第7話 救国の英雄と、竜の少女。(マリー視点)
ガイサン・デンヒュールド様。
その名前はわたくしも聞いたことがあります。
8年前。我がヒュンスター領に飛来したドラゴンを討伐した英雄であり、騎士爵に選ばれるはずだった日に姿を消した人。
そんな『救国の英雄』が語ったのは8年前の真実。我が領地における2体のドラゴンの物語。
わたくしがまだ生まれたばかりのこと。
もちろんわたくしに当時の記憶などあるはずもなく。
お父様も、お兄様も、何も教えてはくださいませんでした。
黒いドラゴンのお話も。
それから民草を守り、ついには騎士団によって討伐された蒼いドラゴンのお話も。
わたくしは、何も知りませんでした。
その蒼いドラゴンとは、おそらくわたくしのお母様なのでしょう。
ガイサン様は地面に両膝を突き、後悔の念を口にしていらっしゃいます。
正直、困惑してしまいます。
お母様が亡くなられたのは事実。
ガイサン様のお話が本当ならば、瀕死のお母様は当時の騎士団長によって殺されたのでしょう。
恨むには充分。
であるはずなのに、わたくしの心は驚くほど平穏でした。
だって、そうでしょう?
蒼いドラゴン――お母様に致命傷を負わせたのは黒いドラゴンであり、その黒いドラゴンはガイサン様の手によって討伐されています。
お母様の命を奪った『元』騎士団長もすでに死亡していたはずです。
黒いドラゴンは死に。元騎士団長も死に。
わたくしが恨みを晴らすべき存在はもう死に絶えているのです。
……あら?
どこかがおかしい。
わたくしの頭の片隅にほんの少しの疑問が浮かびましたが、今重要なのは地に膝を突き懺悔するガイサン様でしょう。
あなたのせいではありません。
わたくしは、誰も恨む必要はないのです。
わたくしがそのようにガイサン様に伝えますと――
「――ほんとうに、そうでしょうか?」
貧民街の路地にそんな声がこだましました。
いかにも胡散臭い、演技めいた声音。
ガイサン様ではありません。
わたくしが声のした方へと視線を向けると、そこには――漆黒のローブを身に纏った男性が立っていました。
頭から足元まで覆う黒。ローブからわずかに除く口元には薄ら寒い笑みが張り付いていました。
漆黒の男は語り出します。
「そもそも、誰のせいなのでしょうか?」
まるですべてを知っているかのように。
「騎士団が派遣されなければ、あなたの母親は死ななかったのではないでしょうか?」
まるで怒りに震える善人のように。
「黒いドラゴンが恨みを抱いていなければ、ヒュンスター領が襲われることもなかったのではないでしょうか?」
まるで悪を許さぬ正義の味方のように。
「あの悪しき男を騎士団長に任命し、騎士団を派遣したのは誰でしょうか?」
漆黒の男は語ります。
「ドラゴンから恨みを買ったのは誰でしょうか?」
朗々と。つらつらと。さも当然のことのように。
「国。王族。――国王。あの男が騎士団長を任命し、ヒュンスター領に騎士団を派遣し、そもそもの発端となったドラゴンからの恨みを買った人物なのです」
国のせいだと。
王族のせいだと。
国王がすべて悪いのだと。
漆黒の男は右手を伸ばしてきました。
迷える子羊を導く聖職者のように。
すべてを受け入れる母のように。
あらゆる悪事を許す神のように。
漆黒の男に任せればすべてうまくいく。わたくしは不思議とそんな確信を抱けてしまいました。お母様の無念を晴らし。国王へ復讐し、この国への恨みを晴らすことができるのだと。
「…………」
わたくしは漆黒の男の手を握り返し――
――思い切り、男を投げ飛ばしました。
ナユハ様ほどの護身術の腕前はありませんが、そこは『竜人』としての力を有するわたくしです、大人の男であろうとも易々と投げることは可能であり……結果、漆黒の男はそこそこの勢いで壁に叩きつけられました。
「ぐっ!? ……ま、マリー嬢。いったいどういうつもりですかな?」
「黙りなさい、下郎。誰がわたくしの名を口にする栄誉を許しましたか?」
そう、『ヒュンスター侯爵令嬢』と呼ぶならばともかく『マリー嬢』などと、そんな呼び方はよほど親しく、何より王族か高位貴族でなければ許されないものなのです。
わたくしを呼び捨てるリリアお姉様は特別。特例中の特例。わたくし自身が許し、それでもお姉様は固辞されたほど貴族の名前呼びとは特別なことなのです。そんな『無礼』を働く男の発言など聞く価値もありませんし、壁に叩きつけることも当然。むしろ手打ちにしないわたくしは貴族としてずいぶんと穏やかな方であると思います。
「ご、ご母堂の復讐をする機会なのですよ?」
「黙りなさいと言ったはずですよ、下郎。復讐? 寝言は寝てから言いなさい。お母様に瀕死の傷を与えたドラゴンは討伐され、お母様にとどめを刺した元騎士団長はすでに亡く。これ以上誰に復讐をするというのです? 八つ当たりにも似た感情で、このヒュンスター侯爵家が一子マリー・ヒュンスターが国家に、王家に、国王陛下に牙を剥くとでも?」
「…………」
「そもそも――」
思い出すのは王太子であられるリュース・ヴィ・ヴィートリア殿下。
彼女と親しげにやり取りをするリリアお姉様。
もしも王家を敵に回し。八つ当たりでしかない復讐で殿下を敵に回したのなら。
お姉様は、怒るでしょう。
「――そんなことをして、お姉様から嫌われたらどうするのですか?」
私の答えを聞いて漆黒の男は愕然としていました。
「は、母親の復讐よりも、あんな女から嫌われない道を選ぶと?」
「…………」
は?
あんな女?
それは、もしかしなくてもリリアお姉様のことですわよね?
よし、殺そう。
そもそもが不敬罪。
侯爵令嬢に対する不敬に、王家に対する不敬。さらには国家反逆罪未遂の積み重ね。情状酌量の余地はなし。ガイサン様も証人となってくださいます。だいいち、貴族が庶民一人手打ちにしたところで誰も責めたりはしないでしょう。
わたくしの殺気を感じ取ったのか『漆黒』の男が地面に魔方陣を二つ展開しました。おそらくは召喚術の魔方陣ですが、独特の方式なので何が召喚されるか読み解くことはできません。
まぁしかしあの規模であればドラゴン級の召喚は無理ですし、わたくしの敵ではありません。まずは召喚されたモノを屠ってからあの男を――
「――はい、そこまで」
ぽん、と。後ろから頭を軽く叩かれました。
「人を殺したら、リリアちゃんはマリーちゃんを責めるよ。どうしようもない状況ならともかくとして、ね」
リリアお姉様を十全に理解したかのような発言。ですが、不思議と不快感はありませんでした。あの漆黒の男の言葉のすべてが不快感の塊であることとは対照的です。
わたくしの頭を叩いたのは愛理様でした。
……いいえ、愛理様なのでしょうか?
背格好は間違いなく愛理様なのですが、でも、なぜだか違うような気がしました。言い方は悪いですが、普段の彼女にはない『品』がにじみ出ています。まるで高位貴族――いいえ、王族の女性を前にしているかのような。そんな気品が感じられたのです。
愛理様(?)はまるで聖女のような柔らかい笑みを浮かべて――
「お、さすがはリリアちゃんの正妻候補、いい目をしているね! いや~そこまで褒められると照れちゃうけど、事実だからしょうがないよね! うんうん私はリリ×ナユとリリ×リュ推しだけど今度からはリリ×マリも推進しちゃおうかな!? いや~でも最近はリリ×ウィもいい感じなんだよね~! まぁリリ×愛理もしょうがないから認めているけどさ!」
「…………」
前言撤回。気品など跡形もなく吹き飛んでしまいました。
お姉様の口癖をお借りすればこうなるでしょう、どうしてこうなった?
黙っていれば美人なのに。
黙ってさえいれば気品があるのに。
なんというか、美しい花が手折られて泥水の中に突っ込まれてしまった。そんな残念さがわたくしの心を支配していました。
「……私の評価、辛辣すぎない? そろそろ泣いちゃうぞ~?」
微塵も濡れていない目元を拭う愛理様(?)でした。
「あの……愛理様、ではありませんわよね?」
「ふっふっふ! よくぞ気づいたマリーちゃん! そう! 聞かれたならば答えよう! 私の名前は水無覓璃々愛! 宇宙の果てへと想いを馳せ、世界の危機を救いし者!」
ぱぁん、ぱぁん、と。愛理様――いえ、璃々愛様の背後で七色の爆炎が上がりました。
妖精様の魔法のようです。
ドラゴンが『基準』となってしまったせいか、最近ではわたくしも妖精様の姿が見えるようになってしまったのです。
『なってしまったのです、とは無礼なー』
『妖精さんと意思疎通できることに感謝しろー』
『五体投地ー』
『崇め称えよー』
『まったくこれだからリリアの嫁はー』
なにやら楽しそうにわたくしの周りを舞い踊る妖精様たちでした。なんといいますか、伝説の存在にしては言動が軽すぎではないでしょうか? リリアお姉様やナユハ様はこんな――ではなくて、このような存在の言動を見聞きしてよく心の平穏を保てていたものです。
「はいはい、いたいけな美少女を虐めないの」
璃々愛様が手を叩くと妖精様はわたくしの側を離れ、璃々愛様の元へと移動しました。
一応、妖精様とは伝説の存在であり、その姿を見たり声を聞けたりする人は『妖精の愛し子』と呼ばれ(一部では)信仰の対象にすらなるのですけれど……。えぇ、璃々愛様も普通に会話していますね。
……そういえば、いつだったかリリアお姉様から注意されたことがありました。お姉様の前世である璃々愛様はとにかく規格外で、お姉様や愛理様の身体を借りてときどきやってくるから気をつけてね、と。どんな悲劇も真面目な展開も一瞬で喜劇に変えてしまう『シリアス・デストロイヤー』だからと。
いくらお姉様のお言葉とはいえ、他人の身体を借りて顕界するなんて非常識すぎると思っていました。
しかし事実としてお姉様の『前世』はわたくしの目の前にいるわけであり。お姉様のお言葉通りですわねとわたくしが考えていると……。
「……あ、やべ、逃げられた」
璃々愛様がそんな声を漏らしました。彼女の視線の先にわたくしも目をやると、さきほどまでいたはずの漆黒の男がいなくなっていました。起動しかけていた魔方陣もかき消えています。
『なんで逃がすかなー?』
『わざわざ出てきたのに逃がすとかー』
『ダサいよねー』
『使えないよねー』
『お前の存在意義は何なんだー?』
『せっかくバリバリむしゃむしゃ食べようと思ったのにー』
「あなたたちは口が悪すぎるわよ!? 泣くぞ!? 全力で泣いちゃうぞ!?」
妖精様たちの言葉責め(?)を受けて泣き真似をする璃々愛様でした。
なんというか、何でしょうか、これ?
「……どうしてこうなった?」
路地裏の狭い空を見上げながら。思わずお姉様の口癖を口走ってしまうわたくしでした。
愛理
「マリーちゃんは新参侯爵家の娘として、舐められないようかなりガチな貴族教育を施されているからね~。漆黒とやらへの態度もむべなるかな~?」
璃々愛
「そんな貴族子女なマリーちゃんにメイド服を着させてしまったリリアちゃん。うん、責任とって早急に娶るべきだと思うな!」
オーちゃん
「……人ごとだと思って楽しんでるなぁ、こいつら……」
次回、12月2日更新予定です




