閑話 聖女を目にした王太子(リュース視点)
時系列的には神召長が出てくるちょっと前。リリアがゾンビを浄化している場面です。
――好きだ。
と、軽々しく口にできないのが王太子という立場だ。下手な発言をすれば相手が理不尽な嫉妬に見舞われるかもしれないし、無駄な政争に巻き込んでしまうかもしれない。
それでも私の心は決まっている。
――私は、リリア・レナードが好きだ。
この想いは迷惑を掛けるだろう。
わかっていながらも諦められないのはそれだけ本気である証拠であるし、何より……私が、リリアに甘えているということなのだろう。
彼女なら受け入れてくれると。
彼女なら大丈夫だろうと。
……そう。私は甘えている。
リリアには力があるから。
リリアなら何とかできるだろうから。
彼女は、まだ、9歳の少女だというのに。
◇
貧民街から出て、王都から出て。案内された先にあったのは大きな穴と、乱雑に投げ捨てられた死体たちだった。
私は知らなかった。
知らなかったで許される問題ではない。
少し考えれば分かることだ。貴族であろうが貧民であろうが人はいつか死に、死んだからには葬儀をしなければならない。死体をどうにかしなければならない。
貴族であれば何の問題もない。
上位の神官に祈りを捧げられ、遺体を火葬して立派な墓に埋葬すればいいのだから。
平民であっても、ある程度の財産があれば“寄進”をし、その土地に派遣されている神官から死を悼まれ、土葬されることも可能だろう。
しかし、王都に住む貧民はどれも不可能だ。
神官は“寄進”をしない貧民に祈りを捧げることはないし、火葬をするだけの燃料 (薪)もなければ土葬できるだけの土地もない。
結果として貧民の死体は祈りを捧げられることすらなく、墓穴とすら呼べないような大穴に放り込まれて“処分”されることになる。
祈りを捧げられなかった死人が亡霊になるのは当たり前だし、死体がゾンビとして動き出すのも当然だ。不用意に近づけば犠牲者が出ることになるだろう。
そうならなかったのはリリアがいたからだ。
リリアが結界を張って亡者があふれ出るのを未然に防ぎ、定期的に浄化してくれていたからこそ何の問題にもならなかった。
本来なら神官がどうにかするべきなのに。
本来なら国がどうにかするべきなのに。
結界の中でうごめく死人たちを見て愕然としている私のことなど気にも留めずにリリアは結界の中に入った。
何をするつもりなのか何となく分かった。
彼女は、そういう人間だ。
「――リリア」
意識しないまま、私は声を掛けていた。
「キミがやらなければいけないのか?」
リリアが振り返る。
その顔に浮かんでいたのは、どこか寂しげな表情。
「――私には『力』があるのだから、やらなければいけないよ」
その顔を見て。
私は、それ以上何かを言うのを止めた。
9歳の少女が。
普通の女の子が。
亡者彷徨う結界の中を一人歩いて行く。
ゾンビたちは襲いかからない。
リリアを恐れている――のではなく、きっと、本能で分かっているのだ。
彼女は敵ではない。
彼女は、自分たちに“救い”をもたらしてくれる存在だと。
手にしたのは大聖典。
口にしたのは聖なる文言。
どれも、これも、本来なら神官たちが手にし、神官たちが口にするべきものだ。
「――ゆく道に幸福を。ゆく先々に安寧を。転生輪廻の終焉で、いつか再び見えましょう」
そう約束したリリアはどこか悲しげだった。祈りも捧げられなかった貧民たちを哀れんでいるのだろう。
9歳の女の子がしていい表情ではない。
こんなことは大人に任せるべきだ。特別な修行を積んだ神官がやるべきことだ。
なのに彼女はしてしまう。
彼女には『力』があるから。
なにより、彼女がそういう人間だから。
「……お姉様は、ああいう人間です」
隣にいたアルフレッドが小さくつぶやく。
「お爺さまの生き様を見てきました。おばあ様たちから『そうあれかし』と教えを受けてきました。お姉様はとても、とても普通の女の子ですが、同時にああいう存在でもあるのです」
「…………」
英雄であり勇者であるガルド殿。
王家の人間として、滅私奉公の思想が染みこんだリース殿。
大自然の守人として、ときに個を捨ててでも全体を守る使命を帯びたアーテル殿。
そういう人たちに育てられれば、そういう思考を持ってしまうものなのだろう。
「殿下は、どうするおつもりですか?」
アルフレッドが静かに問いかけてくる。
「お姉様が王妃となれば、王妃としての行動をするでしょう。『そうあれかし』と望まれたままに、個を殺し、誰かのために行動し続けるでしょう。今のお姉様のように。他の人がやるべきことも背負い込んでしまうでしょう」
「…………」
力ある少女が。責任のある立場に付いたとしたら。
きっと無茶をするだろう。
誰かのために。自分を押し殺して。力を振るい王妃としてするべきことをするだろう。
「そのとき、お姉様に笑顔はありますか?」
王妃となったリリアに。
誰かから何かを望まれ続けるリリアに。
心から笑える瞬間はあるのかと。静かに問いを投げかけられた。
私は少し悩み。
私はリリアに甘えているのだなと実感し。
そして――
「――心配性だね、アルフ君は」
自然、愛称で呼んでいた。
「……は?」
唖然とするアルフ君に微笑みかける。
そう。
リリアは寂しそうな顔をしていた。
悲しそうな顔をしていた。
でも、嫌そうな顔はしていなかった。
「大丈夫だよ。たとえ王妃になったとしても、リリアはきっと笑っているよ。きっと『どうしてこうなった!?』と嘆いているよ」
そう。
きっと、リリアなら。
「彼女はどうしようもなく甘くて、優しくて、困った美少女のために自分の髪を切ってしまうような女好きだけどね……、――やりたくないことは絶対にやらない。そんな子だから。笑顔を失う前に、本当に嫌なことは放り投げてしまうさ」
「…………」
「たとえ王妃になっても、無理そうならそれすら投げ捨ててしまうだろうね。うん、そのときはきっとナユハたちと一緒に田舎にでも引っ込んでしまうのではないかな? 『すろーらいふ!』とか叫んでね」
私の答えを聞いてなぜだかアルフ君は目を見開いていた。
「田舎に……。それは、お姉様との別れを意味していますが、殿下はそれでも良いのですか?」
「良い悪いじゃなくて、しょうがないよね。リリアはそういう子だし――そういうリリアを好きになってしまったのだから」
「好きに……」
「それに、私がリリアに甘えているんだ。リリアだって私に甘えてくれてもいいと思うな。うん、好きな子から『もう無理』と言われてしまったら、とてもじゃないけど無理強いはできないよね」
「…………」
アルフ君は目をぱちくりさせて、空を見上げた後、下を向きつつ大きなため息をついた。
「……なるほど。よく分かりました」
「分かってくれたかな? じゃあこれからは『殿下』じゃなくて『お義兄さま』と呼んでくれてもいいんだよ?」
本当は『お義姉さま』がいいけれど、私は対外的に男性で通っているからね。
私の要請を聞いてなぜかアルフ君が呆れ顔をする。
「殿下はもしかしてだいぶ愉快なお人なのですか?」
「うん? 父上や王宮大神官からは遊びのない人間だと評価されるのだけどね? リリアの影響かな? あの子と一緒にいると難しい顔をしているのが馬鹿らしくなってしまうからね」
「……あぁ、分かります。ふさぎ込んでいる暇がないですよね」
うんうんと頷くアルフ君だった。
弟君とも親交を深めたことだし、ここはそろそろ一歩踏み出してもいいだろう。
「まぁでもアルフ君の意見ももっともだ。リリアがこれ以上無茶をしないよう、自重してくれるよう、まずはリリアに『立場』を与えないといけないかな?」
「立場、ですか」
アルフ君が苦い顔をする。私がしようとしていることを察したようだ。うん、未来のレナード家当主が聡明なのはいいことだ。
「なぜそうなるのですか?」
「そうだね、『リリア様は○○なのですから自重してください』という楔が必要かなって」
「…………………えぇ、お姉様はアレで常識人のつもりですから、正論で攻め立てれば一応自重するかもしれませんが……」
「だろう? アルフ君も理解を示してくれたし、さっそく準備を始めようかな」
「……どうしてこうなった?」
まるで姉のように空を見上げながら。姉の口癖をもらすアルフ君だった。
璃々愛
「見える、見えるよ。未来の国王に無茶降りされて胃を痛める未来のレナード家当主の姿が!」
オーちゃん
「しかも姉も無自覚にやらかすからなぁ。苦労性は父親譲りか……」
誤字報告ありがとうございます。毎回チェックしているつもりなのですが、見落としもありますので感謝しております。
誤字につきましては報告あり次第訂正していきますので、よろしくお願いいたします。
次回、1月4日更新予定です。




