ、でも、帰ったら作文書かなきゃ」
「作文?」
「うん。今度の授業参観で、将来の夢について発表するの」
「……」
その言葉に、女は少しばかり表情を曇らせる。
「……お母さんには、言えた?」
「うんん……言えない。やっぱり無理だよ」
その言葉に、エレナは首を振り俯くと、それをみて、女性は悲しそうに目を細めた。
「ねぇ、エレ」
「あ! でも、お姉ちゃんが話を聞いてくれるし、私、頑張れるよ!」
だが、その後、また無邪気に笑ったエレナは、パッと女性の腕から手を離した。
「私もう行かなきゃ! ごめんね、心配かけて。でも、私なら大丈夫だよ!」
「……」
ありったけ笑顔を向けて、エレナはそう言うと、エレナは手を振り立ち去っていく。
だが、背を向けたエレナが、泣きそうになっていることに女性は気づくことはなかった。
(言える……わけない……っ)
言えない。
言えない。
──本当は
(モデル……やりたくないだなんて……っ)
その心には、小さな小さな悲鳴を抱えながら、エレナは母の待つ自宅へと急いだのだった。




