閑話 ヒュンスター家のメイドさん
閑話 ヒュンスター家のメイドさん。
マリーお嬢様は、滅多なことでは感情を表に出しません。
それもまた当然の話でしょう。幼い頃に母親をドラゴン討伐で失い、そのドラゴンの呪いによって憎きドラゴンへと変身してしまうようになってしまったのですから。私はその頃まだヒュンスター家にお仕えしておりませんでしたが、マリー様の悲しみは察するに余りあります。
旦那様は王宮の図書館で解呪の方法を探しておられますし、兄であるマリット様も勉学の合間に各地を回り情報を集めてくださっています。
けれど、ご家族の奮闘もマリーお嬢様に笑顔をもたらすことはできませんでした。
お嬢様の瞳に映るのは“絶望”という感情のみ。
どんなに有名な本を読もうが、どんなに人気のある演劇を見ようがお嬢様の心を解きほぐすことはできませんでした。
ただ、屋敷にいるよりは町に出ているときの方が少し晴れやかな表情をしておられまして。そんなお嬢様の変化を旦那様も感じ取られたのか、(他の貴族令嬢と比べれば)マリーお嬢様は簡単に町へ遊びに行くことができました。
しかし、町に行っても屈託のない笑みは浮かべてくださらず。
「……早く死んでしまいたいわ」
いつの頃からか、それがお嬢様の口癖となってしまいました。
何とかしてマリーお嬢様を笑わせることはできないか。私たちメイドも色々と試しましたが有効な手立ては見つからず……。
ヒュンスター家に絶望が広がりはじめたあの日。あのとき。マリーお嬢様の瞳に希望の火が宿りました。
それは旦那様が王宮から借りてきた資料を閲覧していたときのこと。
私たちからしてみてもマリーお嬢様が解呪の方法を本気で探しているわけではないことは察せられましたから、今回もただ単に旦那様やマリット様のご厚意を無駄にしないための、表向きの資料閲覧に過ぎないはずでした。
お嬢様の目が輝いたのは、とある女性の公式戦闘記録を読んだときのこと。
――リリア・レナード子爵家令嬢。
「凄いですわ! 7歳でドラゴンを討伐してしまうなんて!」
マリーお嬢様のあんなにも大きな声を聞いたのは初めてでした。
声を弾ませて。身振り手振りも交えながら。お嬢様はリリア・レナード様を褒め称えておられました。まるで憧れの『英雄』を物語るかのように。
リリア・レナード様の武勇伝は我々の耳にも届いています。ドラゴン退治。ワイバーン討伐。リッチの除霊などなど。まだ幼い少女が成し遂げたとは到底信じられないことばかりを伝え聞くことができました。
大魔法使いの証である銀髪。
神話に語られし赤目。
そして、神と等しき金の瞳。
もしかしたら、と思いました。
もしかしたら、リリア・レナード様ならマリーお嬢様の呪いを何とかできるかもしれないと。今は無理だとしても、長ずれば何とかしてくださるのではないかと希望を抱いてしまいました。
マリーお嬢様がリリア・レナード様との面会を望まれたとき、侯爵令嬢としてではなく、町での偶然の出会いを選ばれたこともさほどの違和感はありませんでした。
なにせ相手はレナード商会の娘。
創業から二代目でありながら、一晩で国家予算級の金貨を動かすと噂される商会。
多くの上位貴族に貸し付けを行い、王宮にも多額の寄付をして、我が国の政治を裏で支配していると囁かれるあの『レナード』との接触は慎重にしなければなりません。
特に、引きこもりの弟に代わり将来レナードの当主になるであろうと確実視されるリリア・レナード様であればなおのこと。
公式な接触で何らかの無礼があればヒュンスター家が吹き飛んでもおかしくはない以上、非公式の接触を図るのは貴族の娘として当然の判断です。最悪の場合は『娘の独断でやったこと』にできますから。
そして、それが“変竜の呪い”であればなおのこと。お嬢様の呪いは、リリア・レナード様だけならとにかく、公式な場に同行するであろうレナード家のメイドや従者に聞かれるわけにはいかないのです。
そうしてマリーお嬢様は町に出るたびにリリア・レナード様がよく行くとされる場所を回ることとなり。貧民街への出入りも、期待に目を輝かせるマリーお嬢様を見れば止めることができませんでした。
もちろん遠くから護衛はしていましたけれど。
お嬢様の努力は実を結び。
本日、リリア・レナード様がヒュンスター家の屋敷にやって来ることとなりました。
マリーお嬢様とリリア・レナード様の関係は良好だと聞き及んでおります。お嬢様は『リリアお姉様』呼びを許してただいたとか。
国王陛下の姪御であるリース様を祖母に持ち、実質的なレナード家の次期当主と目される御方。そんなリリア・レナード様から『お姉様』呼びを許可されたことは望外の幸せと喜ぶべきでしょう。
……いいえ。そんなお立場など関係なく。
憧れの存在を『お姉様』と呼び慕うことができる。それこそが真の幸せなのでしょう。
「ねぇ、ハイネ。どこかおかしいところはないかしら?」
姿見の前で何度も手櫛で髪を整えながら、マリーお嬢様は不安そうにつぶやかれました。
「はい、とても似合っていますよ。特に胸元のペンダントはお嬢様の髪色ととても調和しています」
「ほんと!? 嬉しい! このラピスラズリはお姉様からいただいたものなのよ! わたくしの髪色に合わせて!」
幾度も話してくださった経緯を、飽きることなく繰り返されるマリーお嬢様。何度も何度も手ずから磨き上げ、寝るときも枕元に置いておくほどお気に召していることを私は知っています。
ラピスラズリのペンダントを手のひらに載せたお嬢様は満面の笑みを浮かべられており。お嬢様に笑顔を取り戻してくださったリリア・レナード様には感謝してもしきれません。
「あぁ、やはりお姉様は素敵ですわ。あのような素晴らしい人に殺していただけるわたくしはなんて幸せ者なのでしょう」
お嬢様は蕩けるような笑顔で語りますが。
幼い頃よりお仕えさせていただいている私は、今のお嬢様が本気で死を望んでいるようには見えませんでした。
あれは、そう。どちらかというと期待することを恐れているような。
初代勇者様ですらどうにもできなかった呪いを、リリア・レナード様がどうにかできるわけがないと自分に言い聞かせているかのような。
普通に考えればそうでしょう。
リリア・レナード様はまだ9歳。いくら常識外の成果を残してこられたとはいえ、専門外である呪術に関してもその非常識さが発揮されるとは限らないのですから。
期待して裏切られるのは辛いでしょう。
それが『お姉様』と呼び慕う人であればなおのこと。
お嬢様の無意識の防衛行動を私などが責めることはできません。
……でも。
それでも、私は期待せずにはいられません。
マリーお嬢様を笑顔にしてくださったリリア・レナード様なら。
誰もが諦めかけていたお嬢様の笑顔を取り戻してくださったリリア・レナード様なら。
もしかしたら。
私は、期待せずにはいられませんでした。
次回、7月10日更新予定です。
 




