閑話 リリアの母と、ナユハの父。(デーリン元伯爵視点)
デーリン元伯爵:ナユハの父親で、人身売買の罪で斬首された人。
罪なき少女たちを誘拐し売り飛ばそうとした私は地獄に落ちて然るべきだろう。
そんな私がこうしてこの世に留まり、愛娘であるナユハの行く末を見守ることができるのはリリア・レナードという少女のおかげだ。
どうやらリリア嬢はナユハを娶るつもりらしい。
いくら女同士で子供ができる昨今とはいえ、父親としては思うところがあるのだが、何だかんだで幸せそうなナユハを見ていると文句を付けることも憚られた。
ナユハにいらぬ苦労を掛けた私がとやかく言う資格などないのだが。
幽霊に寿命があるのかどうかは分からないし、そもそも『銀の一族』の証である銀髪の力でこの世につなぎ止められた私に普通の幽霊の常識が通用するかは分からない。
いつ消えるか分からない身の上だが、それでもなるべく長くナユハのことを見守りたいと願っている。
さて。そんな私ではあるが、首がない状態なので普通に歩いていると無駄にレナード家の使用人などを驚かせてしまう。幽霊らしく姿を消すのも体力(?)を消耗するので屋根裏部屋などで待機していることが多いのだが……今日はわざわざ姿を消し、こうして下の階まで降りてきた。
なにやら禍々しい雰囲気を感じ取ったのだ。
感じからして私と同じ幽霊から発せられたものだろう。
リリア嬢なら幽霊程度に後れを取らないだろうが、彼女の場合は対処した結果として甚大な『どうしてこうなった!?』を周囲に振りまく可能性が高いのでこうして出張ってきた次第だ。同じ幽霊である方が穏当に話がすむ場合が多い故。
廊下をふよふよと浮かびながら移動していると、応接間のドアの隙間から室内を覗き込む女性の姿が目に飛び込んできた。
正確に言うのなら室内を覗き込む女性の幽霊、か。
『……レディ・レナード。一体何をしているのですか?』
そう。部屋を覗いているのはリリア嬢の母にして、私と同じく幽霊であるアリア・レナード子爵夫人であった。
夫人は私からの突然の声かけに『びくり』と背中を振るわせて、今にも泣きそうな顔でこちらを振り向いた。
『う、デーリン伯……リリアが、リリアが取られて……うぅでも私が今さら母親面するわけにも……』
どうやら妃陛下にリリア嬢が猫かわいがりされていることに危機感を抱いているらしい。まぁどう見ても『実の娘のように』可愛がっておられるからな妃陛下は。本物の母親としては気が気ではないのだろう。
……死者とは本来なら思い出の中にしか残らない存在だ。
妃陛下から娘のように扱われ、母親から愛される幸せを実感し続けたとしたら……。リリア嬢が、実の母親であるはずの夫人のことを『忘れて』しまっても不思議ではないだろう。
生者は四六時中死者のことを思い出しているほど暇ではない。命日やふとした瞬間に意識するだけ、それも時間が経てば経つほど思い出す時間は短くなっていき『忘れて』いってしまうのだ。
それが嫌ならば、行動するしかない。
幸福なことに。私たちにはそれができるのだから。
『レディ・レナード。まずは謝ることですな』
これでも同じ幽霊仲間。同じ屋敷を漂う身。彼女がまだリリア嬢に今までの所行を謝罪できていないことは知っている。
『う、やっぱりそうですよね……でも、今さらと言いますか、リリアは幸せそうだし、だったらこのままでいいんじゃないのかなぁとですね……。私が謝ると、必然的に実の母親から恨まれていたことも思い出しちゃうでしょうし……』
『言い訳をするのは結構ですが、いいのですか? このままだとリリア嬢は妃陛下を『お母様』と呼ぶようになるのですよ?』
『う、うぅ……』
夫人は辛そうに頭を抱え、うんうんとしばらく唸ったあと。がばりと勢いよく顔を上げた。
『わ、分かりました! リリアに謝ってみます! ……明日あたりに』
なんというヘタレ。
意外とヘタレなところがあるリリア嬢とはやはり血の繋がった親子なのだろう。そんなところは似なくてもいいと思うが。
しかしせっかくの決意に水を差すのもアレなので私は表向き素直に応援することにした。
握り拳を作りながら、リリア嬢のところ――ではなくどこかへと行ってしまう子爵夫人。どうやら本当に『明日あたりに』謝るつもりらしい。
ぐだぐだと謝罪を先延ばしにする光景が見えるようだが、ほぼ赤の他人である私が強く言ってもしょうがないだろう。あと一週間くらい様子を見てダメなようならまた発破を掛けることにしよう。
と、私がそんなことを考えていると、
「あら、デーリン伯――元伯爵。真っ昼間からうろうろしているなんて珍しいですね」
後ろから声が掛けられた。噂の張本人であるリリア嬢だ。今の私は一応姿を消しているはずなのだが、鑑定眼持ちの彼女相手には無意味なことであるようだ。
振り返るとまだ9歳ながらも『美しい』と表したくなる少女が小さく首を傾けていた。特徴的な銀髪が少し乱れているのは先ほどまで頭を撫でられていたせいだろう。
『あぁ、いや、キミのお母様が悩んでいるようだったのでね、少しばかり助言していたのだよ』
「そうでしたか。うちの母がすみません。私ももう少し会話をしようとは思うのですが、こちらから近づくと脱兎のごとく逃げ出すか涙目になって震えだしてしまうので……」
どちらが年上か分からないな、それ。
「えぇ、まったくです」
うんうんと頷くリリア嬢だった。この子は不意に心を読んでくるので心臓に悪い。
「あなたの見た目も十二分に心臓に悪いですけどね」
『これは一本とられたかな』
あはは、うふふと笑いあう私とリリア嬢だった。いや私は首から上がないので笑えてはいないだろうが。
話も一区切り付いたのでここで別れてもいいのだが、リリア嬢と二人きりになることも中々ない現状、いい機会なので一つ質問してみることにした。
『そういえば、リリア嬢の前世の世界では幽霊に触れないのだったかな?』
「えぇ、そうですね。というかそれが普通なのですけれどね。肉体が滅びて魂だけになったのに触れられるこの世界が異常であるだけで」
『……なぜこの世界の幽霊は触れるのだろうか?』
「私は幽霊研究者ではないので何とも。有力なのは魔素が何らかの影響を与えているという説ですね」
『……リリア嬢ならば何か知っているのではないか?』
なにせ神と等しき金瞳と、神話に語られる赤目。そして『銀の一族』であるのだから。
「知っていますよ」
あっけらかんとリリア嬢は肯定した。まるで今夜の夕食の献立を答えたかのような気軽さだ。
『構わなければ教えてもらってもいいだろうか?』
「……質問に質問で返す形になって申し訳ないのですが、知ってどうするのですか? たとえ世界の真理を知ったところで復活することはできませんし、成仏(浄化)することもできませんが」
『分かっている。咎人である私が復活するわけにはいかないし、ナユハを見守るためには浄化されるわけにもいかない。だから、これは単純な知的好奇心だ。生きている間はそんな余裕がなかったが、一度死んでみると周りのことがよく見えるようになってな。幽霊についても気になってしまったのだ』
「そうですか。……あまり詳しく話してしまうと師匠から叱られてしまうので、一つだけ」
そう言ってリリア嬢は少し困ったような笑顔を作った。
「この世界は、本来とても優しく、とても温かいのですよ。みんな気づいていないだけで」
――そうあれかし。
これ以上は話せないとばかりにリリア嬢は踵を返し、足早に自室へと歩き去ってしまった。
次回、10月14日更新予定です。




