10.マリー・ヒュンスター
10.マリー・ヒュンスター。
王都近くの森へと転移したあと。私は急いで結界を森全体に展開した。同時に探知魔法で周囲を探索。知的生命体や使い魔の類いがいないことを確認する。
これで一安心。マリーの『変身』が私とナユハ以外に見られることはない。
……いや、安心は出来ないか。少なくともマリーにとっては。
「あ……あ、ぁあ、」
マリーが顔を覆い、両膝を突いた。
「見ないで……、みないで、ください……」
懇願する彼女の目からは涙があふれ。
丸めた背中からは一対の翼が飛び出した。
美しい蒼き髪の間からは角が生え、純白の肌は髪色と同じ鱗に覆われていく。
ドラゴンへの変身。
伝説でしか語られぬ“呪い”が、止まることなくマリーの身体を塗り替えていく。
たとえ“血”であろうとも。
たとえ“亜人”であろうとも。
自らの望まぬ姿に変えられるというのなら。それはもはや呪いだろう。
「り、リリア。これ、大丈夫なのかな?」
私のせいで突拍子のない展開に慣れているナユハも慌てている。
「大丈夫だよ。ドラゴンに変身するのは体質みたいなものだから。……でも、この様子だとマリー本人は望んでいないみたいだね」
たまに変身するくらいならいいって言っていたし、そもそも自分の意志でドラゴンに変身してから『変竜の書』を強奪したはずなんだけどなぁ?
私が首をかしげるとナユハがとてもとてもとっても呆れた目で私を見つめてきた。
「人外に変身する様子なんて見られたくないよ。好きな人の前なら尚更」
「……むぅ」
私たちのやり取りの間にもマリーはドラゴンへと変身していく。
マリーの意思を尊重するなら止めてあげるべきだ。けれど、変身途中に介入するとどんな影響が出るか分からないからね。ここは静観するしかないだろう。特に私には『未熟なるもの』という厄介なスキルがあるし。
……と、いうのは建前で。
正直言うと、私は見惚れていた。
マリーが完全に変身するまで――変身したあとも、しばらくは動けなかった。
だって、ドラゴンになったマリーは――
艶やかなたてがみ。
シュッと伸びた首。
意志の強さを感じさせる、人の時と同じ紺碧の瞳。
天を覆わんばかりの翼。
そして、マリーの髪と同じ色をした、蒼く輝く鱗。
――綺麗だった。
ドラゴンでありながら。
人の外にある存在でありながら。
それでも、
私はマリーを綺麗だと思ってしまった。
……………。
小さく首を振り、現状確認。
鎌首を持ち上げた高さはたぶん20メートルくらい。尻尾まで含めた全長は100メートルを超えそうだ。前足は細く、後ろ足は太い。一目見て『ドラゴンだ』と納得してしまえる外見。
たしか、マリーはドラゴンになっているとき自我があると話していたよね。
「……あー、マリー? 意識はあるかな?」
声を掛けてみたけれどマリーからの返事は無し。ウィルドに無理やり変身させられた形だから、普段と違って自我を保てていないのだろうか?
マリーの首が私の方を向いた。その瞳からは理性を感じ取ることはできない。
マリーが顎を開き、そして――
『――――っ!』
竜の咆吼。低レベルな人はこれだけで吹き飛びかねない技だ。まだ9歳なのに少し後ずさりしただけで耐えてみせたナユハはさすがだね。
もちろん私は一歩も動いていない。正直お爺さまの威圧の方が恐いからね。
さて、マリーが自我を失っているのならしょうがない。とりあえず拘束しちゃおうか。
「――貪り喰らうもの」
かつてフェンリルすら縛した幻想の紐がドラゴン姿のマリーに巻き付いた。彼女の力は意外に強かったので2本、3本と追加。最終的には4本使ってやっと動きを止めることができた。
普通のドラゴンは1本か2本で拘束できるのだから、マリーのポテンシャルの高さに驚くばかり。
と、感心している場合じゃないか。
……マリーが持つ変竜の力は本来なら制御できるはずだ。ヒュンスター家の女性がところ構わずドラゴンに変身したという記録がないのは、ちゃんとその力を制御できていたから。
ヒュンスター家に生まれた女性が当主になっていたのは、ドラゴンに変身できる『血』を外へと出さないため。代々、代々、ヒュンスター家にはドラゴンに変身する宿命と、その制御方法が伝わっていたはずだ。
マリーが制御できていないのはまだ子供であることと、おそらくは8年前の事件で母親を含めて多くの人材を失ってしまい、変身の制御方法を知る人間がいなくなってしまったせい。
(……ん? あれ?)
何かおかしいなぁと首をかしげた私だけど、今はそれどころじゃない。拘束したマリーが暴れ出したためだ。
あまり強く締め付けるとマリーを傷つけてしまう。私は貪り喰らうものを慎重に制御しつつ周囲に探知魔法を展開し――見つけた。地面に落ちていた、私がマリーに渡した蒼いラピスラズリを。
ペンダントの鎖部分は変身の時に切れてしまったみたいだけど、幸いにして宝石本体に損傷はない。
貧民街でお願いしたとおりマリーはこの宝石を肌身離さず持っていてくれたのだろう。宝石にはマリーの魔力波長が刻み込まれていた。私が施した小細工はうまく機能したようだ。
マリーを傷つけないよう貪り喰らうものを操作しつつラピスラズリを拾う。
右手にラピスラズリを握りしめながら、左手をマリーの、ドラゴンとしての腕に乗せた。
「マリー。聞こえる?」
以前のリュースにしたように状態異常解除の魔法をかける。……すると、ドラゴンの瞳に理性の光が戻ってきた。
「おねえ、さま……?」
「うん。キミのお姉様だよ。今どういう状況か理解できているかな?」
私の質問を受けたマリーは自分の腕を見下ろし、わずかに目を見開いたあと自身の身体を見渡した。ドラゴンとしての長い首を曲げ、貪り喰らうものの巻き付いた自分の状態を確認したマリーは……すべてを諦めたかのように小さく首を振った。
「……お姉様。わたくしを殺していただけませんか?」
その声は驚くほど平静だった。
平静すぎて心を押し殺しているのだと容易に察せられるほどに。
「先ほどまで、わたくしは自我を失っていたのですわよね? ……ついに、恐れていたときが来てしまいました」
ドラゴンの肉体で。
人としての自我を失っていた。
たとえそれがウィルドの横やりがあったこととはいえ。自意識がなかったことは紛れもない事実だ。
その事実は、マリーを絶望させるには十分だったようであり。
「せめて人間としての意識があるうちに、どうか、どうか……」
震える声。
行き場なくうごめく尻尾。
力なく伏せられた翼。
そのすべてがマリーの心を伝えてくるかのようだった。
「……マリーはそんなに死にたいの?」
「自我があるうちに、殺してください……」
「マリー。もう一度聞くけど、死にたいの? それとも、生きたいの?」
「わ、わたくしは……」
すべてを諦めたように目を閉じるマリー。
「――殺して、ください」
小さいながらも決意を込めた声。
そんなマリーの返事を聞いた私は、静かに腕を組んだ。
「だが断る」
「……はぃ?」
「このリリア・レナードが最も好きな事のひとつは、定められた運命とやらに『NO』と突きつけてやる事だ」
「あ、はぁ……?」
『驚愕。ここでネタに走るとは』
元凶であるウィルド(屋敷に置いてきたはずなのにいつの間にか追いついてきたらしい)が何かほざいていたけど無視。
「マリーは私の妹分。そして、まぁ、その、ね? 実家のお茶会に招かれるくらいだから友達なんだと思う。……と、友達で、いいよね?」
「え、あ、……はい。友達です。ワタシ、オネエサマ、トモダチ」
なにやら無理やり言わせた感があるけれど、マリーも認めてくれたので私たちは友達だ。
友達のためなら多少の無茶をしても許されるだろう。
「私は妹分を殺す趣味なんてないし、友達を殺すのなんてまっぴらゴメン。さらに言えばマリーは美少女で、ドラゴン状態もかなりの美人――いや、美竜だからね。そんな美少女と美竜を兼ね備えた存在を殺すことなんて神が許してもリリアちゃんが許しませんともさ」
「び、美竜……? い、いえ、しかし、このままでは自我のないドラゴンとして生きなければならなくてですね……」
「大丈夫。私が何とかするから」
「なんとか、とは?」
「口でやるよりは実際にやった方が早いかな。キミの『お姉様』を信じて、任せてはくれないかな?」
「……いえ、しかし、わたくしは『悪い子』なのですから。たとえできたとしても、お姉様に救っていただく資格などありませんわ」
「大丈夫。マリーはとてもいい子だよ」
「わ、わたくしは変竜の書を強奪し、その際に騎士の方々を傷つけてしまいましたわ」
「実際に“変竜の呪い”に苦しんでいたんだから情状酌量の余地はあるよ。それに、騎士を傷つけたと言うけどさ。ドラゴンが人間に襲いかかって、死者がいないのなんておかしな話だよ。……マリーは、騎士を殺さないよう気をつけて襲撃したんでしょう? そんな心優しいマリーを、私は見捨てることなんてできないな」
さらに言えば自分が襲撃事件の犯人だと告白をした際、マリーは兄を庇っていた。襲撃したのは自分であり、兄は見ていただけだと。
だから私は断言する。マリーは言うほど“悪い子”ではないと。
確かにマリーには罪がある。罰せられなければならないだろう。
でも、それは死をもって償わなければいけないほどの罪ではない。
「だから、重要なのはマリーの意志。これからは自分の意志でドラゴンへの変身を制御できるようになるとして。それでも、マリーは死を選ぶのかな?」
「…………」
マリーの瞳が揺れた。
迷っているのだろう。
私を信じる気持ちと、無理だろうという諦めの感情。
悩むようにマリーが目を閉じる。
もう一押し必要だろう。
マリーの気持ちを『死』から『生』に向けるには、『絶望』から『希望』に向けるには、もう一押し。
ここはじっくりと何をするか説明するべきかと私が考えを改めていると――マリーの、ドラゴンとしての巨大な腕に手を重ねた存在があった。
ナユハだ。
マリーとは何かと火花を散らすことの多かったナユハが、年上らしい微笑みを浮かべながらマリーに語りかけた。
「ワガママを言ってもいいですよ」
「……え?」
「リリアなら受け止めてくれます。リリアなら何とかしてくれます。私もそうでした。希望の見えない暗き日々を過ごし、ただただ死ぬことだけを望んでいました。自殺する勇気すらなく、過労か事故による死を待っていたのです」
「…………」
「そんな私を、リリアは救ってくれました。諦めることなく。運命すら破壊して。だから、大丈夫です。マリー様の『運命』も、リリアならきっと救ってくださいますよ」
ナユハからの言葉を受けて。
マリーが静かに語りはじめた。
「……お姉様。わたくしはナユハ様が羨ましかったです」
朗々と。恨みすら込めながら。
「お姉様のメイドであるナユハ様が。メイドでありながら確かな絆を感じさせるナユハ様が。お姉様から『嫁』と呼ばれるナユハ様が。期待されているナユハ様が。――わたくしが死んだあともお姉様の側にいられるであろうナユハ様が。わたくしは、とても羨ましかった」
マリーがゆっくりと瞼を開いた。
「お姉様。わたくしは狂いたくありません。自我を失いたくありません。わたくしはわたくしのまま、ずっと、ずっとお姉様のお側にありたいのです」
「……うん、わかった」
マリーからの『お願い』を聞いた私は行動を開始した。
アイテムボックスからナイフを取り出す。
以前、ナユハの右手を治すために髪を切り取ったあのナイフだ。
「マリーが変身を制御できていないのは、ドラゴンに変身しようとする魔力の溢流を制御できていないから。半龍としての膨大な魔力は日々蓄積していって、体内で処理できなくなるとドラゴンへの変身によって一気に放出しようとするんだ」
制御の首輪で無理やり体内の魔力を流し出すことでその変身は解除できる。まぁ、急に大量の魔力を流された首輪は壊れてしまうけど。
成長してマリー本人の蓄積できる魔力量が増えるか、魔力を任意で放出できるようになれば大丈夫……。か、どうかは分からない。なにせマリーは制御方法を知らずに、教えるべき人間もヒュンスター家にいないみたいだから。
だから、私が手助けをする。
魔力があふれ出すのなら、溢れないようにすればいい。
ふぅ、と息を吐く。
「……唐突だったけどね。私、妹分ができて嬉しかったんだ。お姉様と呼ばれて嬉しかったんだ。私の周りにいるのはみんな年上で、同い年の友達もナユハだけ。貧民街の子供たちは姉と言うより遊び相手って感じで接してくるし、お姉様として慕ってくれるのがとても嬉しかったんだ」
姉御。
フィーさん。
シャーリーさん。
タフィン。
あとはまぁ、師匠やスクナ様も一応。
私は、私の周りにいる『姉』からとても助けられてきた。精神的にも、肉体的にも、何度助けてもらえたか数え切れないほどだ。
そんな私だからこそ。『姉』たちに恩返しするのはもちろんだけど。
いつか。
いつか『妹』ができたときには助けてあげようと決めていたのだ。損得なんて関係なく、困っていたら助けてあげようって……。
だから。
私は迷わなかった。
たとえ出会ってからの時間が短くても。
たとえその関係が歪んだものだったとしても。
私は『妹』のために――髪を切った。
後ろ髪はもう短くなってしまっていたから。長いままで残されていたサイドの髪。顔の右側の束を『すぱーん』と切り取った。
「またやってるし……」
ナユハさんが呆れ声を上げていた。後ろ髪を切ったときは叫んで嘆いて大騒ぎだったのに。人は変わってしまう生き物なんだね……。
「いや違うから。リリアの突拍子のない行動に慣れただけだから。人がスレちゃったみたいに言うのは止めてもらえるかな?」
ナユハの猛抗議を聞き流し、私は右手に髪束、左手に例のラピスラズリを握りしめた。
「―― 一流を三流に。悲劇を喜劇に。我が挑むは神の業。嗚咽を歓声に。今ここに喝采を。悲しき未来を拒絶して、我は世界を塗り替えよう」
ラピスラズリにはマリーの魔力波長が記憶されている。この波長を参考に、マリーの身体に『しっくり』する術式を新しく構築するのだ。
そして、髪の毛。
魔法使いにとっての髪の毛は蓄電池ならぬ蓄魔池。大量の魔力を貯められつつも、自分の身体の一部なので色々と無茶ができる。
たとえば、『余剰魔力をいったん髪に貯めて、後に解放させる』という術式を組んでからラピスラズリに溶け込ますとかね。
元々髪の毛って魔力を何年も貯めておけるほど蓄魔池としては優秀なのだし、これだけの束(しかも銀髪)ならば半龍であるマリーの魔力も受け止めることができるだろう。
髪束に術式を書き込み、魔力の蓄積と、マリーの意思での魔力放出をできるようにする。
右手の人差し指の先を風魔法でちょっと切り、左手に持ったラピスラズリに、一滴血を落とす。その血によってこなれたラピスラズリに術式を書き込んだ髪束を溶け込ませた。
蒼一色だったラピスラズリには中心部に赤い雫のようなものが混じっていた。おそらく一滴垂らした私の血だ。
ラピスラズリにはわずかながらも確かに魔力が渦巻いていて。これはもう宝石というよりは魔石といった方が正確だろう。
「人工魔石……相変わらず非常識な……」
『驚愕。なぜ作成できるのか理解できない』
ナユハとウィルドの呆れ声は聞こえませぬ。
私が完成した魔石をマリーに差し出すと、マリーはドラゴンとしての首を伸ばしてきて魔石を飲み込んだ。『ぱくり』と。
……あれ? 飲み込んじゃったよ。私としては『肌身離さず持っていてね』と説明するつもりだったのに。
どうしてそうなるの?
ま、まぁ、体内の魔力を制御するのだから、体内にあった方が効果は高いかな? それにラピスラズリはマリーの魔力波長に『しっくり』するようあわせてあるから、飲み込んでも身体に悪影響はないはずだし……。
一応“左目”で透視して確認。飲み込まれた魔石はマリーの心臓辺りにまで達して、消えた。正確に言えば溶け込んだ。
…………。
し、しっくりさせすぎて身体が吸収しちゃったとか?
どうしてこうなったと頭を抱えていると、マリーの身体が光り輝いた。余剰分の魔力を使い果たしたのか、あるいは魔石を体内に取り込んだ影響か、ドラゴンへの変身が解除されたらしい。
美しい蒼髪。
将来の美貌を約束された顔。
8歳児なのに膨らみはじめた胸部と、汚れなき初雪のような白い肌。
……そう、白い肌。
人間に戻ったマリーは素っ裸だった。自分では気づいていないのか大事なところを隠す様子もなく、嬉しそうに『お姉様!』と抱きついてくる。
わぁい、どことは言わないけど生の感触が素晴らしい――じゃなかった。とりあえず服を着て、服を。
近くにいたナユハが私の頭に空手チョップして(ひどくない?)、マリーを右手の超握力で引きはがした。マリーは不満そうだったけど自分が裸であると教えられて慌ててしゃがみ込む。
ナユハがアイテムボックスから予備のメイド服を取り出してマリーに手渡す様子を眺めながら……私は奇妙なほど納得してしまった。
そうだよね、ドラゴンに変身するときにペンダントの鎖が切れたんだから、着ていたドレスだって裂けちゃうよね普通に。変身時に都合よくオート着替えな魔法少女とは違うってことか。
「…………」
ナユハが『このヘンタイが……』って目で私を見ている。私に過失はないはずなのに……。
『驚嘆。これが物理法則への反逆』
と感心しているのはウィルド。
「裸を見られた以上、責任を取ってもらうしかありませんわ♪」
手早くメイド服に着替えたマリーは頬を赤らめながら身体をくねらせている。
どうしてこうなった……。
ちなみにリリアが森まで転移させたのはナユハとマリーだけです。
置いて行かれたウィルドは自分で転移してきました。
次回、8月16日更新予定です。
 




